Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

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【参考資料】【拡散希望】ヴィガノ大司教(前・駐米教皇大使)のトランプ大統領への第二の公開書簡:「グレート・リセット」計画について警告

2020年11月04日 | カトリック・ニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 11月3日アメリカ大統領選挙が始まろうとしております。ヴィガノ大司教のトランプ大統領宛の公開書簡の日本語訳をご紹介いたします。この翻訳をしてくださった大阪の信徒会長に感謝申し上げます。

Abp. Viganò warns Trump about ‘Great Reset’ plot to ‘subdue humanity,’ destroy freedom
ヴィガノ大司教、トランプ大統領に「人類を抑圧し」自由を破壊する「グレート・リセット」計画について警告

2020年10月30日 米国東部標準時間1時1分

カルロ・マリア・ヴィガノ大司教

2020年10月30日(LifeSiteNews) - カルロ・マリア・ヴィガノ大司教は、ドナルド・J・トランプ大統領に向けて、もう一通の公開書簡を書きました。以下、全文をお読みください。それはここをクリックしてPDFで利用可能です。
イタリア語で読むにはここをクリックしてください。または、ここをご覧ください
スペイン語で読むにはここをクリックしてください。
ポルトガル語で読むにはここをクリックしてください。
フランス語で読むにはここをクリックしてください。

***

ドナルド・J・トランプ米大統領への公開書簡

2020年10月25日(主日)
王たるキリストの祝日

大統領閣下、

全世界の運命が天主と人類に対する世界的な陰謀によって脅かされているこの時に、あなたに手紙を出すのをお許しください。私は大司教として、使徒たちの後継者として、前駐米教皇大使として、あなたに手紙をお書きしています。私は、世俗的、宗教的な当局の沈黙のただ中で、あなたに手紙をお書きしているところです。この私の言葉を「荒れ野に叫ぶ者の声」(ヨハネ1章23節)として受け止めてくださいますように。

私が6月にあなたへの手紙をお書きしたときに述べたように、この歴史的瞬間は、悪の勢力が善の勢力に対する戦いにおいて容赦なく戦列を整えているのを見ています。悪の勢力が強力で光の子らに向かって編成されているように見える一方で、光の子らは混乱し、編成されておらず、世俗的および霊的な指導者らによって見捨てられています。

私たちは日々、社会のまさに根幹である自然な家族、人間の生命の尊重、国を愛する心、教育やビジネスの自由などを破壊しようとする者たちの攻撃が増加していることを感じています。

国家のトップたちや宗教指導者たちが、西洋文化とそのキリスト教の魂を破壊しようとするこの自殺行為に迎合しているのを目の当たりにしています。一方で、市民や信者の基本的な権利は、健康上の緊急事態という名目で認められておらず、この緊急事態が残酷な顔のない専制政治を確立するための道具であることがますます完全に明らかになっています。

「グレート・リセット」と呼ばれる世界的な計画が進行中です。この計画の立案者は、全人類を抑圧しようとする世界的エリートであり、個人の自由と全人口の自由を大幅に制限するための強圧的な手段を押し付けています。

いくつかの国では、この計画はすでに承認され、資金が提供されていますが、他の国ではまだ初期段階にあります。この地獄のようなプロジェクトの共犯者であり実行者である世界の指導者たちの背後には、「世界経済フォーラム」と「イベント201」に資金を提供し、彼らの行動計画(アジェンダ)を推進する無節操な人々がいます。

「グレート・リセット」の目的は、自由を殺す措置を強制することを目指してなされる、健康独裁の押し付けです。そして、これは、最低所得補償の保証や個人の借金を帳消しにするという魅力的な約束の裏に隠されています。

これらの国際通貨基金(IMF)からの譲歩の代償は、私有財産を放棄し、ビル・ゲイツが主要な製薬グループの協力を得て推進している新型コロナウイルス感染症(Covid-19、Covid-21)の予防接種プログラムを行うことです。

「グレート・リセット」の推進者を動機づける莫大な経済的利益を超えて、予防接種の実施には、健康パスポートおよびデジタルIDという必要条件が伴い、結果的に全世界の人口の連絡先を追跡することになります。これらの措置を受け入れない人々は、収容所に監禁されるか、軟禁状態に置かれ、すべての資産が没収されます。

大統領閣下、ご存じのことと思いますが、今年末から2021年の最初の三か月の間に「グレート・リセット」が発動される国がいくつかあります。この目的のために、更なる都市封鎖が計画されていますが、これは公式にはパンデミックの第二、第三の波と想定されて正当化されるでしょう。

パニックを引き起こし、個人の自由に対する厳しい制限を合法化し、世界的な経済危機を巧みに挑発するために展開された手段を、あなたはよくご存知でしょう。立案者たちの意向において、この危機は、各国が「グレート・リセット」に頼るのを不可逆的なものにし、それによって、その存在と記憶を完全に抹消しようとしている一つの世界に最終的な打撃を与えることになるでしょう。

しかし、大統領閣下、この世界には、人々、愛情、制度、信仰、文化、伝統、理想があります。人々と価値観は自動人形のようには行動しません、機械のようには従いません。

何故なら、彼らには霊魂と心が与えられているからです。何故なら彼らは霊的な絆で結ばれているからで、この絆は、上から、天主からその力を引き出します。この天主に対して、私たちの敵たちは、ちょうどルチフェルが時の始めに「私は仕えない(non serviam)」の雄叫びをしたように挑もうとしているのです。

私たちがよく知っているように、多くの人々は、善と悪の間の決戦とか「黙示録的な」含蓄の使用とかという、このような言い回しに悩まされています。彼らによると、これらは精神をイライラさせ、分裂を大きくさせます。敵が邪魔されずに征服しようとしている城塞に到達したと信じているまさにそのときに見つかってしまったと怒っていることは、驚くべきことではありません。

しかしながら、驚くべきことは、警報を鳴らすべき者が誰もいないということです。その計画を糾弾する人々に対するディープ・ステートの反応は、壊れていて支離滅裂ですが、理解はできます。主流メディアの共謀が新世界秩序(New World Order)への移行をほとんど痛みもなく、気づかれずに成功させていたまさにその矢先、あらゆる種類の欺瞞、不祥事、犯罪が明るみに出てきているからです。

数カ月前までは、これらの恐ろしい計画を糾弾する人々を「陰謀論者」と中傷するのは簡単でした。私たちはいま、この計画が細部に至るまで実行されつつあるのを見ています。私たちの都市のすべてで、市民が通りを歩きたい、息をしたい、仕事を続けてしたい、日曜日に教会に行きたいというだけで逮捕されるとは、2月までは誰も考えたことがなかったことでしょう。しかし今、それは世界中で起こっています。

多くの米国人が、古代のモニュメント、教会、魅力的な都市、特徴的な村がある、小さな魅惑的な国だと思っている、絵はがきにあるイタリアでさえも。政治家が自分の宮殿の中でバリケードを張り巡らせ、ペルシャのサトラップ【地方総督】のような命令を公布している間に、企業は倒産し、店は閉店し、人々は生活や旅行、労働、祈りができなくなっています。

この作戦の悲惨な心理的影響はすでに見られ、絶望した企業家たちの自殺や、友人やクラスメートから隔離され、家でパソコンの前に一人で座りながら授業についていくように言われた子どもたちの自殺で始まっています。

聖書の中で、聖パウロは、「罪悪の奥義」の現れを「とどめている者」である「カテコン(kathèkon, katechon)」(テサロニケ後書2章6-7節)について私たちに語っています。宗教的な領域では、この悪を阻む者とは、教会、特にローマ教皇のことであり、政治的な領域では、新世界秩序の確立を妨げる者のことです。

【訳注:テサロニケの後の手紙の第二章には「かの者が、時いたってあらわれ出るまでとどめているのはなにかを、もうあなたたちは知っている。罪悪の奥義はすでに内にはたらいている。ただ、それを止めているものがいつか除かれるときまでのことである」とある。つまり、反キリストの来臨は、それを「止めているもの」το κατεχον(katechon)が、取り去られて無くなるまでは来ない、とされている。】

今では明らかなように、ペトロの座を占めている者は、世界統一主義のイデオロギーを擁護し、推進して、その同類の中から自分を選んだディープ・チャーチの行動計画を支持するために、最初から自分の[教皇としての]役割を裏切ってきました。

