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明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(946)「憲法9条持つ日本国民」がノーベル平和賞の最有力候補に!

2014年10月04日 23時00分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20141004 23:00)

ノーベル賞の季節がやって来ました。10月10日にノーベル平和賞の発表がなされますが、予想を行っているノルウェーの「オスロ平和研究所」が「戦争の放棄などをうたった憲法9条を持ち続ける日本国民」を最有力候補に挙げました。
NHKが動画で報じているので紹介します。まずはニュースをご覧下さい。


 ノーベル平和賞に「憲法9条持つ日本国民」予想
 NHK 10月4日 6時13分
 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141004/k10015113791000.html

 来週、ノーベル平和賞が発表されるのを前に、予想を行っているノルウェーの研究所は、ことしの受賞候補として戦争の放棄 などをうたった憲法9条を持ち続ける日本国民など5つの候補を挙げました。

 これは毎年、平和賞の予想を行っているノルウェーの「オスロ平和研究所」が3日、発表したもので、女性が教育を受ける権利などを訴えているマララ・ユスフザイさんや、政権に批判的なロシアのメディアなど5つの受賞候補を挙げました。
 このうち、戦争の放棄などをうたった憲法9条を持ち続ける日本国民をことしの最有力候補に選んだとしています。
 理由について、オスロ平和研究所のハルプビケン所長は、NHKの取材に対し「ウクライナや東アジアなど各地で緊張が高まっている今こそ、日本の憲法9条の価値が国際的に認識されるべきだ」と話していて、紛争の予防を目指すノーベル平和賞の趣旨に立ち返る意味でもふさわしいとしています。ただ、研究所は過去10年間で40余りの候補を挙げていますが、予想が的中したのは2007年だけでした。
 憲法9条を巡っては、神奈川県の主婦らの呼びかけで、ノーベル平和賞の受賞に向けた署名活動が去年から始まり、趣旨に賛同した国内の大学教授らが、「戦争放棄の憲法9条を保持している日本国民」をノーベル平和賞の選考委員会に推薦していました。
 平和賞は10日、ノルウェーの首都オスロで発表されます。


僕は素晴らしいことだと思います。平和賞を獲得にいたらずとも、最優良候補として世界に認知されたことだけでも十分に意義深い。

もちろんノーベル賞にはさまざまな問題があります。とくに平和賞はとても平和の担い手とは言えない人物にも授与されてきました。その一番の典型はアメリカのオバマ大統領です。
オバマ大統領は今、法的な正当性などないにも関わらず、シリア領内での「イスラム国」への空襲を行っています。またアメリカが支持する国、イスラエルのガザ空襲を何ら批判せず、戦争犯罪を容認し続けました。オバマ大統領はノーベル平和賞を返還すべきです。

一方、「日本国民」は確かに戦争の放棄をうたった憲法9条を持ち続けてきましたが、9条の精神を十分に生かし切れているとは言えません。
何より憲法9条はどう読んでみたってあらゆる軍隊の保持の放棄を宣言したものです。憲法9条には以下のように書いてあります。


 ■日本国憲法第9条
 ①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 ②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


しかし日本は自衛隊を保持しており、「日本国民」の多くはこれを容認してしまっています。
今日、安倍内閣は恣意的な「解釈改憲」によって集団的自衛権を行使しようとしており、多くの人々がこれに反対していますが、しかしそもそも自衛隊の創設そのものが恣意的な憲法解釈に基づくものです。
ところが集団的自衛権行使に反対する人々の中にも、自衛隊の存在そのもの、自衛権の軍隊による行使は認めてしまっている人々もいます。
そうではない。国際的には認められている自衛権を、自ら放棄し、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とうたい、そのために「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とうたっているものこそ9条なのです。


この憲法の素晴らしさは何でしょうか。世界から戦争を無くしていく真の、そして唯一の方向性を示していることにあると僕は思います。
なぜか。戦争は常に当事国によって正当化されて始まるからです。その正当化の理由は「自衛」です。実際、「イスラム国」への空襲に踏み切っているアメリカは「自衛権」の行使を主張しています。「自衛」と名乗れば実際にはどんな戦争でも起こせてしまうのが現代社会なのです。
このためこれまで多くの国家が、世界だけでなく自国民をも騙して「自衛」と称した戦争を行ってきました。近代において、ただの一つの国も「これから侵略を行う」などと宣言して戦争を始めた国はありません。
およそ全ての国が、交戦相手の非道をなじり、自らの行為が止むにやまれぬ自衛であることを宣言して戦闘に踏み込んできたのです。

この自衛の名の下の戦争の発揚を封じ込める道は唯一、自衛の名の下に戦争を始める権利を放棄することです。もちろんその場合、今の世界では「正当」と考えられている自衛権そのものの放棄することになります。
「正当」なものも放棄しなければ、「自衛」の名の下に侵略が行われる可能性を無くすことはできないし、いわんや「自衛」の名の下に、国民が侵略戦争に駆り出される可能性も無くすことはできない。だから「正義の戦争」を行う権利、「自衛」の権利を積極的に捨てるのが憲法9条の歌う精神なのです。
この観点を持って今、行われいる国際紛争を見てみましょう。およそこの考え方こそが戦争を止める論理であることははっきりしています。
例えばウクライナはどうか。現政府側も新ロシア側も互いに正義を主張して引き下がりません。「国際社会」ではどちらが正義であるかの論争ばかりが続き、それ自身に決着がつく展望はありません。例え正義であっても戦争で解決するのは止めようという論理だけが、こうした戦争の発揚を未然に防ぐ道を切り開きます。

こうした論理を猛烈に批判する人々がいます。第一に各国の軍部です。第二に武器商人たちです。この二つは互いに連携しながら大きなシンジケートをなしています。軍産複合体となり膨大な利益をむさぼり続けています。
実は現代においてなかなか戦争が無くならないのは、こうした軍産複合体は世界に武器を供給し続けているからでもあります。さらに新たな武器を開発し続け、常にその実戦使用の場を求めているのが武器商人たちです。
その犠牲になってきた典型国の一つがイラクです。そもそもイラクは1980年代初頭に起こったイラン革命の中東への波及を恐れた欧米各国が、積極的に後押しする中で軍事大国化したのでした。かくしてフセイン体制のもとでの強大な軍隊が出来上がりました。死の商人たちのお得意先がイラクでした。
冷戦が突如終わり、このままでは軍産複合体の命運が危ういとなったときに、アメリカや各国の死の商人たちは、巨大化したイラクを利用しました。自ら育て上げた軍事独裁政権をヒトラーにみたてて湾岸戦争を行い、さらに2003年に再度の軍事侵攻を行って完全打倒したのでした。

しかも2003年の軍事侵攻は「大量破壊兵器」をイラクが隠し持っているからと言う名目で行われました。しかしイラクに米英軍が攻め込み、徹底的にかの地を蹂躙したのちにくまなく捜査をして分かったことは、イラク政府が繰り返し主張していたように大量破壊兵器などまったくなかったという事実でした。
にもかかわらずアメリカもイギリスも一切、謝罪などしていません。いわんやまったくの言いがかりでイラクに侵略した指導者たち、戦争犯罪人の誰一人も裁かれていません。
その結果、イラクで何が起こったのでしょうか。果てしない無秩序です。「軍事力をにぎるものこそが正義なのだ」という発想がはびこり、戦乱が続き、混迷の末に「イスラム国」が登場してきました。
「イスラム国」は残忍さが際立っています。しかし残忍さへの批判に対してこう言い返しています。「アメリカの方がはるかに残忍ではないか。一方的にたくさんのムスリムを殺してきたのではないか」と。

結局、大義なき戦争を繰り返してきたアメリカこそが、暴力を礼賛し、強ければそれでいいのだという考え方を世界に撒き散らしているのです。そのために戦乱が繰り返し起こっています。
私たちがしっかりと見据えなければならないのは、軍産複合体にとってこうして状態は好ましいのだということです。なぜか。戦争があってこそ武器が売れ続けるからです。戦争があってこそ新しい兵器が開発できるからです。
繰り返しますが、こうした状態から人類が脱して行くために必要なのは「正義の戦争」を肯定する考え方の放棄です。もちろん戦争に「正義」も「悪」もあります。2003年、アメリカの軍事侵攻という「悪」に立ち向かったイラクの側の戦争は、自衛権の行使だったと言えるでしょう。
しかしその正義をあえて行使しない。行使する権利を放棄する。そうしてもっぱら世界の人々への信義に訴えることでこそ自国を守ろうとする。そのために世界の人々と仲良くしていく。相手の立場にたって行動していく。その努力こそが結局自国を守ります。

イラクの場合はどうだったでしょうか。アメリカによってこそ中東の軍事大国となったイラクは、周辺国からの不審を買い続けてきました。それどころかクルドの人々に毒ガスを使うなどしたこともあり、多くの人々の怒りを買っていた。頼るべき信義を作ってこなかった。
そのために地域では軍事大国であっても、米英軍に侵攻されたらひとたまりもありませんでした。イラク軍はたちまち総崩れになってしまった。国際法上の「正当性」がイラクの側にあったことは明らかでしたが、それでは国を守ることも地域の人々を守ることもできなかった。
今、似たような立場にあるのがシリアのアサド政権です。この政権も反対派に対して毒ガスなどを使ってきた。しかしアメリカは、当面の敵である「イスラム国」を倒すために、今はシリア政権を利用しています。
これまでは反政府派を軍事援助してきたにもかかわらずです。それやこれや「イスラム国」が主張するものも含めて、シリアとイラクには、無数の自称「正義」がせめぎあいを続けている。その中の最も大きな自称正義はアメリカの「自衛権」です。

私たちは本当に、こんな混乱と決別していく必要がある。恒久的な平和に向けた世界史の新たな可能性を切り開いていく必要があります。
そのためには「戦争を起こすのが人間の本性だ」などというニヒリズムに陥るのは止めましょう。それこそが死の商人たち、軍産複合体にとって最も都合のいい理屈だからです。実際には武器商人たちが一斉に弾丸を作るのを止めれば戦争はどんどん減っていって、無くなるしかないのです。
その意味で現代世界は、常に戦争が続いていて欲しい人々と、恒久的な平和をのぞく人々の間での大きな「闘い」の中にあることを私たちは見ておく必要があります。
平和をのぞむ私たちは「平和を軍事によって守る」「平和を軍事によって作り出す」という発想とこそ闘わなければなりません。それでなければ死の商人たちに勝てないからです。だからこそ私たちは今こそ憲法9条の真の精神に立ち返り、戦争放棄、不戦の誓いを再度、この国の中に打ち立てて行く必要があります。僕はそのためには自衛隊を解体し災害救助隊に再編して世界の人々のために自然災害と立ち向かっていくことが急務だと思っています。

こうしたことを考えるときに、憲法9条に世界の光が当たり、その保持がノーベル平和賞の最有力候補となっていることはとても好ましいことです。僕はこのことをきっかけに他ならぬ日本国内で、もう一度「9条論議」を起こしていく必要があると思います。
そのために憲法9条をノーベル平和賞の対象にとかけまわってきた人々のこれまでの努力に感謝と共感の拍手を送りたいです。またさらなる署名が呼びかけられているのでぜひ多くの方にこれを広めていただくよう、呼びかけたいと思います。
この運動は神奈川県の鷹巣直美さんによって発案され、進められてきました。この点を伝えた朝日新聞の記事を末尾に貼り付けておきますが、彼女は2012年にEUが「欧州の平和と和解、民主主義と人権の向上に貢献した」としてノーベル平和賞を受賞した時に、次のように考えたそうです。
「EUには問題もあるが、ノーベル平和賞は、理想に向かって頑張っている人たちを応援する意味もあるんだ。日本も9条の理想を実現できているとは言えないが、9条は受賞する価値がある」・・・非常に共感できます。

ノーベル賞の獲得に向けたこの運動、もちろんこの10日の発表にも期待をかけていますが、例えそれがかなわなくとも実現するまで繰り返し挑戦していくそうです。そのためにもさらなる署名協力が訴えかけられています。
以下に署名サイトを示しておきますので、まだの方はぜひ署名にご協力ください。また積極的に周りの方にお伝えください。

 「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会の署名サイト
 http://www.change.org/p/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%90%84%E5%9B%BD%E3%81%AB%E5%B9%B3%E5%92%8C%E6%86%B2%E6%B3%95%E3%82%92%E5%BA%83%E3%82%81%E3%82%8B%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95-%E7%89%B9%E3%81%AB%E7%AC%AC9%E6%9D%A1-%E3%82%92%E4%BF%9D%E6%8C%81%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%B0%91%E3%81%AB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E5%B9%B3%E5%92%8C%E8%B3%9E%E3%82%92%E6%8E%88%E4%B8%8E%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84-please-award-the-nobel-peace-prize-to-the-japanese-citizens-who-have-continued-maintaining-this-pacifist-constitution-article-9-in-particular-up-until-present?share_id=bXPPOVjonn&utm_campaign=friend_inviter_chat&utm_medium=facebook&utm_source=share_petition&utm_term=permissions_dialog_true

ただ一点だけ、この運動にこうして欲しいと言うお願いを付け加えたいと思います。「憲法9条を保持してきた日本国民」ではなく「憲法9条を保持してきた日本住民」へのノーベル賞の授与を訴えかけて欲しいということです。
私たちの国には「日本国籍」を持たないたくさんの人々が暮らしています。そしてその中にもたくさんの平和を愛する人々がいて、日本の中の反戦運動、平和運動の発展に多大な寄与をしてきてくれています。
僕の頭の中にも、戦争反対を訴えて、何度も街頭を一緒にデモして歩いた日本以外の国籍をもったこの国の住人の顔が幾つも浮かびます。
それこそ2003年のイラク戦争前夜、京都で行われた戦争反対デモにはそうした人々が呼び掛け合ってたくさん参加してくれました。「みなさんどこの国の方ですか?」と呼びかけたら、次々と立ち上がって国籍名を応えてくれました。感動しました。

その意味で僕は憲法9条を、なんとかぎりぎりの線で保持してきた力は日本国民のものだけではないことを声を大にしてアピールしたいと思います。
いや安倍首相のように日本国民の中に、憲法9条をなんとか解体しようと躍起になってきた人々がいる中で、世界の平和を守るために本当に一緒に頑張ってきている日本国籍を持たない「日本住民」がたくさんいるのです。
平和憲法を持ち、なんとか自国軍隊に他国民を殺させないできた日本をこよなく愛してくれている人々です。憲法9条を理由にノーベル平和賞が授与できるなら、この方たちと対等な権利のもとにそれを受け取りたいです。
このお願いを付け加えさせていただきつつ、この運動を支持したいと思います。「憲法9条」を私たちがもっともっと生かしていくためにも、ノーベル平和賞受賞をみんなで目指していきましょう!

