トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

手放せない人

2006-01-15 23:04:59 | 共依存症
アルコール依存症は否認の病気と言われている
依存症者の世話をし続ける人を共依存症という

共依存症の人が世話をし続ける限りアル症者に病気を認めさせることは
とても難しいと思う

舅は姑を匿っている間に自分の世話をさせるために、家政婦を雇っていた
(子供は親を選べないで書いてある)

ドロボウ扱いされて訴えられた家政婦はあれから舅の家に行っていなかったらしい

でも呼ばれもしないのにまた様子を見に行ってきたと言う
そしてその生活の酷さに舅に2人で施設に入る事を勧めて
パンフレットを届けたんだそうだ

そして「息子さん見るきないんでしたら、施設紹介して入れてあげてもよろしいですか?
そのためには家を売る相談もしなければいけないのでちょっとお会いできませんか」と言われた。

普通散々世話をした挙句にドロボウ扱いされて訴えられたら、もう関わりたくないと思ったりすると思うのだがこの家政婦も相当の共依存症らしい

「信じられない」と夫に言ったけれど私も呼ばれもしないのに勝手に
2週間に1回が1週間に1回になり最後は毎日娘をおぶって通っていたのだから
人のことは言えないなと思った

あの時一度も、一言も「毎日見に来て」とも「掃除して」とも私は姑から言われなかった
行けば「もういいから。あーちゃんがかわいそうだから早く帰って」と気遣ってくれた

でも姑は食べることにうるさい人だった
同じものを2度食べることをしない
気に入らないものは絶対口にしない

市販の惣菜などはめったに食べない
どんなにお腹が空いていても、体に良くないと分かっていても
このスタイルを変えることはなかった

だから冷蔵庫にすぐ食べれそうなものを沢山買って入れても
次に行く時には丸々残っていた
「食べなかったんですか?」と聞くと
「だって食べるものなんにもないでしょ」と言うのだ

「じゃあ何か食べたいもの言って下さい」と言うと
「何でもいいから買ってきて」と言うのだ

そうすると帰ってもまた食べていないんじゃないか
食べなければ低血糖になって倒れてしまう
私のせいでそんな事になったら大変だと
一週間分買ってもまた2、3日すると行ってしまうのだ

どんな吹雪の中だろうと、雨が降って濡れようと
あーちゃんを背負って通った
あの行かなければという切羽詰った恐怖感は何だったのだろう

アルコール依存症者には底つきと言う言葉がある
もう駄目だ。お酒をやめたいと思ったときに使われる

共依存症にもあると思う
私も自分の身の危険と家族の危険を感じた時、本当にもう駄目だ
手放そうと決心した
あれが底つきと言うのだと思う

あの家政婦もきっともう駄目だ、もう関わりたくないと感じない限り
離れることは出来ないに違いない

この家政婦さんは前に「自分の兄もアル症で死んだ」と言っていた
もっと尽くしていれば助けられたと思っているのかもしれない

だから舅を手放してまた同じ後悔をするのが怖いのだろうか
いろいろ考えれば考えるほどこの人の気持ちが分かってしまう所が
歯がゆい

でも分かったところでどうする事もできない
この人が世話をし続ける限り舅はアル症を認められないだろう

夫と相談した結果家政婦さんの電話を着信拒否にした

家政婦さんは夫と施設を探して舅を施設に入れるように説得しようと思ったらしい施設に入ってくれれば安心できるのだろう

でも舅達は施設に入ったりはしない
だってそれは酒を断つと言うことなのだから
入りたきゃ自分で探すなりケアマネージャーに言うはずなのだ
その時は舅の底つきが来た時だ

家政婦さんにはごみだらけの家に暮らす2人は悲惨に写るのだろう
でも本人たちは好きなだけ酒を飲み、好きなだけ依存し合い、幸せなのだ

共依存症者は周りを巻き込むのが上手い
いかに自分が正しいことをしているかを力説して自分の協力者を作る

今回ももうちょっとで巻き込まれるところだった
私はアルコール依存症より共依存症の方が怖いんじゃないかと思った