10日(水)。昨日の朝日夕刊によると、10月1日から郵便料金が、消費税率が8%から10%に改訂されるのを機に値上げされるようです 手紙は2円値上げされ84円に、ハガキは1円値上げされ63円になるとのこと。手紙の値上げは2014年4月の消費増税以来5年半ぶり、ハガキは2年4か月ぶりだそうです
いまや電子メールの時代。以前と比べて手紙やハガキを出す機会は激減しましたが、たまに出すときは、いくらの切手を貼ればいいのかネットで「郵便料金」を検索してしまいます 覚えやすい方法はないものでしょうか。例えば「手紙はハヨ(84)出せ」とか
ということで、わが家に来てから今日で1741日目を迎え、芋の一種であるキャッサバから作る粒状の炭水化物「タピオカ」入りの飲み物が空前のブームになっている という朝日新聞の記事を見て感想を述べるモコタロです
ブームは結構だけど 飲み残しが入った容器を捨てるバカが多いのは困ったものだ
昨日、夕食に「親子丼」「生野菜と生ハムのサラダ」「トマトとレタスのスープ」を作りました 昨日は娘が仕事休みで、私もコンサートがなかったので、久しぶりに一緒に夕食をとることになり、「何が食べたい?」と訊いたら、「親子丼が食べたい」と言うので 意外にも初挑戦で作りました 見た目は大雑把ですが、味にうるさい娘から合格点をもらいました
昨日、池袋の新文芸坐で「浮雲」と「上意討ち 拝領妻始末」の2本立てを観ました
「浮雲」は林美智子原作「山の音」を成瀬巳喜男監督が1955年に映画化(白黒・123分)したものです
幸田ゆき子(高峰秀子)は昭和18年、農林省のタイピストとしてフランス領インドシナ(現ベトナム)へ渡った。そこで農林省技師の富岡兼吾(森雅之)に出会い愛し合ったが、やがて終戦を迎える。「妻と別れて君を待っている」と約束した富岡の言葉を頼りに、遅れて引き上げたゆき子は富岡を訪ねたが、彼の態度は煮え切らなかった 途方に暮れるゆき子はある外国人の囲い者になったが、そこに富岡が訪ねてくると、ゆき子はまた富岡の元に戻っていった 終戦後の混乱の中で、富岡の始めた仕事は巧くいかなかった。ゆき子は外国人とは手を切り、富岡と伊香保温泉に出かけた。「ボルネオ」という飲み屋の清吉(加東大介)の好意で泊めてもらったが、富岡はそこで清吉の妻おせい(岡田茉莉子)の若い野性的な魅力に惹かれてしまう ゆき子は直感でそれを悟り、帰京後二人の関係はまずくなる。妊娠したゆき子は富岡の引っ越し先を尋ねたが、彼はおせいと同棲していた 失望したゆき子は、以前肉体関係のあった伊庭杉夫(山形勲)に金を借りて妊娠中絶をした。嫉妬に狂った清吉が富岡の家を探し当て、おせいを絞殺したと知ったのはゆき子が入院中に見た新聞記事だった 退院後、ゆき子はインチキ宗教の教祖となった伊庭の囲い者となるが、ある日、落ちぶれた姿で富岡が現われ、妻の邦子(中北千枝子)が病死したと告げるのを聞くと、またこの男から離れられない自分を感じた 数週間後、屋久島の新任地へ行く富岡にゆき子はついていった。孤島の掘立小屋の官舎に着いた時、ゆき子は病気になっていた 雨の降る中、ゆき子が苦しんで息を引き取ったのは、富岡が山に入っている留守の間だった。死の床に駆け付けた富岡はゆき子にすがって泣き崩れる
この映画は、ひと言でいえば、一人のモテる浮気性の男と、彼のそんな性癖を知りながらも離れられない弱い女の行く末を描いた作品です
