「聖書」であれ「古事記」であれ、
それを現在の私たちが読むことができるのは、
文字で言葉を書き残すことができたからです。
ということは、文字として記すことができなかった
物語や神話もたくさんあったに違いありません。
文字で書き記すことができた人たちが、
自分たちの起源に関する物語を記述することができた。
キリスト教社会は、
それをまさに真実として受け止め、
その物語に基づいて
人類の歴史をつくり上げていきました。
日本で「古事記」や「日本書紀」が編纂されたのは、
天皇を中心とした中央集権を確立する時期でした。
キリスト教も天皇制も、
いわば歴史の「勝ち組」です。
そうすると、歴史とは
常に勝者によって描かれてきた
勝者の物語なのではないか。
このように考えることができると思います。
おとなの教養 池上 彰 著
なるほど・・・
僕たちの祖先の人たちは
どうやって生まれて、
どうやって生きてきたのか
そしてその受け継がれてきた
知恵や習慣はどうだったのだろう
それらをひも解くのに
必要なのが古文書などの遺産
でもそれらはもちろん事実であり
大切な文化遺産であることはいうまでもない
池上さんがおっしゃるように
文字を書くことができなかった
人々はどうだったのだろう
この疑問など考えもしなかったけれど、
当然その人々の暮らしがあったはず
僕自身、記録を残していなければ、
僕の人生は死んでしまえばそれで没
ならば、勝者とはいえなくとも、
自分の一生をそして
何を考え何を信じて生きてきたのか
残しておきたいと改めて思った次第
早起き鳥
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