大統領閣下、あなたは、天主の下にある国家を、基本的な自由を、今日では否定され争われている譲れない価値観を守りたいと明言なさっています。親愛なる大統領閣下、あなたこそ、ディープ・ステートを、闇の子らの最終的な攻撃を「止めている者」なのです。

この理由から、すべての善意の人々が、差し迫った選挙の持っている歴史的重要について確信する必要があります。

あれやこれの政治的プログラムのためというよりは、この特別な歴史的文脈の中で私たちの世界を最高に体現しているあなたの行動が持つ全般的なインスピレーション【注:ここでは、家族や郷土や祖国への愛、信仰、文化、伝統、歴史、理想などの行動の原動力となるような息吹きのこと】のためです。この私たちの世界を、彼らは都市封鎖という手段によって消し去ってしまおうと望んでいるからです。あなたの敵はまた、私たちの敵でもあります。それは人類の敵であり、「初めから人殺し」(ヨハネ8章44節)である者【すなわちサタン】です。

あなたの周りには、あなたを世界的な独裁体制に対抗する最後の守備隊だとみなす人々が、信仰と勇気をもって集まっています。

もう一つの選択肢[として提示されていること]は、ディープ・ステートに操られ、不祥事と腐敗で激しく妥協している人物に投票することです。その人物は、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオが教会に対して行っていることを、コンテ首相がイタリアに対して、マクロン大統領がフランスに対して、サンチェス首相がスペインに対して、その他の指導者が自分の国に対して行っていることを、米国に対して行うでしょう。

ジョー・バイデンの恐喝されやすい性質は、ちょうどバチカンの「魔法のサークル(magic circle)」の高位聖職者たちのそれと同じように、彼が無節操に利用されることを露呈させ、非合法な権力者たちが国内政治だけでなく国際的な均衡にも干渉することを可能にするでしょう。彼を操る者たちは、すでに彼よりも悪い人物を用意しており、機会があればすぐに彼をその人物に取り換えるであろうことは明らかです。

しかし、「見えぬ敵」の一見止むことのない前進という、この荒涼とした絵の中に、一つの希望の要素が浮かび上がってきます。敵は愛する方法を知らないため、大衆を服従させ、家畜のように烙印を押されるよう大衆を納得させるためには、最低所得補償を保証したり、住宅ローンを帳消しにしたりするだけでは十分ではないことを理解していません。あまりにも長い間、憎悪に満ちた専制的な権力の虐待に耐えてきたこの民は、自分たちには霊魂があることを再発見しつつあります。

この「グレート・リセット」を計画した人々は、自分たちの権利を守り、愛する人を守り、子や孫に未来を与えようと街頭に出る準備ができている人々がまだいることを理解していないため、この「グレート・リセット」は失敗する運命にあります。世界統一計画の非人間的な世界均一化は、光の子らの確固とした勇気ある反対に直面して、惨めに打ち砕かれるでしょう。

敵には、自分の側に、憎む方法しか知らないサタンがいます。しかし私たちの側には全能の主、陣立てを整えし万軍の天主と、いにしえの蛇【サタン】の頭を打ち砕き給う、いとも聖なる童貞がおられます。「天主がもし私たちの味方なら、誰が私たちに反対できよう」(ローマ8章31節)。

大統領閣下、あなたはよくご存じのことと思いますが、この決定的な時期において、米国は防御壁とみなされています。この防御壁を壊すために、世界統一主義の提唱者が宣戦布告した戦争が繰り広げられています。主に信頼を置いてください。「私を強め給うお方において、私にはすべてができる」(フィリッピ4章13節)という使徒パウロの言葉によって強められてください。

天主の御摂理の道具となることは大いなる責任であり、そのためにあなたに必要な、地位にふさわしい恩寵を必ずあなたはお受けになるでしょう。何故なら、祈りであなたを支える多くの人々があなたのために熱心に懇願して祈っているからです。

この天からの希望と、あなたと大統領夫人、あなたの協力者たちのために私の祈りがあることを保証して、私は心を込めてあなたに祝福をお送りします。

God bless the United States of America!
(米国に天主の祝福がありますように!)

+カルロ・マリア・ヴィガノ
ウルピアナの名義大司教
前駐米教皇大使


【参考資料】【ニュース速報】カルロ・マリア・ヴィガノ大司教(前・駐アメリカ合衆国教皇大使)のトランプ大統領への書簡(2020年6月7日)

【参考資料】【ニュース速報】カルロ・マリア・ヴィガノ大司教(前・駐アメリカ合衆国教皇大使)のトランプ大統領への書簡(2020年6月7日) - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

アヴェ・マリア・インマクラータ!愛する兄弟姉妹の皆様、カルロ・マリア・ヴィガノ大司教(前・駐アメリカ合衆国教皇大...

【参考資料】【ニュース速報】カルロ・マリア・ヴィガノ大司教(前・駐アメリカ合衆国教皇大使)のトランプ大統領への書簡(2020年6月7日) - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

【拡散希望】ヴィガノ大司教:私たちの主がその絶対的首位権を認められる典礼へと立ち返りましょう。まさに天主の御稜威への憎しみから改革主義者たちが改悪した以前の、本来の礼拝へと立ち返りましょう。

【拡散希望】ヴィガノ大司教:私たちの主がその絶対的首位権を認められる典礼へと立ち返りましょう。まさに天主の御稜威への憎しみから改革主義者たちが改悪した以前の、本来の礼拝へと立ち返りましょう。 - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

アヴェ・マリア・インマクラータ!愛する兄弟姉妹の皆様、2020年8月6日に、LifeSiteNewsのスタッフの方々のために、ヴィガノ大司教...

【拡散希望】ヴィガノ大司教:私たちの主がその絶対的首位権を認められる典礼へと立ち返りましょう。まさに天主の御稜威への憎しみから改革主義者たちが改悪した以前の、本来の礼拝へと立ち返りましょう。 - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

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11月2日、全ての死せる信者の記念日(追思已亡 추사이망)聖伝のミサのラテン語・日本語・中文の対訳:第三ミサのテキストをご紹介いたします

