幕末の頃、鹿児島の島津斉彬公は
福井藩の松平春嶽公と話をしていました。
その話のなかで、
島津公は
「私の藩にはよその藩には
いないような得難い人物がいる。」
と話しました。
「それはどういう名門の出身ですか」
と松平公が尋ねると
「いや、そんな身分の者でなくほんの軽輩です」
と島津公は答えました。
「ではよほど知識や技能があるものなのですね」
「いいえ、頭なら私の方が偉いくらいです。
別にこれといった才能はないのです。」
不思議に思った松平公は尋ねました。
「それではどうして偉いのですか」
「この人物がそういう知識や
才幹の持ち主ではないが、
実に偉大な仁者なのです」
と島津公は答えました。
「人間学4」七田 真著
島津公が表現できないほどの偉大な人物
でも島津公が表現した「偉大な仁者」
この言葉に引き込まれる。
「仁者」とは仁徳のそなわった人、
情け深い人という意味があると思うのだが、
そういう人を島津公は
江戸屋敷でお庭番として使ったのである。
島津斉彬公の使者として他藩の重役のところへ
使い番として使ったのである。
斉彬公の人を見る目には、
感動させられる。
そういう仁徳のそなわった人に
自分もなりたいものである。
その西郷でさえ、斉彬公亡き後、
後継の久光公の逆鱗に触れ島流しとなったのであるが
その間、西郷はじたばたすることなく
読書に精を出し修養に専念したそうである。
牢番がいつのぞいても獄舎で泰然自若として
静座黙読している西郷の姿に驚嘆させられたのであろう。
禁をとかれ中央政界に復帰を果たした
西郷のめざましい働きは言うに及ばない。
早起き鳥
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