毎年夏参加している文教大学言語教育文化研究所夏期講座に参加のため、4日、5日と越谷市のキャンパスにでかけてきました。
平成14年度からの参加なので、4年目になります。毎年、専門家の知識にふれ刺激を受けることが多いのですが、毎年感じる不満もあります。
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自分のウェブサイトに書いたことでもあるのですが、どうして、日本の研修会はきちんと決まった、質問の時間がないんでしょうか。自分は研究発表は、発表と質疑応答で成り立つものであると思っています。よく、日本人は質問をしないといわれますが、うそだと思っています。時間が最初からないんですよ。
90分の講義、休み時間10分。1日3講義。これがそもそも間違いではないのでしょうか。その上講師が時間いっぱい、それこそ脇目もふらずに、資料を読んで、話して90分使い切る。こんなことをやっていてはだめなのではないでしょうか。
「・・・時間がなくなったので、質問がある方は後で。。。」
というのが、パネルディスカッションや発表会などでよく聞かれます。違う気がします。
今日も聞きたいこと、いいたいことがあったけど時間切れでした。
教育活動(成果)の発表で何か一定のもの…ある事象…が提示されれば、発表者と発表を聞くもの複数の視点でそれは検証されるべきです。複数の人間が見れば、必ず見え方が違う。見え方の違いが、質問・同意・反論につながる。多くの目に触れた意見は、様々な反応を呼び、そこには必ず少数の異論があるはずです。
大学の先生に小中高教員が、狭い範囲の知識から質問をぶつける。貴重な経験です。現場の状況にがんじがらめになっている可能性の高い、小中高教員の質問はレベルが低いものかもしれません。でも、大学の先生よりも守備範囲が広く、雑多な経験・知識は山ほどあります。理論と実践がぶつかり合うと、結論が出なくなったり不信感・不満が高まるでしょうか。逆でしょう。結果として学問的裏付けのある実践を後押しする可能性は、いっそう高くなるはずです。
そのための質疑応答があまりない。Professorを名乗る人間が、質問に答えるチャンスがあまりない。いかがなものでしょうか。異論も反論も出ない意見・出せない発表。これは、見え方の違いによる、発表者の研究発表の妥当性を証明するチャンスを奪うと思います。
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ごちゃごちゃ書いても、変わらないかもね。