2020年11月04日 | ミサ聖祭

11月2日、全ての死せる信者の記念日(追思已亡 추사이망)聖伝のミサのラテン語・日本語・中文の対訳:第三ミサのテキストをご紹介いたします

十一月二日 全ての死せる信者の記念 第三ミサ

IN COMMEMORATIONE OMNIUM FIDELIUM DEFUNCTORUM 全ての死せる信者の記念(第三ミサ) 追思已亡 第三台弥撒
Feria I classis 一級平日 黒 一等复式【黑】
Ant. ad Introitum. 4 Esdr. 2, 34 et 35 入祭文 エズラ第四2:34-35 进台咏(厄四2:34-35)
Réquiem ætérnam dona eis, Dómine : et lux perpetua lúceat eis. 主よ、永遠の休息を彼らに与え給え。絶えざる光が彼らに光らんことを。 主啊!求祢赐与他们永远的安息,并以祢的永光照耀他们。
Ps. 64, 2-3 詩篇 64ノ2-3 咏64:2-3
Te decet hymnus, Deus, in Sion, et tibi reddétur votum in Ierúsalem : exáudi oratiónem meam, ad te omnis caro véniet. 天主よ、シオンにおいて、御身に賛歌がふさわしい。エルザレムにおいて、御身に祈願をささげることが[ふさわしい]。私の祈りを聞き入れ給え。御身に全ての肉[人間]行くだろう。 天主啊!熙雍的人都要称扬祢;所许的愿,也要在耶路撒冷向祢偿还。俯听我祈祷的主啊!凡有血气的,都要来接近祢。
Réquiem ætérnam dona eis, Dómine : et lux perpetua lúceat eis. 主よ、永遠の休息を彼らに与え給え。絶えざる光が彼らに光らんことを。 主啊!求祢……。
Oratio 集祷文 集祷经
Deus, véniæ largítor, et humánæ salútis amátor : quǽsumus cleméntiam tuam ; ut ánimas famulórum famularúmque tuárum, quæ ex hoc sǽculo transiérunt, beáta María semper Vírgine intercedénte cum ómnibus Sanctis tuis, ad perpétuæ beatitúdinis consórtium perveníre concédas. 天主よ、赦しを与える方にして人類の救いを愛する方よ、われらは、御身の慈悲を願い奉る、願わくは、この世を去った、御身のしもべとはしためとの霊魂らを、終生童貞なる聖マリアと全ての諸聖人のとりつぎにより、永遠の幸福の列に到達するを給わんことを。天主として…。 天主,祢是普施宽宥、喜爱人们获救的,我们求祢大发慈悲:使已逝世的祢诸仆婢的灵魂,赖着卒世童贞圣母玛利亚以及诸圣的转达,得偕同他们共享永福。因我们主……。
Léctio libri Apocalýpsis beáti Ioánnis Apostóli. 使徒聖ヨハネの黙示録の朗読 书信
Apoc. 14, 13. 黙示録 14ノ13 (默14:13)
In diébus illis : Audívi vocem de cælo, dicéntem mihi : Scribe : Beáti mórtui, qui in Dómino moriúntur. Amodo iam dicit Spíritus, ut requiéscant a labóribus suis ópera enim illórum sequúntur illos. その時、私は私は天から声を聞いた。それは私にこう言った「書け、〈主において死ぬ死者たちは幸いである〉。そのとおりとすでに霊も言われる。彼らはその労苦を休む。実に、彼らの業(わざ)は彼らに従う」と。 那时、我听见从天上有声音说:“写下来:死在主怀中的人是有福的。圣神说:是的、他们以前辛劳了,今后让他们休息吧:因为他们的功劳永远不离开他们。”
Graduale. 4 Esdr. 2, 34 et 35 昇階誦 台阶咏(厄四2:34-35)
Réquiem ætérnam dona eis, Dómime : et lux perpétua lúceat eis. 主よ、永遠の休息を彼らに与え給え。絶えざる光が彼らに光らんことを。 主啊!求祢赐与他们永远的安息,并以祢的永光照耀他们。
V/. Ps 111, 7 In memória ætérna erit iustus : ab auđitióne mala non timébit. V/. 詩篇、111ノ7. 義人は永遠の記憶のうちにあるだろう、彼は悪しき[宣告]を聞くことをおそれないだろう。 连唱咏
Tractus. 詠誦 主啊!求祢赦免已亡诸信者的灵魂、脱离他们罪过的一切羁绊。
Absólve, Dómine, ánimas ómnium fidelium defunctórum ab omni vínculo delictórum. 主よ、死んだ信者すべての霊魂らを、全ての罪の鎖から解き放ち給え。 望他们赖祢圣宠的助佑、能脱免复仇的审判,
V/. Et grátia tua illis succurrénte mereántur evádere iudícium ultiónis. V/. また、御身の恩寵が彼らを助け、最後の裁きから逃れるに値せんことを。 并获享永光的幸福。
V/. Et lucis ætérnæ beatitúdine pérfrui. V/. そして永遠の光明の幸福を味わんことを。
Sequentia 続誦 (ディエス・イレ) 继抒咏
Dies iræ, dies illa, 怒りの日である、かの日、 依照达味与女先知,
Solvet sæclum in favílla : ダヴィドとシビッラとの[予言の]証言によれば、 预告世界将归烬灰,
Teste David cum Sibýlla. この世が灰に帰すだろう。 那天真是主震怒的日期!
Quantus tremor est futúrus, 恐怖はいかばかりであろうか 审判大主降临之时,
Quando iudex est ventúrus, すべてを厳格に糺(ただ)すために 追问一切清算无遗,
Cuncta stricte discussúrus. 審判者が来給うとき。 我心我灵将颤栗无比。
Tuba mirum spargens sonum ラッパが不思議な響きを撒き散らし 号筒响遍四方八极,
Per sepúlcra regiónum, 各地域の墓らを通して 死过众生起自墓穴,
Coget omnes ante thronum. 全て[人類]を玉座の前に集めるだろう。 向判主座前都来聚集。
Mors stupébit et natúra,  死と自然界とはおどろくだろう、 善者恶者都要复生,
Cum resúrget creatúra,  被造物[の人間]が、よみがえるだろう時、 前往判主答复鞫讯,
Iudicánti responsúra. 審判者に答えるために。 死与体质将不胜怖惊!
Liber scriptus proferétur,  書き記された本がもち出されるだろう、 那时展开案卷巨册,
In quo totum continétur,  そこにはすべてが[書かれ]収められているだろう、 其中纪录详细明白,
Unde mundus iudicétur. そこから、この世は裁かれるだろう。 全关审判普世的事迹。
Iudex ergo cum sedébit.  審判者が[審きの座に]座るだろうとき、 判主在座秋毫明察,
Quidquid latet apparébit :  隠れていることはことごとく明るみに出るだろう、 一切隐密显露透骨,
Nil inúltum remanébit. 裁かれずに残るものは何もないだろう。 断无一罪能逃脱谴罚。
Quid sum miser tunc dictúrus ?  そのとき、憐れな私は何を言おうか。 那时义者也难安心,
Quem patrónum rogatúrus,  どんな弁護者に頼もうか。 嗟我罪人何可诉陈,
Cum vix iustus sit secúrus ? 義人さえも、ほとんど安全ではないのに。 将呼何人作我的护身?
Rex treméndæ maiestátis,  畏るべき御稜威(みいつ)の王よ、 祢是赫赫威严君王,
Qui salvándos salvas gratis,  御身は救われるべき者らを無償で救い給う 凡蒙救者由祢恩赏,
Salva me, fons pietátis. 優しさの泉よ、私を救い給え。 仁慈之源请救我勿忘。
Recordáre, Iesu pie,  優しきイエズスよ、記憶し給え、 至慈耶稣求祢记忆,
Quod sum causa tuæ viæ :  御身の[地上での]御生涯の理由はこの私だったことを。 为着救我曾来犹国,
Ne me perdas illa die. かの日に、私を失い給うな。 切勿在那日把我殄灭。
Quærens me, sedésti lassus :  私をさがし求め、御身は疲れて座られた。 主为觅我奔走碌碌,
Redemísti crucem passus :  十字架を苦しみ、御身は[私を]贖い給うた。 被钉苦架把我救赎,
Tantus labor non sit cassus. かくも大いなる労苦が、空しくならんことを。 望此苦楚切勿无结局。
Iuste iudex ultiónis,  罰を与える正義なる審判者よ、 主的判决公正不偏,
Donum fac remissiónis   赦しの賜物をなし給え、 求祢容我清算日前,
Ante diem ratiónis. 報告の日の前に。 蒙受洪恩而恕免罪愆。
Ingemísco, tamquam reus :  私は、被告として嘆く、 我如罪犯挥泪忧惔,
Culpa rubet vultus meus :  私の顔は、罪で[恥じて]赤くなる、 因着罪愆满面羞惭,
supplicánti parce, Deus.  天主よ、請い願う私を容赦し給え。 恳求祢宽恕我的不堪。
Qui Maríam absolvísti,  御身は[マグダラの]マリアを赦し給うた、 玛达肋纳偕同右盗,
Et latrónem exaudísti,  [善い]盗賊の願いを聞き入れ給うた、 得祢宽恕与祢和好,
Mihi quoque spem dedísti. 私にも、希望を与え給うた。 勿使我失却祢的依靠。
Preces meæ non sunt dignæ :  私の祈りは、価値のないものである、 我的祈祷实属不堪,
Sed tu bonus fac benigne,  しかし、良き御身は優しく行い給え、 仗祢仁慈邀祢容涵,
Ne perénni cremer igne. 私が永遠の火に焼かれないように。 请救我于永火的难关。
Inter oves locum præsta,  羊らの中に場所を与え給え、 绵羊群内请给我位,
Et ab hædis me sequéstra,  牡山羊らから私を引き離し給え、 从山羊中把我引退,
Státuens in parte dextra. 御右に置き給え。 请将我置于祢的右队。
Confutátis maledictis,  罰を受けた呪われた者どもが、 祢使恶群惭愧慑服,
Flammis ácribus addíctis :  激しい火の中に加えられる時、 又把他们投诸永狱,
Voca me cum benedictis. 祝福された者らとともに私を呼び給え。 请招我享善人的永福。
Oro supplex et acclínis,  私はひれ伏して懇願し奉る、 向祢哀恳伏地战栗,
