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Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

トリエント公会議による公教要理 祈りについて 祈りの必要性

2015年02月04日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 有名な「トリエント公会議の公教要理(ローマ公教要理)」の最後にある、第4部 「祈り」についての部分の日本語訳(本邦初)をご紹介します。

 私たちは東京でのミサの後に「祈り」について学んだのですが、良い祈りとなるための説明が、トリエント公会議の公教要理(ローマ公教要理)では、より詳しくあります。とてもためになります。是非、お読み下さい。今回は、祈りについて、また、祈りの必要性についてです。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


第4部 祈り

第1章 祈りについての一般論


1.司牧上のもっとも聖にして、かつ人々の救霊に最も必要不可欠な職務の一つが、キリスト信者の唱えるべき祈りの教授に存することは、疑いの余地がありません。経験で熱意に満ちた司牧者が、この点について教え導くよう配慮を尽くさなければ、多くの信徒は祈りの本質および重要さについて知らないままでいるでしょう。それゆえ、司祭の名に値する者は、全力を傾注して聴衆に、何を天主に願い求めるべきかを、またどのように願い求めるべきかをよく理解させるよう務めねばなりません。

2.完全な祈りが有すべき全ての特質が、我らの主イエズス・キリストが、使徒たちならびにその後継者をとおして、キリスト教を受け容れる全ての人にお教えになることを望まれたこの神的な祈りの文句に集約されています。この祈りが含む言葉と思想を、私たちの知性と心情に深く刻みつけ、たゆまずこれに思いをはせなければなりません。そしてこの祈りについて信徒に為すべき教導の労を軽減するために、この点に関連すると思われた主立ったことがらを、当公教要理の最後の部分にまとめることとしました。このために、当の主題における最も学識に秀で、かつ最も高名な著者に大いに依拠しました。もし必要であれば、司牧者自身、同じ文献から要理に役立つことがらを、さらにほり下げて、くみ取ることができます。

§1 祈りの必要性

3.この主題に関して、まず第1に教えるべきことは、祈りの必要性です。なぜなら、祈ることについては、単なる勧めではなく、厳格かつ明確な戒律が私たちに与えられているからです。主イエズス・キリストは、はっきりと仰せになりました。「たえず祈りなさい1」と。

4.かかる祈りの必要性は、教会が[ミサ聖祭において]主祷文の前に唱えさせる短い序唱からも明らかです。「この上なく有益なる戒律にしたがい、また天主の教え給うたところにのっとって、我らはあえてかくの如く唱えん。」したがって、天主の御子が使徒らに定まった祈りの文句をお授けになったのは、祈りが必要なものであるため、また他方、使徒ら自身が「主よ、どのように祈るべきかをお教えください。2」と主に願ったためです。
そして主は使徒たちに祈りの言葉と共に、彼らが願うところのものをかち得る希望をお与えになりました。それだけでなく、主は、ご自分の「たえず祈れ」という戒律を自らの模範によって、すなわち、飽くことなく祈りをささげるのみならず、しばしば夜を徹して祈ることをとおして裏付けられました。

使徒たちは、イエズス・キリストが残されたこの掟を、キリスト教の信仰を受け容れる人々に伝えることを怠りませんでした。事実、聖ペトロ3と聖ヨハネ4は、祈る義務について入念に信徒を教え諭しています。また使徒パウロは前者の模範に倣い、祈りを命じるこの上なく有益な掟をしかるべく果たすよう信徒を激励しています。
これに加えて、私たちは霊魂と身体のために数多くの事物と助けとを必要とするため、これらを得るために祈ることが絶体不可欠となります。実際、何にもまして、祈りをとおして私たちは自らの困窮を天主にあるがままに示すことができるのであり、また私たちの欠くものをかち得ることができるのです。
天主は誰にも借りがないということを忘れてはなりません。したがって、もし私たちに必要なものを天主がお与えになることを望むならば、私たちは必然的に、祈りをとおして、これを天主に願い求めなければなりません。
祈りは、いわば天主が私たちに与えてくださった道具であり、これを用いることによって私たちは望むところのものを得ることができるのです。
反対に、祈りなしには―――これは全く確実なことですが――― 決して得ることができないものがあります。例えば、祈りの持つ最も並外れた効果の一つは、これが悪魔を追い払うのに抜きん出た力を有しているという事実です。なぜなら、聖マタイによる福音書において主が仰せになっているとおり、「断食と祈りによってしか追い払うことのできない類の悪魔がいる5」からです。
したがって、敬虔に注意をこめて祈るという信心の業ないしは習慣をなおざりにすることは、数多くの恵みを失うことにつながります。実際、求めるものを得るためには、ただ祈り求めるものが適当なものであることだけでは不充分で、当の祈りを忍耐強く為すことが必要となります。聖ヒェロニモがいみじくも述べているように、「『誰でも求める者には与えられる。6』と書かれています。したがって、もしあなたたちに[あなたたちが望むところのものが]与えられないならば、つまるところ、それはあなたたちが求めないからに他なりません。したがって、『求めなさい。そうすれば与えられます』。7」

