明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(909)なぜ停戦だけでは不十分なのか(ラジ・スラー二さん。岡真理さん翻訳)

2014年08月04日 12時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)
守田です。(20140804 12:30 トルコ・シノップ時間)
 
トルコのシノップ・ゲルゼ町のホテルからです。
一昨日2日、ゲルゼに到着し、役所の方が用意してくださった素敵なホテルに滞在しながら、この町で二日間にわたって行われた夏祭りに参加し、その一環として、昨夜、町主催の反原発企画に参加しました。講演とパネルディスカッションに参加しました。たくさん集まったみなさんが大きな拍手で応えてくださいました。
今日は正午過ぎにゲルゼ町を後にして20キロ離れたシノップ中心街に移動します。夕方にシノップのテレビに出演する予定です。
 
大変、実りの多い時を過ごしており、ご報告したいことが山のようにあるのですが、今回はその前に、伝えることができずにとてもやきもきしていたパレスチナ情勢について記事を配信させていただきます。それも申し訳ないですが、連続5本の投稿をさせてください。すべて現地からの言葉やガザの人々を守ろうとする通信などを、京都の岡真理さんが翻訳されたものです。岡さんは独自のHPなどをもたれておらず、懸命になってさまざまにMLに連続投稿をされているので、少しでもWeb上に残る形にしたいのです。いずれも非常に価値の高い発信となっています。お時間のない方は後でまとめ読みされるのも良いかと思いますし、先々、この問題を振り返るためにも活用できると思います。
 
今、私たちにできることは、イスラエルの戦争犯罪に批判の声を上げ続けることとともに、パレスチナについて歪められた事実を把握し、問題のごまかされ方をおさえ、問題を正しく見る目を養うことです。僕はそのことが最終的にイスラエルの戦争犯罪を止め、さらに裁くことにもつながると確信しています。連投はとても申し訳ないですし、岡さんからのML配信と重複される方もおられるかと思いますが、どうかご理解ください。
 
なお今回紹介するラジ・スラー二さんの8月3日の発表によれば、パレスチナの死者は1817人であり、そのうちの1545人、85%が民間人だそうです。信じがたい数字です。戦争における民間人の殺戮は明確に戦争犯罪だからです。さらに僕は残りの15%の人たちの殺人も違法だと思っています。起こっていることはイスラエルの国際法を完全に無視した攻撃なのであり、ハマースの人たちはそれこそ国際法的に認められている「自衛権」を行使しているのに過ぎないのだからです。
 
もちろんあらゆる正義と平和と公正をめざす運動から、いっさいの暴力が無くなって欲しいと僕は切望しています。しかしそれは少なくとも今の世界で、建前的にせよ唯一認められている正当防衛の権利を放棄する中で実現されることです。世界を多くの人々とともにそこまで持っていきたいと思いますが、そのためにはまずは理不尽な、犯罪としての暴力をなくさなければ前に進めません。
 
今回、紹介するラジ・スラー二さんも、「停戦だけでは不十分」というタイトルにあるように、パレスチナで行われている理不尽な構造的暴力を無視する形で、とにかく停戦をという国際世論にありがちな見解への説得力のある反論をされています。ぜひここを読み取って欲しいと思います。これを読まれているあなたが、あらゆる暴力を嫌う方であるならば、なおさら、パレスチナの人々が何に抵抗しているのかを一緒につかみとっていただきたいです。
 
以下、岡さんの努力・奮闘に感謝しつつ、記事の連投を行います。
 
*****
 

京都の岡真理です。
攻撃27日目、ガザ地区南部、ラファでの攻撃で、死者の数は合計1800人を越えました。(日本の人口比に換算すると12万人以上です。)

ガザがパレスチナ人権センター所長、人権弁護士のラジ・スラーニさんの文章「なぜ、停戦だけでは十分ではないのか」をご紹介します。

文中、「ガザ・ドクトリン」という言葉が出てきます。これは「ダーヒヤ・ドクトリン」とも言われるもので(「ダーヒヤ」とはアラビア語で「郊外」の意味)、2006年夏、イスラエルがレバノンを攻撃する際に、用いた戦略
です。すなわち、人口が密集したベイルートの郊外の住宅地を、攻撃対象には不釣り合いな破壊兵器で攻撃することで、一帯を大規模に破壊する戦略です。2008-09年のキャスト・レッド作戦以降、この「ダーヒヤ・ドクトリン」が一貫して、ガザに対して使われてきました。

この二日間、集中的な攻撃に見舞われたガザ地区南部、ラファの写真を見ると、大津波で何もかも流されてしまった被災地のような状況を呈しています。

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http://electronicintifada.net/content/why-gaza-ceasefire-isnt-enough/13692

なぜ、停戦では十分ではないのか

ラジ・スラーニ

エレクトロニック・インティファーダ / 2014年8月3日

ガザ地区を襲っている死と破壊を、言葉で言い表すのは不可能だ。
ここガザで座っていても、何が起きているのか理解することさえ難しい。

先週、私たちはまたも、民間人が避難していた国連施設への攻撃――17名が亡くなり、120名が負傷した――を、そして、停戦中のはずの時間にシュジャイヤ地区の市場に対してなされた攻撃――18名が亡くなり、200名近くが負傷――を目撃した。

今日、ラファでは、イスラエルはまたも、何千人もの人々が避難しているUNRWA、すなわち国連パレスチナ難民救済事業機関が運営する学校を砲撃し、10名が殺された。イスラエルを滅多に非難しない合衆国の国務省さえ、この攻撃を「おぞましい」「恥ずべきこと」と呼び、非難声明を発表した。

これは悪夢だ。だが、それは、私たちが目覚めることのできない悪夢なのだ。

人口が密集した民間エリアと住宅を違法に標的とするイスラエルのガザ・ドクトリンは底知れぬ恐怖を与えている。

イスラエルはハマースに対し政治的圧力をかけるために民間人を意図的に懲罰している。イスラエルは、ガザ地区の180万の市民を集団的に懲罰しているのである。それ以外に以下の統計をどう説明できるだろう?