Cor contrítum quasi cinis :  心は灰のように砕かれた、 因着痛悔我心碎裂,
Gere curam mei finis. 私の最期の世話をなし給え。 求祢垂顾于我的末日。
Lacrimósa dies illa,  かの日は、涙の日、 罪犯复活起自土尘,
Qua resúrget ex favílla.  その日、塵からよみがえるは 应受审判到主法庭,
Iudicándus homo reus : 裁かれるべき被告なる人間。 真是悲惨日期的临身。
Huic ergo parce Deus :  だから天主よ、彼を容赦し給え、 吾主耶稣仁慈无匹,
Pie Iesu Dómine,  主よ、優しきイエズスよ、 请给罪犯宽恕怜恤,
Dona eis réquiem. Amen. 彼らに安息を与え給え。アメン。 并求祢赐与他们安息。阿们。
+ Sequéntia sancti Evangélii secundum Joánnem. ヨハネによる聖福音の続誦 福音
Ioann. 6, 51-55 ヨハネ 6ノ51-55 (若6:51-55)
In illo tempore : Dixit Iesus turbis iudæórum : Ego sum panis vivus, qui de cælo descéndi. Si quis manducáverit ex hóc pane, vivet in ætérnum : et panis, quem ego dabo, caro mea est pro mundi vita. Litigábant ergo Iudæi ad ínvicem, dicentes : Quómodo potest hic nobis carnem suam dare ad manducándum ? Dixit ergo eis Iesus : Amen, amen dico vobis : nisi manducaveritis carnem Fílii hóminis, et biberitis eius sánguinem, non habebitis vitam in vobis. Qui mandúcat meam carnem et bibit meum sánguinem habet vitam ætérnam : et ego resuscitábo eum in novíssimo die. そのとき、イエズスはユダヤ人の群集に仰せられた。天からくだった生きるパンは私であって、このパンを食べる人は永遠に生きる。そして私の与えるパンは、世の命のためにわたされる私の肉である」。そこでユダヤ人たちは、「この人は、どのようにして、自分の肉を私たちに食べさせるのだろう」とたがいに議論しあった。イエズスは、「まことにまことに、私はいう。人の子の肉を食べず、その血をのまなければ、あなたたちの中には命がない。私の肉を食べ、私の血をのむ人は永遠の命を有し、終りの日にはその人々を私は復活させる。私の肉はまことの食物であり、私の血はまことの飲み物であるから、 那时候,耶稣向犹太群众说:“我是自天而降的活粮;谁吃了这粮食,将永远活着。我要给的粮食,就是我的肉,作为世界的生命。”于是犹太人彼此争论说:“这人怎能将自己的肉给我们吃?”耶稣对他们说:“我切切实实告诉你们:你们若不吃‘人子’的肉,不喝祂的血,在你们内没有生命。谁吃我的肉,喝我的血,就有永生,我在末日要叫他复活。
Ant. ad Offertorium. 奉献文 奉献咏
Dómine Iesu Christe, Rex glóriæ, libera ánimas ómnium fidelium defunctórum de pænis inférni et de profúndo lacu : libera eas de ore leónis, ne absórbeat eas tártarus, ne cadant in obscúrum : sed sígnifer sanctus Míchaël repræséntet eas in lucem sanctam : 主イエズス・キリスト、光栄の王よ、全ての死んだ信者の霊魂らを、地獄の罰と深い池とから救い出し給え、獅子の口から彼らを解き放ち給え。願わくは[地獄の]深淵が彼らを飲み込まず、暗闇に倒れぬことを。旗手聖ミカエルが、彼らを聖なる光に導かんことを。 主耶稣基督、荣光的君王,求祢救拔已亡诸信者的灵魂,脱免阴府的刑罚与深渊的极处。求祢拯救他们脱离猛狮的口;求祢不容深坑吞灭他们,并不容他们陷落于幽暗的处所。但望祢的总领天神圣弥额尔、引导他们入于至圣的光明之中。
* Quam olim Abrahæ promisisti, et sémini eius. * 御身が、その昔、アブラハムとその子孫とに約束し給うたその光に。 这光明是祢昔时许给了亚巴郎和他之子孙的。
V/. Hóstias et preces tibi, Dómine, laudis offérimus : tu súscipe pro animábus illis, quarum hódie memóriam fácimus : fac eas, Dómine, de morte transíre ad vitam. V/. 主よ、賛美のいけにえと祈りとを、われらは御身に捧げ奉る。本日我らがその記念をする霊魂らのために、これを受け入れ給え。主よ、彼らを死から生命へと移し給え。 主啊!求祢把我们为赞颂祢所呈奉的祈祷与祭献,惠然收纳,为使我们今天所纪念的灵魂,由死亡而迁入于生命。
* Quam olim Abrahæ promisísti et sémini eius. * 御身が、その昔、アブラハムとその子孫とに約束し給うたその生命に。 这生命是祢昔时许给了亚巴郎和他之子孙的。
Secreta. 密誦 密祷经
Deus, cuius misericórdiae non est númerus, súscipe propítius preces humilitátis nostræ : et animábus ómium fidélium defunctórum, quibus tui nóminis dedísti confessiónem, per hæc sacraménta salútis nostræ, cunctórum remissiónem tríbue peccatórum. 天主よ、御身の憐みは無数なり。われらの謙遜の祈りを憐んで受け入れ給え。全ての死せる信者の霊魂らに、御身の御名を告白[する恵み]を御身は与え給うた。その彼らに、我らの救いのこの神秘を通して、各々の罪のゆるしを与え給え。天主として…。 天主,祢的仁慈是无限无量的,求祢惠然接受我们谦卑的祈祷,使已亡诸信者的灵魂既曾得信仰祢名的特恩,现今能赖这个救赎之祭、获得诸罪的赦免。因我们主……。
Præfatio defunctorum. 死者の序誦 为亡者的颂谢引
Vere dignum et iustum est, æquum et salutáre, nos tibi semper et ubíque grátias ágere : Dómine, sancte Pater, omnípotens ætérne Deus : per Christum Dóminum nostrum. In quo nobis spes beátæ resurrectiónis effúlsit, ut quos constrístat certa moriéndi condítio, eósdem consolétur futúræ immortalitátis promíssio. Tuis enim fidélibus, Dómine, vita mutátur non tollítur, et dissolúta terréstris huius incolátus domo, ætérna in cælis habitátio comparátur. Et ídeo cum Angelis et Archángelis, cum Thronis et Dominatiónibus, cumque omni milítia cæléstis exércitus, hymnum glóriæ tuæ cánimus, sine fine dicéntes.   Sanctus, ... 主よ、聖なる父よ、全能永遠の天主よ、われらの主キリストによって、われらがいつも、どこにても、主に感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいことであり、われらの義務と救いである。かれにおいて、幸せな復活の希望が、われらに輝いた。確実に死ぬべき条件により悲しむ者たちを、未来の不死の約束が慰めるためである。主よ、御身の信者たちにとって、生命は、取り去られるのではなく、変えられるのであり、この地上の肉身の住まいは滅びても、天において永遠のすみかを与えられるからである。ゆえに、天使、大天使と共に、座天使と主天使と共にまた天の万軍と共に、われらは、きわまりなく、主の御光栄の讃歌をうたい続けよう。 聖なるかな、… 主、至圣的父、全能永生的天主,我们藉我们主基督、时时处处颂谢祢,实是正义而必须的,属于我们天职的,也属我们得救的。因在基督身上给我们炫示着幸福复活的希望,使那些为着人性必死的现世所深怀忧伤的人们,凭有来日永生不死的恩许、而大感欣慰。主啊!对于信仰祢的人、生命并非被毁灭,只是改变而已:这个世上寄居的住所一经解体,天上就有个永远的安宅供给我们。为此、我们随同诸位天神、总领天神、上座者和宰制者以及天上万军、合唱光荣祢的圣歌,无穷期地说﹕圣、圣、圣……。
Ant. ad Communionem. 聖体拝領誦 领主咏(厄四2:34-35)
Lux ætérna lúceat eis, Dómine : Cum sanctis tuis in ætérnum : quia pius es. 主よ、永遠の光りが彼らに輝かんことを。* 御身の聖人らととともに永遠に。何故なら御身は優しいからである。 主啊!求祢赐与他们永远的安息,由于祢的仁慈,使他们永远偕同祢的诸圣。
V/. Réquiem ætérnam dona eis, Dómine : et lux perpétua lúceat eis : Cum Sanctis tuis in ætérnum : quia pius es. V/. 主よ、永遠の休息を彼らに与え給え。そして永遠の光りが彼らに輝かんことを。* 御身の聖人らととともに永遠に。何故なら御身は優しいからである。 主啊,求祢赐给他们永远的安息,并以祢的永光、照耀他们。
Cum sanctis tuis in ætérnum : quia pius es. 御身の聖人らととともに永遠に。何故なら御身は優しいからである。 由于祢的仁慈,使他们永远偕同祢的诸圣。
Postcommunio. 聖体拝領後の祈 领后经
Præsta, quǽsumus, omnípotens et miséricors Deus, ut ánimæ famulórum famularúmque tuárum, pro quibus hoc sacrificium laudis tuæ obtúlimus majestáti ; per huius virtútem sacraménti a peccátis ómnibus expiátæ, lucis perpétuæ, te miseránte, recípiant beatitúdinem 全能の憐れみ深い天主よ、御身のしもべとはしためとの霊魂らのために、この賛美の犠牲(いけにえ)を御身の御稜威(みいつ)に我らが捧げ奉りたり。願わくは、彼らが、この秘蹟の力を通して、すべての罪から浄められ、御身の憐み給うにより、絶えざる光の至福を受けんことを。天主として…。