*****

 憲法9条にノーベル賞を 主婦が思いつき、委員会へ推薦
 2014年4月2日18時43分 朝日新聞 柳沼広幸
 http://digital.asahi.com/articles/ASG422SDQG42UTIL008.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASG422SDQG42UTIL008
 
 戦争の放棄を定めた憲法9条にノーベル平和賞を――。神奈川県座間市の主婦鷹巣直美さん(37)が思いつきで始めた取り組みに共感の輪が広がり、ノルウェー・ノーベル委員会への推薦に至った。集団的自衛権の行使や改憲が議論される中、「今こそ平和憲法の大切さを世界に広めたい」と願う。

 鷹巣さんは20代のころにオーストラリアのタスマニア大学に留学。そこで出会ったスーダンの男性難民から、小学生の時に両親を殺され、正確な年齢も知らずに育ったと聞き、平和や9条の大切さを実感した。
 今は小学2年と1歳半の子育てに追われる日々。「子どもはかわいい。戦争になったら世界中の子どもが泣く」。家は空けられないので集会やデモには参加できない。自宅でできることを考えた。

 2012年の平和賞は231件の推薦の中から欧州連合(EU)が受賞した。「欧州の平和と和解、民主主義と人権の向上に貢献した」とされた。鷹巣さんは「EUには問題もあるが、ノーベル平和賞は、理想に向かって頑張っている人たちを応援する意味もあるんだ。日本も9条の理想を実現できているとは言えないが、9条は受賞する価値がある」と考えた。

 昨年1月、インターネットで見つけたノーベル委員会に、英文で「日本国憲法、特に第9条に平和賞を授与して下さい」とメールを送信。その後も計7回送ったが、返事はなかった。
 友人にやり方を教えてもらい、5月に署名サイトを立ち上げると、5日で約1500人の署名が集まった。ノーベル委員会に送信すると、すぐに返事があり、ノミネートの条件がわかった。推薦締め切りは毎年2月1日。国会議員や大学教授、平和研究所所長、過去の受賞者らが推薦できる。受賞者は人物か団体のみ。憲法は受賞できない。
 考えた末、鷹巣さんは受賞者を「日本国民」にした。「9条を保持し、70年近く戦争をしなかった日本国民の受賞に意味がある。みんなが候補として平和を考えるきっかけになれば」

 この取り組みを相模原市の市民団体「9条の会」などに報告すると、協力者が次々現れ、8月には「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会が発足。実行委は今年2月1日までに大学教授や平和研究所長ら43人の推薦人を集めた。推薦状に2万4887人の署名も添えてノーベル委員会に送った。
 推薦人の一人で、非戦を主張する民間のエラスムス平和研究所(神戸市)の岩村義雄所長は「子育て中の主婦を応援しないわけにはいかない。9条は子々孫々に残すべきだ」と話す。
 今年10月発表の際の受賞を目指しているが、何度でも挑戦するため、実行委は署名サイト(http://chn.ge/1bNX7Hb)を続けている。鷹巣さんは今、「一人ひとりの声が集まれば、世の中は変わる」と感じている。(柳沼広幸)

 ◇

 ■日本国憲法第9条
 ①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 ②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 ◇

 ■ノーベル平和賞の受賞者の例(敬称略)
 1974年 佐藤栄作=非核三原則に基づく外交
   88年 国連平和維持軍=世界各地の地域紛争の収拾、平和維持に貢献
   89年 ダライ・ラマ14世=非暴力によるチベット問題の解決を呼びかける
   91年 アウンサンスーチー=非暴力に基づくミャンマーの民主化、人権向上をめざす
   93年 ネルソン・マンデラ=南アフリカの人種隔離政策を平和的に撤廃
   99年 国境なき医師団=先駆的な人道援助活動
 2009年 バラク・オバマ=「核なき世界」を目指す理念と行動
   13年 化学兵器禁止機関=化学兵器の廃棄や拡散防止への貢献

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明日に向けて(945)パレスチナからの声に耳を傾けよう!ラジ・スラー二さん講演会へ(東京・京都)

2014年10月03日 23時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20141003 23:30)

表題に掲げたようにパレスチナからラジ・スラーニさんが来日され、東京大学と京都大学で講演されます。ぜひご参加下さい。
僕自身は残念ながらちょうど岡山での連続講演などがかぶっていてかけつけることができないのですが、広く参加を呼びかけたいです。

これまで何度も報じてきましたが、この夏、イスラエルはまたしてもガザに何の正当性もない空襲を繰り返し、子どもたちを含むたくさんの命を奪いました。完全なる戦争犯罪でした。
この連続攻撃そのものはいったん止まっていますが、イスラエルがガザを違法・不当に軍事包囲している状況は何ら変わっていません。たくさんの人の命を奪った戦争犯罪人も1人も裁かれていません。
その意味でイスラエルによる不当な暴力支配は依然継続中です。人殺しが今も構造化されているのです。

イスラエルの本当にひどい攻撃が続いているとき、友人の岡真理さんが、毎日、連続的にパレスチナからの声を翻訳して流してくれました。
岡さんはその中で、問題はイスラエルが長年にわたって構造化している暴力支配にこそあり、連続攻撃が一度止まってもこの暴力構造が無くならなければ事態は変わらない。
イスラエルにガザの封鎖を止めさせ、一切の暴力を止めさせなければならないと繰り返し鮮明に訴えてくれました。

僕もこの夏は、イスラエルの殺人攻撃に屈せずに、その違法性・不当性を訴えながら、パレスチナの声を紹介し続けましたが、その中で大きな感銘を受けたのが、今回、来日されるラジ・スラーニさんの声でした。
以下、ラジ・スラーニさんへのインタビューを紹介した記事を示しておきます。なおこの時のインタビューアーの土井敏邦さんも東京、京都と共に講演に立たれます。東京では土井さんの映画も連続上映され、ラジ・スラー二さんが解説されます。記事の中で土井敏邦さんのことも紹介してあるのでご参考ください。
8月にラジ・スラーニさんが「なぜ停戦だけでは不十分なのか」という声を上げられた時の岡真理さんの翻訳を転載した記事も示しておきます。

明日に向けて(892)この状況に前例はない―パレスチナ、ラジ・スラーニ氏インタビューから考える!(上)-20140717
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/ad5ee4456b339b60070ad39c5d319d91

明日に向けて(893)この状況に前例はない―パレスチナ、ラジ・スラーニ氏インタビューから考える!(下)-20140718
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/219a7d7732c87b53b81e5e942848b147

明日に向けて(909)なぜ停戦だけでは不十分なのか(ラジ・スラー二さん。岡真理さん翻訳)-20140804
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/4cf7cea78528bf0e50e6d6d72bb4be95

私たちはイスラエルによる構造的暴力支配をこそ止めさせなければなりません。そのために軍事侵攻が止まったことでガザへの関心を低めてはならない。それではまた数年後に同じようなイスラエルの攻撃が行われるだけです。
いや同じような・・・というのは正しくない。繰り返されるたびに、より暴力的でより多くの殺人を伴った攻撃が行われてきているのです。
あんなひどい虐殺が二度と起こらないために、現存する暴力構造を解体する必要がある。そのために私たちはパレスチナの今、ガザの今をしっかり知る必要があります。この夏、イスラエルが行った殺人戦闘をしっかりと記憶に刻み、私たちの周りに伝え続けていく必要があります。
ラジ・スラーニさんの講演、また戦火のガザにも赴いた土井さんの講演に耳を傾けるのはそのための絶好の機会です。ぜひそれぞれの会場にお越しください。

以下、岡さんの呼びかけを転載します。
東京のスケジュールも記しておきます。
またこの夏に僕が書いたガザ関連の記事の一覧も付記しておきます。

*****

京都の岡真理です。
10月にはいり、すっかり秋めいてきました。
歩いていると、金木犀が香ってきます。

さて、待望のラジ・スラーニさん京大講演会(10月13日)のお知らせです。
(ラジ・スラーニさん詳細については末尾をご覧ください。)

パレスチナ人権センターの代表であり、世界的にも著名な人権弁護士、ラジ・スラーニさんは当初、7月に来日予定でした。しかし、エジプト側国境が開かず、来日は10月に延期となりました。
その後、ご存じのとおりガザは51日間の大規模軍事攻撃に見舞われました。
ラジさんは、先週、ブリュッセルで開催された、イスラエルのガザ攻撃を裁くラッセル法廷(国際民衆法廷)で証言するはずでしたが、期日までにガザを出域することができず、参加できませんでした。
*ラッセル法廷についてはこちらを↓
www.russelltribunalonpalestine.com

今回の来日もぎりぎりまで危ぶまれましたが、9月末、出域が叶い、カイロでヴィザが発給され、予定どおり来日できることとなりました。
今次攻撃とはいかなるものであったのか、そして、停戦後も続く封鎖の暴力について、空爆下のガザを取材されたジャーナリストの土井敏邦さんと、ガザに生きる人権弁護士、ラジ・スラーニさんに語っていただきます。
ガザの声をお聞きください。みなさまのお越しをお待ちしております。

以下、13日の京大講演会の詳細です。

■■ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
公開講演会
ラジ・スラーニ「ガザに生きるーー尊厳と平等を求めて」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー■■
■日時:2014年10月13日(月・祝日) 
    13:30開演 18:00終了予定

■会場:京都大学吉田南キャンパス 人間・環境学研究科棟地下講義室
    www.h.kyoto-u.ac.jp

*東大路に面した西門、西南門から入ってすぐの建物です。
キャンパスマップで建物の位置を必ずご確認の上、お越しください。

■入場無料、申し込み不要。使用言語:英語(逐次通訳あり)。

*定員200名です。満席の場合は、ご入場できませんのでご了承ください。

■問合せ:PJ21kyoto@gmail.com

■プログラム
12:45 開場
13:15 映画「ラジ・スラーニの道」(12分)上映
13:30 開演
―――――――――――――――――
第1部
13:35 基調講演1 土井敏邦氏「ガザ攻撃・2014夏」(80分)
―――――――――――――――――
14:55 休憩(10分)
―――――――――――――――――
第2部
15:05 基調講演2 
 ラジ・スラーニ氏「ガザに生きる--尊厳と平等を求めて」(100分)
―――――――――――――――――
16:45 休憩(10分)
―――――――――――――――――
16:55 質疑応答(60分)
17:55 終了予定

*プログラム内容の変更
当初、第1部で土井敏邦監督の映画「ガザに生きる」5部作のうち「封鎖」の上映を予定し、チラシにもそのように記載いたしました。
しかし、今次ガザ攻撃という事態を受け、土井さんとも相談の結果、空爆下のガザで取材された土井さんに、今夏の攻撃についてご講演いただくことになりました。

*全体で4時間半の長丁場になります。水分補給等、お忘れなく。

*京都以外のラジさんの講演会については、土井敏邦さんのHPをご覧ください。
http://doi-toshikuni.net/j/info/201410raji.html

■ラジ・スラーニさんプロフィール ----------------------------------------
Raji al-Sourani
パレスチナを代表する人権活動家、オピニオン・リーダー。1953年生まれ。パレスチナ人権センター設立代表。
イスラエル占領下における人権擁護活動はたびたび弾圧され、5年近く逮捕、勾留され、厳しい拷問を受けた。
長年の人権擁護活動は国際的にも高く評価され、ロバート・ケネディ人権賞(1991年)、フランス人権賞(1996年)など、数々の国際的賞を受賞。
昨年12月には、「第二のノーベル平和賞」とも呼ばれるライト・ライブリフッド賞を受賞。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

主催:京都大学大学院人間・環境学研究科 岡真理研究室
共催:京都大学大学院人間・環境学研究科 学際教育研究部
   ラジ・スラーニ氏来日実行委員会
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

*****

「ガザの人権を考える」
ラジ・スラーニ氏講演とガザ映画上映会
2014年10月11日(土)14:00 - 19:30
2014年10月12日(日)13:00 - 20:30
東京大学(本郷キャンパス) 経済学研究科棟 第1教室
【資料代】1日ごと 1000円
上映作品『ガザに生きる』5部作:土井敏邦

10月11日(土)14:00 - 19:30
14:00 【映画】『ガザに生きる』第四章 封鎖
民衆のハマス支持への“集団懲罰”だったイスラエル“封鎖”政策。住民の生活窮乏の実態と、将来への希望を奪われた青年たちの絶望。(84分)

15:40 土井敏邦・緊急報告と『ガザ攻撃 2014年夏』上映ドキュメンタリー映像『ガザ攻撃 2014年夏』(60分)を初公開。

17:00 ラジ・スラーニ氏 講演「2014年ガザ攻撃で何が起こったのか」

18:30-19:30 質疑応答司会・長澤榮治氏(東京大学教授)

10月12日(日)13:00 - 20:30
13:00 【映画】『ガザに生きる』第二章 二つのインティファーダ
占領への怒りが爆発した第1次インティファーダ。その結末の「オスロ合意」が“占領の合法化”と知った民衆の失望と怒りが再び爆発する。(84分)
14:30 ラジ・スラーニ氏の解説

