トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

息子の涙

2006-01-18 10:23:11 | 子供
長い冬休みが終わって3学期が始まりました

息子も元気に登校して行きました

今のクラスは3年からの持ち上がりです
3年生になった時息子はクラス変えで心を躍らせていました

息子の後ろの席に座ったお友達(A君)はとても礼儀正しく、ユーモアたっぷりで
息子の心を虜にしてしまいました

家に帰ってくればそのお友達の話ばかり。
特定の友達を1、2年のクラスで作れなかったのでもう嬉しくて仕方がないって感じでした

息子に初めて出来た友達に私もホッと胸をなでおろした

息子には幼稚園から同じクラスだった近所のお友達(B君)もいた
今までそれ程仲は良くなかったけれど3年になって新しいお友達と共に
よく家に来るようになった

3人って難しい・・・
徐々に喧嘩をする回数が増えていった
A君はなぜか3人で遊ぶことを嫌がった

A君と息子が遊ぶ時はB君は仲間はずれ
B君と遊ぶ時は息子は仲間はずれ

私はB君を仲間はずれにするのは良くない
3人で遊ぶようにいつも息子に言っていました
でもA君はどうしても3人では遊べない

A君と衝突を繰り返すようになりました
A君は怒り出すと1週間でも2週間でも口を利いてくれないようでした
そんな事を繰り返して4年生になる頃にはもっと険悪に

A君は思い通りにならない息子にいらだった様子で、昼休みに息子が遊ぼうとするお友達を次から次へと取り上げるようになった

息子は昼休みにはいつも独りぼっちになってしった
しばらく様子を見ていたけれど段々元気もなくなって・・・

先生に相談してみたけれど、基本的には
「もう4年生だし自分で解決しよう。」で
A君がそんなに悪いと思えない。
息子は短気で他の友達ともトラブルが多いので息子の誘い方と被害妄想的考えが原因だと取り合ってはくれませんでした

息子は帰ってくるたびにA君の愚痴をこぼすようになった
私はただ聞くだけで良いのか。先生にもっと協力をお願いしたほうが良いのか
悩んだ

共依存症の母親は過保護にもなりやすい
子供の問題に入りすぎて子供を駄目にしてしまう事が多いと分かっていたので
自分が何処まで息子の問題に取り組んで良いのか分かりませんでした



そんな状態の中でもB君と喧嘩してしまった時はまるで何事もなかったように
息子に声をかけ、褒めちぎり息子を喜ばせて仲良く遊ぶのです
息子は単純でまたすぐ許して遊んでしまう

そしてA君がB君と仲良くなるとまた同じことの繰り返し

息子はホトホト疲れてしまったようでした
私も「仲間はずれにされる時は自分で楽しむ事を見つけなさい」
「家に帰ってきたらB君と遊んだらいいじゃない」とかいろいろ励まし続けました

ある日お風呂に一緒に入っているといつものように息子がA君の話を始めました

「A君が今日帰ろうねと朝言ったんだ。で僕帰りに急いで支度したらB君と走って逃げて行っちゃたんだ。」と延々と文句を言い続けていました
その他にも息子が他の子と約束しているのを見つけると必ず横から口をだして
その友達を連れて行っちゃうとか・・・

私は
「ねえ。A君はそういうお友達なんだよ。振り回されると辛いのはあなただよ。
また仲良くしてくれるって思うから辛いんだよ。A君はあなたを大切に出来ない
そう考えたほうがいいかもしれない。友達がいない事は悪いことじゃないよ。
だれも遊んでくれなかったら1人で遊んだっていいじゃない

家に帰ってきてB君が来てくれたら遊べばいいし、まだ下のクラスに仲良しがいるじゃない。A君を気にしすぎるから腹が立つんだよ
A君は友達じゃない。そうお母さんは思うよ。」

まだ人との距離をとる事を息子に言っても分からないかもしれない
でも拘り続けることで苦しさを増してしまう事を知って欲しいと思った

「そのお友達を手放しなさい。自分の新しい道を探してごらん」
そう言い聞かせた

息子は「うん。そうだね。あいつは友達だと思ったけれど違ったんだ」と言った

私は先にお風呂を上がって体を拭いていた
ガラス扉の向こうに息子がシャワーを浴びている姿が見えた
シャワーの音に混じって
「どうして、僕の友達取っちゃうんだ。Aなんて友達じゃないんだ。信じてたのに
嬉しかったのに。なんで・・・」と声を殺して泣いている声が聞こえた

私は思わず扉を開けて
「お母さんがなんとかしてあげる」と言ってあげたかった
子供の傷つく姿は本当に辛い

それからはなにも言わずに見守る事を選んだ
毎日昼休みに読むために沢山の本を持っていく息子
背中に「今日はどう?」と聞きたくなるのを堪えることは辛かった

ある日息子が笑顔で帰ってきた
「俺、同じクラスの友達だとAに取られるから隣のクラスの友達見つけたよ
その子も1人で寂しかったんだって。」

それからその隣のクラスのお友達からその隣の隣のクラスのお友達と増えていった

さすがにA君も隣のクラスじゃ手が出なかったのだろう

息子は自分で解決してきた
この冬休みも「これからの目標は短気を治すことだね。するともっともっと良い事が増えるよ」と話し合った

「そうだね。すぐ怒っちゃうんだよね」とえへへと笑った

子供といえども人間関係は私の頃より複雑になっていると思う
確かに子供の数も少ないし、1度グループから抜けると他のグループに中々入れなかったりする

でもあきらめないで欲しい
傷ついても友達と寄り添っていたいと思う気持ちを忘れないで欲しい

人との繋がりは本当に人間を延ばしてくれると思う
母親など及びもしない経験を与えてくれ、知恵を育ててくれると思う

息子の1歩、1歩を応援したいと思っている

家政婦と会って

2006-01-17 09:52:02 | 元夫婦
家政婦の言った今の舅達の現状は想像していた状態だったので
それ程ショックはなかった(家政婦が来た参照)
「やっぱりな」って感じ