全能至慈的天主,我们已将这个赞颂之祭呈献于祢的尊威,为救助祢仆婢们的灵魂;求祢赏赐他们:能赖这圣祭的功效、消除一切的罪污,并靠祢的仁慈、获享永光之福。因我们主……。

 

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11月2日、全ての死せる信者の記念日(追思已亡 추사이망)聖伝のミサのラテン語・日本語・中文の対訳 第二ミサのテキストをご紹介いたします

2020年11月04日 | ミサ聖祭

11月2日は、全ての死せる信者の記念日(追思已亡 추사이망)でした。聖伝のミサのラテン語・日本語・中文の対訳の第二ミサのテキストをご紹介いたします

十一月二日 全ての死せる信者の記念 第二ミサ

IN COMMEMORATIONE OMNIUM FIDELIUM DEFUNCTORUM 全ての死せる信者の記念(第二ミサ) 追思已亡 第二台弥撒
Feria I classis 一級平日 黒 一等复式【黑】
Ant. ad Introitum. 4 Esdr. 2, 34 et 35 入祭文 エズラ第四2:34-35 进台咏(厄四2:34-35)
Réquiem ætérnam dona eis, Dómine : et lux perpetua lúceat eis. 主よ、永遠の休息を彼らに与え給え。絶えざる光が彼らに光らんことを。 主啊!求祢赐与他们永远的安息,并以祢的永光照耀他们。
Ps. 64, 2-3 詩篇 64ノ2-3 咏64:2-3
Te decet hymnus, Deus, in Sion, et tibi reddétur votum in Ierúsalem : exáudi oratiónem meam, ad te omnis caro véniet. 天主よ、シオンにおいて、御身に賛歌がふさわしい。エルザレムにおいて、御身に祈願をささげることが[ふさわしい]。私の祈りを聞き入れ給え。御身に全ての肉[人間]行くだろう。 天主啊!熙雍的人都要称扬祢;所许的愿,也要在耶路撒冷向祢偿还。俯听我祈祷的主啊!凡有血气的,都要来接近祢。
Réquiem ætérnam dona eis, Dómine : et lux perpetua lúceat eis. 主よ、永遠の休息を彼らに与え給え。絶えざる光が彼らに光らんことを。 主啊!求祢……。
Oratio 集祷文 集祷经
Deus, indulgentiárum Dómine : da animábus famulórum famularúmque tuárum refrigérii sedem, quiétis beatitúdinem et lúminis claritátem. Per Dóminum. 天主よ、赦しの主よ、御身のしもべとはしためとの霊魂らに、憩いの座と、休息の至福と、光の輝きとを与え給え。天主として…。 天主,宽仁之主,求祢将爽适、安息、及荣光的住所、赐给祢仆婢们的灵魂。因我们主……。
Léctio libri Machabæórum. マカベオの書の朗読 书信
2. Mach. 12, 43-46. マカベオの書下 12ノ 43-46  (加下12:43-46)
In diébus illis : Vir fortíssimus Iudas, facta collatióne, duódecim mília drachmas argénti misit Ierosólymam, offérri pro peccátis mortuórum sacrifícium, bene et religióse de resurrectióne cógitans (nisi enim eos, qui cecíderant, resurrectúros speráret, supérfluum viderétur et vanum oráre pro mórtuis) : et quia considerábat, quod hi, qui cum pietáte dormitiónem accéperant, óptimam habérent repósitam grátiam. Sancta ergo et salúbris est cogitátio pro defunctis exoráre, ut a peccátis solvántur. その時:それから一人の人についていくらかの額を決めて募金を行い、二千ドラクマの銀を集め、罪償のいけにえを捧げるようにエルサレムに送った。それは復活の考えによるもので、気高い良い行いというべきだった。じつに死んだ人たちのよみがえりを希望していなかったら、死者のために祈ることは無益な空しいことであったろう。彼は敬虔に眠りに入った人たちにすばらしい報いが準備されていると考えていた。これは聖い信心深い考えである。そのために彼は死者のための償いのいけにえをささげ、罪から解き放そうとした。 那时、即当犹太人与哥尔基雅的部队作战以后,慷慨的犹大向每人募捐,得款两千得辣克玛,送到耶路撒冷作为亡者赎罪祭的献仪,因他想到复活;这真是一种又美好又高尚的做法。如果他不希望那些已死的人还要复活,为亡者祈祷、便是一种多余而毫无意义的事。不但如此、而且他还想到为那些死在虔敬中的人所保留下卓越的酬报。这实在是一神圣而热诚的思念。为此他为亡者献赎罪祭,好叫他们获得罪赦。
Graduale. 4 Esdr. 2, 34 et 35 昇階誦 台阶咏(厄四2:34-35)
Réquiem ætérnam dona eis, Dómime : et lux perpétua lúceat eis. 主よ、永遠の休息を彼らに与え給え。絶えざる光が彼らに光らんことを。 主啊!求祢赐与他们永远的安息,并以祢的永光照耀他们。
V/. Ps 111, 7 In memória ætérna erit iustus : ab auđitióne mala non timébit. V/. 詩篇、111ノ7. 義人は永遠の記憶のうちにあるだろう、彼は悪しき[宣告]を聞くことをおそれないだろう。 连唱咏
Tractus. 詠誦 主啊!求祢赦免已亡诸信者的灵魂、脱离他们罪过的一切羁绊。
Absólve, Dómine, ánimas ómnium fidelium defunctórum ab omni vínculo delictórum. 主よ、死んだ信者すべての霊魂らを、全ての罪の鎖から解き放ち給え。 望他们赖祢圣宠的助佑、能脱免复仇的审判,
V/. Et grátia tua illis succurrénte mereántur evádere iudícium ultiónis. V/. また、御身の恩寵が彼らを助け、最後の裁きから逃れるに値せんことを。 并获享永光的幸福。
V/. Et lucis ætérnæ beatitúdine pérfrui. V/. そして永遠の光明の幸福を味わんことを。
Sequentia 続誦 (ディエス・イレ) 继抒咏
Dies iræ, dies illa, 怒りの日である、かの日、 依照达味与女先知,
Solvet sæclum in favílla : ダヴィドとシビッラとの[予言の]証言によれば、 预告世界将归烬灰,
Teste David cum Sibýlla. この世が灰に帰すだろう。 那天真是主震怒的日期!
Quantus tremor est futúrus, 恐怖はいかばかりであろうか 审判大主降临之时,
Quando iudex est ventúrus, すべてを厳格に糺(ただ)すために 追问一切清算无遗,
Cuncta stricte discussúrus. 審判者が来給うとき。 我心我灵将颤栗无比。
Tuba mirum spargens sonum ラッパが不思議な響きを撒き散らし 号筒响遍四方八极,
Per sepúlcra regiónum, 各地域の墓らを通して 死过众生起自墓穴,
Coget omnes ante thronum. 全て[人類]を玉座の前に集めるだろう。 向判主座前都来聚集。
Mors stupébit et natúra,  死と自然界とはおどろくだろう、 善者恶者都要复生,
Cum resúrget creatúra,  被造物[の人間]が、よみがえるだろう時、 前往判主答复鞫讯,
Iudicánti responsúra. 審判者に答えるために。 死与体质将不胜怖惊!
Liber scriptus proferétur,  書き記された本がもち出されるだろう、 那时展开案卷巨册,
In quo totum continétur,  そこにはすべてが[書かれ]収められているだろう、 其中纪录详细明白,
Unde mundus iudicétur. そこから、この世は裁かれるだろう。 全关审判普世的事迹。
Iudex ergo cum sedébit.  審判者が[審きの座に]座るだろうとき、 判主在座秋毫明察,
Quidquid latet apparébit :  隠れていることはことごとく明るみに出るだろう、 一切隐密显露透骨,
Nil inúltum remanébit. 裁かれずに残るものは何もないだろう。 断无一罪能逃脱谴罚。
Quid sum miser tunc dictúrus ?  そのとき、憐れな私は何を言おうか。 那时义者也难安心,
Quem patrónum rogatúrus,  どんな弁護者に頼もうか。 嗟我罪人何可诉陈,
Cum vix iustus sit secúrus ? 義人さえも、ほとんど安全ではないのに。 将呼何人作我的护身?
Rex treméndæ maiestátis,  畏るべき御稜威(みいつ)の王よ、 祢是赫赫威严君王,
Qui salvándos salvas gratis,  御身は救われるべき者らを無償で救い給う 凡蒙救者由祢恩赏,
Salva me, fons pietátis. 優しさの泉よ、私を救い給え。 仁慈之源请救我勿忘。
Recordáre, Iesu pie,  優しきイエズスよ、記憶し給え、 至慈耶稣求祢记忆,
Quod sum causa tuæ viæ :  御身の[地上での]御生涯の理由はこの私だったことを。 为着救我曾来犹国,
Ne me perdas illa die. かの日に、私を失い給うな。 切勿在那日把我殄灭。
Quærens me, sedésti lassus :  私をさがし求め、御身は疲れて座られた。 主为觅我奔走碌碌,
Redemísti crucem passus :  十字架を苦しみ、御身は[私を]贖い給うた。 被钉苦架把我救赎,
Tantus labor non sit cassus. かくも大いなる労苦が、空しくならんことを。 望此苦楚切勿无结局。
Iuste iudex ultiónis,  罰を与える正義なる審判者よ、 主的判决公正不偏,
Donum fac remissiónis   赦しの賜物をなし給え、 求祢容我清算日前,
Ante diem ratiónis. 報告の日の前に。 蒙受洪恩而恕免罪愆。
Ingemísco, tamquam reus :  私は、被告として嘆く、 我如罪犯挥泪忧惔,
Culpa rubet vultus meus :  私の顔は、罪で[恥じて]赤くなる、 因着罪愆满面羞惭,
supplicánti parce, Deus.  天主よ、請い願う私を容赦し給え。 恳求祢宽恕我的不堪。
Qui Maríam absolvísti,  御身は[マグダラの]マリアを赦し給うた、 玛达肋纳偕同右盗,
Et latrónem exaudísti,  [善い]盗賊の願いを聞き入れ給うた、 得祢宽恕与祢和好,
Mihi quoque spem dedísti. 私にも、希望を与え給うた。 勿使我失却祢的依靠。
Preces meæ non sunt dignæ :  私の祈りは、価値のないものである、 我的祈祷实属不堪,
Sed tu bonus fac benigne,  しかし、良き御身は優しく行い給え、 仗祢仁慈邀祢容涵,