脚注
1 ルカによる福音書 18章1節
2 ルカによる福音書 11章1節
3 ペトロの第1の手紙 5章7節
4 ヨハネの第1の手紙 3章21-22節
5 マテオによる福音書 17章21節
6 マテオによる福音書 7章8節
7 聖ヒェロニモ マテオによる福音書注解 第7章






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聖ピオ十世の公教要理 祈りについて Catéchisme de saint Pie X

2015年02月04日 | カトリックとは

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 2月1日には、東京でのミサ聖祭の後に、いつものように公教要理がありました。今回は、次の通り、祈りについて復習しました。

第一章・祈り一般

254 第二部では何をとりあげていますか。

第二部では、祈り一般について、また特に主の祈りをとりあげて説明しています。

255 祈りとは何ですか。

祈りとは、心を天主に上げて、天主を崇め、感謝をささげ、必要なものを願い求めることです。

256 祈りにはどのような種類がありますか。

祈りには、心の内でささげる祈りと、心を集中し、信仰の精天主をもって声を出して唱える祈りとがあります。

257 祈りにはその他にどんな種類がありますか。

このほかにも、信者の私的な祈りと、教会の公的な祈りとがあります。

258 私的な祈りとは何ですか。

私的を祈りとは、自分または他人のために個人的にする祈りのことです。

259 公的な祈りとは何ですか。

公的を祈りとは、教会の名において聖職者が信者の救いのためにする祈りです。また宗教上の行列や巡礼あるいは教会内で信者が一緒に唱える祈りも公的な祈りと呼ぶことができます。

260 祈れば天主が必要な恩悪と助力をくださるという希望は何に基づいていますか。

祈れば天主が必要な聖寵と助力をくださるという希望は、全能で慈悲深く忠実な天主の御約束とイエズス・キリストの御功徳に基づいています。

261 だれの名によって聖寵を乞い求めますか。

私たちは、イエズス・キリストの名において必要な聖寵を乞い求めなければなりません。つまり、イエズス・キリストがお教えになり、教会がその通り実行しているようにすべての祈りを「主イエズス・キリストによって」ということばで終えるのです。

262 何故キリストの名において天主に聖寵を乞わねばなりませんか。

キリストの名において天主に聖寵を乞わねばならないのはイエズス・キリストこそ仲介者であり、キリストを通してのみ天主の座に近づくことができるからです。

263 祈りにはそんな力があるのに、何故聞き入れられないことがよくあるのですか。

何度も祈りの聞き入れられないことがあるのは、永遠の救いの妨げになることを求めたり、正しい態度で乞い求めなかったりすることが多いからです。

264 天主には特に何を願わねばなりませんか。

天主に特に願わねばならないのは、天主の栄光と私たちの救い、そして救いを得る手段です。

265 この世の善を願うのは正しいことですか。

天主の御旨にかない、永遠の救いのさまたげとならないことであれば、この世の善を願うのは正しいことです。

266 天主は私たちの必要とすることを御存知なのに、何故改めて祈り求める必要があるのですか。

天主は私たちの必要とすることを全て御存知ですが、私たちが天主を全ての善の与え主として認め、謙虚な心で従うことを示し、天主の聖寵にあずかることができるように祈り求めることを天主がお望みだからです。