パレスチナ人権センター(PCHR)が集めた最新の数字によると、1817名のパレスチナ人が殺された。うち1545人――85%という信じがたい比率だ――が民間人、国際人道法で「保護されるべき人々」である。

何十万もの民間人が家を追われた。退避しろと命令されてのことだが、しかし、避難しようにも安全な場所などどこにもないのだ。民間人が避難している国連のシェルターは繰り返し標的とされた。発電所さえ破壊された。[電気がなくて]私たちの病院はどうしたら機能するのか。下水処理場は?安全な飲み水をどうやって手に入れたらいい?

■私たちの要求

この事態の真っただ中にあって、私たちは暴力が終わることを欲する。この恐怖、この苦しみが終わることを欲する。あまりに多くの子どもたちが死んだ。戦争犯罪が、私たちの日常的な現実になってしまった。

だが、停戦だけでは十分ではない。

私たちは、ジャスティスを要求する。[イスラエルが]責任をとることを要求する。私たちは、人間として遇されることを、私たちの生得の、人間としての尊厳が認められることを要求する。私たちはガザ地区の封鎖が終わることを要求する。

過去7年間、イスラエルはガザ地区を完全封鎖してきた。国境の扉を閉じ、イスラエルはガザを徐々に窒息させてきた。意図的な反開発のプロセスに私たちを従属させてきた。

目下の攻撃が始まる前、住民の65%が無給ないし失業状態だった。85%が、国際機関が配給する食糧に依存していた。ガザ地区では受けられない救命治療を必要とする患者たちは、ガザ出域許可の発給を拒まれ、死んだ。

封鎖下で生きること、それは[人間の]生ではない。私たちは、この現実に戻ることはできない。私は、さらに7年間、同じように生きることなど想像できない。封鎖は、希望がないことを意味する。ガザの若者たちに未来がないことを意味する。仕事もない。ガザを離れるチャンスもない。戦争になっても、私たちは逃げることができない。

だが、封鎖は、ガザ地区の現実の半分に過ぎない。もう半分は、法の支配がまったく存在しないことだ。戦争犯罪があっても、不処罰が繰り返されてきた。封鎖それ自体が戦争犯罪だが、これは、イスラエル政府の公式政策なのだ。

封鎖に加え、絶えず攻撃にさらされ、大規模な攻撃が頻繁に起こる。今回の攻撃は、封鎖が始まって以降、3回目の大攻撃だ。文字どおり何千人もの民間人が殺されてきた。さらに何千軒もの家や生活が破壊されてきた。

■完全な不処罰

これらの戦争犯罪が起きても、まったく裁かれることはなかった。キャスト・レッド作戦――2008年12月27日から2009年1月18日まで続いた大攻撃――のあと、PCHRは1046名に関して490件の刑事告訴を行った。それに続く5年間、回答があったのは44件だけだ。イスラエル当局は、残りの446件については回答しないことに決めたのだ。

その結果は?

兵士1人がクレジット・カードを盗んだ廉で7カ月の懲役判決を受けた。
兵士2人が9歳の少年を人間の盾に使ったことで有罪判決を受けた。それぞれ3か月の執行猶予。
兵士1人が、白旗を掲げていた一団に発砲し、女性2名を死に至らしめた件では、「火器の誤用」で有罪判決。45日間の投獄。

ここに公正さ(ジャスティス)など欠片もない。これらの絶えざる戦争犯罪の衝撃の大きさと、にもかかわらず結果的に処罰がなされないことが、私たちの尊厳そのものを否定し、私たちの人間としての価値を否定している。これらの判決は、私たちの命など聖なるものではないと言っているのだ。私たちなど取るに足りないものだと。

このような現実が存在するなかで、私たちの要求は過大なものではない。非現実的でもない。私たちは、平等な存在として扱われたい。私たちの権利を尊重し、それを守ってもらいたいのだ。私たちは国際法が、イスラエルにもパレスチナにも、イスラエル人もパレスチナ人にも平等に適用されることを求める。国際法の支配が実行されなければならない。その侵犯に責任のある者たちのすべてが、その責任を問われねばならない。

私たちは、戦争犯罪の疑いのあるものが調査され、それについて責任のある者が起訴されることを求める。これは不当な要求だろうか?

私たちは、この封鎖が終わることを欲する。イスラエルの封鎖政策の違法性は疑う余地がない。滅多にないことだが、国際赤十字はその公式声明の中ではっきりと、イスラエルの封鎖政策は集団懲罰であり、国際法を侵犯していると明言している。この政策が何をもたらしたかは、ガザ地区の現実を見れば明らかである。

私たちは、封鎖が解除されることを求める。私たちは、人間として尊厳をもって生きる機会が欲しい。これは、不当な要求だろうか?

これは政治的要求ではない。人間として扱ってほしいという要求である。

停戦だけでは十分ではない。停戦だけでは、この苦しみは終わらない。爆撃によって死ぬ恐怖が、じわじわと首を絞められて死ぬ恐怖にとって代わるに過ぎない。私たちは、イスラエルが好きな時に残忍な破壊攻撃でガタガタ言わせる檻の中の囚人に戻ることは出来ない。

[翻訳:岡 真理]
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以上

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