Ne perénni cremer igne. 私が永遠の火に焼かれないように。 请救我于永火的难关。
Inter oves locum præsta,  羊らの中に場所を与え給え、 绵羊群内请给我位,
Et ab hædis me sequéstra,  牡山羊らから私を引き離し給え、 从山羊中把我引退,
Státuens in parte dextra. 御右に置き給え。 请将我置于祢的右队。
Confutátis maledictis,  罰を受けた呪われた者どもが、 祢使恶群惭愧慑服,
Flammis ácribus addíctis :  激しい火の中に加えられる時、 又把他们投诸永狱,
Voca me cum benedictis. 祝福された者らとともに私を呼び給え。 请招我享善人的永福。
Oro supplex et acclínis,  私はひれ伏して懇願し奉る、 向祢哀恳伏地战栗,
Cor contrítum quasi cinis :  心は灰のように砕かれた、 因着痛悔我心碎裂,
Gere curam mei finis. 私の最期の世話をなし給え。 求祢垂顾于我的末日。
Lacrimósa dies illa,  かの日は、涙の日、 罪犯复活起自土尘,
Qua resúrget ex favílla.  その日、塵からよみがえるは 应受审判到主法庭,
Iudicándus homo reus : 裁かれるべき被告なる人間。 真是悲惨日期的临身。
Huic ergo parce Deus :  だから天主よ、彼を容赦し給え、 吾主耶稣仁慈无匹,
Pie Iesu Dómine,  主よ、優しきイエズスよ、 请给罪犯宽恕怜恤,
Dona eis réquiem. Amen. 彼らに安息を与え給え。アメン。 并求祢赐与他们安息。阿们。
+ Sequéntia sancti Evangélii secundum Joánnem. ヨハネによる聖福音の続誦 福音
Ioann. 6, 37-40. ヨハネ 6ノ37-40 (若6:37-40)
In illo témpore : Dixit Iesus turbis Iudæórum : Omne, quod dat mihi Pater, ad me véniet : et eum, qui venit ad me, non eiíciam foras : quia descéndi de cælo, non ut fáciam voluntátem meam, sed voluntátem eius, qui misit me. Hæc est autem volúntas eius, qui misit me, Patris : ut omne, quod dedit mihi, non perdam ex eo, sed resúscitem illud in novíssimo die. Hæc est autem volúntas Patris mei, qui misit me : ut omnis, qui videt Fílium et credit in eum, hábeat vitam ætérnam, et ego resuscitábo eum in novíssimo die. そのとき、イエズスはユダヤ人の群集に仰せられた。「父が私にくださる人は、みな私のほうに来るし、来る人を私は決して退けない。私は、自分の考えではなくて、私をつかわされたお方のみ旨をはたすために天からくだった。私をつかわされたお方のみ旨とは、私にくださったものを一つも失わずに終りの日に復活させること、これである。私の父のみ旨とは、子を見て信じる人々にみな、永遠の命をうけさせ、終りの日に私がかれらを復活させることである」。 那时候、耶稣向犹太群众说:“凡父交给我的人都到我这里来;而到我这里来的人我不逐他出去:因为我自天而降,不是为承行我的旨意,而是为承行遣我者的旨意。遣我者的旨意就是:凡祂给我的人,要我一个也不失落,而且在末日要我叫他复活。我父的旨意就是:见了子、而信子的,要得有永生,我在末日要叫他复活。”
Ant. ad Offertorium. 奉献文 奉献咏
Dómine Iesu Christe, Rex glóriæ, libera ánimas ómnium fidelium defunctórum de pænis inférni et de profúndo lacu : libera eas de ore leónis, ne absórbeat eas tártarus, ne cadant in obscúrum : sed sígnifer sanctus Míchaël repræséntet eas in lucem sanctam : 主イエズス・キリスト、光栄の王よ、全ての死んだ信者の霊魂らを、地獄の罰と深い池とから救い出し給え、獅子の口から彼らを解き放ち給え。願わくは[地獄の]深淵が彼らを飲み込まず、暗闇に倒れぬことを。旗手聖ミカエルが、彼らを聖なる光に導かんことを。 主耶稣基督、荣光的君王,求祢救拔已亡诸信者的灵魂,脱免阴府的刑罚与深渊的极处。求祢拯救他们脱离猛狮的口;求祢不容深坑吞灭他们,并不容他们陷落于幽暗的处所。但望祢的总领天神圣弥额尔、引导他们入于至圣的光明之中。
* Quam olim Abrahæ promisisti, et sémini eius. * 御身が、その昔、アブラハムとその子孫とに約束し給うたその光に。 这光明是祢昔时许给了亚巴郎和他之子孙的。
V/. Hóstias et preces tibi, Dómine, laudis offérimus : tu súscipe pro animábus illis, quarum hódie memóriam fácimus : fac eas, Dómine, de morte transíre ad vitam. V/. 主よ、賛美のいけにえと祈りとを、われらは御身に捧げ奉る。本日我らがその記念をする霊魂らのために、これを受け入れ給え。主よ、彼らを死から生命へと移し給え。 主啊!求祢把我们为赞颂祢所呈奉的祈祷与祭献,惠然收纳,为使我们今天所纪念的灵魂,由死亡而迁入于生命。
* Quam olim Abrahæ promisísti et sémini eius. * 御身が、その昔、アブラハムとその子孫とに約束し給うたその生命に。 这生命是祢昔时许给了亚巴郎和他之子孙的。
Secreta. 密誦 密祷经
Propitiáre, Dómine, supplicatiónibus nostris, pro animábus famulórum famularúmque tuárum, pro quibus tibi offérimus sacrifícium laudis ; ut eas Sanctórum tuórum consórtio sociáre dignéris. Per Dóminum. 主よ、主のしもべとはしためとの霊魂らのためにささげ奉る我らの祈りを嘉し給え。彼らのために、我らは御身に讃美のいけにえを捧げ奉る、彼らの霊魂を御身の聖人らの列に加え給わんがためなり。天主として…。 主,我们将此赞颂之祭奉献于祢,为救助祢诸仆婢的灵魂;求祢怜视我们的哀祷,惠使他们列入祢诸圣的团体之中。因我们主……。
Præfatio defunctorum. 死者の序誦 为亡者的颂谢引
Vere dignum et iustum est, æquum et salutáre, nos tibi semper et ubíque grátias ágere : Dómine, sancte Pater, omnípotens ætérne Deus : per Christum Dóminum nostrum. In quo nobis spes beátæ resurrectiónis effúlsit, ut quos constrístat certa moriéndi condítio, eósdem consolétur futúræ immortalitátis promíssio. Tuis enim fidélibus, Dómine, vita mutátur non tollítur, et dissolúta terréstris huius incolátus domo, ætérna in cælis habitátio comparátur. Et ídeo cum Angelis et Archángelis, cum Thronis et Dominatiónibus, cumque omni milítia cæléstis exércitus, hymnum glóriæ tuæ cánimus, sine fine dicéntes.   Sanctus, ... 主よ、聖なる父よ、全能永遠の天主よ、われらの主キリストによって、われらがいつも、どこにても、主に感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいことであり、われらの義務と救いである。かれにおいて、幸せな復活の希望が、われらに輝いた。確実に死ぬべき条件により悲しむ者たちを、未来の不死の約束が慰めるためである。主よ、御身の信者たちにとって、生命は、取り去られるのではなく、変えられるのであり、この地上の肉身の住まいは滅びても、天において永遠のすみかを与えられるからである。ゆえに、天使、大天使と共に、座天使と主天使と共にまた天の万軍と共に、われらは、きわまりなく、主の御光栄の讃歌をうたい続けよう。 聖なるかな、… 主、至圣的父、全能永生的天主,我们藉我们主基督、时时处处颂谢祢,实是正义而必须的,属于我们天职的,也属我们得救的。因在基督身上给我们炫示着幸福复活的希望,使那些为着人性必死的现世所深怀忧伤的人们,凭有来日永生不死的恩许、而大感欣慰。主啊!对于信仰祢的人、生命并非被毁灭,只是改变而已:这个世上寄居的住所一经解体,天上就有个永远的安宅供给我们。为此、我们随同诸位天神、总领天神、上座者和宰制者以及天上万军、合唱光荣祢的圣歌,无穷期地说﹕圣、圣、圣……。
Ant. ad Communionem. 聖体拝領誦 领主咏(厄四2:34-35)
Lux ætérna lúceat eis, Dómine : Cum sanctis tuis in ætérnum : quia pius es. 主よ、永遠の光りが彼らに輝かんことを。* 御身の聖人らととともに永遠に。何故なら御身は優しいからである。 主啊!求祢赐与他们永远的安息,由于祢的仁慈,使他们永远偕同祢的诸圣。
V/. Réquiem ætérnam dona eis, Dómine : et lux perpétua lúceat eis : Cum Sanctis tuis in ætérnum : quia pius es. V/. 主よ、永遠の休息を彼らに与え給え。そして永遠の光りが彼らに輝かんことを。* 御身の聖人らととともに永遠に。何故なら御身は優しいからである。 主啊,求祢赐给他们永远的安息,并以祢的永光、照耀他们。
Cum sanctis tuis in ætérnum : quia pius es. 御身の聖人らととともに永遠に。何故なら御身は優しいからである。 由于祢的仁慈,使他们永远偕同祢的诸圣。
Postcommunio. 聖体拝領後の祈 领后经
Præsta, quǽsumus, omnípotens Deus : ut ánimæ famulórum famularúmque tuárum, his sacrifíciis purgátæ, indulgéntiam páriter et réquiem cápiant sempitérnam. Per Dóminum nostrum. 全能の天主よ、願わくは、御身のしもべとはしためとの霊魂らが、このいけにえによって浄められ、ゆるしと永遠の休息とを等しく得んことを。天主として…。