15:15 【映画】『ガザに生きる』第三章 ガザ撤退とハマス
ガザ撤退したイスラエルの真の狙い。慈善組織と武装組織の2つの顔を持つハマスが、ガザで勢力拡大した背景とその影を描く。(67分)
16:30 ラジ・スラーニ氏の解説

17:15 【映画】『ガザに生きる』第五章 ガザ攻撃
数千人の死傷者を出したガザ攻撃は、ガザの産業基盤も破壊した。パレスチナ側、イスラエル側双方の証言を元にガザ攻撃の実態と背景、その狙いを暴く。(87分)
18:50 ラジ・スラーニ氏の解説

19:30 - 20:30 【対談】ラジ・スラーニ氏と臼杵陽氏臼杵陽(うすき あきら、日本女子大教授)

アクセス
◾東京大学(本郷キャンパス)
◾経済学研究科棟

主催・連絡先
【主催】土井敏邦 パレスチナ・記録の会
【共催】科学研究費基盤研究(A)アラブ革命と中東政治構造変容に関する基礎研究/NIHUイスラーム地域研究東京大学拠点パレスチナ研究班
【連絡先】doitoshikuni@mail.goo.ne.jp

*****

明日に向けて(888)ガザ・繰り返されるジェノサイドー私たちの応答責任(緊急集会in京都)-20140711
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/e4b8f881a68583b973e05130cf72a8ef

明日に向けて(892)この状況に前例はない―パレスチナ、ラジ・スラーニ氏インタビューから考える!(上)-20140717
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/ad5ee4456b339b60070ad39c5d319d91

明日に向けて(893)この状況に前例はない―パレスチナ、ラジ・スラーニ氏インタビューから考える!(下)-20140718
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/219a7d7732c87b53b81e5e942848b147

For Tomorrow(894)Israel, Stop indiscriminate killings!-20140718
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/044732b9f971afcd62e4d865f2fd059c

明日に向けて(895)良心的兵役拒否をつらぬくイスラエルの若者たちの思いをシェアしよう!-20140718
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/f593e5324ccff3d236f9e80dadf57ea2

明日に向けて(897)ガザ侵攻の背後にあるイスラエルの構造的暴力支配をこそやめさせなければ-20140724
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/0ab4839ba2c604268df668ca52213826

明日に向けて(898)戦争の責任は全面的にイスラエルにある。ハマースは真の休戦(封鎖解除)を求めている-20140725
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/f60427de5d98c8749891c8d6595a5056

明日に向けて(899)ガザの痛みを共にし真の平和を求めて行動しよう!(ネナ・ニュース7月20日より)-20140725
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/1dc6135f3430a1821effa9e7494ca468

明日に向けて(900)ガザの痛みを共にし真の平和を求めて行動しよう!(ネナ・ニュース7月21日より)-20140725
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/e5390042768c84bb363d3f803e07d58a

明日に向けて(902)ガザの痛みを共にし真の平和を求めて行動しよう!(ネナ・ニュース7月22日より)-20140726
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/7c3ab1486b1036cc7a227e1877660f0a

明日に向けて(903)ガザの痛みを共にし真の平和を求めて行動しよう!(ネナ・ニュース7月23日より)-20140726
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/b783ad883ee92a52354511fb742e076c

明日に向けて(904)ガザ紛争を正しく理解するために・・・一問一答-20140727
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/496b715be8370614dc833ec976a15f55

明日に向けて(909)なぜ停戦だけでは不十分なのか(ラジ・スラー二さん。岡真理さん翻訳)-20140804
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/4cf7cea78528bf0e50e6d6d72bb4be95

明日に向けて(910)アメリカのメディアがあなたに言わないこと(岡真理さん翻訳)-20140804
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/bd2e04075bfb3c7bbc7d21425bf0ddf2

明日に向けて(911)ハマースを理解する(岡真理さん翻訳)-20140804
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/0f698629188800b2e67488c28f4eb850

明日に向けて(917)紛争解決入門:ハマースと話せ(メデア・ベンヤミン 岡真理さん翻訳)-20140816
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/ca4334ebacdbb74e0d4a69d544c8828c

明日に向けて(927)ガザを想う―「停戦」という名の戦争の継続の中で-20140903
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/3afd82de5545c425528db8e6df611c2c

 

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明日に向けて(944)ポーランドでチェルノブイリとフクシマをめぐる国際会議に参加してきます!

2014年10月01日 23時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20141001 23:30)

今年の初めに僕は次の言葉を掲げました。
Power to the People!
福島原発事故を経て、私たちの国の民は間違いなく新しい覚醒の時代を迎えている。この流れに掉さし、どこまでも強くしていくことにこの1年間、寄与していきたいと考えてのことです。

そのために必要なことの一つは国際連帯であり、とくにチェルノブイリの経験をわがものとすることだ、ヨーロッパやチェルノブイリの周りの国々の痛みをシェアし、その中から紡ぎ出されてきた知恵に学ぶことだと考え、積極的に自分自身が海外に出て行くことを志向しました。
こうして2月から3月にドイツ、ベラルーシ、トルコを訪れる旅を行い、8月にもトルコ、シノップ県のゲルゼ市を訪問しましたが、これらの活動の一つの締めくくりとして、今度は10月下旬にポーランドを訪れ、国際会議に参加することになりました。
この一連の過程を振り返るとともに、ポーランドでどのような会議に参加するのか、何を実現するのかを記しておきたいと思います。

僕がヨーロッパに赴くことを志向し始めたのは昨年の初夏のことです。最も強い刺激を受けたのは岩波書店から邦訳の出た『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』の出版でした。(2013年4月26日初版発行)
実は僕はこの本のことは、翻訳チームの中に友人がいたことがあって、早くからキャッチしており、記事で何度か論じても来ました。
チェルノブイリ原発事故があったのは1986年。被害の実相は国際的な原子力推進派によってさまざまな形で覆い隠されてきましたが30年近く経ってようやく全体像が見え始めました。何はともあれ、これに学ぶこと最重要だと僕は当時考えたのです。以下、記事をご紹介します。


明日に向けて(264)必読!チェルノブイリ被害実態レポート(前書きがアップされました)-20110918
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/b9d72063aa5a264631f0f6ea82dd1456

明日に向けて(538)チェルノブイリ―大惨事が人びとと環境におよぼした影響(上)-20120903
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/38e19aeb35ab80584e2c3bdc656db68f

明日に向けて(540)チェルノブイリ―大惨事が人びとと環境におよぼした影響(下)-20120909
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/73cc6881392949c1f5d960ace2504cba


同書が出版された時には、翻訳チームの方たちが印税を使って、著者の一人、アレクセイ・ヤブロコフ博士を日本に招き、連続講演会を行ってくださいました。
僕も5月22日に行われた京都講演会に駆けつけ、博士の講演の抄録を紹介しました。

明日に向けて(688)『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』に学ぶ!・・・1 -20130611
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/00e99196bba2537ef9e312918d42d64f

明日に向けて(689)『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』に学ぶ!・・・2 -20130613
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/54713fcf08ab8c0ab3e6fc0f26c1a5c1

明日に向けて(690)『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』に学ぶ!・・・3 -20130614
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/a8393e2ded37f7f2a672ab8a1be4a1da


チェルノブイリ事故の実態はまだまだ隠されているし公になっていない。また今後、日本の中でチェルノブイリの後に行われたのと同じ事故隠しや犠牲者切り捨てがなされようとするだろう。
だとするならばチェルノブイリのことに熟知していく必要があるし、何よりもそこに関わってきた人々と交わり、悲劇の中からつかんだ英知に学びたい。
そのために言語の達者な人々に、交流を任せてしまわずに自分が出て行かないとダメだ・・・。博士の講演を聞きながら僕が一番強く思ったのはこのことでした。

そこでさまざまな経緯を経た上でですが、今年の3月にドイツで行われた国際医師会議に日本の医師たちと共に参加することになり、この時にベラルーシも訪問することができました。
さらに僕にとって大きかったのは、この国際医師会議に続けて行われたヨーロッパ・アクション・ウィークに参加できたことです。
この企画はドイツのIBBという組織が担っているもので、チェルノブイリとフクシマの証人をヨーロッパ各国に派遣し、証言集会を行い、核のない未来を展望していくというものです。

ちなみにIBBとはドイツ語の略称です。Internationales Bildungs-und Begegnungswerkのイニシャルをとっているのですが、英語に直すならInternational Education and Exchange となります。
国際的な教育と経験交流の場・・・と訳すのが良いでしょうか。
ホームページ(英語ページ)を見てみると、冒頭に”Overcoming boundaries: Not only between countries, but also in the head.”とある。「境界の克服、国の間だけではなく、頭の中のそれもまた」という意味です。

IBBはこの観点で1986年からさまざまな活動を積み上げてきた。当時はまだ冷戦が完全には終わっていませんでした。その西と東の境界を越える。
さらにヨーロッパの中でも、周辺の中東やアジアとの間でもさまざまな対立があります。その境界も越える。そのためにはそれぞれの頭の中にある偏見を越える。そのために教育をし、交流してさまざまなものを交換していく。
IBBはこうした活動の中に、チェルノブイリ原発事故のことを非常に大きく位置づけました。ドイツ・ドルトムントに本拠を置いていますが、ベラルーシ・ミンスクにも拠点を作りました。

僕はこのIBBが積み上げてきた実績のもとにトルコに派遣してもらえました。そしてイスタンブール、シノップ、イズミルで講演を行い、本当にたくさんの方たちと交流できた。
僕が派遣されたのは、日本からトルコ・シノップへ原発が輸出されようとしているからでした。そのためにトルコの人たちにフクシマの経験を知ってもらう必要があるとIBBは考えました。
さらに目指されたのは、トルコ人と日本人の間の新しいつながりを生み出すことでした。そこに大きな期待をかけて僕が送り出されたことを後になって知りました。

トルコ訪問はいろいろな意味で大成功でした。僕自身はどんどん体調を悪化させ、強度の便秘と腹痛からイスタンブールで入院し、その後も美味しいトルコ料理もぜんぜん食べられないなどのアクシデントがありましたが、交流そのものはどこでも大盛況でした。
さまざまな要因が僕に味方してくれたのですが、その中でも大きかったのは、直前になって彗星のように現れてくれた通訳者のトルコ人女性、プナールさんの存在でした。
彼女と僕は講演内容をめぐって事前にかなり綿密なやりとりを繰り返しました。彼女は原発のことにはそれほど詳しくなかったのですが、大変な苦労をして、原子炉の構造や放射線学の初歩知識を含むプレゼン内容の翻訳を進めてくれました。

こうして実現した講演の中でもとくに盛り上がったのは原発予定地のシノップでのものでした。現地の方たちがたくさん参加してくださったのですが、そのうちの1人の方がシノップの中心地からは20キロほど離れていたゲルゼ市から来ていた。
その彼女が僕の講演を聞いてゲルゼに帰ってから市長に会い、ぜひモリタをゲルゼにも呼んで話してもらうべきだと説得してくださったのでした。その縁があって3月を引き継ぎ、この夏にゲルゼからお声がかかりました。
実はこの時、僕も再びどうにかしてシノップに行きたいと考えていたのでまさに渡りに船でした!それでどうせならほかの人も呼ぼうとドイツで知り合った核戦争防止国際医師会議ドイツ支部長のアンゲリカ・クラウセンさんとそのお連れ合いで3月にも僕のトルコ訪問に同行してくれたトルコ人医師のアルパー・オクテムさんなどにも声掛けしました。

さらに東京で精力的に原発問題で活動しており、とくに原発輸出問題で国会議員を説得していたFoE JAPANの方たちにも声掛けし、吉田明子さんが一緒に参加することになりました。
吉田さんは日本の「脱原発をめざす首長会議」からシノップの市長たちにあてたメッセージも持参してきてくださいました。
こうして8月上旬に一行がゲルゼで合流しました。3月にイズミルでご一緒したトルコ人核物理学者のハイレッチンさんも参加されました。こうしてゲルゼの町の海岸で行われたサマーフェスティバルのメイン企画に僕らの講演会を設定してもらい、福島原発事故の話や、日本民衆の放射線防護、脱原発に向けた奮闘などを紹介しました。

その後、現地の人びとを含めたみんなで再びシノップの原発予定地(今は美しいトルコの人たちのリゾート地、憩いの地です)に赴き、一緒になって「ここに絶対に原発と作らせてなるものか」という意志を共有してきました。
ゲルゼだけでなく、もう一つのエルフレックという都市も訪れ、市長さんと会談し、チェルノブイリ事故以降、黒海沿岸でがんの死者が増加し、今もなお多くの家族が苦しみ、怯えていることなども聞いて、市長と共に原発を許さない意志を確認してきました。トルコにも脱原発首長会議を作ろうとの動きまで始まりました。
これらの一連の過程が終わり、翌日にお別れする夜、トルコ人医師のアルパーが叫びました。「われわれは大成功した。われわれは最高のチームだ!」と。

実はここにIBBから派遣されてきた女性も参加していました。彼女はこの一連の過程をドイツに帰ってIBB本部に報告してくれました。10月のポーランドでの会議のためです。
この国際会議はすでに3月以前に企画が立ち上がっていたもので、今回のヨーロッパ・アクション・ウィークの成果を確認するとともに、2016年がチェルノブイリ事故から30年、フクシマ事故から5年になることを踏まえて大きな企画をうつための打ち合わせをすることを目的としたものです。
僕の参加は3月にドルトムントを訪れたときに「こういう会議をやるので日本人も参加するか?」と問われたときに「YES!」と即座に手を上げたら「OK、契約成立!」と握手されて決まったのでした!

