お江戸・尾張・・・そして九州放浪記

2006年江戸へ、2012年3月に尾張へと単身赴任が続き2014年3月末で退社して九州に帰ってきました、放浪は続きます。

JR九州ウォーキング(荒尾)

2014年10月04日 | JRε =  ε =  ε = ヾ(;~o~)ノ
今日はJRがやっているウォーキングに参加することにしました。

荒尾駅に降り立つと駅前でJRの職員が受付をしています・・・ウォーキングのコースの地図を受け取り・・・さあ~出発です!!

暫く歩いていると「宮崎兄弟の生家・資料館」が有りました。

【宮崎兄弟の生家・資料館】西欧列強によるアジアの植民地支配の時代に、全アジアの独立解放と自由平等の実現を夢見て、全財産を投げうつなど、身を削って孫文(1866~1925 中国革命の指導者)らを支援し続けた兄弟たち宮崎八郎・民蔵・彌蔵・寅蔵の生家。


中に入ると藁葺屋根の家と蔵が綺麗に整備されています。 樹齢250年の梅の木が有り、此処で孫文と写真を撮ったようです。

私は宮崎兄弟のこと・・・日中両国の善隣友好とアジアの平和発展を考え、中国民衆のために生涯を捧げた兄弟たちの功績を初めて知ることが出来ました。

道中川の辺を歩いていると遠くにグリーンランドの観覧車が見えています・・・あそこまで行ってコースの半分過ぎ見たいです・・・遠いナ~

途中、左手を見ると建物の上に飛行機・ゴジラ・船が見えます・・・楽しそうな幼稚園ですね!

約1時間歩いたところでは「荒尾二造変電所跡」がありました。

【荒尾二造変電所跡】太平洋戦争(大東亜戦争)中の昭和17年(1942年)、荒尾市内に完成した東京陸軍第二造兵廠荒尾製造所(爆薬)の変電所跡。敗戦後は荒尾市電の変電所としても使われた。

この施設は売却・開発の予定を市民が残すよう要望して残された様ですが、私にはなぜ残さなければならないのかがよくわかりませんでした。

約1時間半でグリーンランドまで来ました・・・ジェットコースターが通って行きます・・・楽しそうな声も聞こえてきます。

暫く行くとゴルフ場の間の道路を歩きます・・・芝生が綺麗です・・・そろそろ足(股関節)が痛くなってきました・・・これでゴルフをやめたんだった(・∀・)ウン!!

暫く歩くと左手に「万田炭鉱館」がありました、中に入ると荒尾市の基幹産業であった石炭産業(炭鉱)の歴史や町の暮らしの変遷の資料館です。

展示室では炭鉱マンたちが使っていた道具や炭鉱の様子を撮ったパネルなどが展示してありました。

資料館を出て道路を渡ると大きな櫓と赤煉瓦の建物が見えて来ました・・・「万田抗」です。

【万田抗】宮原坑(大牟田市)の南約1.5kmの位置に開かれ、三井の総力を挙げて整備された、わが国最大規模の竪坑です。1897年から1902年にかけて作られた第一竪坑と、1898年から1908年にかけて作られた第二竪坑とからなります。その後も第二竪坑は揚水や坑内管理のため、1997年3月まで施設が維持されていました。現在、第二竪坑・ヤグラ、巻揚機室、倉庫およびポンプ室、安全燈室および浴室、事務所、山ノ神祭祀施設などが保存されています。これらは、わが国の近代化に大きな役割を果たした三池炭鉱に現存する明治・大正期における最大級の施設であり、当時の優れた炭鉱の技術を伝えているため、1998年5月1日、国の重要文化財に指定されました。 2014年1月に万田坑を含む「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」は、日本政府からユネスコへ世界遺産候補として正式に推薦され、2015年の世界文化遺産登録を目指しています。

私は赤煉瓦の建物に入ると係りの人からヘルメット受け取り2階に上がって行きました・・・そこにはワイヤーが巻かれている大きな巻き上げ機が有りました。
 
立坑から資材や人を上げ下ろしする機械で1分間に270m巻き上げるようです。

窓の外には第一竪坑櫓の巨大なコンクリート基礎や石炭を運ぶ炭車が見えています。
 
外に出て第二竪坑櫓を見上げると綺麗に保存修理されています、ケージは2つ吊り下げられ、一方が上がると他方が下がるつるべ式となっていて上部の滑車(矢弦)が人員昇降用で、下部の滑車は資材搬入用とのことです。
 
裏?に回ると浴室などが有り、第二立坑口が有りましたが閉山時に選炭場の土砂により埋め立てられていました。

2015年には世界遺産として登録されるか期待されます。

万田坑から荒尾駅までは残り3㌔です、全体で10㌔・3時間のウォーキングで心地よい時間を過ごしました・・・後は電車で缶酎ハイを楽しみますか~ワァ─o(。´・∀・`。)o─ィ♪