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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



ミャンマーを時々旅をすると、その治安の良さについつい日本にいる時のような感覚に陥ってしまう。
つまり外国に居ながら気を抜いてしまうことがある。
ミャンマーはなにかしら、安心して旅をしたり滞在したりすることのできる不思議な国なのだ。

「そんな、あなた。それは悪名高い軍事政権が市民を力で押さえつけているからでしょう」

私のミャンマーでの感想や体験を話すると、たいていのひとはそう言うのだ。
でも、それって当たっているように思えるけれど、でも当たっていない、というのが私の説明になっていく。

ミャンマーは軍事政権の独裁が続いているので市民はかなりの抑圧を受けている。
それはある意味事実で、政治的な自由さは、多分日本ほどには無いだろう。
でも、中国以上にはあるかも知れない。

「海外からの情報は遮断され、人々は自国以外で何が起きているのかさえ知らない」

という意見、というか印象を耳にすることもあるが、これは完璧に間違い。
例えばヤンゴン市内の外国人向けホテルではもちろんタイやインド、果てはCNNやBBC、受信料も払っていないのにNHKさえ見ることができるは当然で、さらに、街のちょっと裕福な家の屋根には衛星放送を受信するパラボラアンテナがにょきにょきとそびえている。
だから、海外の情報は良く知っているし、あの3年前の僧侶のデモもCNNなどの海外メディアやインターネットを通じてリアルタイムに知っていたのだ。

ミャンマーの治安の良さは軍事政権の弾圧や抑圧ではなく、別の要素にあると、私は信じている。
それはなにかというと、
「仏教」。
ミャンマーはお釈迦様の教えを深く信じている文化で知られているが、この仏教による教育が温厚で柔和、それでいて一旦事が発すると情熱的に動き出す。
まるで昔の日本人のような感覚がここにはあるのだ。

仏教を信仰する国は温厚な国が多い。
ミャンマーもそのひとつだが、タイやカンボジア、ブータン、ベトナム、それに我が国など、重大犯罪が起きることも少なくない。

ミャンマーのヤンゴンから車で2時間ほど走ると「水中寺院」と地球の歩き方にも紹介されているイェレーパゴダという寺院がある。
この寺院の回廊の壁には「地獄絵図」が掲げられていて、それはそれは世にも恐ろしい地獄の様子が紙芝居のように示されているのだ。

「大人は駄目ですけどね。子供は、恐れます。」

というのがガイドのTさんの話だった。

宗教教育というのは「死」と「生」を教える。
地獄絵図は「死」。
子供だましの絵であっても、そこはお釈迦様の知恵が働いているありがたい教育図。
子供の頃に、「悪いことをして死んだら怖いぞ~」と教えられる環境は凶悪犯罪を産みにくいのかも知れない。

それと比べて「信仰の自由」を笠に着て、伝統的な文化であった仏教教育を捨て去った日本。
「死刑になるために人を殺そう」
などと考える殺人鬼が出てくる恐ろしい事件が起きても不思議はないと思えて仕方がないのだ。

写真:イェレーパゴダで撮影(撮影者は私)



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