話に聞いていた家政婦もまた想像通りだった
「私がこのままじゃ皆に見捨てられるんだ。
こんなことしていていいのかと舅に説教してやったんだ」と胸を
はって言う姿は昔の姑そっくりだった

毒気に当てられたとはこの事か
彼女の自信満々のこれでもかって言うくらいの話は私の体力を底の底まで
吸い尽くしていった

最後に舅に脅えているんだと言った私に
「もう、こちらに来ることはないと思いますよ。もし行きそうになったら
私が止めますからね」と言った

なぜこの言葉にこんなにハラが立つのだろう
私が守るなどと言われたくなかったからだ
「自分の家族は自分で守る」その想いが強いからだろうか

この女性とも関わりたくないと強く感じた
姑と全く同じ臭いのする女
途中で姑が喋っているのかと錯覚した

お金がないと言う話もしていた
年金の更新の手続きをしなかったために止められているそうだ
それを彼女がやってあげたそうだ

すでに家政婦の域を超えていることに全く気付いていないようだった
何処までも人の領域に入って行ってしまう
給料すら貰っていないらしい

帰った後 家政婦との不毛な会話に疲れ果てて動けなくなった
でも私はその問題の裏にあったもっと大きなことに気がついた

お金・・・
夫が年末届けたというお金
あれはやっぱり届いてはいなかったと言う事実

ぐるぐる回って戻ってきてしまった「夫の嘘」(夫の嘘参照)
年末、夫が酔っ払いながら
「俺って孫悟空みたいに奥さんの手の平に踊らされているんだな。下手な小細工なんかみんなばれてるよね」と言った

「そうだよ。皆分かっているよ。」とお互いに遠まわしに話した
「お母さんは何をして欲しいの?」と聞いた

「別にして欲しいことはない。皆元気でいて欲しい。」とまた遠まわしに言った

それが不完全燃焼で私の胸にくすぶり続けていた

かつて私達はよく喧嘩した
お互いがお互いの傷をえぐるような傷つけ合いをした

だんだん喧嘩に疲れてしまった
喧嘩の後の沈黙も、その後の仲直りの面倒臭さ、喧嘩する割には確信には程遠い
妥協という名の解決しか出来ない

話しても話してもお互いが思いやれない自分の気持ちばかり・・・
だから私は言うことをやめたのだ
言っても仕方がない

へそくりを貯めていつでも家を出られる準備をして、たいした事じゃない
と自分を納得させてきた

でも最近気がついた
私って沢山夫を責めたけれど「嘘が1番嫌いなんだ。」と言う言葉を言ったことがなかったかも

「嘘をつかれて辛い」と泣いたけれど
「1番許せないことは嘘だ」とは言ったことがなかったな・・・

今日はチャンスかも
これを伝えてみよう
そう思った

思いを伝える
その後どうなるのかを考えると気持ちが萎えていく

子供の頃から自分の思いを伝える事をした事がない

もし自分が「これは嫌だ」と言ったならどうなるかを考えると
恐ろしくて言えなかった

だからどうなるかを経験していないのだ
経験していないことをする事は本当に怖い
家政婦の話よりこっちの方がずっと重かった

断酒会の言葉に
「第一の事は第一に 」と言うのがある
アル症の問題を考える前に常識として今必要なのは何かと考える時に使うらしい

今必要なのは私が夫の嘘が嫌だと伝えることなんじゃないか
舅の問題は今は何も出来ない
でも今ゆがみ始めている私達を見つめる事は大切なんじゃないか

逃げては行けない
夫がどう反応しても私は伝えることが必要なんだと感じた

早く帰ってきた夫はすぐ私の様子に気がつく
「なに?機嫌悪いの?」ととたんに身構えている
その姿をみると可哀想になって何も言いたくなくなる

逆切れする前兆でもあるからだ

一通り家政婦の話をした
夫は問題がずれていることに安心して親身に話を聞いて
2人で今後の対応について、決めることができた

いよいよ最後に「その他にも話がある。」
と言うと途端に脅えたように部屋の壁にくっついた
「なにさ」と低い声で言う

怖いから一気に言った
「私嘘つかれるのが嫌なんだ。
お父さんは私が見逃してくれていると感じている様だけれど、
見逃すのは嘘を許しているわけじゃない。
我慢してるんだ。我慢には限界があると知って欲しいんだ」