その会議のスケジュールが送られてきたので見てみると、初日のオープニング・セッションで僕がプナールさんと一緒に、トルコでのヨーロッパ・アクション・ウィークの成果を報告することになっています。
さっそくプナールさんと打ち合わせを開始しているところです。「たくさんのことを積み上げることができたので、ちょっと自慢してしまいましょう」と僕。プナールさんも喜んでいます。ちなみに発表は英語になると思いますが、プナールさんとの打ち合わせは日本語。彼女が日本語が達者なのでとても助かっています。
この会議にはFoE JAPANの吉田さんも参加を予定していて、やはり初日のオープニングセッションで、「脱原発首長会議」について報告されます。

会議は10月23日から26日まで。22日に出国して向かいます。その後、27~29日にプライベートでポーランドを旅してこようと思いますが、やはりどうしてもアウシュビッツに行ってきたいなと思っています。
悲惨な過去と向き合わなくてはなりませんが、同時に必ずそうした場には、悲惨きわまる現実と立ち向かい、苦しい捉え返しを進め、未来への光を紡ぎ出そうとしてきた連綿たる営みがあります。だから悲惨なだけでなく感動もある。その双方に触れるために僕は行きたいのです。それでこそ私たちの英知が磨かれるからです。
同時にそれは僕がヨーロッパの人々、アジアの人々、パレスチナの人々、そしてまたイスラエルの人々と今後連携を深めていく上で、もっとも大事な通過点の一つだとも思います。その意味で今回、この会議のおかげでアウシュビッツを訪問できることにも感謝しています。

以上、こうした経緯と目的のもと、10月にポーランドに行って国際会議に参加してきます!チェルノブイリに学び、福島を伝える旅の続きです。

Power to the People!
ますます連携を深めてきます!

なお今回は会議のための渡航費と滞在費をIBBが負担してくださいます。その点で基礎的なファンドは確保されていますが、取材経費などやはり費用がかかります。
僭越ですが可能な方にカンパを訴えたいと思います。以下に振込先を記しておきますので、お気持ちだけでもお願いできればありがたいです。
8月に続いて今度も、けが、病気をしないように、現地の方にけして迷惑をかけないように、気を付けていってきます!

*****

振込先 郵貯ぎんこう なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151
他の金融機関からのお振り込みの場合は
店名 四四八(ヨンヨンハチ) 店番448 預金種目 普通預金
口座番号 2266615

 

 

 

 

 

 


 

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明日に向けて(943)東電発表の読み解き方をおさえよう!(吉田調書を主体的に読み解く-4)

2014年09月27日 09時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20140927 09:30)

宇沢先生が亡くなられたことへの悲しみがまだ心にまとわりついていますが、前に進むのが不肖の弟子であった僕の務めに違いありません。そう考えて吉田調書の読み解きを進めます。

さて主体的読み解きの4回目になりますが、今回は少し調書から離れて「東電の発表の読み解き方」についてお話したいと思います。吉田調書の読解のために重要だからです。
すでに多くの方の共通認識になっていることですが、東電は非常に不誠実な体質を持った会社です。常に自己弁護、自己擁護に終始する傾向を色濃く持っており、不都合なことの隠蔽やごまかしに長けています。
そんな東電が自社に不都合な事実を公表する時は、必ずと言って良いほど何か裏の狙いがあります。往々にしてあるのが別のもっとまずいことを隠すことであったり、何か違う狙いを通そうと意図していることです。

分かりやすい例は、ほぼ一年前の9月7日に、安倍首相が東京オリンピック招致のために「原発はコントロールされている」などの大嘘をついたときのことです。
国内外に「ウソだ」という指摘が広がる中で、東京電力は9月13日に幹部が民主党の会合に出席し、「原発は制御できていない」と首相発言を真っ向から否定してみせたのでした。
これだけを見ると嘘つきは安倍首相であり、東電が正直であるかのような印象すら受けてしまいます。というか東電は明らかにそれを狙っていました。日経新聞による当時の報道を示しておきます。

 東電幹部、汚染水「制御できていない」 首相発言否定
 日経新聞2013/9/13 13:34
 http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS13017_T10C13A9EB2000/

この発言に政府関係者が大慌てになり折衝などがなされる中で、東京電力の広瀬直己社長が27日に、福島原発の汚染水問題をめぐる放射性物質の拡散について「港湾外への影響はなく(安倍晋三)総理と同じ考え」と表明しています。
一旦、安倍首相の大嘘を否定してみせ、のちに撤回する作戦をとったわけですが、その意図は非常に見え透いています。
端的にこれで東電は安倍政権に対して決定的に優位なポジションを獲ることとなったのです。東電がどんなに失態を重ねても政府がかばわねばならない関係性ができあがってしまったからです。東電は安倍首相の嘘をまんまと自社の優位なポジションの確保のために利用したのです。

この流れは汚染水問題と深く関わっています。というのは汚染水問題は昨年の夏にその実態が全面的に明らかになったからです。
この発表は7月18日の衆議院総選挙の後になされました。いや実は春先から東電は情報を小出しにしていました。東電は選挙前に事態が全面的に明らかになれば安倍政権が決定的に不利になることを十分に知りつつ、情報を小出しにしていたのだと思います。「情報小出し作戦」も東電が使う常套手段です。
裏をとれているわけではありませんが、僕はこの時、政府と東電の間で汚染水問題の発表時期をめぐる裏取引がなされただろうと読んでいます。実際に選挙が終わった途端に、東電はそれまで否定していた海への汚染水漏洩を一転して認めだしたからです。しかも8月2日にはなんと1日400トンの汚染水が海に入っていると公言しました。

東電が狙ったのは何か。衆院選挙で自民党が有利になるようにこの大問題の発表を選挙後にずらすことで自民党に恩を売り、何より、大変な罪を犯しているのに己を訴追されないようにすること、さらには汚染水対策のために政府から援助を引き出すことでした。もちろん再稼働に前向きな安倍政権をサポートする狙いもあったでしょう。
こうした流れの中にあって、安倍首相のオリンピック招致発言での大嘘は東電にとってかなり有利なカードだったのです。相当に苦しい嘘だったからです。自らの訴追の可能性をさらに逃れ、政府をよりコントロールするための絶好の素材でした。このために直後の否定で政府を大慌てさせ、その後に再否定するという見え透いた戦略をとったのです。
東電という会社は本当にこういうところだけにはよく知恵が回る会社です。その知恵をほんの少しでも安全対策に使ってくれていたらと度々思いますが、もちろん期待するだけ無駄です。なおこれらについて昨年9月に以下の記事でレポートしてあります。

 明日に向けて(735)福島原発汚染水大量漏れの考察(1) 問題は東電が重大犯罪を起こしているということ!
 http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/b70aff28e86576321ded3be9dd33c1ac

 明日に向けて(737)福島原発汚染水大量漏れの考察(2) 汚染水垂れ流しの実態を構造的につかもう!
 http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/ec858aceed3429f2bcd0296f226a1cdf

このような例は他にもたくさんあげられますが、ぜひ東電の発表を読み解く際にはこうした東電の体質をしっかりとおさえて相対する習慣を身につけて欲しいです。
もう一度言いますが、東電にとって不利な情報が出たとき、何か素直にあやまちを認めているように見えるときほど、何かを隠そうとしていたり、違う何かの意図が介在しています。情報の小出しにも何らかの意図があります。
そうした観点をもって情報を調べていくと、実はそれほど巧妙なからくりがあるわけでもなくわりと容易に「本音」が見えてきたりもします。

にもかかわらずマスコミは東電の書いて欲しいように記事を書かされてしまっていることが多く、いつもがっかりさせられます。
ともあれ吉田調書を読み解く上で、こうした東電の体質をしっかり頭に入れておく必要があります。先にも述べましたが、吉田氏も東電の幹部ですからこうした「企業文化」と無縁であることなどありえないです。
吉田氏も空気のように東電の体質を吸いながら出世してきたのです。東電の隠蔽体質に慣れなければ重要プラントの所長になどなれない。共同体に共有された意識とはそういうものです。ですから東電的な体質が常に働いていたと思うのが自然です。

蛇足ながら付け加えると、ここで私たちに必要なことを一言であらわせば「もっと人が悪くなる」ことに尽きます。そうすれば東電の仕込んだからくりが見えやすくなります。
ただ同時におさえておきたいのは、そこに入り込むことは危険でもあるということです。東電的な人の悪さが身についてしまい、「疑り深い人」になってしまうからです。いわば東電への感染です。
何せ、常に人を疑い、発表の裏を探らなくてはならなくなる。人の言葉をシンプルに信じられる純真さを失わねばならず、それはそれで危険なことなのです。人は往々にして「批判対象に似ていく」危険性を持っているからです。

やはりいつでも大事なのは信義を守りとおす誠実さです。また誤りがあった場合に真摯に捉え返す姿勢です。
その対極にある東電と対決していくのですから十二分に感染に気を付けましょう。
以上に踏まえて、さらに調書の読み解きを進めていきたいと思います。

続く


 

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明日に向けて(941)訃報!宇沢弘文先生がお亡くなりになられました!

2014年09月26日 18時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20140926 18:30)

社会的共通資本を守り、育み、発展させることを訴え続けた宇沢弘文先生がお亡くなりになられました。僕にとっても大恩ある方でした。
18日のことだそうです。ショックで正直なところかなりおろおろしている自分がいます。
何はともあれ今日はみなさんに、宇沢先生ご逝去の報をお伝えします。

各社のニュースでも報道されていますが、NHKは宇沢先生のお元気な時のお姿が流してくれています。ぜひご覧ください。短いですがいかにも宇沢先生らしい語りを観ることができます。
他紙の報道も貼り付けておきます。

宇沢先生。
生涯を貫いて豊かな社会の実現のためのご奮闘され、心に響く思想、論文、言葉をたくさんのこしていただき、本当にありがとうございました。どれほど感謝してもしきれません。
先生のご努力にお応えし、社会的共通資本を守り発展させるため、核のない平和な社会を実現するために、今後もなお一層、身命を賭した努力を続けます。
先生。どうか安らかにお眠りください。合掌。

***

経済学者の宇沢弘文さん 死去
NHK 9月26日 10時42分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140926/k10014886591000.html

日本を代表する経済学者で、公害などの社会問題の解決にも尽力した東京大学名誉教授の宇沢弘文さんが今月18日、肺炎のため東京都内で亡くなっていたことが分かりました。86歳でした。

宇沢さんは鳥取県の出身で、東京大学理学部数学科を卒業後、経済学の研究を始め、アメリカに渡りシカゴ大学の教授などを歴任しました。
経済成長や消費者の行動を数学的な方法で分析する数理経済学の研究を進め、安定した経済成長のための必要な条件を、「消費」と「投資」の2つに分けて示した「2部門経済成長モデル」で注目を集めました。
昭和44年に東京大学の教授に就任したあとは公害問題などにも取り組み、自動車による交通事故や大気汚染などの影響を経済学的な視点で分析して、対策に必要な費用を利用者も負担して問題の解決につなげるべきだと指摘しました。
水俣病にも目を向け、自然環境や教育、医療など文化的で豊かな生活をするうえで欠かすことのできないものを「社会的共通資本」と位置づけ、効率や経済利潤から守るべきだと提唱しました。
その後、成田空港問題の平和的な解決に尽力したほか、地球温暖化の問題では、二酸化炭素を排出する企業などにコストを負担させる「炭素税」を導入するよう求めるなど社会的な提言を続けました。
こうした功績で平成9年に文化勲章を受章し、平成21年には環境問題の解決に尽くした研究者などに贈られる「ブループラネット賞」を受賞しました。
宇沢さんは3年前に体調を崩し、自宅で療養を続けていたということです。

「経済学の基礎作った功績は計り知れない」

宇沢さんの教え子で学習院大学経済学部の宮川努教授は「研究熱心な方で、授業のあとは毎回、われわれ学生と一緒に夕食を食べながら経済学のさまざまな話を聞かせてくださいました。
一般的に『経済学』と呼ばれている学問の基礎を作ってきた研究者の1人で、その功績は計り知れません。
経済発展によって人々の暮らしを豊かにするための研究だけでなく、公害問題など、経済発展がもたらす負の側面にもしっかりと目を向けてその解決に努力され、社会的な影響は非常に大きい」と話しています。

***

理論経済学者の宇沢弘文さん死去 環境問題でも積極発言
朝日新聞 2014年9月26日10時35分
http://www.asahi.com/articles/ASG9V316KG9VULFA005.html
 
世界的に知られた理論経済学者で、公害や地球環境問題にも積極的な発言を続けた東京大名誉教授の宇沢弘文(うざわ・ひろふみ)さんが18日、脳梗塞(こうそく)のため、東京都内で死去していたことがわかった。86歳だった。葬儀は近親者で営まれた。喪主は妻浩子さん。
鳥取県生まれ。東京大理学部数学科を卒業後、経済専攻に転じた。1956年に渡米し、スタンフォード大準教授やシカゴ大教授などを歴任。市場に任せる新古典派の成長理論をベースにした数理経済学者として活躍した。
消費財と投資財をつくる部門がそれぞれどのような過程を経て資本蓄積がなされるかを考察した「2部門経済成長モデル」などの研究で評価された。

ベトナム戦争に深入りする米国への批判から、68年に帰国。翌年、東大経済学部教授に就いた。74年に都市開発や環境問題への疑問を提起した「自動車の社会的費用」を発表。環境や医療、福祉、教育などで構成する「社会的共通資本」の整備の必要性を説いた。
東大を定年退職後は新潟大、中央大を経て同志社大社会的共通資本研究センター長に。ノーベル賞受賞者らが名を連ねる国際学会エコノメトリック・ソサエティーの会長や、理論・計量経済学会(現・日本経済学会)の会長も務めた。
83年に文化功労者、97年に文化勲章を受章した。ノーベル経済学賞の候補としても長年、名前が挙がり続けた。
地球環境問題の啓発に力を注いだほか、93年に設立された「成田空港問題円卓会議」のメンバーとして国と農家の調停役を引き受けた。
2000年代前半には「脱ダム」政策を掲げた田中康夫・長野県知事(当時)の諮問委員会に参加。環境税や旧住宅金融専門会社(住専)問題、教育、医療制度のあり方でも積極的に発言した。

