Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

教皇の最も重大な使命は「イエズス・キリストから、使徒を通して私たちに伝えられた超自然の信仰の遺産を、私たちに、後世へと伝える事」、永遠の命を得るために必要な信仰を教えること。

2019年10月24日 | カトリックとは
2019年10月14日(月)殉教者教皇聖カリスト1世のミサ
聖ピオ十世会司祭 小野田神父説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年10月14日、教皇殉教者聖カリストのミサをしています。

そこで今日は、

⑴聖カリスト教皇様の生涯を垣間見て、

⑵教皇様の務めというのは一体何なのか?簡単に黙想する事にしましょう。

⑶そして、11月に来られる教皇様の訪日の為にたくさんお祈りをする、という遷善の決心を立てる事に致しましょう。


⑴第1点は、教皇聖カリストはどういう人か?という事を簡単に申し上げます。

ローマの出身のローマの人で、アントニヌス・ヘリオガバルス(Antoninus Heliogabalus 203年 - 222年)というローマ皇帝の元で教皇になりました。


信徒会長が作って下さっているミサ典書にも書かれていますけれども、四季の斎日の日付を確定した方で、「使徒継承の大小斎を、この日に守る」という事を決めました。「年に4回、水・金・土」と。「そしてこの大小斎は、全てのカトリック教徒が守らなければならない」と定めました。

そしてトランステヴェレの聖マリア大聖堂を建設しました。また、アッピア街道にあった墓地も拡張しました。多くの司祭、殉教者をそこで葬る為です。そこでそこにある墓地は、今では聖カリストのカタコンベと呼ばれています。

司祭殉教者であった、カレポディウスという殉教者の遺体を見つけ出さなければならない、という事を霊感を受けて、そしてこの聖人の遺体を発見しました。そしてこの遺体を埋葬する為の墓地を造り、そしてカレポディウスの墓地という名前が付けられました。

教皇として特に主だった事として、墓地を造ったり、あるいは四季の斎日の断食の日を決めたのみならず、多くの人をカトリックの信仰に導きました。特に有名だったのは、ローマの最高役職の執政官であったパルマチウス(Palmatius)という有名な人で、彼をカトリック信者へ導き、洗礼を授けました。また元老院の議員であったシンプリチウス(Simplicius)にも、洗礼を授けました。また特にローマで有名だったフェリックス(Felix)とブランダ(Blanda)と言う人々にも洗礼を授けました。

しかしこのローマのエリートたち、指導階級に洗礼を授けたという事で、その怒りを買った聖カリスト教皇様は、ついに投獄されて、足に枷をはめられました。そしてその教皇様が、聖カリストが洗礼を授けたこの元老院、あるいは議員、あるいは著名な人々も、遂には殉教する事になります。

牢獄にいて、ただその苦しみを捧げていたのみではありませんでした。牢獄にいて、ローマ兵士が、腫瘍で全身が覆われていて、とても苦しんでいたプリバートゥス(Privatus)という兵士がいたのですけれども、その兵士を哀れに思って、奇跡的に彼を癒します、治癒します。するとこの奇跡を受けたローマ兵士は、キリストのその力を知り、「洗礼を受けたい」と思い、そして回心します。遂に彼も殉教します。

ローマ教皇として、ローマの著名な人々を信仰に導いた、イエズス・キリストの教えに服従させたのみではありませんでした。更に12月の四季の斎日の土曜日に、教皇として5年間在期間の間に、5回叙階式を行ないました。その叙階式の間に合計すると、16人の司祭を叙階し、そして4名の助祭を叙階、そして8名の司教も聖別しました。

牢獄に閉じ込められていたカリストは、多くの苦しみを捧げていましたが、特にひどかったのが、食べ物が与えられなかった為に、その飢えと渇きでした。そして体はますます弱り果てて、遂に井戸の中に捨てられて、そしてローマ皇帝アレクサンドルの元で殉教します。西暦222年の事でした。

この遺体はすぐに探されて、カレポディウスの墓地に埋葬されたのですけれども、しかし後に、自分が造ったトラステヴェレの聖マリア大聖堂の主祭壇に、聖遺物が移されました。1960年には、カレポディウスの墓地にあった、その元々の聖カリストの墓地が発見されました、「確かに、ここに埋葬されていた」と。

⑵では、イエズス・キリストの信仰をローマのエリートたちに、指導者たちに伝えて、彼らをイエズス・キリストに服従させて、そしてイエズス・キリストに従うようにさせ、そして使徒たちから伝えられた使徒継承の教えを、特に大斎小斎の教えを規定した、その聖カリストは私たちに、教皇の務めというのは一体何であるという事を、何と教えているでしょうか?

聖ペトロはイエズス様から、「兄弟たちの信仰を固めよ」と命令を受けました。

教皇様の最も重大な使命は、「使徒たちから伝えられた、イエズス・キリストから伝えられて、そして使徒を通して私たちに伝えられた信仰の遺産を、そのまま、イエズス・キリストが教えたまま、私たちに伝えて、それを解説して、それを説明して、そして私たちに伝えるのみならず、後世へとそれを伝達する事」です。

イエズス・キリストは使徒たちに言いました、「全世界に行って、私の教えた事を教えよ。聖父と聖子と聖霊との御名によりて、洗礼を授けよ。もしも信じて洗礼を受けるならば、救われる。しかしそうでないならば、滅ぼされる。」

全世界に行って教皇様は、イエズス・キリストの教えを伝える事を、教える事を命令されました。イエズス・キリストは私たちに何を教えてきたでしょうか?