「分かってるよ。分かってるさ」と一目散に部屋から出て行った

逆切れしなかった・・・
絶対 罵詈雑言が炸裂して大喧嘩になると覚悟していた

気が抜けてしばらく動けなかった

片付けをしていると夫が入ってきて
「俺は許容量が狭いんだ。いっぺんに言うな」と言われた

「言いたい事はチャンスのあるうちに言わないと貯めちゃうからさ」と言って2人で片付けた

言えた。
嫌だと伝えられた
伝わるか、伝わらないかは夫の問題なんだ

初めて「NO」と言えたよ
















家政婦がやって来た

2006-01-16 13:52:01 | 共依存症
手放せない人で書いた家政婦がついに家までやって来た

「施設に入ってもいいと言うので今、書類をそろえています
もう2人で暮らすには無理なようなのでその方向で話を進めないかと
思いまして。1度ご相談をと思って伺いました」と言った

今までの事を話したために手足が冷たくなって、心臓が痛い
胃は咽まで上がってしまったように息苦しく痛い

上がってくるなり弾丸のように話し出した
「私が面倒見てやった」
「私が叱りつけてやった」
「私がいろいろ手続きをやっている」
「1度は見放したんだ。でも心配で見に行ったら酷い有様だった」
「いろいろ説教してやっているんだ」

と次々と息をつく間もなく話す

「私がパンフレットを取り寄せて本人に話した。今度は本気なようです
家も売って帰る家がなくなればあきらめて大人しく施設に入っているに違いないと思います。」

「本人が本気で言っているなら、自分からケアマネージャーに施設に入りたい
探すの手伝ってくださいと電話入れるように伝えてください。
ケアマネから私どもの方に連絡がきたらこちらも考えます」と言うと

「いや。本人はケアマネを敬遠しています。電話しないでしょう
私たちで何とかしてあげるのがいいんじゃないですか?」

「ケアマネに電話する勇気がないなら、その気持ちは本当じゃないと思います。
その気持ちのまま施設に入っても抜け出すのは目に見えてますよ。
その時家はない。行くところもなかったら結局周りに迷惑がかかります
本人の意思が大事だと思います」と間を縫うように必死に訴えた

「それは分かります。でも家もなければ観念するんじゃないですか」

「いいえ。家がなくてもお酒が飲みたくなれば抜け出します。それが病気だからです」

言っても、言っても、大きな沼に向かって話しているようだ

「見放していていいんですか?」
「覚悟の上です。主人の意思も固いです」

「分かります。でももう歩くことも出来ない状態ですよ」
「はい。でも私はもう恐ろしくて舅には会えません。今も手が冷たくなって
足が震えています」

「彼は紳士ですよ。でもちょっと怒鳴られることも私もあるけれど私は平気でしたよ」

ここでもう駄目なんだと思った
相手は私にわからせたい
私も相手にわからせたい

共依存症同士の話し合いは成立しない

家政婦に向かって
「あんたみたいな人を共依存症って言うんだ。あんたが舅の邪魔してんだ」と言ってやりたかった

嫌だ。
聞きたくなかった
「手が震えて糞尿垂れ流しです」
「雪が積もって誰も除雪しないから家から出られないようです」
「お姑さんは幸せそうだけれど、餓死したら大変じゃないですか?」
「お姑さんとよく話をするんですよ」
「私にパンを焼いてくれました」

気持ちが押しつぶされそうだ
私の共依存症が騒いでる

私はその1つ1つに何でも無い事のように
「はい。はい」と返事をした

それで、それでと必死に様子を聞きたがる自分がいた

「もう。巻き込まれないほうがいいですよ。」
「いえいえ。全然大変じゃないです。乗りかかった船だから」

乗りかかった船だから
この言葉を共依存症者からどれ程聞いてきただろう
私も何度も口にした台詞だ
正義を振りかざす決め台詞だ

「私も熱が40度もあって大変だったんです。でも心配で」
「私も下の子が受験で人のこと心配している場合じゃないんです。でもどうしたらいいかと考えちゃって」

だから放っておけばいいんだって・・・
心の中で何度もつぶやいた

家政婦は目をキラキラさせてちっとも大変そうじゃなかった
舅との会話をまるで武勇伝のように唾を飛ばしながら話していた

この人も底をつくことがあるのだろうか

「あの舅さんはお酒やめられないでしょう。周りが何とかしてあげなければ」

あなたもやめられないんですね

「また、何かあったら来てもいいですか?」と最後に言った

「いいえ、来ていただいてもケアマネに電話しろ。としか言えないですから」と
きっぱり言ってやった

私は間違ってなんかいない。
連れ戻されてたまるもんか。










手放せない人

2006-01-15 23:04:59 | 共依存症
アルコール依存症は否認の病気と言われている
依存症者の世話をし続ける人を共依存症という

共依存症の人が世話をし続ける限りアル症者に病気を認めさせることは
とても難しいと思う

舅は姑を匿っている間に自分の世話をさせるために、家政婦を雇っていた
(子供は親を選べないで書いてある)

ドロボウ扱いされて訴えられた家政婦はあれから舅の家に行っていなかったらしい

でも呼ばれもしないのにまた様子を見に行ってきたと言う
そしてその生活の酷さに舅に2人で施設に入る事を勧めて
パンフレットを届けたんだそうだ

そして「息子さん見るきないんでしたら、施設紹介して入れてあげてもよろしいですか?
そのためには家を売る相談もしなければいけないのでちょっとお会いできませんか」と言われた。

