お江戸・尾張・・・そして九州放浪記

2006年江戸へ、2012年3月に尾張へと単身赴任が続き2014年3月末で退社して九州に帰ってきました、放浪は続きます。

JRウォーキング:「唐津の歴史「おひな様」と新発見「グルメ」ウォーク」

2017年02月26日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日はJRウォーキングに参加することにしました。

けやき台駅から博多駅~唐津と、約2時間かけてスタートの唐津駅に着きました┐(´ー)┌ フー
受付でコース図をもらい・・・線路沿いに同じ電車で降りた人たちと歩いていきます。

右手に曲がると直ぐに神社があり・・・先には長い塀が続いています・・・ここはお寺が続いているようです・・・バス停は坊主町となっていました(´ー`)フッ

最初に着いたのは埋門ノ館です。
【埋門ノ館】旧唐津藩時代の名称を使用したもので、この館は茶道、華道、舞踊、能など市民の文化及び社会教育活動の場として利用していただくために建てられたものです。白壁の築地塀に囲まれた武家屋敷風の木造平屋建てで、クロマツやモミジなどを植栽した日本庭園を備えた、城下町「唐津」を忍ぶにふさわしいたたずまいとなっています。なお、施設内の見学のみは無料となっております。


中にはお土産などが売られています、高い建物には曳山が展示されるようになっていますが、今は別の展示場に置かれているようです。

少し歩いていると昔の堀の石垣が残っています・・・その先に埋門の館館がありました。

【埋門ノ門】旧唐津藩時代の名称を使用したもので、この館は茶道、華道、舞踊、能など市民の文化及び社会教育活動の場として利用していただくために建てられたものです。白壁の築地塀に囲まれた武家屋敷風の木造平屋建てで、クロマツやモミジなどを植栽した日本庭園を備えた、城下町「唐津」を忍ぶにふさわしいたたずまいとなっています。




中には唐津の歴史に関するものが展示されていましたが、私は焼塩壺が気になりました。

これには大阪の堺を中心に作られたもので粗塩を2次焼成して苦汁を除き良質な塩にしてそのまま容器(食卓塩)にして使われたものです・・・唐津は大阪と盛んに交流があったようです。

畳の上には豆雛や箱雛など江戸時代の物から色々と展示されています。



奥の部屋ではマジックをしていて沢山の人が見学しています。

少し歩くと唐津神社に着きました。

【唐津神社】社伝によれば、三韓征伐に際して航海の安全を住吉三神に祈願した神功皇后が、帰朝の後に報謝のため松浦の海浜に宝鏡を縣けて三神を祀ったのに起源を持ち、天平勝宝7年(755年)に、時の領主であった神田宗次が神夢により海浜に赴くと、漂着してきた宝鏡入りの筺を得たので、神功皇后の捧げた鏡であろうと帝に奏聞したところ、9月29日に「唐津大明神」の称号を賜ったという。文治2年(1186年)、宗次の後裔を称する神田広(実は源久の5男)が社殿を造立して神田を寄進し、神田宗次の霊を合祀したという。慶長年中に寺沢氏が唐津城を築いて入部すると、同7年(1602年)(または11年(1606年))に当神社を再建、以後唐津藩主の祈願所と定められ、崇敬を受けた。

唐津神社の側に曳山展示場がありました・・・ここには唐津くんちに奉納される曳山が展示されています。

【唐津くんち】唐津神社の神職を務める戸川家の口碑によると、神輿の御神幸は寛文年間(1661年-1672年)に始まったとされる。今日の神幸行列のように曳山がこの祭りに登場するのは、一番曳山(いちばんやま)の「赤獅子(あかじし)」が文政2年(1819年)に奉納されてからのことである。以後、曳山は明治9年(1876年)までに15台が製作されているが、うち1台は消失し、今日奉納されているのは14台である。






中に入ると14台の曳山が展示されていて・・・TVでよく見かける鯛や兜の曳山が展示されています。



私は「3番曳山 材木町の亀と浦島太郎」と「14番曳山 江川町の七宝丸」が気に入りました。





次に回ったのは「旧唐津銀行」です、石造りの立派な建物です。
【旧唐津銀行】唐津銀行は明治18年に設立し、翌年に開業しました。設立時の頭取には、大島小太郎が就任しています。現在残る旧唐津銀行本店は明治43年8月に着工し、明治45年3月に竣工しました。建設にあたり、大島小太郎とともに高橋是清から唐津藩英学校(耐恒寮)で教えを受けた工学博士辰野金吾の監督のもと、辰野金吾の弟子にあたる清水組の田中実が設計を担当し、装飾については京都高島屋が受け持っています。建物のデザインのスタイルは、辰野金吾がイギリス留学時代に流行したヴィクトリア様式のひとつであるクイーン・アン様式を日本化したいわゆる「辰野式」と呼ばれるもので、赤煉瓦に白い御影石を混ぜ、屋根の上に小塔やドームを載せて、王冠のごとく強調する辰野流の工夫が加味されています。

中に入ると1階は喫茶のテーブルが出ていますが、事務所になっているほうには窓口カウンターが仕切られています・・・当時のままのようです。

2階に上がると応接室や会議室?みたいになっていて、暖炉の上には大きな鏡が設置されています・・・明るさを取り込む仕組みのようです。



此処には唐津市船宮町の松下家に伝わる古今雛が展示されていました。

松下家は代々唐津藩に仕えた船頭で、船手日記などがの古文書が残る由緒正しい家柄です。この古今雛の箱書きに安政5年の墨書が残っています。おそらく大阪へ藩などの仕事で行った折に購入したものと思われるそうです。



旧唐津銀行を出て大名小路を歩いていると唐津城が見えてきました・・・白の下にある早稲田佐賀高をすぎて舞鶴橋を渡っていると・・・振り向くと唐津城が良く見えます。

松浦橋を渡り右手に唐津城を見ながら・・・風が冷たいです・・・後は駅に向けて歩くだけです。

歩いていると呼び込まれて、見るとテントの下で醬油を売っています・・・黒酢が消費期限が近いのを手渡されました・・・小さな刺身醤油をついでに買ってみました。

側には宮島醤油の工場がありました・・・案外大きな工場です(´・∀・`)ヘー

歩いていると白壁の雰囲気の良い建物がありますが・・・維持が大変なのだろう、手入れの行き届いていないものも見受けられます。



野いちご(旧ギャラリー魚屋町)に入るとお雛様が飾ってありました。

一番奥に立派なお雛様があります・・・山内家の御殿雛・雛道具です、御殿雛は、安政5年の作です。京都の紫宸殿を模して作られました。御殿の幅は180cm、高さは130cmで159年経っていますが、襖も色褪せずに保たれています・・・手前につるされている吊るし雛も綺麗です(・∀・)ウン!!


やっと唐津駅に・・・手前にはJR唐津駅のすぐ近くのモダンな建物が、ふるさと会館アルピノです。1階は松露饅頭、松浦漬、イカしゅうまいといった唐津の特産物や玄界灘の海産物などが勢揃いの唐津・東松浦物産展示場。

屋根付の中庭は、憩いの場所としてたくさんの人がくつろいでいます。2階は唐津焼総合展示場に使われています。

そして、3階は玄界灘の新鮮な海の幸を味わえる和風レストランになっていました。