イエズス・キリストは私たちに、天主が在す、全ての人類を創った唯一の愛に在す天主が存在して、その天主は私たちの父であって、共通のお父さんであって、私たちを子供として愛しておられる。そして愛するがあまりに聖子を、天主聖子をこの世にお与えになった。

「与えた」という事はどういう事かというと、私たちがそれを自由に、必要な時に、私たちがそれを楽しむ事ができる、という事で、全く私たちのものとされた。

どのようにされたかというと、私たちを愛するがあまりこの聖子は、私たちの人間本性を取って、この世で生活されて、私たちの代わりに御血を十字架の上で流されて、そして贖いをされた。

「友の為に命を与えるほど大きな愛はない。」イエズス・キリストは私たちの為に、御自分の命を与えられた。そしてこの世の終わりまで、私たちを愛するが為に留まり給う。そして私たちの為に、天国の門をもう一度開いて下さった。超自然の命、天主の命への参与の特権を下さった。

聖パウロは言います、「私は、イエズス・キリスト、十字架に付けられたイエズス・キリストしか伝えない、教えない。私の宣教するものは、十字架に付けられたイエズス・キリストだけだ。その他のものは塵芥だ」と。

なぜかというと、私たちはイエズス・キリストのこの十字架のいけにえによって、天主の三位一体の養子となったからです。天主三位一体が、私たちの霊魂に特別にお住みになろう、私たちの心をその宮殿として、皇居として、私たちの霊魂に住み給う、そして私たちのこの地上の生活から既に、天国への喜びを始めよう、と思われたからです。

イエズス・キリストは私たちに、超自然の命を、永遠の命の事を教えて下さいました。ですから、「貧しい者は幸いなるかな。天の国は彼らのものである。」「私の為に迫害を受ける者は幸いなるかな。喜べ、彼らの報いは天国では最も大いなるものである」と仰いました。

イエズス・キリストの教えはまさに、この地上での事ではなくて、「私たちが天国に行く為に、その為に、天主がどれほどお愛しになっているか」という事に尽きます。

この事を見ると、イエズス様は、人となった天主は、イエズス・キリストが私たちに教えて、そして使徒から教えられた信仰の遺産というのは、環境問題の事ではないという事が分かります。あるいは小さき者が差別されているとか、あるいは人権問題という事ではないという事がよく分かります。

イエズス様の教えたものは、天主の権利です。私たちは天主に、三位一体に、この世を創り、私たちを愛して下さっておられる、極みなく愛して下さっている天主を父として、それをこの愛を信じて、私たちは天主を礼拝する義務がある。その天主を知り、礼拝し、この天主に希望し、天主を愛する義務がある。私たちの義務について、天主を愛する義務について、十戒について、教えられました。愛の掟について教えられました。

そこで、教皇様の務めは明らかです。
聖パウロも言う通り、「全てを、キリストにおいて復興させる。全てを、キリストにおいてもう一度秩序立てる。天主に向けて秩序立てる。贖いの業を完成させる。」
「私は、あなたたちの中にあって、イエズス・キリスト、十字架につけられたイエズス・キリストのほかには、何も知るまいと決心した。」
「実に、主イエズス・キリストを知るというすぐれたことに比べれば、その他のことは何によらず損だとおもう。私はかれのためにすべてを損する。そしてキリストを得るためには、すべてが芥だと思う。」
聖ペトロが言ったように「救いは主イエズス・キリスト以外の者によっては得られません。全世界に、私たちが救われるこれ以外の名は、人間にあたえられませんでした。」

⑶では、私たちは今回、どのような遷善の決心を立てれば良いでしょうか?

今ローマで、アマゾンのシノドスというのが行なわれていますが、色々な高位聖職者たちから、枢機卿あるいは司教たちから、警告の声があがっています、「そのアマゾンのシノドスに参加している人たちの発言は、カトリック教会の信仰の遺産ではない。別の宗教の教えであって、使徒継承の教えではない」と。

ですから私たちはまず、教皇様が、カトリックの信仰を、信仰の遺産を正しく私たちに伝えて下さる事ができるように、御恵みをお祈り致しましょう。

第2に、教皇様が日本に来られる時に、私たちは特に教皇様の為に、そして日本の方々の為にお祈り致しましょう。なぜかというと、「信仰」というのは、超自然の御恵みだからです。私たちがいくら説得しても、もちろん私たちはその信仰への準備をする事ができますけれども、しかし超自然の天主、超自然の生命、超自然の目に見えない三位一体の神秘、イエズス・キリストの神秘を、超自然的に信じる事は、これは天主の御恵みであるからです。ですからこの超自然の御恵みを日本の多くの方が受けるように、お祈りを致しましょう。教皇様が日本に来られるというのは、その御恵みを受ける良き機会となりますように。

そして最後に、ファチマでは子供たちにマリア様が色々なビジョンをお見せになりました。それを見た子供たちは、「教皇様の為にたくさん祈らなければならない」と理解しました。秋田でもマリア様は仰いました、「教皇、司教、司祭の為にたくさん祈りなさい」と。

特に10月はロザリオの月でもありますし、特にこの教皇様の来日の準備の為にも、教皇様の為に、たくさんお祈りをする事に致しましょう。聖カリスト教皇殉教者に、このフランシスコ教皇様の為に、特に御取次ぎを乞い願いましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。




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