TOMTOM絵日記

~旅の想い出徒然日記~

2018,12,16 “南座顔見世 夜の部”

2019-01-22 12:55:05 | 京都

〈2018.12.16sun〉
06:20 起床
07:40 出発
07:21 津発難波行特急乗車
08:25 八木着
08:29 八木発京都特急乗車
09:13 丹波橋着
    京阪 丹波橋⇒三条
       n子さんと合流
       京都ホテルオークラに荷物預け
    “京都国立近代美術館”「没後50年 藤田嗣治展」
      
“並河靖之七宝記念館”「秋季特別展 並河靖之―心の七宝」
       “枡富”
       “よーじやカフェ祇園店”
    京都南座吉例顔見世夜の部 鑑賞
    京都ホテルオークラ泊


京阪三条でn子さんと合流。京都ホテルオークラに向かう
天井高くて落ち着いた雰囲気
婚礼の写真撮影中
幸せのお裾分けをいただいた

手荷物をフロントに預け、タクシーに乗る


“京都国立近代美術館”「没後50年 藤田嗣治展」

緻密な表現と入念に考えられたプロットの深さが感じられる。
東京美術学校に学んだ時代、
エコール・ド・パリの寵児としてパリ画壇に登壇、
藤田の代名詞ともいえる「乳白色の下地」による絵画制作、
白い下地に、面相筆で描く墨の線、
油絵とは程遠い画風に惹きつけられる。
中央アメリカ、南アメリカ時代には画風が一転する。
白を忘れたかに感じられる描写。
その後日本に戻り、戦争画における自己表現。
終戦後、連合国軍の占領下において「戦争協力者」と批判を受け、
1949年再び日本を後にする。
「絵描きは絵だけ描いて下さい。
仲間喧嘩をしないで下さい。
日本画壇は早く国際水準に到達して下さい。」

との言葉を残しフランスへ移住、生涯日本には戻らなかった。
渡仏後、藤田は
「私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ」
とよく語ったという。

孤独と望郷を抱いた人生も波乱。
しかし緻密な描写と、
入念に考えられたであろうと感じられる構成の深さは変わらない。
「アッツ島玉砕」
 静謐に描かれた戦場から藤田の戦争への思いが滲み出る

「サイパン島同どう胞ほう臣しん節せつを全まっとうす」
 一人ひとりにドラマが有り

この二点は若い方々に是非ご覧いただきたいと願い、会場を後にした。





“並河靖之七宝記念館”「秋季特別展 並河靖之―心の七宝」
秋季特別展は今日迄
並河靖之が追及した有線七宝の極致を見学できた
小川治兵衛作庭の、琵琶湖疏水を引きこんだ庭園も素晴らしかった







 “枡富”「鴨せいろ」\1,250
freshで柔らかい鴨が美味しい

南座吉例顔見世夜の部開演迄に“よーじやカフェ祇園店”


南座発祥四百年 
南座新開場記念
當る亥歳 吉例顔見世興行
平成30年12月1日(土)~26日(水)

〈夜の部 午後4時50分~〉

第一、義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)
  木の実
  小金吾討死
  すし屋
いがみの権太     仁左衛門
弥助実は三位中将維盛 時 蔵
お里         扇 雀
若葉の内侍      孝太郎
主馬小金吾      千之助
猪熊大之進      松之助
弥左衛門女房お米   吉 弥
権太女房小せん    秀太郎
鮓屋弥左衛門     左團次
梶原平三景時     梅 玉

第二、面かぶり(めんかぶり)
童子      鴈治郎

第三、弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)
  浜松屋見世先より
  稲瀬川勢揃いまで
弁天小僧菊之助 愛之助
日本駄右衛門  芝 翫
南郷力丸    右團次
鳶頭清次    亀 鶴
浜松屋伜宗之助 中村福之助
浜松屋幸兵衛  市 蔵
赤星十三郎   孝太郎
忠信利平    鴈治郎

第四、三社祭(さんじゃまつり)
悪玉      鷹之資
善玉      千之助

今日のお席は2F最前列
仁左衛門さんのいがみの権太に惹かれました
佳いお芝居ですネ





劇場で“いづ重”のお弁当
定番の鯖寿司
実山椒の効いた三角のお稲荷さん
甘辛に炊いた干し椎茸、薄味に煮た干瓢、厚焼玉子、香り高い三つ葉を上等の海苔で巻いた海苔巻き
外さない美味しさ





終演後、京阪電車で四条から三条に移動。
京都ホテルオークラに宿泊

東山に面した室内はコンパクトながら十分な広さがあり、
落ち着けました

バスタブとは別にシャワーブースが有り、
のんびりとバスタイムを楽しみましたヨ

充実のホームバー

余分なモノが何も無く、素晴らしいホスピタリティ



最新の画像もっと見る

コメントを投稿