人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

音大オーケストラフェスティバル(昭和音大、東邦音大、桐朋学園大)のチケットを取る / 勅使河原宏監督「砂の女」、小栗康平監督「泥の河」を観る ~ 新文芸坐

2019年07月09日 07時22分30秒 | 日記

9日(火)。わが家に来てから今日で1740日目を迎え、英国のダロック駐米大使が、トランプ米政権について「今後、より正常な状態に近づくことや、機能不全、予見不可能性、派閥ごとの分断、外交的なまずさ、無能さが改善されるとはまず考えられない」などと英首相官邸に報告していた というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      日本の駐米大使は誰だっけ? ダロックさんのような正直者ではないのかなぁ? 

     

         

 

昨日、夕食に「蒸しナスの冷菜」と「麻婆豆腐」を作りました 蒸し茄子は新聞に載っていたレシピで作りました 初挑戦ですが美味しく出来ました

 

     

 

         

 

「音楽大学オーケストラフェスティバル」のチケットを取りました 11月23日、11月30日、12月1日と3日間開かれますが、私は11月30日(土)午後3時から東京芸術劇場で開かれる昭和音楽大学、東邦音楽大学、桐朋学園大学の合同コンサートのチケットを取りました プログラムは以下の通りです

昭和音楽大学=ムソルグスキー/ラヴェル「展覧会の絵」(指揮:渡邉一正)

東邦音楽大学=リムスキー・コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」(指揮:現田茂夫)

桐朋学園大学=①ディーリアス:歌劇「村のロメオとジュリエット」より間奏曲「天国への道」、②エルガー「エニグマ変奏曲」(指揮:尾高忠明)

因みに11月23日と12月1日のコンサートの会場はミューザ川崎シンフォニーホールです

 

     

     

 

         

昨日、池袋の新文芸坐で「砂の女」と「泥の河」の2本立てを観ました

「砂の女」は安倍公房原作・脚本、勅使河原宏監督による1964年製作映画(白黒・147分)です

夏のある日、教師の仁木順平(岡田英次)が砂地に棲む昆虫を求めて砂丘地帯にやってきた。夕暮れとなり砂丘の集落のある家で一夜を過ごした 蟻地獄のような穴の底にあり、砂に蝕まれた廃屋には艶めかしい三十前後の女(岸田今日子)が住んでいた。夜が更けて、女は砂の浸食から家を守るため砂かき労働を始めた 翌朝目覚めた男は、素っ裸で砂にまみれて寝ている女を発見する。崖には前夜使った縄梯子が消えていた。驚いた男は自分が砂かき労働力として雇われたことを知り愕然とする 女の言うことには、この集落は砂という共通の敵を相手に固く団結しているという。男は砂かき労働と女に耐えられず、何とか逃げようとする 女に酒を飲ませて眠らせ、自分で編んだロープで崖を登って逃げ回るが、蟻地獄のような砂の穴に身体を吸い込まれ、助けを求めたため集落の監視員に発見され、また元の穴の底の廃屋に戻される 水に飢えていたある日、廃屋の近くで水が湧き出ることを知り狂喜する 冬になり、女が子宮外妊娠で穴から出たのを機会に、男は縄梯子を登り、穴の外に立った しかし、男はまた穴の中に戻っていった。溜水装置に水が溜まっていることを確認した男には、もはや逃げる理由はなかった それから7年後、男の失踪宣言が下った

 

     

 

この映画には、教師の男と砂の女の二人のほかに村人が数人登場しますが、カメラはほとんど二人の動きを追います 「砂の女」の岸田今日子が半端ない魅力を発散しています

最初のうち、男は女に「こんなところで砂かきをして、一生を無駄に過ごすことはない」と常識論を展開し、何とか外に出ようともがきますが、喉の渇きを癒してくれる水が自由に手に入ることが分かってから、水さえあれば 何とか暮らしていけると思うようになります なぜ彼は外に出て家に帰ろうとしないのか、説明がつきません。不条理です この不条理の映像に武満徹が不条理の音楽を付けています

 

         

 

「泥の河」は宮本輝原作、小栗康平監督による1981年製作映画(白黒・105分)です

昭和31年、河っぷちの食堂に毎日通っていた荷車のおっちゃんが事故で死んだ ある朝、食堂の息子・信雄(朝原靖貴)は置き去りにされた荷車から鉄くずを盗もうとしていた少年・喜一(桜井稔)に出会う 喜一は対岸に繋がれているみすぼらしい舟に棲んでおり、銀子(柴田真生子)という優しい姉も一緒に住んでいた。信雄の父・晋平(田村高廣)は、夜あの舟に行ってはいけないという しかし、信雄の父と母・貞子(藤田弓子)は姉弟を夕食に呼んで、暖かくもてなした 楽しみにしていた天神祭りがきた。喜一は信雄から預かったお金を人込みで落としてしまう ズボンのポケットに穴が空いていたのだった。喜一は信雄を楽しませようと強引に舟の家に誘った。泥の河に突き刺した竹ぼうきに宝物の蟹の巣があった。喜一はランプの油を蟹に付けて火を点けたが、蟹は舟べりを逃げた 蟹を追った信雄は窓から喜一の母親(加賀まりこ)の姿を見た。裸の男の背が暗がりに動いていた。翌日、喜一の舟は岸を離れた。「きっちゃーん」と呼びながら追い続けた信雄は、初めて悲しみの感情を自分の人生に結び付けたのだった 舟は何十年後かの繁栄と絶望とを象徴するように、ビルの暗い谷間に消えていく

 

     

 

この映画は、3人の子役が素晴らしい

この映画で最も強く印象に残ったシーンは次の場面です

晋平・貞子夫妻が銀子と喜一を夕食に招いた時、娘が欲しかった貞子が銀子にワンピースをプレゼントし 試着するように勧め、二人は別室に移る   その間、客が喜一のことを「客引きをやっている」とからかったので晋平が怒って客を追い返す   ワンピースに着替えた銀子が戻り、夫婦によく似合うと褒められるが、喜一が暗い顔をしているので何かあったと気づく そして静かにその場を離れて着替え、きちんと畳んだワンピースを貞子に渡し、「楽しかったです。ごちそうさまでした」と言って、名残惜しそうな喜一の手を引いて帰っていく

母親の代わりに家事をすべてこなしている しっかり者の11歳の少女の言葉です。本当はきれいなワンピースが欲しかったでしょう   でも、それを着て舟に戻ったら自分の母親はどう思うだろうか、と考えた上での行動です。これほど悲しい言葉はありません

晋平が読む新聞の見出しに「もはや戦後ではない」という昭和31年当時の「経済白書」の前文に書かれた言葉が踊っています 一方、夕食に招かれた喜一が「歌なら歌えるよ」と言って披露する歌があります ”ここはお国の何百里~”という「戦友」です これを聴いて晋平は戦争中の満州のことを思い出します。このシーンは、晋平にとって まだ戦後は続いていることを暗示しています   また、喜一・銀子の母にとっても まだ戦後は続いているのです

晋平を演じた田村高廣と言えば、真珠湾攻撃をテーマにした「トラ・トラ・トラ!」を思い出します なぜか親近感を感じます

 

     

コメント
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