267 効果的な祈りをするため一番大切な心構えは何ですか。

効果的な祈りをするために一番大切な心構えは、聖寵の状態にあること、あるいは少なくとも聖寵の状態にありたいと望むことです。

268 良い祈りをするためには他にどんな心の準備をしなければなりませんか。

良い祈りをするために、特に潜心、謙遜、信頼、忍耐、忍従の心をもたなければなりません。

269 潜心して祈るとはどういうことですか。

天主とおはなししているという自覚のもとに、尊敬と信仰の心をもって祈り、気を散らさないように努力すること、つまり祈りと関係のないことを考えないように努めることです。

270 気を散らせると祈りの功徳は減りますか。

わぎと気を散らせたり、注意が散慢しないように努力しないとき祈りの功徳は減ります。しかし天主と静かに語り合えるようできる限り努力をするなら、祈りの功徳は減るどころか増加することになります。

271 潜心して祈るためにはどうすべきですか。

祈りを始める前に、気を散らせる原因となるものを全て遠ざけること、そして祈りの間、私たちをみつめ私たちの申し上げることに耳を傾けて下さる天主の御前にいることを考えなければなりません。

272 謙遜に祈るとはどうすることですか。

私たちは価値なく、無力で哀れな状態にいるということを正直に認めると共に、正しい姿勢で祈ることです。

273 信頼して祈るとはどうすることですか。

祈りが天主の栄光と私たちの真の善を求めるものなら必ず天主が聞き入れて下さるという確固とした希望をもって祈るということです。

274 忍耐強く祈るとはどうすることですか。

天主が直ちにお聞き入れにならない時も、あきらめずに、さらに熱心に祈り続けることです。

275 忍従して祈るとはどうすることですか。

これは天主の御旨は受け入れなければならないということです。天主は私たちの救いに必要なことは全て御存知ですから、たとえ祈りが聞き入れられない時にも、天主の御旨として受け入れることです。

276 よい祈りなら天主はいつもお聞き入れになりますか。

よい祈りなら天主はいつも聞き入れて下さいます。ただし永遠の救いに役立つ仕方でということであって、かならずしも私たちの望み通りということではありません。

277 祈りの効果は何ですか。

祈りによって私たちは、何物にもまさって主なる天主に依存していることを悟り、天上の事柄に思いをはせ、徳に進歩し、天主の御慈悲を得、誘惑にうち勝つ力を与えられ、苦難のときには慰めを受け、困窮に際して助けの手に支えられ、最後まで耐え忍ぶ聖寵を得ることができるのです。

278 特にいつ祈らなければなりませんか。

危険や誘惑や死に直面したとき特に祈らなければなりません。そのほか、朝夕そして一日の生活のうち大切なことを始めるときなどにひんばんに祈らなければなりません。

279 だれのために祈らなければなりませんか。

全ての人のために祈らなければなりません。つまり、自分と両親のため、目上の人、善行者、友人のため、また敵のためにも、さらに罪人や教会から離れてしまった人たちの改心のため、また練獄の霊魂のために祈らなければなりません。

 以上の部分は、フランス語では次のようになっています。ご参考までにどうぞ!

2e partie : La prière.
 
  Chapitre 1
La prière en général.

De quoi est-il question dans la seconde partie de la Doctrine Chrétienne ?

Dans la seconde partie de la Doctrine chrétienne il est question de la prière en général et, en particulier, du Pater noster.

Qu’est-ce que la prière ?

La prière est une élévation de l’esprit vers Dieu pour l’adorer, pour le remercier et pour lui demander ce dont nous avons besoin.

Comment divise-t-on la prière ?

On divise la prière en prière mentale et en prière vocale. La prière ou oraison mentale est celle qui ne se fait qu’avec l’esprit ; la prière vocale est celle qui se fait avec des paroles accompagnées de l’attention de l’esprit et de la dévotion du cœur.

Y a-t-il une autre façon de diviser la prière ?

On peut encore, à un autre point de vue, diviser la prière en prière privée et en prière publique.

Qu’est-ce que la prière privée ?

La prière privée est celle que chacun fait en particulier pour soi-même ou pour les autres.

Qu’est-ce que la prière publique ?

La Prière publique est celle qui est faite par les ministres sacrés, au nom de l’Eglise et pour le salut du peuple fidèle. On peut aussi appeler publique la prière faite en commun et publiquement par les fidèles, comme dans les processions dans les pèlerinages et dans l’église.