「近代経済学の転換」「地球温暖化の経済学」など多数の著書がある。

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宇沢弘文東大名誉教授が死去 経済成長論で先駆的業績
日経新聞 2014/9/26 1:30
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGH2500O_V20C14A9MM8000/

日本の理論経済学の第一人者で、文化勲章を受章した東京大学名誉教授の宇沢弘文(うざわ・ひろふみ)氏が18日、肺炎のため東京都内で死去していたことが明らかになった。86歳だった。既に密葬を済ませている。

1951年、東京大学理学部卒業と同時に特別研究生となり、経済学の研究を始めた。後にノーベル経済学賞を受賞した世界的な経済学者、ケネス・アロー氏の招きで56年に渡米、スタンフォード大助教授やシカゴ大教授などを歴任した。68年に帰国し、翌年、東大経済学部教授に就任した。
得意の数学をいかして60年代、数理経済学の分野で数多くの先駆的な業績をあげた。経済が成長するメカニズムを研究する経済成長論の分野で、従来の単純なモデルを、消費財と投資財の2部門で構成する洗練されたモデルに改良。理論の適用範囲を広げ、後続の研究者に大きな影響を与えた。その業績の大きさからノーベル経済学賞を受賞する可能性が取りざたされたこともある。

70年代に入ってからは研究の方向性が大きく変化した。ベストセラーになった「自動車の社会的費用」(74年刊)では、交通事故や排ガス公害などを含めた自動車の社会的コストを経済学的に算出し、大きな話題を集めた。地球温暖化をはじめとする社会問題にも積極的に取り組み、発言・行動する経済学者としても知られていた。
83年に文化功労者、89年に日本学士院会員に選ばれ、97年に文化勲章を受章した。「近代経済学の転換」「経済動学の理論」など多数の著書がある。2002年3月には日本経済新聞に「私の履歴書」を執筆した。

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故宇沢弘文氏、公害など社会問題批判 多分野に「門下生」
日経新聞 2014/9/26 1:30
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGC2500E_V20C14A9EE8000/

宇沢弘文氏は経済学者として海外でもその名を知られ、ノーベル経済学賞の有力候補として期待された数少ない日本人だった。理論経済学で大きな業績を残した一方で、持ち前の批判精神から1970年代以降は一貫して「人間性の回復」を訴え、行動し続けた。
宇沢氏が経済学者として頭角を現したのは、50年代後半から60年代にかけての米国時代。初期の業績は、市場による調整機能を重視する「新古典派」理論に基づく成長理論。同氏の名を冠した「宇沢2部門成長モデル」という専門用語ができたほどで、発展途上国の支援策を検討する際などに幅広く利用され、新興国の台頭を陰で支えた。
しかし帰国して間もなく、研究対象を公害問題や環境問題に移した。74年に出版した「自動車の社会的費用」は大きな反響を呼んだ。熊本県・水俣などの公害現場に何度も足を運んだほか、成田空港問題でも円卓会議の座長として国と農家の和解に向けて努力した。

自らの思想信条へのこだわりと、フットワークの良さも人並みはずれていた。日本のどこかで公害問題が起きていると聞けば、リュック一つ背負って直ちに現地に飛び、実地調査する生活を続けた時期もあった。
また、学校、病院といった社会的インフラから自然環境までを包含する「社会的共通資本」という概念の重要性を提唱。環境、教育、医療などについても積極的に発言した。地球温暖化を防ぐため、二酸化炭素の排出1トンあたりの税率を1人あたり国民所得に比例させる「比例的炭素税」の導入などを提言した。

功績は経済理論の構築にとどまらない。教育者としての影響の大きさはよく知られている。2001年にノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・スティグリッツ米コロンビア大学教授をはじめ世界中の様々な分野で「門下生」が活躍している。
日本に戻ってからの教え子では、岩井克人・国際基督教大学客員教授が代表格。40歳代の若手も含め、日本で活躍する経済学者の多くが宇沢氏の薫陶を受けた。
(経済解説部 松林薫)

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訃報:宇沢弘文さん86歳=経済学者、消費社会を批判
毎日新聞 2014年09月26日 02時31分(最終更新 09月26日 09時29分)
http://mainichi.jp/select/news/20140926k0000m040147000c.html

東大名誉教授で世界的な経済学者である宇沢弘文(うざわ・ひろふみ)さんが18日、肺炎のため死去した。86歳だった。葬儀は親族で営んだ。喪主は妻浩子(ひろこ)さん。

1951年東大理学部数学科卒。経済学に転じ、56年に渡米、58年に米スタンフォード大経済学部助手となり、のち助教授、准教授。カリフォルニア大経済学部助教授、シカゴ大教授を経て、69年から東大経済学部教授。80?82年に学部長を務める。
83年に文化功労者、97年に文化勲章受章。数理経済学の分野で多くの実績を上げ、新古典派経済学の発展に大きな影響を与えた。

しかし、70年代以降は市場原理優先の新古典派理論を批判する立場に転換。環境保全への視点から生産、消費優先の先進国の在り方に疑問を呈してきた。二酸化炭素の排出に対し、国民所得に比例した「炭素税」を各国に課すことも提案。東大教授時代は、電車や車を使わず、自宅からジョギングで通っていた。
一時は、ノーベル経済学賞に最も近い日本人学者といわれた。

東日本大震災直後の2011年3月21日、脳梗塞(こうそく)で倒れ、その後、自宅などでリハビリを続けていた。
主要著書に「近代経済学の再検討」「自動車の社会的費用」「地球温暖化の経済学」「社会的共通資本」などがある。

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宇沢弘文さん死去:数理経済学で実績 温暖化防止訴えも
毎日新聞 2014年09月26日 07時10分
http://mainichi.jp/select/news/20140926k0000m040145000c.html

18日に亡くなった文化勲章受章者の宇沢弘文・東大名誉教授は、マクロ、ミクロ両経済学の分野で先駆的な業績を上げ、世界計量経済学会会長を務めるなど、世界的な経済学者として活躍した。
同時に環境破壊など現代文明に対する鋭い批判者としても知られ、地球温暖化防止などを訴え続けた。

宇沢さんは1951年に東大理学部数学科を卒業。生命保険会社に一時勤務したが、経済学に転じ、渡米。スタンフォード大で助教授、准教授を歴任。カリフォルニア大経済学部助教授、シカゴ大教授を経て、69年から東大経済学部教授となった。
50年代から70年代にかけ、数理経済学の分野で数多くの実績を上げた。特に高い評価を受けたのは、消費財と資本財の2部門の成長モデルの構築。農業と工業が成長を遂げるため、土地、資本、労働など生産要素が部門間でどう移動すればいいかを理論的に実証した。

しかし70年代以降は、次第に市場原理を優先する現代新古典派理論に疑問を抱き、同理論を激しく批判する立場をとった。公害など環境問題に対応できていないという不満からだった。地球温暖化など環境問題への発言は多く、生産、消費優先の先進工業国のあり方に疑問を投げかけた。
90年8月には、毎日新聞のインタビューに対し、「石油、石炭をふんだんに消費し、環境保護の費用を出し惜しんできた工業文明のツケが、今、私たちに回ってきている」とし、「将来の世代と開発途上国に負担を肩代わりさせないよう、生産、消費のコストに温暖化を減らす費用を急ぎ組み込まねばなりません」と語った。
当時、宇沢さんが提唱した「炭素税(カーボン・タックス)」を世界各国に課すというアイデアは、その税収で大気安定化国際基金を設け、発展途上国の森林作りなどに役立てるという狙いだった。そうした環境面での国際貢献で日本が先頭に立つよう、強く訴えた。

企業活動と環境保全をどう両立させるかについて、宇沢さんは「経済成長率が高いということは、地球の温暖化や日本の経済摩擦のような好ましくない問題を引き起こす。本来なら経済成長率は低いほど望ましい」とさえ述べていた。
97年に地球温暖化防止に向け、京都議定書が締結され、先進国が温室効果ガス削減目標を定めたが、日本で官民による環境保全の流れを作る上で、宇沢さんの主張は大きな影響を及ぼした。
近年は、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の反対運動に携わり、日本の農業保護などを訴えていた。

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明日に向けて(940)福島原発は津波ではなく地震で壊れた!(吉田調書を主体的に読み解く-3)

2014年09月25日 12時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20140925 12:30)

福島原発事故をめぐる吉田調書の読み解きの3回目ですが、今回から吉田調書の原本全文を分析・引用対象としていきたいと思います。
日経新聞の以下のページにPDF版が掲載されていますので、アドレスを紹介しておきます。

 政府が公開した吉田所長・菅首相(事故当時)らの調書
 2014年9月11日19:34
 http://www.nikkei.com/article/DGXZZO76947290R10C14A9000000/

この調書を読み始めるとすぐに出てくるのは、吉田所長に対する質問者が記憶を辿ることに難しさもあるだろうということで、東電が発表している時系列を用意しそれに沿って話を進めこると提案していることです。
もちろん吉田所長には「違うと思われれば、そのままおっしゃっていただければ結構です」と告げられていますが、そもそも吉田所長とて東電の幹部であり、当然にも東電と細かな打ち合わせをしてこの聴取に臨んだと考えられます。
このため吉田調書は東電の書いた多分に自己防衛的な事故の経過説明に沿っていること、東電の書いた筋書きに寄り添っているものでもあることを頭に入れておくべきです。

とくに3月11日の述懐にはこの点で非常に重要なポイントが含まれています。というより福島原発事故の経過過程の中でも最も重要なポイントが3月11日にあります。
この日、14時46分に大震災が起きました。津波の第一波の到着が15時27分。問題はこの間に何が起こったのかです。
東電と吉田所長の主張はこうです。地震で送電線か何かが壊れ外部電源が喪失した。そのため非常発電用のディーゼルエンジンが動き出した。しかし津波でエンジンが壊れてしまい、全交流電源喪失に陥り冷却ができなくなった・・・。

一方で元日立の原子炉圧力容器の設計者、田中三彦さんは1号機のパレメータを詳細に分析する中から、大地震の直後に配管切断が生じ、冷却水漏れが生じたとみられること、津波の前にメルトダウンに向かう一連の事態が発生したことを示唆しています。
これは非常に大きなポイントです。東電のシナリオでは非常用のディーゼルエンジンが津波にさらされる位置にあったことが問題になります。反対に言えば非常用電源を高台にあげ、津波の影響を受けないようにすれば今回のような事態は避けられることになる。
しかし田中三彦さんの解析に沿うのであれば少なくとも1号機は地震によって壊れていたことになる。耐震基準が間違っていたということです。だとすれば同じ耐震基準で作られたすべての日本の原発が同じ危機を孕んでいることになり、設計から改めない限り動かしてはいけないことになる。

その際に大きな位置を持つのが1号機にのみ存在している非常用復水器(アイソレーション・コンデンサー ICと略記されている)の存在です。
これは技術的に古いものだそうですが、原子炉内の蒸気の圧力が高まると自動的に動き出す装置で、ユニークなのは電源に依存してないものであることです。そのため電源喪失時でも動いてくれた。
仕組みとしては、圧力が高まった蒸気を復水器に招き、復水器に貯められた水の中に蒸気を吹かすようにできている。蒸気は水の中に誘導されると水に戻る=復水するのです。そうなると体積が一気に小さくなります。温度も100℃以下になる。圧力と温度が下げられます。

この非常用復水器が電源を喪失した直後の14時52分に稼働し始めているのです。これらの機器の作動はすべて自動記録されるようになっておりパラメータが公開されているのですが、それがなんとも不思議なことに15時03分に運転員によって手動停止されているのです。
田中さんは他のさまざまな数値の解析とあわせ、この停止は復水器の動作が必要なくなったからだと運転員が判断したためと推測しています。配管が破断して冷却水が漏れ始めたために炉内の圧力と水位が落ちだしたため、復水器は必要なくなった。むしろ水位をより下げてしまいかねないのでスイッチオフにした。
これに対して東電の発表では、原子炉の運転マニュアルに急激な温度変化(1時間以内に55℃以上)を避けよと書かれているため、運転員がこれにしたがったと説明されています。

これは明らかにおかしい。田中さんは「ウソです!」と明言しています。なぜならこのマニュアルは平常時のものだからです。金属は急激な熱変化を繰り返すとその分だけより早く経年劣化をするので、運転停止にいたるときに急激に冷やさないような配慮が示唆されているのです。
非常時にはそんなことにかまってなどいられない。緊急冷却装置であるECCSが作動するときなど、もっとたくさんの水をいきなりスプレーして炉内を冷やす設計になっている。あたり前の話として経年劣化など考慮しているときではないからです。
東電の説明には明らかに緊迫した事態の中での対応としては矛盾があるのです。一刻の猶予もなく炉内の圧力を下げたいときに、電源喪失の中でも稼働してくれた命綱とも言える非常用復水器を止めることなど考えられない。どこからからか冷却水が漏れ出して圧力が下がったから止めたと考えるのが合理的なのです。

なおこれら一連の問題を田中三彦さんが「原子力資料情報室」の場を借りて解説してくださった内容をテープ起こしした記事をご紹介しておきます。6月21日に行われたものです。
今、読み返してみても圧巻です。なお全文を読まれる場合は(176)をご参照ください。読みやすいように文字を大きくし記事を二つに分ける加工を加えておきました。(171)は2011年6月25日に、(176)は6月29日に配信したものです。
全体として重要で、吉田調書の読み解きのため前提として押さえておくべき必須の考察ですが、後半で田中さんは「東電発表の読解の仕方」とでもよべるべき優れた観点も提示してくださっています。この点は稿をあらためてまた解説しようと思います。

 明日に向けて(171)地震による配管破断の可能性と、東電シミュレーション批判(田中三彦さん談)
 http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/b3708b03147d12b3864f0c8fc3819642

 明日に向けて(176)地震による配管破断の可能性と、東電シミュレーション批判(田中三彦さん談再掲1)
 http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/f1914e7352792c89767a9c7585ee4a00