普通散々世話をした挙句にドロボウ扱いされて訴えられたら、もう関わりたくないと思ったりすると思うのだがこの家政婦も相当の共依存症らしい

「信じられない」と夫に言ったけれど私も呼ばれもしないのに勝手に
2週間に1回が1週間に1回になり最後は毎日娘をおぶって通っていたのだから
人のことは言えないなと思った

あの時一度も、一言も「毎日見に来て」とも「掃除して」とも私は姑から言われなかった
行けば「もういいから。あーちゃんがかわいそうだから早く帰って」と気遣ってくれた

でも姑は食べることにうるさい人だった
同じものを2度食べることをしない
気に入らないものは絶対口にしない

市販の惣菜などはめったに食べない
どんなにお腹が空いていても、体に良くないと分かっていても
このスタイルを変えることはなかった

だから冷蔵庫にすぐ食べれそうなものを沢山買って入れても
次に行く時には丸々残っていた
「食べなかったんですか?」と聞くと
「だって食べるものなんにもないでしょ」と言うのだ

「じゃあ何か食べたいもの言って下さい」と言うと
「何でもいいから買ってきて」と言うのだ

そうすると帰ってもまた食べていないんじゃないか
食べなければ低血糖になって倒れてしまう
私のせいでそんな事になったら大変だと
一週間分買ってもまた2、3日すると行ってしまうのだ

どんな吹雪の中だろうと、雨が降って濡れようと
あーちゃんを背負って通った
あの行かなければという切羽詰った恐怖感は何だったのだろう

アルコール依存症者には底つきと言う言葉がある
もう駄目だ。お酒をやめたいと思ったときに使われる

共依存症にもあると思う
私も自分の身の危険と家族の危険を感じた時、本当にもう駄目だ
手放そうと決心した
あれが底つきと言うのだと思う

あの家政婦もきっともう駄目だ、もう関わりたくないと感じない限り
離れることは出来ないに違いない

この家政婦さんは前に「自分の兄もアル症で死んだ」と言っていた
もっと尽くしていれば助けられたと思っているのかもしれない

だから舅を手放してまた同じ後悔をするのが怖いのだろうか
いろいろ考えれば考えるほどこの人の気持ちが分かってしまう所が
歯がゆい

でも分かったところでどうする事もできない
この人が世話をし続ける限り舅はアル症を認められないだろう

夫と相談した結果家政婦さんの電話を着信拒否にした

家政婦さんは夫と施設を探して舅を施設に入れるように説得しようと思ったらしい施設に入ってくれれば安心できるのだろう

でも舅達は施設に入ったりはしない
だってそれは酒を断つと言うことなのだから
入りたきゃ自分で探すなりケアマネージャーに言うはずなのだ
その時は舅の底つきが来た時だ

家政婦さんにはごみだらけの家に暮らす2人は悲惨に写るのだろう
でも本人たちは好きなだけ酒を飲み、好きなだけ依存し合い、幸せなのだ

共依存症者は周りを巻き込むのが上手い
いかに自分が正しいことをしているかを力説して自分の協力者を作る

今回ももうちょっとで巻き込まれるところだった
私はアルコール依存症より共依存症の方が怖いんじゃないかと思った


邪悪2

2006-01-12 20:59:48 | 思い出
この出来事は私にとって大きな傷となった

私は泣いて逃げたが自分の中で感情をストップさせて
こんな事なんでもない事だと思い込んだ

私は本当に何もしらない子供だった
実際にはもう二十歳そ過ぎていたが、全く男の人との経験は皆無だった
記憶の奥底に埋めた

私はこの傷を見ないようにするために彼女の問題に奔走した
彼女といて次々と起こる問題を処理していればこの事を忘れることが出来た

そのうち転機が訪れた
彼女は別の課へ移り私も1人で仕事が出来るようになった

そして私は彼女の課の男の人と付き合うようになった
初めての彼氏だった
彼といることで私は汚れた記憶を消すことが出来た
けれどその彼には何人も彼女がいる事にすぐ気がついた

彼はすぐ私に飽きて相手にしてくれなくなった
辛かった
すがってもすがっても彼がもう一度私を見ることはなかった
惨めで、悲しい毎日だった

彼女は私があきらめようとすると、わざと彼がよく遊びに行く
場所へ連れて行き彼に会わせようとした
そして「簡単にあきらめるなんて、だめよ」と責めた
彼女は自分が不倫を捨てられないように私にも苦しい恋を押し付けた

でも、私も自尊心が残っていた
「こんな惨めな思いは続けられない」とはっきりと彼女に言った
それが彼女にどんな思いを植え付けたのだろう

ある日彼女に呼び出された
「私、彼と付き合いたいの。彼からそう言われてあなたに了解が欲しいの」と言った
「了解もなにも彼とは別れていますから。別にもう終わってますから」

すると彼女は「そう。ならいいの」と言った
私はまだ彼の事をすっきり忘れていた訳じゃなかった

それから彼女は事あるごとに私を呼び出し、自分と彼の車の後部座席に私を乗せた
「送ってあげるわ。」と言って
断っても「じゃあ、すぐそこまで乗せてあげる」と強引に乗せた