主,求祢惠使祢诸仆婢的灵魂,经此圣祭的净化,得获祢的宽宥与永远的安息。因我们主……。

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2020年11月2日は、全ての死せる信者の記念日(追思已亡 추사이망)でした。聖伝のミサのラテン語・日本語・中文の対訳のテキストをご紹介いたします

2020年11月04日 | ミサ聖祭

2020年11月2日は、全ての死せる信者の記念日(追思已亡 추사이망)でした。聖伝のミサのラテン語・日本語・中文の対訳の第一ミサのテキストをご紹介いたします

十一月二日 全ての死せる信者の記念 第一ミサ
一級平日 黒

死者への尊敬は、霊魂不滅の信仰にもとづいて、人類のはじまりと同じく古いものであり、原始人、異教徒の中でも行われていたし、今も行われている。ユダヤ人は、旧約時代にも、死者のために祈りといけにえとをささげていた。公教会でも使徒の時代から、死んだ信者のために祈っていた。しかし、長い世紀の間、すべてのミサで、死んだ信者を記念してはいたが、特にそのためのミサは行われていなかった。
この死者の記念日を、はじめて行ったのは、998年、聖オディロネ大修院長によって、クルニ(フランス)のベネディクト会修道院であり、そこから、次第に全教会にひろまっていったのである。教皇ベネディクト十五世は、1915年8月10日の教令により、全世界のすべての司祭に、この日三つのミサを立てる許可を与えた。
公教会は、この前日(11月1日)、すでに勝利の国(凱旋の教会)に入った信者を記念し、そして今日、まだ煉獄で苦しむ霊魂を思いやるのである。ここにあらわれるのは、公教会の神秘体の教義である。煉獄(苦悩の教会) の霊魂は、凱旋の教会のとりつぎと功徳とをうけ、また同時に、この世の戦闘の教会の祈りの効果をも受けるのである。「私の最も小さな兄弟の一人にしたことは、私自身に対してしたのである」というイエズスの御言葉は、煉獄の霊魂にも適用されねばならぬ。われらは、まずミサ聖祭によって、煉獄の霊魂を助けることが出来る。この煉獄の霊魂の中にはおそらくわれらの肉親、知人、家族のあることを考え、かれらにこのミサの功徳を与えねばならぬ。これは、最も効果のある、また、誰でもなしうる愛の業である。この三回のミサは、一回は煉獄にある死せる信者の霊魂のため、一回は教皇聖下の意向のため、一回はミサをささげる司祭の意向のためにささげる。もしこの日が主日にあたるときは、翌日に行う。

 