 明日に向けて(176)地震による配管破断の可能性と、東電シミュレーション批判(田中三彦さん談再掲2)
 http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/8d603fe6649fe963d189d712df46e0c5


さて吉田氏へのこの部分の聴衆が行われたのは7月22日。原文を読むと質問者の側が明らかに田中さんの提示している内容を強く意識して話を進めていることが分かりますが、東電は早くも2011年末にこの問題への対応を行っています。
というのは調書のここの部分だけは、東京新聞の情報開示請求に基づいて2011年12月6日に保安院から発表されたのですが、その時に、実は吉田所長が非常用復水器が止められていたことに気づいていなかったことが調書に基づいてハイライトされたのでした。実際に吉田所長は、「復水器がずっと動いていると思っていた」と述べていたのです。
これに続いて東電は関連団体から8日に、もし吉田所長が復水器の停止に気がついていたらメルトダウンには至らなかった可能性が高いと発表させました。非常用復水器がなぜ止められたのかの問題を、止まっていることを知らなかった問題にすり替えた上で、メルトダウンの責任を吉田所長に被せたのです。

当時に東電は、事故前に指摘されていた想定外の津波が襲う可能性のレポートを、前職時に吉田氏が握りつぶしてしまったこともあわせて発表しました。メルトダウンさせてしまったことにも、津波を想定できなかったことにも、吉田氏の責任が大きいと発表したわけです。
ただそれで吉田所長をさらし者にしたのかというとそうでもなく、当時に東電は吉田所長が「食道がん」であることも発表。会見で被ばくの影響も匂わさせつつ、病を理由とした辞任を発表しました。実際に吉田氏はその後にすぐに入院してしまいました。
このことで記者たちは一方的に発表を聞かされただけで、吉田氏に取材しようにもできなくなってしまったのですが、これらの一連の発表の流れが東電によって用意周到な準備の上になされたことは明らかです。ポイントはあくまでも復水器の手動停止が物語る配管破断の可能性を隠してしまうことでした。このことを分析した記事をご紹介しておきます。

 明日に向けて(350)非常用復水器停止を所長は知らなかった?(東電・経産の原発生き残り戦略を暴く2)
 2011年12月9日
 http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/85081b4ab51e4147406358fdc63a338c

これら一連の過程を振り返るならば、吉田調書が冒頭において、原発が地震で壊れたのか、津波で壊れたのかという大問題を孕んでいることが非常によく見えてきます。
また東電が復水器を稼働後11分という短さで手動停止した合理的理由を最後まで説明せず、問題のすり替えを行ったこともはっきりと理解できます。もちろんすり替えねばならなかったのは、地震による配管破断以外に手動停止の説明がつかないからです。
ここから明らかになるのは、吉田調書を額面通り受け取ってはいけないという点です。東電の仕掛けた自己防衛のストーリーにはまってしまうからです。そのためには「東電発表の読み解き方」を身に付けておく必要がある。次回はこれを行いたいと思います。

続く

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明日に向けて(939)シビアアクシデントには有効な対策などない!(吉田調書を主体的に読み解く-2)

2014年09月23日 23時00分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20140923 23:00)

福島原発事故をめぐる吉田調書の読み解きの2回目です。なお読み解きの前提として東京新聞に掲載された「吉田調書要旨」を使わせていただきます。アドレスを紹介しておきます。
http://www.tokyo-np.co.jp/feature/tohokujisin/archive/yoshida-report/

このうち今回、取り上げたいのは3月11日の報告です。この日の14時46分、東日本大震災が発生しました。
これまでの原発事故調などの調査の中で、この大地震の影響で福島原発の配管のどこかが破断し、冷却水漏れが始まっていたことが強く推定されていますが吉田氏はこれには触れておらず、15時37分に津波の到来の中で全交流電源喪失が起こり、危機が始まったとしています。
以下、当該部分を引用します。


 「異常が起こったのは(十五時)三十七分の全交流電源損失が最初でして、DG(注 非常用ディーゼル発電機)動かないよ、何だという話の後で、津波が来たみたいだという話で、この時点で『えっ』という感覚ですね」
 「はっきり言って、まいってしまっていたんですね。シビアアクシデント(過酷事故)になる可能性が高い。大変なことになったというのがまず第一感」
 「絶望していました。どうやって冷却するのか検討しろという話はしていますけれども、考えてもこれというのがないんです。
  DD(ディーゼル駆動の消火ポンプ)を動かせば(炉に水が)行くというのは分かっていて、水がなさそうだという話が入り、非常に難しいと思っていました」
 (引用は東京新聞から。http://www.tokyo-np.co.jp/feature/tohokujisin/archive/yoshida-report/01.html


冒頭から非常に重要なポイントが出てきます。「全交流電源喪失」という事態を前にして、現場の総指揮官が思ったことは「はっきり言って、まいってしまっていたんですね」「絶望していました」ということだったことです。
また「どうやって冷却するのか検討しろという話はしていますけれども、考えてもこれというのがないんです」とも語っています。
私たちが何よりしっかりと把握しておかなければならないのは、これがシビアアクシデント(過酷事故)の実相だということです。

2012年9月に解散された原子力安全・保安院はシビアアクシデントを以下のように規定していました。
「設計上想定していない事態が起こり、安全設計の評価上想定された手段では適切な炉心の冷却又は反応度の制御ができない状態になり、炉心溶融 又は原子炉格納容器破損に至る事象」。
(引用はウキペディア「シビアアクシデント」より 
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%93%E3%82%A2%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%88

吉田氏が「はっきり言って、まいってしまっていた」「絶望していた」と答えているのはこの時始まった事故が「設計上想定していない事態が起こり、安全設計の評価上想定された手段では適切な炉心の冷却又は反応度の制御ができない状態」だったからです。
「考えてもこれというのがない」・・・当然です。想定されていない事態だからです。自動車で言えばブレーキが壊れて止まらなくなってしまった状態です。
ここがなぜ重要なのかと言うと、福島原発で現場指揮官が絶望してしまうような事態が起こってしまったこと、シビアアクシデントが発生したということは、日本のすべての原発の設計そのものが問い直されなければならないことをこそ物語っているからです。
このことが現実に起こったシビアアクシデントに即して、また吉田氏のこの臨場感ある述懐に即して、突き出していかなければならないことなのです。

ところがその後「シビアアクシデント対策」なる言葉が登場してきます。原子力安全・保安院を引き継いで設立された原子力規制委員会が2013年2月6日に「新安全基準(シビアアクシデント対策)の骨子案」を発表しています。
https://www.nsr.go.jp/public_comment/bosyu130206/kossi_sa.pdf

この「対策」は安全設計思想に明らかに矛盾したものです。なぜなら「設計上あってはならないこと」=「想定外の事態」への「対策」だと言っているからです。当たり前のことですが人間が対策を立てられるのは想定できることに対してだけです。
想定外の事態への対応とは、成功するかどうか分からないままに手当たり次第に思いつくことをやるようなものです。実際にそうした事態に遭遇したらなんでもやってみるしかないし、事実、吉田氏はそういう対応が問われたのでした。
しかしここから捉え返すべきは、設計そのものが間違っていたということであり、原発を再度稼働させるというのなら、少なくとも設計からやり直し「想定外」のシビアアクシデントが起こらないようにすべきなのです。

当時も今も、まさにここにこそ報道の焦点を当てなければならないのに、ほとんどのマスコミは「シビアアクシデント対策はしっかりとなされているのか」というような話に流れていってしまいました。東電にミスリードさせられてしまったのです。
僕が知る限りでは当初よりこのことを最も的確に捉え、批判的解説を繰り返していたのは元東芝の格納容器設計者、後藤政志さんでした。僕も多くを学びました。しかしこうした見識を捉えて政府批判にきちんと適用したマスコミも政党も残念ながらありませんでした。
再稼働の動きもこの重大問題をぼかしたまま出てきていることを私たちは今からでもきちんと捉え直し、シビアアクシデント対策を施せば良いのではなく、最低でも設計そのものを見直すべきこと、原発容認の立場からしてもそれが最低守るべき安全思想であることをおさえるべきです。

では原子力推進派はこの点をどうとらえたのか。実はまさにこの点にこそ再稼働のネックであることをつかみ「新安全基準(シビアアクシデント対策)の骨子案」に対する意見募集に対して次のように指摘しています。


 「「シビアアクシデント」の日本語訳は「過酷事故」とすべき。」
 「「シビアアクシデント」ではなく「重大事故」とし、「設計基準事象を大幅に超える」での大幅を削除すること。恣意的な解釈になり得る。」


これに対して原子力規制委員会は「考え方」として以下のように答えています。

 「「重大事故」とし、改正原子炉等規制法の定義を用います。」
 (引用は「新安全基準(シビアアクシデント対策)骨子案へのご意見について」より
  https://www.nsr.go.jp/committee/yuushikisya/shin_anzenkijyun/data/0019_11.pdf


そうしてこれ以降、徐々に「シビアアクシデント」の言葉が消え、「重大事故、いわゆるシビアアクシデント」などと使われるようになっていってしまいます。
一例として中部電力のホームページでの説明を貼り付けておきます。


 「シビアアクシデントとは、炉心が大きく損傷するような重大事故のことです。
  シビアアクシデントに至る恐れのある事態が万一発生した場合、それが拡大するのを防止するため、もしくは拡大した場合にもその影響を緩和するために実施する対策をシビアアクシデント対策といいます。
  シビアアクシデント対策については、これまで事業者が自主的に実施してきましたが、福島事故を契機に、「重大事故基準」として、国の新規制基準に導入されました。」
 (引用は中部電力ホームページ「お客様の声 重大事故対策」
  http://hamaoka.chuden.jp/voice/others_detail07.html


ここで行われていることは何だったのか。想定外の事故=シビアアクシデントを二度と起こさないように設計から見直していくという誠実な方向性ではなく、全く逆に「想定外」のシビアアクシデントが起こり、かつこれからも起こる可能性があることを隠してしまうことだったのです。
そうしてシビアアクシデントが「重大事故」に読み替えられ、「対策」を立てるといいだした。要するに事故は想定できるのだ、今のままの設計で対策は可能なのだというところに話が捻じ曲げられていったのです。本当に悔しいかな、どこのマスコミもこれを批判してこれなかった。

それではそもそも「重大事故」とはいかに規定されていたものなのか。
日本の原子力関係各界で勤務してきた退職者、要するに原子力村の人々が組織している「エネルギー問題に発言する会」の会員座談会の席上で、日本原子力研究開発機構安全研究センター副センター長の更田豊志氏が以下のように述べたことが紹介されています。


 「現在の安全規制では事象を「運転時の異常な過度変化」「事故」「重大事故」「仮想事故」「シビアアクシデント」に分類している。
  このうち、「運転時の異常な過度変化」と「事故」は設計基準事象(DBE)として安全設計、安全評価の対象であり、「重大事故」「仮想事故」は立地評価の対象であるが、「シビアアクシデント」は安全審査の対象外である。」
 

なんのことはない。もともと「重大事故」は「シビアアクシデント」よりも下位に位置づけられていたものなのです。ちなみに「重大事故」とは技術的にありうることが想定できる深刻な事故、「仮想事故」とは技術的にありうるとは考えらえないが対応を想定している深刻な事故のこと。
そしてこの上に「シビアアクシデント」があり「安全審査の対象外」だったのです。なぜ対象外だったのか。安全対策の立てようがない事故だからであり、あってはならないものとされていたからです。ちなみにこの座談会の中でも前掲したものと同じく以下のように「シビアアクシデント」の規定が語られています。
 

 「設計基準事象を大幅に超える事象であって、安全設計の評価上想定された手段では適切な炉心の冷却または反応度の制御ができない状態であり、その結果、炉心の重大な損傷に至る事象を指す。」
 (引用は同会会員座談会報告より 
  http://www.engy-sqr.com/lecture/document/zadankai110721r2a.pdf


この「シビアアクシデント」を「重大事故」に読み替えてしまうのは、極めて悪質な、設計思想上の概念のすり替えです。モラルハザードに陥っているこの国で頻発している食品の産地偽装や品質表示の偽造よりももっと格段にひどい。
「シビアアクシデント」という事態の持っている深刻性はこの言葉とともにこうして消されつつあるのです。しかし今、吉田氏の赤裸々な述懐が明らかになることによって、あのとき起こったのが「シビアアクシデント」であったことが再びハイライトされた。だからこそ私たちはここに立ち戻って思考しなければならない。
さらに胸に突きつけるべきは、このシビアアクシデントがまだ収束していないことです。今の福島第一原発の現状そのものが想定外なのです。だからあの手、この手で対応せざるを得ないし、それもなかなかうまく行ってないのです。
この事故はいつまた深刻さを増し私たちに重大な危機を突きつけてくるかも分からないことがここに懐胎されています。だから本当にすべてをこの事態への対応に集中しなくてはいけないのです。

この危機感、緊張感をこそ、私たちはこの調書から読み取らなければなりません。
吉田調書の主体的読み解きを続けます!