そして2人で仲良くいちゃいちゃしては試すように、私を見た

私はその時、人の悪意というものを初めて感じた

私はこの人間が嫌いだと思った
私は人を嫌いになったことがなかった

誰かを嫌いになる事で自分が傷つくのが嫌だったからだ
だからどんな人とも平等に接するようにしてきた
苦手な人にはなるべく関わらないようにしてきたのだ

嫌いだと感じるともう修正は利かなかった
彼女の顔を見ることも話をする事もできなくなった
憎悪と嫌悪感しか沸かなかった

私を利用しつくした彼女を許せなかった
完全に無視の生活が始まった

今まで温厚と言われていた私の態度に周りの方が驚いた
そして理由を聞いてきた
私の中に邪悪な鬼が住んだ

私は悲しげに、ただ「我慢が限界を超えた」とだけ言った
それがどう相手に思われるか計算していた

私に賛同する人達が現れた
「私もあの人嫌いなのよ」と言って無視しだした

私に良くしてくれていた上司も心配して
「何かあったのか?。仲が良かったじゃないか」
私はまた悲しげに「私、もう駄目なんです」と俯いた

元々上司にも平気で口答えする彼女だったので
「あの人、気が強いからな。大変だったんだな」と同情してくれた
上司は口が軽く、瞬く間に他の上司にも彼女の悪い噂が広がった

彼女は孤立し、みるみるやつれていった
なんにも感じなかった
全てが計算どおりで、いい気味だと思った

けれど私の中に芽生えた憎悪はそう簡単には消えなかった
もっともっと彼女を苦しめたくなった
家に帰っても彼女への憎しみで心が休まらなかった

人を憎むというエネルギーはなんと疲れるのだろう
憎むたびに私も憔悴しきっていった
人を嫌うということに慣れていないつけは自分に跳ね返ってきた

彼女と顔を合わすたびに胃が痛くなり
彼女の声が聞こえるたびに頭がクラクラするほど怒りが沸いた

私はもうやめよう。
このままでは自分はこの感情に食われてしまう
自分が怖くなった

しかし彼女を許そうと思うのにどうしてもできなかった
気分のいい時に話しかければその反動は夜にやってきて激しい下痢に襲われた

結局私はドロドロとコールタールのような血の便がでるようになり
彼女の憎悪を消化できないまま逃げるように会社をやめた

彼女は初めて会った時から私の事を見抜いたんだと思う
それを彼女は自分のために利用したのだ

私も彼女の世話を焼くことによって満足していた部分もあった

寄りかかる人と世話をする人。
バランスが取れているときはいいけれど、一度崩れるとそこには恐ろしい
邪悪な鬼が待っているのだ

私はまだ彼女に会うことは出来ないと感じる
私の中の鬼が騒いでいるからだ

あの頃遊んだ仲間には会いたいけれど仕方がない
彼女にも会いたくないし、なにより
あの醜い自分にはもう2度と会いたくないとつくづく思う





邪悪

2006-01-11 15:44:49 | 思い出
今年のOL時代の友人の年賀状に
「今年はOB会予定してます。お楽しみに」と書いてあった
それを読んだ途端私の気持ちは憂鬱になった

私はもう一度あの人と会うことができるのだろうか
私は彼女を許せたのだろうか
自問自答してみる
答えは「いいえ」だった

高卒で就職した私のサポートについてくれたのが彼女だった

彼女は会社からも一目置かれる人物だった

私も彼女のおかげで仕事をすぐ覚えることができた

仕事に慣れると彼女は仕事の後の食事などにもよく誘ってくれるようになった
私は彼女の事は好きだったが有無を言わせない迫力みたいなものもあった

彼女はよく飲んだ
飲むと人が変わったように陽気で人懐っこく、そして男にだらしなくなった

もう少し慣れると彼女は私を不倫相手の連絡役に使うようになった
それは実に巧妙だった
不倫相手とは上手くいっていないようだった
不倫相手を呼び出すために、へべれけに酔っ払い私に介抱させて相手を呼び出させた
私はまだ未成年だったし高校の頃はくそ真面目だったのでお酒の世界には無縁だった

女子高だったし自分の問題に精一杯だったので男の人との付き合いも皆無だった

いきなり不倫と言われてもピント来ず
ただ酔っ払う彼女の言われるままに男を呼び出した

男が思うようにならないと彼女は荒れた
そしてその辺の男を捕まえてはどこへでもついて行った
1人じゃ恐いのか、罪悪感があるのか私も無理やり連れて行った

私もいつもサポートして貰っているし、共依存バリバリで彼女を見放すことができなかった

その日も彼女は荒れていた
そして飲んでいる席にテニスサークルの仲間の男達を呼び出した
その人達はどこか女にだらしがなくて私はあまり好きじゃなかった

彼女はその男のアパートへ連れて行けと男達にねだった
私は「帰りたい」と言った
「なんにもしないって。なに?私が信用できないの?」と迫った
男たちも「大丈夫。大丈夫」と言って私を車に乗せた

アパートにつくと彼女はさっさと自分だけ男と絡みだした
私は身の危険を感じて逃げ出そうとした
もう1人の男は「大丈夫。大丈夫」と言って私に近づいてきた

キスをされた時点でパニックになり泣き出した
驚いた男は「あれ?男知らないの?」と馬鹿にしたように言って
その場を離れた

私は泣きながら逃げ出した
初めて人間と言うものが恐ろしいと思った


この人は何なのだろう
人間なのか?
心があるのか?

