人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

マーラー「若き日の歌」,R.シュトラウス「家庭交響曲」を聴く~東響定期公演 

2012年11月19日 06時58分32秒 | 日記

19日(月).昨日,サントリーホールで東京交響楽団の第605回サントリーホール・シリーズ定期演奏会を聴きました プログラムは①マーラー/べリオ編「若き日の歌」より5曲(バリトン:ロディオン・ボゴソフ),②リヒャルト・シュトラウス「家庭交響曲」の2曲.指揮は飯森範親です

コンサートに出かける際に大切な忘れ物をしてしまいました.スーツあるいはジャケットの胸ポケットにはボールペンがさしてある(はず)なのに,ホールに着いて取ろうとすると,無いのです これは大失態です.ブログを書くにために,曲の合間にメモをとるのですが,ボールペンがないとすべて記憶をたどって思い出さなければならないので相当キツイのです こういうことは年に2回位ありますが,この日がそのうちの1回です

 

          

 

オーケストラがスタンバイしますが,いつもと配置が違います.チェロとヴィオラが逆になっていて,チェロが右端に位置しています.この理由は後で分かります

1曲目のマーラー作曲べリオ編「若き日の歌より」は,音楽学者でマーラー研究家アンリ・ルイ・ドゥ・グランジュが1986年にマーラー祝祭週間の際に,マーラーの初期歌曲「若き日の歌」のオーケストラ化をべリオに依頼し,これに応えてオーケストラ化したのが,この作品です

バリトンのロディオン・ポゴソフが指揮者・飯森範親とともに登場します ポゴソフはモスクワ生まれ,まだ若いバリトンです.プロフィールによるとメトロポリタン歌劇場をはじめ世界のオペラ劇場で歌っているようで,今後もMETで「セビリアの理髪師」フィガロ役などが予定されているとここと

第1曲「夏に小鳥はかわり」から第4曲「いたずらな子をしかりつけるために」までは「子供の魔法の角笛」から採られていますが,第1曲は交響曲第3番の第3楽章にも同じメロディーが使われています ボゴソフは張りのあるバリトンで軽快に歌います 最後の第5曲「思い出」が静かに歌われ曲を閉じると,満場の拍手が満たしました この人は歌もうまく見栄えがするので世界的に人気が出るかもしれません

1曲目が終わったので席を立とうとしたのですが,オーケストラのメンバーが座ったままで,しかもメンバーが追加され大編成になりました 「これは変だ」と思っていると,指揮者の飯森がマイクを持って登場しました

「後半に演奏するリヒャルト・シュトラウスの”家庭交響曲”は,彼の家庭の出来事を音楽にしたものですが,曲を理解するためにあらかじめ演奏を交えながら説明しておきたいと思います

として,第1楽章の提示部から解説しました.まず,シュトラウス,妻のパウリーネ,息子のフランツの3人の家族が3つの主題群で提示されます 夫(シュトラウス)は「気楽」で「夢見がち」な,時に「不機嫌」にもなる「気性の激しい」性格の持ち主.母親(パウリーネ)は時にガミガミとうるさく,ときに優しく,息子は悪戯盛りで何をするか判らない存在・・・・・こうした性格を音で表現していきます そしてさらに解説します

「パウリーネのテーマはコンサートマスターの大谷康子さんが,シュトラウスのテーマは首席チェロの西谷牧人さんが演奏するので,いつもと違い,チェロを第1ヴァイオリンと対局の位置にしました

この解説があったお陰で後半の「家庭交響曲」は非常に分かりやすく理解度が深まりました それにしても,リヒャルト・シュトラウスは何と大袈裟な音楽を作るのでしょうか 作曲家たる者,普通「家庭」をテーマに交響曲を作曲しようなどとは思わないのではないかと思います しかも自分の家庭の事を音楽にしているのです.信じられません この人の作曲した交響詩「英雄の生涯」などは,過去の自分の作品を片っ端から登場させて,結局,英雄は自分自身であることを音で表しています これほど誇大妄想の大きな作曲家も他にいないのではないかと思います 皆さんの近くにもいませんか,ほんの小さなことを大袈裟に拡大して大事にしてしまう人が・・・・・こういうのを”針小棒大”と言いますが,リヒャルト・シュトラウスこそ,身近な出来事を音楽によって”針小棒大”にして表現した希少な作曲家と言えるのではないでしょうか

 

          

 

そんな中で,私が唯一リヒャルト・シュトラウスの作品で評価しているのが歌劇「ばらの騎士」です.この作品はモーツアルトのオペラを意識して作曲したと言われていますが,華麗な舞台・演出と相まって美しいアリアが歌われます ”喜歌劇”なので観ていて飽きることがありません.彼にはこういう作品をもっとたくさん作って欲しかったと思います

リヒャルト・シュトラウスと言えば,自作(多分,交響詩のどれか)を指揮をしている姿をビデオで観たことがあります.オーケストラはウィーン・フィルだったと思います.あの”誇大妄想の権化”のシュトラウスであるから,さぞかし大袈裟な指揮振りなのではないかと想像していたのですが,まったくやる気の無さそうな,ただ棒を振っているだけの姿に,しばし唖然としたのを覚えています 作曲家シュトラウスと指揮者シュトラウスの表裏をまざまざと見せつけられた映像でした

 

          

コメント
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