ゆき子の口から男の本性を突いた言葉が出るたびに会場の女性客から笑い声(嘲笑のような)が起こり、富岡の口から女の本性を突いた言葉が出るたびに男性客から嘲笑が起こったのが面白いと思いました それぞれが男女の機微について思い当たる節があるのでしょう 成瀬巳喜男という人は、そういう映画を撮る監督なんだなと思いました
「上意討ち 拝領妻始末」は小林正樹監督による1967年東宝映画(白黒・121分)です
会津松平藩馬廻りの三百万石藩士・笹原伊三郎(三船敏郎)は、主君松平正容の側室おいちの方(司葉子)を、長男・与五郎(加藤剛)の妻に拝領せよと命ぜられる 武芸一筋に生きてきた伊三郎は、笹原家に婿養子として入った身で、気の強い妻すが(大塚道子)の前で二十数年も忍耐を重ねて暮らしてきた だからこそ 与五郎には自分の轍を踏ませず、幸福な結婚を願っていたため、何としても命を受けるわけにはいかなかった 伊三郎は親友で国廻り支配の浅野帯刀(仲代達也)に相談し、時をかけてこの話を立ち消えにしようと考えた しかし、側門人・高橋外記の性急な要請と、笹原一族の安泰を考える笹原監物の談判を受け、伊三郎は藩命という力の前に屈してしまう 間もなく与五郎といちの祝言が挙げられた。いちの花嫁姿は子を産んだ女とは思えないほど初々しく、その後も夫や姑に従順に仕えた 家督を与五郎に譲った伊三郎はそんないちが、なぜ藩主から暇を出されたのか訝った いちは19歳の時、許婚がいるにも関わらず、一方的な藩命で正容の側室にされ、菊千代を生んだ。その悲惨な運命を受け入れたいちが、嬉々として正容の側室になったお玉の方を見た時、正容をけだもののように感じて逆上したのだった 与五郎も伊三郎も、この一部始終をいちから聞いているうちに、いちほど立派な嫁はいないと思った 平和な日が続き、いちは女児とみを生んだ。そんなある日、正容の嫡子・正甫が急死した。菊千代が世継ぎと決まり、いちの立場は藩主の母となってしまったため、藩の重臣は与五郎にいちを返上せよと命じた この人道に背く理不尽な処置に伊三郎は怒った。これまで笹原家の門閥と格式を守ることのみに生きてきた伊三郎は、与五郎と共に藩の言いなりにはならないことを決心する 明け方、上意討ちの一隊が笹原家を襲ったが、拉致されたいちは自らヤリの前に身を投げ出して果て、与五郎もいちに折り重なって敵の刃に倒れた 伊三郎は狂気のように荒れ狂い、外記らを斬りまくった。やがて、藩の非道を幕府に訴えようと、とみを連れて旅に出る伊三郎の前に領内の出入りを見張る親友の帯刀が現われる 役目とはいえ、悲痛な思いで伊三郎に対峙する帯刀は、伊三郎の剣の前に倒れる。しかし、その伊三郎も追手の銃弾に命果てる
養子のため長年にわたり妻の尻に敷かれてきた伊三郎は、何一つ満足なことが出来ないまま過ごしてきたが、息子・与五郎と妻いちとの深い愛情に感動し、お上の命令には従わず夫婦を守るために闘うことによって自分自身を取り戻す、というのがこの映画のテーマです
映画の終盤で、伊三郎がとみを連れて、藩の非道を幕府に訴えようと関所に来た時、領内の出入りを見張る浅野帯刀が現われ、不本意ながら命を懸けて勝負しなければならなくなりますが、三船敏郎と仲代達也の決闘シーンを観て、黒澤明監督「椿三十郎」の壮絶なラストシーンを思い出しました 「椿三十郎」では室戸半兵衛役の仲代達也が椿三十郎役の三船敏郎に切られ、派手に血しぶきをあげて倒れるわけですが、「上意討ち」では浅野帯刀役の仲代達也が切られますが、彼は「お前には与五郎、いち、とみの3人が付いている。一人の俺が勝てるわけがない」と言って崩れ落ちます
この映画では、武満徹の音楽が随所で流れます 琵琶を有効に使った武満得意の音楽です