邪悪
それから私は自分の中にもその恐ろしい感情が住みついている事を
思い知らさせることとなった
(つづく)

共依存症の血

2006-01-11 08:26:11 | 日記

前にトラウマで夢の事を書いて以来あの夢にうなされる事がなくなった だがまた新しい夢が私を襲うようになった 。

最初はいつものベットの上に姑が胡坐をかいて私を睨み付け「じいさんを見て来い」と低い声で怒鳴るのだ

「嫌です。もう嫌なんです」と泣き叫んで汗びっしょりで目が覚めた

 その夜は何度寝ても姑と舅が出てきて「遊びに来たぞ」とか「今日は何食べる」とか形を変えて夢に出てきたその度に何度も何度も目が覚めた

私はその夢の事を夫には言わずに自分の中に収めていた

 年末も最後の頃やっぱり見た

もう苦しくてたまらなくて夫に言った

「何度も何度も夢に出てくる。私を呼んでいるのだろうか」言葉にすると涙がでた

夫は黙って聞いていた

すっと立ち上がるとタバコを吸いに奥の部屋に行ってしまった

しばらく泣いていると少し落ち着いてきた

夫が戻ってきて「気持ちの奥に心配な気持ちがあるんじゃないの」と言われた

「そうかもしれない。もう話したから大丈夫かも」と思っていた

 でも夕べも夢に出てきた親戚中が私を囲み「これでいいのか?」と聞いてくる

目が覚めてまた眠ってもまた出てきて「もう十分だろ。帰ってやれ」と皆に責められた

 最後は自分の「もうやめて」の声に目が覚めた

苦しい。

共依存症の血が騒いでいるのだろうか

共依存症の人は生活が落ち着くと物足りなくなってあの頃を懐かしく苦しかったけれど誰かのために奔走していた頃を恋しくなるという

 私もそうなのだろうか

いくら考えてもあの頃に戻りたいとは思えない

それなのにあの家の前に立っている自分を想像してしまう

私は前に進んでいないのだろうか

また迷路の入り口に向かっているのだろうか

不安だ

 私は普通の感覚になれた気がしていただけなのかもしれない

本当は何も変わってなどいなかったんじゃないか

私は自分を自分の作った世界に置く癖がある

空想の世界だ

子供の頃も辛い家庭環境を自分の中で作り変えて人には

「優しいおばあちゃんに。優しくて忙しいお母さん。そして腕が自慢の職人の父」と言って友達に自慢していた

私もなんて幸せなんだと空想の自分と現実の自分と区別がつかなくなることがあった

 そしてある時現実を見せ付けられて愕然とするのだ

本当はもう抜け出したつもりでいたのに自分では少しも抜け出してはいなかったんじゃないか今もがっちりと舅達に意識を奪われているのかもしれない

 私は今何処にいるのだろう

迷ってしまったのかどうかも分からなくなってしまった


クリームソーダ

2006-01-09 21:54:04 | 日記
私はクリームソーダが好きだ
あのきれいな透き通るようなグリーン
プチプチとはじける泡

上にのった真ん丸いアイスクリーム
真っ赤なチェリー

見ているだけで胸の中がうきうきしてくる

今日は市内にできた大型スーパーへ出かけた
のどが渇いたのでスーパーの中の食堂街へ行った
息子がクレープで娘にはクリームソーダを買ってあげた

娘は初めてのクリームソーダに大はしゃぎだった
小さな口をいっぱいあけてニコニコして食べた
「これこれ、この顔が見たかったのよね」と心の中でつぶやいた


私の育った家はイベントが嫌いだと前に書いたけれど、とにかくいつもと違うことをする事を父も祖母も嫌がった

毎日同じ時間に同じ場所で食べる
これが父にも祖母にも重要だった

旅行に行ってもおにぎり持参、車の中で食べるのが当たり前だった

私の子供の頃は今のように大型スーパーなどなかった
食品以外の物はデパートに行かなければならない
そのデパートも1年に何回も行けない

うちは土曜まで店をやっていて、日曜は大抵、畑仕事だった
農家と言うわけじゃなくて祖母の趣味なのだが規模が大きくて父も母も手伝わされていた

だから何処かへ出かける事も滅多になかった

父が背広を買う時だけデパートへ出かけた
でも背広売り場から他へ行くことはない
まっすぐ背広売り場へ行きまっすぐ帰ってくる

デパートにおもちゃ売り場があることすら知らなかった
ジュース1杯飲ませては貰えない
もちろんレストランなんて論外だった

その背広がなかなか決まらない
何時間でも待たされた
退屈で退屈でいつしかデパートは嫌いな場所となった

ある日母が突然私達をバスに乗せて15分位の小さなスーパーに連れて行った
そのスーパーの地下に小さな喫茶店があった
暗い狭い階段を下りると模型の料理が並んだショウケースが置いてあった

そこにはスパゲッティとクリームソーダとオムライスしかなかった

すると母は私達を中の椅子に座らせ店の人になにやら注文をした
そして「買い物をしてくるから、帰ってくるまでに食べ終わっているんだよ」と言って脱兎のごとく店から出て行った