続く

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明日に向けて(938)吉田所長が語った福島原発事故の壮絶な恐ろしさ(吉田調書を主体的に読み解く-1)

2014年09月22日 22時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20140922 22:30)

福島第一原発事故の吉田調書の問題を論じたいと思います。

ご存知のようにこの調書は当時の福島第一原発所長だった故吉田氏から政府事故調査・検証委員会が聞き取ったもの。今年の春先に朝日新聞がスクープしましたが、その一部に誤報があったとしてこの間、大騒ぎが起こりました。
ただしこの大騒ぎはおかしい。吉田調書で最も大事な点は、福島原発事故がどれほど恐ろしいものであったのかということが明らかにされた点です。この間の朝日新聞の誤報に対する騒ぎは、吉田調書が明らかにしている最も大事な教訓を大きく捻じ曲げてしまっています。
これには意図的な面と非意図的な面があると思います。意図的な面は政府や原子力村など、再稼働を進めたい人々が、吉田調書が赤裸々に明らかにしている原発の危険性から人々の意識をずらそうとしているということです。
おそらく政府も朝日新聞バッシングの体制が整ったことを見据えて、吉田調書の公開に踏み切ったのだと思います。

他方で非意図的な面とは、政府や原子力村、朝日新聞バッシングに躍起となっている人々を含めて、災害心理学に言う正常性バイアスに浸りきっており、原発の恐ろしい危険性という不都合な事実から目をそらしたい心情にかられていることです。
正常性バイアスとは、人間が危機に陥った時に危機そのものを認めないことで、精神の安寧を守るとする心理的メカニズムが生じさせるもの。事態は正常なのだ、ないしは正常に戻っていくのだと言うバイアス(偏見)をかけてしまい、危機を無視して精神を守ろうとするものです。
少し冷静に考えてみれば、「愛国」の立場からも、「祖国を守る」立場からも、原発事故の巨大な危険性をしっかりと把握し、少なくとも(つまり百歩譲っても)福島原発事故をきちんと解明し、同じことを起こらないようにできるか技術的に検討し、可能なら対策を施していく。それまでは原発を再稼働させない方が良いことは明らかです。
にもかかわらず、危機を一切見ようとせずに自分にとって都合のいいことだけを考えてしまっている。人間精神の抜本的脆弱性と言えますが、僕はこの国の中枢に居座る人々を含めて、多くの人々がこうした心情に浸っていると思います。要するに、誰も「国難」に身を呈して立ち向かおうなどとはしていないのです。

この国家的な「正常性バイアス」を最もあおってきたマスコミの一つが、この間、口を極めて朝日新聞をバッシングしている産経新聞です。
というのは原発事故が起こった当初、当時の菅首相が原発事故の深刻さを思わず漏らし「最悪の事態となったとき東日本はつぶれる」と漏らしたことに対して「菅首相は歩く風評被害だ」と呼号し、危機を語ることそのものにものすごいバッシングを加えたからです。
こうした言説は何回か繰り返されましたが、中でも2011年4月22日の記事が顕著です。タイトルは「『東日本つぶれる』『20年住めない』…首相は『歩く風評被害』」です。
記事には次のようなことが書かれています。


「「思いつき」だけの軽はずみな発言を続ける首相はもはや「歩く風評被害」というほかない。
 「最悪の事態となったとき東日本はつぶれる」
 「(福島第1原発周辺は)10年、20年住めないのかということになる」
 これまで首相はこんな風評を流した。行政の長でかつ「ものすごく原子力に詳しい」と自負する人がこんな無責任な発言をすれば、国内外で「日本、特に福島県の製品・産品は危険なのではないか」と不安が広がっても仕方あるまい。」
 (引用はブログ「阿修羅」の掲載された当時の産経新聞より http://www.asyura2.com/11/senkyo112/msg/141.html


しかしこれは福島第一原発所長であった吉田氏自身が認識していたことがらなのです。吉田調書では3月14日に原子炉2号機の注水がうまくいかなかった瞬間をめぐって吉田所長がこのように述懐していたことが記されています。


 「2号機はこのまま水が入らないでメルト(ダウン)して、完全に格納容器の圧力をぶち破って燃料が全部出て行ってしまう。そうすると、その分の放射能が全部外にまき散らされる最悪の事故ですから。
 (旧ソ連の)チェルノブイリ(原発事故)級ではなくて、チャイナシンドロームではないですけれども、ああいう状況になってしまう。そうすると、1号、3号の注水も停止しないといけない。これも遅かれ早かれこんな状態になる」
 「結局、放射能が2F(福島第二原発)まで行ってしまう。2Fの4プラントも作業できなくなってしまう。注水だとかができなくなってしまうとどうなるんだろうというのが頭の中によぎっていました。最悪はそうなる可能性がある」
 「3号機や1号機は水入れていましたでしょう。(2号機は)水入らないんですもの。水入らないということは、ただ溶けていくだけですから、燃料が。燃料分が全部外へ出てしまう。プルトニウムであれ、何であれ、今のセシウムどころではないわけですよ。
  放射性物質が全部出て、まき散らしてしまうわけですから、われわれのイメージは東日本壊滅ですよ」
 (引用は東京新聞2014年9月12日 吉田調書要旨より http://www.tokyo-np.co.jp/feature/tohokujisin/archive/yoshida-report/04.html

吉田所長ははっきりと、チェルノブイリ級事故を越えてしまう可能性を述べています。東日本壊滅がイメージされていたのです。
当時の菅首相が漏らした言葉は、こうした現場指揮官の認識と一致していたのであって、マスコミに問われたのは、菅首相に発言の根拠を根掘り葉掘り問いただし、私たちの国、住民が直面している真の危機を明らかにすることでした。
ところがどのマスコミもそうした方向性をとらなかった。そればかりか産経新聞は、こうした認識を表に出そうとする動向そのものを激しく攻撃し、バッシングし、危機を表に出させまいと奔走したのです。
ここに働いていた深層心理は、原子力村の意をくむなどといったレベルを越えて、自分に都合の悪いことは一切見たくない、東日本壊滅の危機などに向かいあいたくないといった世俗的な自己防衛心理だったと僕には思えます。

そして当時、多かれ少なかれマスコミの多くがこうした態度に与してしまい、政府の安全宣言の無批判的垂れ流しに終始していました。産経新聞はその悪質な最先端を走っていたわけですが、これに比して「革新勢力」の中でも、東日本壊滅の危機をきちんととらえ、立ち向かうことを訴えていた人々はほとんどいませんでした。
いやこのことは過去形ではありません。当時からすれば危機の度合いはかなり減ったと言え、未だに福島第一原発は瀕死の状態が続いているのです。確かに4号機のプールは燃料棒の8割が降ろされその分危機が小さくなりました。それ自身はとても好ましいことではあるけれども、まだ1号機から3号機に合計で約1500本の燃料棒が入ったままです。
しかも1号機から3号機は放射線値が高すぎて人が入ることすらできない。この様な状態のプラントを東日本大震災の大規模余震が襲ったらどうなるのか。いや統御できない地下水のせいで地盤が緩んでおり、もっと小さな地震で原子炉建屋が倒壊してしまう可能性もあります。つまり危機が去ったとはまだ全く言えないのです。
しかし残念なことにこのことを強調する政党は一つもありません。いわんや関東・東北を中心に広域の避難訓練をやるべき必然性を語っている人士は極めて少ない。未だこの国は巨大な正常性バイアスに覆われているのです。その歪んだ心理状態の中でこそ、無謀過ぎる原発再稼働も進められようとしています。

これに対して吉田調書の読み解きは、何よりも事故ときちんと向き合ってこれなかった、私たち日本社会の総体を問い直す形でこそ進められなければならないと僕は思います。過ぎ去った過去を分析するのではなく、現に私たちの目の前にある危機への認識をこそ、この中で進めていかなければならない。
それはマスコミに即して言えば、当時の報道の誤りを検証することにも直結します。それこそ産経新聞は、当時の大誤報を、この間の朝日新聞にならって捉え返し、真摯に謝罪すべきです。
「国を守る」というのならこれこそが一番大切な道です。福島原発が倒壊してしまったらどんな軍事兵器を持っていたって何の役にも立ちはしない。危機を全国津々浦々で認識し、全住民の事故に立ち向かう一致した意志を作り出し、役に立たない軍事予算やあらゆる技術をフクイチに投入してこの絶大な危機の除去に努めるべきなのです。
しかし残念ながら、ほとんどのマスコミも政党もこうした丹力を持っていない。そのことは、瀕死の原発を抱えた日本で、原発はコントロールされているという大嘘でもぎ取ったオリンピックを開催することに同意してしまっていることに現れています。しかし真に国難を考えるなら、オリンピックなどやっている場合ではない。すべての力を原発事故の真の収束と被曝防護に向けるべきです。

私たちは、この日本を覆う正常性バイアスこそが、私たちにとっての巨大な危機そのものであることを十分に認識する必要があります。
こうした観点に立ち、吉田調書を主体的に読み解き、何をなすべきかをつかんでいくことが必要なのです。このことに踏まえ、次回から、吉田調書のより詳細な読み解きを試みたいと思います。

続く

 


 

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明日に向けて(937)産科医不足、福島など9県で「危機的状況」!

2014年09月21日 23時00分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20140921 23:00)

何とも重いニュースが飛び込んできました。産科医が全国的に不足を強めており、福島など9県で危機的状況だというのです。
これを報じた読売新聞の記事のタイトルをそのままブログのタイトルに拝借しました。以下、まずは記事をお読み下さい。

***

産科医不足、福島など9県で「危機的状況」
読売新聞 9月20日(土)19時41分配信
http://www.yomiuri.co.jp/national/20140920-OYT1T50035.html
 
当直回数が多く、成り手が不足している産科医について、都道府県間で最大2倍程度、産科医数に格差が生じていることが日本産科婦人科学会などの初の大規模調査で分かった。
福島、千葉など9県では、35歳未満の若手医師の割合も低く、将来的な見通しも立たない危機的状況にあると報告されている。

全国9702人の産科医の年齢(今年3月末時点)や、昨年の出産件数などを調べた。人口10万人当たりの産科医数は、茨城が4・8人で最も少なく、最も多い東京と沖縄の11・1人と倍以上の開きがあった。
また調査では、35歳未満の割合、産科医1人当たりの出産件数など6項目で全体的な状況を見た。福島、千葉、岐阜、和歌山、広島、山口、香川、熊本、大分の9県は6項目全てが全国平均よりも悪く、「今後も早急な改善が難しいと推測される」とされた。
中でも福島は、産科医が人口10万人当たり5人(全国平均7・6人)と2番目に少なく、平均年齢は51・5歳(同46歳)と最も高齢で深刻さが際だった。東日本大震災や原発事故も影響しており、同学会は昨年5月から全国の産科医を同県内の病院に派遣している。
調査をまとめた日本医大多摩永山病院の中井章人副院長は「国や各自治体に今回のデータを示し、各地域の対策を話し合いたい」と話している。

***

産科医が不足していて危機的状況になる・・・このことはすでにかなり前から予測されてきたことです。僕もこのことを「明日に向けて」に連載したことがあります。
2012年12月4日から13日にかけて5回にわたってアップしましたが、実はこれらの記事のベースにしたのは、僕が同志社大学社会的共通資本研究センターで「社会的共通資本としての医療」の研究をしていた2008年ごろにまとめた論考でした。
そのためデータがやや古いのですが、産科医療、いや医療全般に対する社会的資本の振り向けがその後も充実せず、また医療をとりまくさまざまな問題も解決されずにきたので、あの頃分析した問題がそのまま拡大してきてしまった観があります。

その上に2011年に東日本大震災と福島原発事故が襲ってきたのです。東北・関東の医療、および福祉体制が大変なダメージを被ったのは間違いありません。このダメージは徐々に全国の医療体制に波及しつつあり、医療崩壊を進めつつあると思えます。
なかでも福島の子どもたちの甲状腺がんの多発に明らかなような放射線被曝の影響が現れていながら、国が一切、原発事故の影響を無視しているがゆえに、現場の医師や看護師、コメディカルスタッフに、さまざまな矛盾が押し寄せているのは間違いありません。
そればかりではありません。最近、よく耳にするのが東北・関東の医療者の西日本への避難です。僕の周りでも「患者さんに出す薬の種類をみていて事故後の変化に気がつき、恐ろしくなって西日本に避難した」と語る薬剤師さんや、同じようなことを感じて避難されてきた臨床検査技師さんがおられます。

読売新聞の記事の中にも「東日本大震災や原発事故も影響しており」とあります。それ以上具体的な内容が書かれておらず、また日本産科婦人科学会の調査の原本をまだ入手できていないので詳しいことがよく分からないのですが、ともあれ福島県の産科医不足のことが大きく取り上げられているのが印象的です。
僕自身はそれまでの産科医療の悪化の上に、放射線被曝が重なってしまっているのだと推測しています。というのは福島県では2004年に県立大野病院産婦人科でおきた医療事故に対し、2006年に医師が逮捕され、2008年に禁固1年の論告求刑を受けるという衝撃的な事態があったからです。
この際には弁護団の懸命な弁護活動や、日本産科婦人科学会をはじめ、関係諸機関が一斉に医師救済のための声明を出すなどする中で、無罪判決が勝ち取られたのですが、これを前後して、とくに大野病院に近いいわき市などで産科が激減してしまう事態が引き起こされてしまいました。

というのは、それまでも疲弊を重ねていた産科で起こった医療事故に対し、司法権力が無慈悲な介入をしたため、過酷な医療現場をものすごい努力で下支えしてきた医師たちの多くが燃え尽きてしまい、現場から去ってしまったのですが、今、これと同じこと、もっと深刻なことが起こっているのではないかと思われます。
とくに被曝の影響を一切政府が認めないでいること。またいつまでたっても復興が進まない東北・関東沿岸部の諸都市の実情を顧みることなく東京オリンピックが誘致され、復興の面でも被災地が見捨てられていく中で、どんどん医療界の疲弊が深まっているのだと思われます。非常に憂うべきことです。
どうしたら良いのか。まずはぜひとも今の医療を取り巻く過酷な現状について1人でも多くの方に知っていただき、それぞれが自分のできる医療者へのサポートを初めることだと思います。もちろん医療予算の拡大を訴えることを前提にした上でです。

何よりも実情を知ること、知らしめることが大事です。その上でそれぞれの地域で医師、看護師、コメディカルスタッフを守っていく必要があります。
僕自身はそのためにも、患者となる私たちの側が医療に対してもっと能動性を持ち、自らが自らを治していく観点や知識をつかみとっていくこと、またその延長としてそもそも病にかからない知恵をもっと身に付けていくことが必要だと思っています。
その学びのためにも、まずはどんどん疲弊を深める医療界の現状を、多くの方に自らの問題としてつかんで欲しいのです。

こうした観点のもとに2012年12月に連載した「放射能時代の産婦人科医療」をご紹介しておきます。5回もので長いですが、ぜひ読んでいただきたいです。
また産科の医療者の方に、いや産科にとどまらずあなたの周りにいる医師、看護師、コメディカルスタッフと接する時に、自分が医療界を支える問題意識を持っていることを伝えていただきたいです。それだけでも間違いなく一歩前進になるからです。
社会的共通資本としての医療を、みんなの力で守っていきましょう!これもまた急務です!!