Avons-nous un espoir fondé d’obtenir par la prière les secours et les grâces dont nous avons besoin ?

L’espoir d’obtenir de Dieu les grâces dont nous avons besoin est fondé sur les promesses de Dieu, tout-puissant, très miséricordieux et très fidèle, et sur les mérites de Jésus-Christ.

Au nom de qui devons-nous demander à Dieu les grâces qui nous sont nécessaires ?

Nous devons demander à Dieu les grâces qui nous sont nécessaires au nom de Jésus-Christ, comme lui-même nous l’a enseigné et selon la pratique de l’Eglise qui termine toujours ses prières par ces mots : per Dominum nostrum Jesum Christum, c’est-à-dire : par Notre Seigneur Jésus-Christ.

Pourquoi devons-nous demander à Dieu les grâces au nom de Jésus-Christ ?

Nous devons demander les grâces au nom de Jésus-Christ, parce qu’il est notre médiateur et que c’est seulement par lui que nous pouvons avoir accès au trône de Dieu.

Si la prière a tant de vertu comment se fait-il que si souvent nos prières ne sont pas exaucées ?

Bien souvent nos prières ne sont pas exaucées, soit parce que nous demandons des choses qui ne conviennent pas à notre salut éternel, soit parce que nous ne prions pas comme il faut.

Quelles sont les choses que nous devons principalement demander à Dieu ?

Nous devons principalement demander à Dieu sa gloire, notre salut éternel et les moyens pour y arriver.

N’est il pas permis de demander aussi les biens temporels ?

Si, il est permis de demander aussi à Dieu les biens temporels, mais toujours à la condition qu’ils soient conformes à sa très sainte volonté et qu’ils ne soient pas un empêchement pour notre salut éternel.

Si Dieu sait tout ce qui nous est nécessaire pourquoi doit-on prier ?

Bien que Dieu sache tout ce qui nous est nécessaire, il veut cependant que nous le priions pour reconnaître que c’est lui qui donne tous les biens, pour lui témoigner notre humble soumission et pour mériter ses faveurs.

Quelle est la première et la meilleure disposition pour rendre nos prières efficaces ?

La première et la meilleure disposition pour rendre efficaces nos prières est d’être en état de grâce ou, si nous n’y sommes pas, de désirer au moins nous remettre dans cet état.

Quelles autres dispositions faut-il avoir pour bien prier ?

Pour bien prier, les dispositions spécialement requises sont le recueillement, l’humilité, la confiance la persévérance et la résignation.

Qu’est-ce que prier avec recueillement ?

C’est penser que nous parlons à Dieu, et, en conséquence, nous devons prier avec tout le respect et la dévotion possible, évitant de notre mieux les distractions, c’est-à-dire toute pensée étrangère à la prière.

Les distractions diminuent-elles le mérite de la prière ?

Oui, quand c’est nous-mêmes qui les provoquons ou que nous ne les repoussons pas avec empressement. Mais si nous faisons tout notre possible pour être recueillis en Dieu, alors les distractions ne diminuent pas le mérite de notre prière, elles peuvent même l’accroître.

Que devons-nous faire pour prier avec recueillement ?

Nous devons, avant la prière, éloigner toutes les occasions de distractions, et pendant la prière, nous devons penser que nous sommes en la présence de Dieu qui nous voit et nous écoute.

Que veut dire prier avec humilité ?

Cela veut dire reconnaître sincèrement notre indignité, notre impuissance et notre misère, accompagnant la prière de l’attitude modeste de notre corps.

Que veut dire prier avec confiance ?

Cela veut dire que nous devons avoir la ferme espérance d’être exaucés, s’il doit en résulter la gloire de Dieu et notre vrai bien.

Que veut dire prier avec persévérance ?

Cela veut dire que nous ne devons pas nous lasser de prier si Dieu ne nous exauce pas tout de suite, mais que nous devons continuer à prier avec encore plus de ferveur.

Que veut dire prier avec résignation ?

Cela veut dire que nous devons nous conformer à la volonté de Dieu, qui connaît mieux que nous ce qui est nécessaire à notre salut éternel, même dans le cas où nos prières ne seraient pas exaucées.