残った私達は黙って座っていた
すると目の前にオムライスとキラキラと輝くクリームソーダが1人ずつ並んだ

いつだって3人で1つのおやつを分けて食べていた
キャラメルもチョコレートも滅多にあたらない
1人で全部食べてみたいが夢だった
それが三つ私達の前に並んだ

見ているだけで時間が過ぎた
母が帰ってきて「何やってんの。早く食べて。バスに間に合わなくなっちゃう」と言った
慌てて食べた。クリームソーダもクリームを食べただけでお腹がいっぱいになってしまった

「しまった。もっと食べればよかった」と見とれていた事を悔やんだ
でもそれからもたまに突然のようにその喫茶店へ連れて行ってくれた

決まって買い物を済ます短い間だった
夕食に遅れれば父や祖母が不機嫌になるからゆっくりする訳には行かなかったのだろう
それが私たちにも分かっていた

何処に入ったか分からない位に急いで食べた
いつもメニューはオムライスとクリームソーダと決まっていた
でも嬉しかった

最近私は辛かった記憶の中にこんな風に楽しかった事も思い出すようになった

前に読んだ本に
「辛かった記憶の中からいい記憶も思い出して、辛い自分の物語を楽しい物語に作りかえることが出来たなら回復の1歩」と書いてあったのを思い出した

母も今日の私のように目をキラキラさせてクリームソーダを食べる私達を見たかったのだろうか
そう思うとなんだか胸がぽかぽかと暖かくなった

乾ききって

2006-01-08 12:55:52 | 元夫婦
私はトラブルに弱い
長い訓練によってトラブルが起きると感情が鈍磨する

よく子供の頃から何か起こってもびっくりする様子がないので
「しっかりしている。」とか「心臓に毛が生えてる」とか言われた

そうじゃなくて、トラブルが起きると守りに入るからだ
無意識に自分を守るために、妙に明るく振舞ったり、冷静に物事を判断するために
感情を閉じてしまうのだ

これ以上傷が大きくならないように、これ以上何かを奪われないようにと・・・

年末から年始に掛けていろいろありすぎた
夫が免許証を忘れてきただけでも私の心はパニックになっている
元々悪いほうに想像を巡らすのが得意なために、何かあるんじゃないかと
早く取りに行って欲しいと苛々する

前は執拗に行くように指示したり自分で取りに行くとまで言い出したりしたけれど
最近はやめているので、ストレスとの戦いである
それでも趣味に没頭したりして紛らわせているうちはましである

ところが今度は免許がないのに事故ってしまった
これまた大打撃である
年末で何処も休みだし仕方がないと思っていても、物事が中途半端なのがますます
不安にさせる

何処も休みだからレッカー代やら病院代やら連絡が付かずお金も予想以上にかかる
後で返ってくるよと夫に言われても前回のトラブルの後だから信用できずに
ますます違う想像も巡らして疲れが倍増してしまう

そして年始に実家に帰って皆で楽しくと思っていたが弟一家。姉一家と風邪を引いて何処もいけず、昼からお酒を飲む習慣がないため狭い家に13人も閉じ込められていた

私的にはお嫁さんや姉と話せて楽しかったのだが元々自分のペースで物事が運ばないと苛々する父はストレス爆発寸前でなぜか私の子供達ばかり叱り付けた

長男は2階から降りてくるたびに何かと因縁をつけられていた
下の娘も泣くたびに「何泣いているんだ。」と怒鳴られた

他にも弟の子供達が「ぎゃーぎゃー」泣いていたがさすがにお嫁さんの前では叱れないのだろう
その反動が全てうちの子供達にきた

帰ろうかとも思ったけれど姉ともまたお盆まで会えないし、我慢我慢と過ごしてしまって結局疲れてしまった

こうやっていろいろ続いていくと私の顔から感情が消えていくのが分かる
なにも感じなくなるのだ

この状態に入ると夫も人の顔色や雰囲気を読み取るのが得意なため、私の様子が気になって仕方がないらしい
いつも以上に話しかけ笑わそうとするのだ

そして「お母さんがいるから、うちは安泰だ」とか
「お母さんのおかげで幸せだ」とか褒めて私の反応を見ようとするのだ
だけどこの状態に入ると「そう。それはありがとう」ぐらいしか反応できないのだ

すると夫は「なによ。なんかあんのか?」と勘ぐり怒り出す
それがまたいっそう私には面倒なのだ
「別に何もない」と言いたいことがいっぱいあるけれどそれは今言いたいことじゃないので黙っている

とにかくそっとしておいて欲しいのだ
だから今日は息子と2人映画に追い出してやった

この状態は夫婦にとってマイナスの作用しか働かない
一緒にいても落ちていくだけなのだ
共に励まし合い、共に助け合うという関係になれないのは残念だけど
お互いに傷ついているときは離れてそれぞれに力を取り戻すしかない

所詮は1人。
そう割り切らなければ私の場合は駄目なのだ
この乾ききった状態は自分で癒して潤してあげるしかない

映画に行った先からも夫から頻繁にメールが入る
余程気になるらしい

ごめんね。もう少しで元に戻るからね


後悔

2006-01-06 11:57:08 | 日記
私にはすぐ後悔する癖がある
なんでも人のせいにする人がいるが私は何でも自分のせいにしてしまう

誰かと話した後あんな言い方で良かったのかとか
友達と遊んだ後あそこであんな風に返事をして良かったのか
とかもっとこうすれば良かった、ああすれば良かったとくよくよ悩んでしまう