*****

明日に向けて(591)放射能時代の産婦人科医療(1)・・・あゆみ助産院でお話します(12月6日)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/a6b6138bf790e4d6e5ffbecf94faa19d

明日に向けて(592)放射能時代の産婦人科医療(2)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/bbdd3ee1f3efec94ec2439eb36b87a90

明日に向けて(594)放射能時代の産婦人科医療(3)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/92ef50cf2aac2bd4d2582c8b18d78a9b

明日に向けて(595)放射能時代の産婦人科医療(4)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/a735501f3411084398b72a61c8cb521e

明日に向けて(598)放射能時代の産婦人科医療(5)・・・完結
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/6d50932835332ba9effa17d95bb0b81c

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明日に向けて(936)満蒙開拓平和記念館(伊那谷)のこと(3)

2014年09月20日 21時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20140920 21:30)

今回も満蒙開拓平和記念館のお話の続きです。
(なお、前二回の記事においてこの記念館の名を「満蒙開拓記念館」と書いてしまいましたが、正しくは「満蒙開拓平和記念館」です。「平和」の文字は重要です。欠落させてしまい申し訳ありません。ブログ上の前2回の記事を訂正させていただきます)

これまで記念館の創設に尽力された寺沢秀文さんが、開拓団に参加されたお父さんが下伊那に帰還されて以降、寺沢さんに語られた反省を心のバネにされて尽力されてきたことを紹介してきました。
日本の歴史と向き合うことのできない一部の人々は、こうした反省を「自虐史観」と呼びますが、何が自虐なものか。過去の過ちを己の労苦を越えて捉え返し、素直に語ることができることはむしろ最も尊いことです。そこには人間的英知と真の強さ、優しさがあります。
私たちが享受してきた戦後日本の平和は、こうした人々の心根によってこそ維持されてきました。
今、この時に私たちは、戦争を繰り返してきた現代世界の中ではまれといってよい努力で自らの過ちとともにかつての悲劇を捉え返そうとしてきた営為に深く学ぶ必要があると思います。その点でもこの記念館の創設にいたる経緯には感嘆するものがあります。

すでにお伝えしたように、日本の国策としての満州国創設とそのものでの満蒙開拓団に、全国で最大の人員である33000人を送りこんだのが長野県であり、その中でも飯田・下伊那地区はその四分の1の8400人を送り込んだのでした。
戦後になって中国への侵略を捉え返し、痛みを和らげ、中国残留孤児の帰還を果たそうとの思いで、全国に数多くの日中友好協会が作られましたが、その中でも「活発な活動ぶりと会員数は全国屈指」であったのが長野県日中友好協会だったそうです。そしてその中心を担ってきたのが飯田日中友好協会でした。
これにはさらに深い経緯があります。というのは戦後しばらくして、中国側に残留孤児の帰還を求めたところ、「その前にやるべきことがあるはず」という答えが返ってきたのだとか。戦争中に日本に強制連行され、ダムや鉱山などで働かされた亡くなっていった中国人たちの遺骨収集、慰霊、送還が求められたのです。
飯伊地方でも天龍村の平岡ダム建設現場で、中国人が強制労働を強いられ80人が犠牲になっていました。この遺骨収集と慰霊を行うために組織されたのが飯田日中友好協会の前進の長野県日中友好協会下伊那支部だったのでした。

支部長になったのが、後年、記念館が建てられることになった阿智村の元村長であり阿智郷開拓団として満州にも渡られていた小笠原正賢さんでした。事務局長を務めたのがやはり後年「残留孤児の父」と呼ばれるにいたる阿智村長岳寺住職である山本慈昭さんでした。
山本さんもまた満州に渡っていました。学校教師であった彼が渡満を頼まれたのは1945年のこと。現地についたわずか3か月後にソ連軍侵攻のもとでの悲劇に巻き込まれ、逃避行の中でソ連軍につかまり、抑留されてしまいした。
2年後に帰国した山本さんを待っていたのは、妻と2人の娘が現地で亡くなったという知らせでした。さらに阿智郷開拓団215人のうち、帰国できたのは山本さんを含めてわずか13人という過酷な現実でした。この苛烈な体験をした人々がまず始めたのが強制連行された中国人労働者の遺骨収集と慰霊だったのです。
その深き思いに胸を馳せると思わず涙が出てきてしまいます・・・。

山本さんのこれらの体験は『望郷の鐘 中国残留孤児の父・山本慈昭』(和田登著)という書物にまとめられましたが、実は今、この本を題材とした映画製作が進められており、来春に公開を迎えようとしています。
公式サイトがあるのですが、この中の「物語・解説」の項を見るとあらすじが出てきます。これによると実は山本さんの娘の一人は亡くなってはおらず中国人に預けられていたことが後年になって分かったのだそうです。
中国人労働者の遺骨収集と慰霊、送還を終えたのちにこのことを知った山本さんは、以降、すべてを残留孤児の帰国事業に捧げられるようになり、たくさんの遺児の帰還に貢献されるとともに、晩年についにご自身の娘さんとの再会をも果たされました。
この山本さんの半生を描いたこの映画の公式サイトと監督によって書かれた「製作意図」をご紹介しておきます。製作意図も素晴らしいです。

***

『望郷の鐘』-満蒙開拓の落日
http://www.gendaipro.com/bokyonokane/

「製作意図」 映画監督 山田 火砂子
この作品は、平成26度には完成し上映致します。何故今、満蒙開拓団の映画かと申しますと、日本が昭和二十年八月十五日に第二次世界大戦に負けた事は、ほとんどの方が知っていると思います。
東京他、都市という都市は昭和二十年三月十日の東京大空襲以後空襲によって壊滅状態になり、おまけに八月六日・九日と広島・長崎と原子爆弾を落とされ、戦争に負けました。
なのにその昭和二十年五月一日長野県より、東京は六月末に、その他の県からも中国大陸の一部の満州に疎開と称して出かける日本民族…知らないという事は恐ろしい事です。
満州に行けば平和がまっているという話に乗せられて出かけていきました。その行った方々ほとんどの方々は亡くなりました。死ぬために出かけていく死の旅に…知っていたら行く人はいません。
福島の原発も絶対安全と言ってますが、本当に安全なのでしょうか?しっかり自分の目を開いて、自分の子や孫に迷惑がかからないようにと思ってます。
又「遠くの親戚より近くの他人」という昔からある言葉のように、近くの中国とは仲良くして頂きたいと思い、この映画を製作致します。今満州に疎開したと言ったら笑い話です。原発は、安全だと信じたのよ。と言って、五十年後に笑い話にならないようにと思います。
この映画製作の基金の為に協力券や以前に作ったDVDを販売しております。ご協力をお願い致します。

***

そうです。私たちの国では今、福島原発事故で同じようなことが繰り返されつつあります。いや、絶対にこのまま繰り返しで終わらせてはならない!そのためにも私たちは満蒙開拓団の悲劇とその捉え返しのすべてを主体的に学ぶ必要があるのです。その中で私たちの英知が磨かれるからです。
満蒙開拓平和記念館の設立過程に話を戻しましょう。前回、満蒙開拓団に関する資料館がこれまで作られてこなかった根拠を寺沢さんが述べている個所を引用しました。悲劇でありながら侵略の一環でもあった満蒙開拓を捉え返すのは「パンドラの箱」を開ける側面があったことがその理由の柱でした。
実際に設立にあたっても、「当時の人々は国策に従い、大変な苦労をしたのだから、一概に責めることはどうか」という意見が多く寄せられたそうです。
他方で記念館が、旧満州や満蒙開拓を美化したり正当化する施設になってしまうのではないかという懸念も寄せられました。また実際にそのような声はなかったそうですが「自虐史観だ」という批判が来る可能性も懸念しなければなりませんでした。

寺沢さんはこうした様々な意見に応対しつつ、記念館創設の意義を以下のようにまとめておられます。
「私たちは、旧満州の地に散った人々のことを否定したり、非難したり等するものではなく、国策に翻弄されながらもそこに懸命に生きた人々があったという史実をきちんと語り継ぐと共に、
同時に残念ながら、その満蒙開拓自体は歴史的には誤りであったという事実、現地中国の人々を始め多くの犠牲を強いた上でのものであったという事実をきちんと受け止め、二度とあのような不幸な犠牲者を出さないようにと語り継いでいくことが、旧満州の地に散った多くの犠牲者に対する鎮魂であると思う。」
(引用は論文「語り継ぐ『満蒙開拓』の史実」 雑誌『信濃』第65巻第3号 p213より)

また記念館の設立にあっては、中国側の反応へも深い配慮が重ねられました。とくに思案のまととなったのは「満蒙開拓」という名を冠することに関してでした。
繰り返し述べてきたように、「満蒙開拓」の実際は侵略行為でしかありませんでした。農地の略奪を「開拓」と置き換え、送り込む人々をも騙して強行された侵略でした。そのため中国側では「開拓」という言い方にも反感が持ちあがるかもしれない。
実際、中国では「満州国」も認められておらず「偽満」と呼称されているのだそうです。そのため「満蒙移民」に置き換えるなどの案も検討されたそうです。
しかし現にあったことを伝えるためには、当時、問題のあった呼称をあえてそのまま使う必要がある。ただし「満蒙開拓を美化している」という誤解を避けるためにも「平和」の言葉をいれようとのことで、今の名に落ち着いたのだそうです。

ちなみに今回の記事の冒頭にも書きましたが、僕はこの記念館の名を決めるに際してのこうした検討事項を十分に読み解けなかったこともあって、前二回の記事で「満蒙開拓記念館」と「平和」を抜かして紹介してしまいました。
記念館の創設に尽力した方々に申し訳ないことでした。ここであらためてお詫びして訂正させていただきます。前2回の記事では説明は入れず、本日、訂正を入れたことのみを記しておきます。
また「平和」を冠するなら、記念ではなく祈念とした方が良いのではという意見もあったそうですが、あくまでも史実に学ぶことを主軸とするため、「記念」とされたことも付記しておきます。
設立にいたる経緯とさまざまな配慮に関して、短くまとめて説明せざるを得なかったので、お時間のある方は、ぜひ寺沢さんご本人の論文にあたられてください。


さて記念館をめぐるこの記事をそろそろ締めたいと思いますが、終わりに寺沢さんの論文の「最後に」と題された章の中の言葉を引用しておきます。記念館設立のために苦労を重ねられ、会社に泊まり込んで深夜一人で資料作成などをしているときに沸々と涌いてきた思いだそうです。
「国策で進められた満蒙開拓であるのに、何故、民間人である我々が、無償ボランティアで、夜も眠れず、家にも帰れずにこうして時間を割かなくてはならないのか。開拓団を送りだした国は行政や教育界は一体何をしているんだ。」
寺沢さんはそれを「義憤にも似た怒り、やるせなさであった」と述懐されています。しかしそれでも記念館設立に関わられた人々から一度も「もう止めよう」という言葉はでなかった。そうしてついに開館にこぎつけたのでした。
寺沢さんは以下のようにこの論文を結ばれています。「開館の暁には、これまでの体験等も活かし、小さくともキラリと光る記念館として、この伊那谷の地から世界に向けて平和を発信していこうとスタッフ一同思いを新たにしているところである。開館の暁にはどうか多くの方々にご来館頂きたいところである。」(p222)

安倍政権は今、かつての侵略の歴史のもみ消しにやっきになっています。「慰安婦問題」=旧日本軍性奴隷問題を、朝日新聞の一部の誤報にかこつけて、あたかも全く無かったかのようにしようとしています。
侵略の事実の隠蔽が伴うのは、その侵略に騙されて動員され、塗炭の苦しみを受けた私たちの国の民の苦しみや悲しみのもみ消しでもあります。しかも安倍政権は、この苦難を本当に深いところから捉え返し、その中でこそ真の平和を模索しようとしてきたこの国の人々の尊い営為をも踏みにじろうとしているのです。
僕は思います。「そんなに簡単に踏みつぶされてたまるか!」と。「誠実に真剣に血のにじむような努力の上に重ねられてきた歴史の振り返りの力をなめるんじゃない!」とも。とても強く思います。
「慰安婦」問題だけではない。満蒙開拓の過ちもしっかりと歴史の中に記されてきたのです。そしてその中から私たちは平和力とも言えるべきものを培ってきたのです。過去の過ちを捉え返してきたこうした奇跡を僕はとても誇らしく思います。山本さんや寺沢さんのような人々こそが世界に平和を与えてきてくれたのです。

その想いが中国の多くの人々とも深く重ねられてきたことを私たちはしっかりとつかみとっておきたいと思います。何より侵略を受けた中国の人々が各地で日本人残留孤児をかばい、匿い、育ててくれた歴史が横たわっています。
互いが受けた戦争による痛みをシェアする営為がすでにして両国の庶民の間でたくさん積み重ねられてきたのです。そのほんの一部が『大地の子』などに表現されてきました。
こうした日中双方の人々によって重ねられてきた真の友好の歴史を踏みにじらんとする安倍政権の姿勢は天に唾する行為です。人々の真心を踏みにじるこの政権の横暴を、歴史の重みにかけて打ち破っていきましょう。満蒙の地に散ったすべての国の犠牲者の魂がきっと私たちの味方をしてくれるはずです。
みなさん。どうか伊那谷を訪れたときはぜひ「満蒙開拓平和記念館」にお立ち寄りください。また映画『望郷の鐘』をぜひ観覧しましょう。たくさん流された汗と、血と、涙を受け止めて、平和の道を歩んでいきましょう!

「満蒙開拓平和記念館」に関する連載を終わります!

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