Dieu exauce-t-il toujours les prières bien faites ?

Oui, Dieu exauce toujours les prières bien faites, mais de la manière qu’il sait être la plus utile à notre salut éternel, et pas toujours selon notre volonté.

Quels effets produit en nous la prière ?

La prière nous fait reconnaître notre dépendance en toutes choses à l’égard de Dieu, le suprême Seigneur, nous fait penser aux choses célestes, nous fait avancer dans la vertu, nous obtient de Dieu miséricorde, nous fortifie dans les tentations, nous réconforte dans les tribulations, nous aide dans nos besoins et nous obtient la grâce de la persévérance finale.

Quand est-ce que nous devons spécialement prier ?

Nous devons prier spécialement dans les périls, dans les tentations et au moment de la mort ; de plus, nous devons prier fréquemment, et il est bon de le faire matin et soir et au commencement des actions importantes de la journée.

Pour qui devons-nous prier ?

Nous devons prier pour tous ; c’est-à-dire pour nous-mêmes, pour nos parents, supérieurs, bienfaiteurs, amis et ennemis ; pour la conversion des pauvres pécheurs, de ceux qui sont hors de la véritable Eglise, et pour les âmes saintes du purgatoire.

この映画のダビングのために日本語訳を作り、録音してくださった声優の方々や、字幕を作ってくださった方々、すべての関係者の方々に感謝します。
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【質問】聖ピオ十世会とは何ですか? [FAQ] What is Society of St Pius X?

2015年02月03日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

 愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会とは何ですか?というご質問にお答えする動画(英語)をご紹介します。

 このビデオでは、聖ピオ十世会が、1970年にカトリック教会法典に従ってスイスのフリブール教区で正式に認可されたカトリック教会の修道会であることから始まり、その精神は何か? 聖ピオ十世会の特色は何か? 聖ピオ十世会の創立目的を達成させるための手段は何か? など、基本的な情報を提供しています。

 どうぞ、ご覧下さい。ナレーターの語っている内容は次の通りです。(英語のままですみません。(- -;) )

 天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)





In this video, we’re going to answer the question, “What is the Society of Saint Pius X?” The Society of St. Pius X is an international priestly society, whose purpose is to train and support priests so that they may effectively spread the Catholic faith throughout the world.

The Society of Saint Pius X was founded in 1970 by Archbishop Marcel Lefebvre in the diocese of Fribourg, Switzerland, adhering to all canonical norms, receiving the blessing and encouragement of the local bishop.

The spirit of the Society of Saint Pius X is essentially apostolic; it was designed by its founder to operate much like a missionary order, spreading the faith far and wide. This apostolate is today especially necessary considering the spread of atheism, agnosticism, and religious indifference.

The Society of Saint Pius X, to this end, seeks to draw souls closer to Christ primarily through the Holy Sacrifice of the Mass, as well as through its preaching, its schools, its seminaries, and its spiritual retreat houses.

All this can be summed up in Archbishop Marcel Lefebvre’s motto: “We have believed in charity,” that is, in the love of Christ.

The Society of Saint Pius X was born in the Church at the start of a dramatic Crisis following the new orientation given by the Second Vatican Council. In front of an increasing confusion the Society of Saint Pius X offers to simply remain faithful to what the Church has always done in the past, the Latin Traditional Mass and Sacraments, the Traditional Catechism, the morality of the Ten Commandments, the attachment to the Roman Pontiff as successor of Peter.

As Archbishop Lefebvre appealed to Catholics: “It is necessary that we undertake a crusade, a crusade which is based precisely upon these notions of immutability, of sacrifice, in order to recreate Christianity, to re-establish a Christendom such as the Church desires, such as She has always done, with the same principles, the same Sacrifice of the Mass, the same sacraments, the same catechism, the same Holy Scripture. We must recreate this Christendom!”

The future of the Church is in its Tradition.

Recommended Resources:
The DVD: Forty Years of Fidelity, A History of The Society of St. Pius X
Book: “Most Asked Questions Of SSPX”
Book: “The Best of Questions and Answers"
To learn more, go to sspx.org and subscribe to our email list.