特に誰かの相談を受けた時など後悔と自責の念に押しつぶされそうになる

今私は姉に言った言葉を後悔している
「自分を削ってまで子育てする必要はないんじゃないのか」

姉はある育児書を自分の手本として愛用している
私も姉からその中の一冊を貰ったことがある
その本を読んだとき私は自分の育児が全く間違っていたことに気がつかされた

基本は優しいお母さんになれである
子供の話を良く聞き、ガミガミ説教をやめる
子供が欲しがる物があったら
「あなたが好きだから買ってあげる」と何でも与えてやる
「あなたは素晴らしい。頭がいい。お母さんの宝物だ」と1日に何度でも言って聞かせる

子供に愛されているのだと自信を持たせれば子供は自分から勉強したり、やる気を起こして自立することができる

という内容だ

これは本当に素晴らしい考えだと思う
私も実践してみて子供がどんどん変わっていくのを目の当たりにしたので
もし子育てに迷っていたら試してみてもいいと思う

姉の家には3人の子供がいる
今1番上の長男は受験生でこの時期追い込みでもある

昔姉は元気な母ちゃんってイメージだった
「あんた。バッカじゃないの」
「この、馬鹿女」とか平気で子供達を叱り飛ばしていた

お兄ちゃんは無口な方だったが歳の離れた弟妹をよく面倒も見ていたし
頭も良くて学校の代表を立候補して務めたり姉の自慢の息子であった

中学に入って当然長男も反抗的な態度になったりして姉の思うとおりに行動しなくなってきた
成績も下がりこのままではいけないと悩みだした
そんな時出合ったのがこの本である

姉も私同様衝撃だったらしい
早速今まで「バッカじゃないの」「早く勉強しなさい」
等の言葉をやめて「お兄ちゃんは凄い。頭がいい。やれば出来るんだ」と褒めちぎるようになった

その成果あって「うるせー」等の暴言は収まったらしい
が益々無口で自分の意見を全く言わなくなってしまった
3年になってこれからと言う時に全く勉強しなくなったり、
自分の進路を決めるのにも全く自分のしたい事を言ってくれない
と姉は嘆いていた

その度にその著者の新しい本を買ってきては気持ち改めまた息子の話を聞いてやり
望むことはなんでも叶えてやった

だがあまり結果がでなかった
勉強はしないし、希望校も決まらない
元々頭がいいので少しくらいサボっても姉の望んでいる学校には行けると先生に言われたが息子がそこだけは行きたくないと言う。
じゃあ何処へ?と聞けば無言

益々ジレンマの中へ、怒鳴り散らして叱り飛ばしたいのをグッと我慢してひたすら
話を聞くように努力する
その姿はまさに自分を削っているように見えたのだ

そのうち姉は自分の今までの全てを後悔しだした
私が弟妹の面倒を押し付けたからこうなったのだ
私がスポーツを押し付けたからこんな事になったのだ

私がいけないんだと自分を責め続けその償いをしなければと正に腫れ物を触るように怒らせないように、傷つけないように長男に接する

確かに姉一家はスポーツ家族だった
夏に冬にと大会に出場し試合をしている間は連れて歩く小さい弟妹の面倒を長男が1人で頑張ってみていた

その長男もそのスポーツに参加するようになって姉達夫婦と試合に出たりした

義理兄は全く褒めることをしないスパルタ父さんでどんなに試合に勝っても
「あそこが駄目だった。ここが駄目だった」とけなす
姉がいくら頼んでも褒めてくれなかった
だからあの子は駄目になったんだという

そうして義理兄を責め、自分を責め、苦しんでいる

でも本当にそうなのか?
長男は確かにスポーツに振り回され自分のしたい事を出来なかったかも知れないけれどでも元気に笑って
「俺、面倒見るの別に大変じゃない」と私に言い切った時もあったのだ

姉にその事を言ったけれど聞いてくれなかった
長男に言いたいことを我慢しすぎて涙が出ることもあると言う
息子の言いなりになり他の子供達にも言いたいことを我慢して
ひたすら「大好きだ。宝物だ。あなたは素晴らしい」と言い続けている

他の子供達も前と全然変わってしまった気がする
ご飯もいくら進めても食べない
姉から離れようとしない
下の子は5才だけどおにぎりも
「ママが握ったのじゃなきゃ嫌だ」と言われてしまった

姉は自分を奴隷だという
「子供に尽くし夫に尽くしただ働きの召使なんだ」と吐き捨てるように言った

その時私は思わず
「自分を削ってまで子育てしなくてもいいんじゃないか。
あの本は素晴らしいけれど、母親だって人間だと言うことを忘れてないか」
と言ってしまったのだ

姉はその瞬間凍りついたように私をみて黙ってしまった
もう何も言ってはくれなかった

母にも「あんた変わった。子供、子供って言うようになった。」と言われたらしい「母には分からないんだ。あんな人だから分からないんだ」と怒っていた

私なら分かってくれると思ったのだろう
私も分からないわけじゃない。素晴らしい教えだと思う
でもあまりに苦しそうなのだ

前の豪快に笑って「ばかー。こらー」と言っていた姉のほうが人間らしく思えたのだ

でも後悔している
姉には今理解してくれる人が必要なのだろう
もう心を開いてくれないかもしれない

もっと何か言い方があったんじゃないかと悶々としている