For more information, please visit http://sspx.org/faqvideos



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聖ピオ十世会 SSPX エコン神学校 ドキュメンタリー「明日の司祭たち」 動画

2015年02月03日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 もうご存じの方々もいらっしゃると思いますが、聖ピオ十世会を紹介する動画として、「明日の司祭たち」(Priests for tomorrow ---- Ecône - Des prêtres pour demain)の動画をご紹介します。

 ルフェーブル大司教さまのお姿や、エコンにある神学校の様子をご覧下さい。天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)





【参考資料】
フランス語版はこちらです。





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聖ピオ十世会司祭による聖伝のミサ(ラテン語ミサ トリエント・ミサ) 2015年1月、2月の報告

2015年02月03日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 こんにちは!今回、日本での聖伝のミサにおいて多くの兄弟姉妹の皆様とお目に掛かれて幸福でした。

 東京での主日のミサでは、七旬節の主日で「主のブドウ畑で働く」ということはどのようなことかを黙想しました。
 午後の恒例の公教要理では、聖ピオ十世の公教要理に従って、祈りについて復讐しました。祈りとは心を天主に上げて天主を崇め、感謝し、懇願することであること、祈りを、潜心、謙遜、信頼、忍耐、忍従(le recueillement, l’humilité, la confiance la persévérance et la résignation)をもって祈ること、などを見ました。
 4時からは主日の晩課をグレゴリオ聖歌で歌って終わりました。

 2月2日の御浄めの祝日には、10名ほど参加され(遠方から5時に起きてこられた方もいらっしゃいました!)、ローソクの祝別と簡単な行列をしてから、ミサ聖祭を捧げました。天主様に感謝!

 ミサのご報告を次のように戴きましたので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

 2月は15日の主日に午後6時半から大阪でレネー神父様によるミサがあります。

 3月は、6日(初金)と7日(初土)には大阪で、8日(主日)には東京で聖伝のミサがあります。愛する兄弟姉妹の皆様をご招待します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【大阪】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
大阪での御ミサの報告をさせて頂きます。
1月30日(金) 殉教者聖マルティナ のミサには13人が、
  31日(土) 聖ドン・ボスコの歌ミサには23人の方々が御ミサに与るお恵みを頂きました。デオ・グラチアス!!

金曜日のお説教:
私達は救霊の為、もしその霊魂を失ってしまうなら二度とやり直すことのできない、しかも一度きりの大事業の為にこの世で生きている。
多くの聖人方が手本を見せたように「この世の仕えるのではなく、永遠の命のために仕える」事を選ばなくてはいけないという事を身を引き締める思いで拝聴致しました。
アヴィラの聖テレジアの「霊魂はひとつ。永遠もひとつ。」という言葉が心に残りました。

御ミサの後、毎年恒例の「踏絵への接吻」をして、200年続いた日本の絵踏みに対する償いの式を致しました。今日は23人だけでしたが、いつの日か日本中で全国民がこの償いの行為が出来ることを祈ります。

土曜日は、昨日のお説教に続いて、救霊の事業を行うに当たって天主様から与えられる御助け、「主の平和」についての黙想でした。
つい ついこの世の楽しみや幸福にとらわれがちな自分を反省し、この世に死んで、本当の平和を得る方を選ぼうと決心しました。

その後、「聖イグナチオの霊操による黙想会」について少しお話し頂きました。
「霊操」とは、『霊魂の体操』という意味だとお聞きし、うまいネーミングだなあと感心致しました。
1、霊魂の健康のため  2、重大な事を決める前に天主のみ旨を知るため  に、霊操はとても良いものだと知りましたので、是非とも参加したいと思います。

公教要理は「天主の永遠・偏在」についてでした。
雪がちらつき、とても寒い日でしたが御ミサに与り、御聖体を頂いた御恵みでこころが熱く幸せでした。これが「本当の平和」の一部なのか、と思いつつ次の御ミサへの思いが馳せます・・・。

聖母マリア様に、
天主様に感謝いたします。

【東京】

Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 18人(内、子供1人)
女: 15人(内、子供0人)
計: 33人(内、子供1人)







この映画のダビングのために日本語訳を作り、録音してくださった声優の方々や、字幕を作ってくださった方々、すべての関係者の方々に感謝します。


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