追思已亡
一等复式【黑】
追思亡者
我们所庆祝的瞻礼,通常只对胜利的教会及战争的教会而言,今天特为纪念受苦的教会,实为极合理的事。在炼狱的灵魂固然渴望胜利教会的功劳和有力的转达,但同时也需要战争教会的祈祷和有效的救助仪式。为亡者祈祷的出发点实由基督奥体诸圣相通功的信德道理。“凡给我弟兄中最小的一个做的,就是给我做的。”至于援助炼灵最有效的办法,便是弥撒。我们或望弥撒或领圣体,务使把我们的功劳让给炼狱中最穷乏或与我们最有关系的灵魂。查对已亡灵魂的追思,发起于古罗马的本笃会修院,不久便发展而普及整个教会。一九一五年、教宗本笃十五世特准普世的神父,在追思已亡日能举行三台弥撒,也无非为加强追思亡者的意思。追思已亡的瞻礼等别,原不过为无等级的复式吧了,但排除一切的遭遇瞻礼。就是说:倘十一月二日遇到主日,那末已亡的追思便移至瞻礼二举行。可见圣教对这一年一度的纪念、绝不容信友们放弃的啊。——今天每位神父能举行三台弥撒;若三台中欲举行一台大弥撒,当采用本日的第一台弥撒。

IN COMMEMORATIONE OMNIUM FIDELIUM DEFUNCTORUM 全ての死せる信者の記念(第一ミサ) 追思已亡 第一台弥撒
Feria I classis 一級平日 黒 一等复式【黑】
Ant. ad Introitum. 4 Esdr. 2, 34 et 35 入祭文 エズラ第四2:34-35 进台咏(厄四2:34-35)
Réquiem ætérnam dona eis, Dómine : et lux perpetua lúceat eis. 主よ、永遠の休息を彼らに与え給え。絶えざる光が彼らに光らんことを。 主啊!求祢赐与他们永远的安息,并以祢的永光照耀他们。
Ps. 64, 2-3 詩篇 64ノ2-3 咏64:2-3
Te decet hymnus, Deus, in Sion, et tibi reddétur votum in Ierúsalem : exáudi oratiónem meam, ad te omnis caro véniet. 天主よ、シオンにおいて、御身に賛歌がふさわしい。エルザレムにおいて、御身に祈願をささげることが[ふさわしい]。私の祈りを聞き入れ給え。御身に全ての肉[人間]行くだろう。 天主啊!熙雍的人都要称扬祢;所许的愿,也要在耶路撒冷向祢偿还。俯听我祈祷的主啊!凡有血气的,都要来接近祢。
Réquiem ætérnam dona eis, Dómine : et lux perpetua lúceat eis. 主よ、永遠の休息を彼らに与え給え。絶えざる光が彼らに光らんことを。 主啊!求祢……。
Oratio 集祷文 集祷经
Fidélium, Deus, ómnium Cónditor et Redémptor : animábus famulórum, famularúmque tuárum remissiónem cunctórum tríbue peccatórum ; ut indulgéntiam quam semper optavérunt, piis supplicatiónibus consequántur : Qui vivis. すべての信者の創造主かつ贖い主なる天主よ、御身のしもべらとはしためらの霊魂のために、各々の罪のゆるしを与え給え。彼らが常に希望したそのゆるしを、多くの敬虔な祈りによって、彼らが得んことを。聖父(ちち)なる天主とともに…。 天主,祢是信众的造主和救主,求祢除免祢仆婢们灵魂上的一切罪过,使他们能藉我们虔诚的祈祷、得到他们所时时仰望的恩赦。祢和天主父……。
Léctio Epístolæ beáti Pauli Apóstoli ad Corínthios. 使徒パウロの、コリント人への書簡の朗読 书信
1. Cor. 15, 51-57. 前コリント 15ノ51-57 (格前15:51-57)
Fratres : Ecce, mystérium vobis dico : Omnes quidem resurgámus, sed non omnes immutábimur. In moménto, in ictu óculi, in novíssima tuba : canet enim tuba, et mórtui resúrgent incorrúpti : et nos immutábimur. Opórtet enim corruptíbile hoc induere incorruptiónem : et mortále hoc indúere immortalitátem. Cum autem mortále hoc indúerit immortalitátem, tunc fiet sermo, qui scriptus est : Absórpta est mors in victória. Ubi est, mors, victória tua ? Ubi est, mors, stímulus tuus ? Stímulus autem mortis peccátum est : virtus vero peccáti lex. Deo autem grátias, qui dedit nobis victóriam per Dóminum nostrum Iesum Christum. 兄弟たちよ、実に、私はいま、あなたたちに奥義を告げようとする。私たちは皆死なない。しかし私たちはみな、最後の喇叭(ラッパ)がなりわたるとき、またたく間にたちまち変化するであろう。喇叭は鳴り、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変化するであろう。この朽ちる者が朽ちないものを着、この死ぬ者は不滅をまとわねばならない。この朽ちる者が朽ちないものを着、この死ぬ者が不滅をまとうであろうとき、「死は勝利に呑まれた」という聖書のことばが実現する。「死よ、おまえの勝利は何所にある。死よ、おまえの、刺は何所にある」。死の刺は罪である。また、罪の力は律法である。ともあれ、主イエズス・キリストによって、私たちに勝利を与えられる天主に感謝しよう。 弟兄们:现在我告诉你们一件奥理:我们不是都要死,却是都要改变。在一刹那、一眨眼间、听见最后的号角声时——最后的号角一定要响——死者必要复活,变为不朽坏的,至于我们(生者)、也要改变:这可朽坏的身体必须要佩戴上永不朽坏的性体,这要死的身体必须要佩戴上永不死亡的性体。当这要死的身体佩戴上永不死亡的性体时,经上所记载的话就应验了:“死亡在胜利中被吞噬了。死亡呀!你的胜利在哪里?死亡呀!你的芒刺在哪里?”死亡的芒刺就是罪恶,罪恶的势力就是法律。感谢天主吧!祂藉着我们主耶稣基督、赏赐我们得到胜利。
Graduale. 4 Esdr. 2, 34 et 35 昇階誦 台阶咏(厄四2:34-35)
Réquiem ætérnam dona eis, Dómime : et lux perpétua lúceat eis. 主よ、永遠の休息を彼らに与え給え。絶えざる光が彼らに光らんことを。 主啊!求祢赐与他们永远的安息,并以祢的永光照耀他们。
V/. Ps 111, 7 In memória ætérna erit iustus : ab auđitióne mala non timébit. V/. 詩篇、111ノ7. 義人は永遠の記憶のうちにあるだろう、彼は悪しき[宣告]を聞くことをおそれないだろう。 连唱咏
Tractus. 詠誦 主啊!求祢赦免已亡诸信者的灵魂、脱离他们罪过的一切羁绊。
Absólve, Dómine, ánimas ómnium fidelium defunctórum ab omni vínculo delictórum. 主よ、死んだ信者すべての霊魂らを、全ての罪の鎖から解き放ち給え。 望他们赖祢圣宠的助佑、能脱免复仇的审判,
V/. Et grátia tua illis succurrénte mereántur evádere iudícium ultiónis. V/. また、御身の恩寵が彼らを助け、最後の裁きから逃れるに値せんことを。 并获享永光的幸福。
V/. Et lucis ætérnæ beatitúdine pérfrui. V/. そして永遠の光明の幸福を味わんことを。
Sequentia 続誦 (ディエス・イレ) 继抒咏
Dies iræ, dies illa, 怒りの日である、かの日、 依照达味与女先知,
Solvet sæclum in favílla : ダヴィドとシビッラとの[予言の]証言によれば、 预告世界将归烬灰,
Teste David cum Sibýlla. この世が灰に帰すだろう。 那天真是主震怒的日期!
Quantus tremor est futúrus, 恐怖はいかばかりであろうか 审判大主降临之时,
Quando iudex est ventúrus, すべてを厳格に糺(ただ)すために 追问一切清算无遗,
Cuncta stricte discussúrus. 審判者が来給うとき。 我心我灵将颤栗无比。
Tuba mirum spargens sonum ラッパが不思議な響きを撒き散らし 号筒响遍四方八极,
Per sepúlcra regiónum, 各地域の墓らを通して 死过众生起自墓穴,
Coget omnes ante thronum. 全て[人類]を玉座の前に集めるだろう。 向判主座前都来聚集。
Mors stupébit et natúra,  死と自然界とはおどろくだろう、 善者恶者都要复生,
Cum resúrget creatúra,  被造物[の人間]が、よみがえるだろう時、 前往判主答复鞫讯,
Iudicánti responsúra. 審判者に答えるために。 死与体质将不胜怖惊!
Liber scriptus proferétur,  書き記された本がもち出されるだろう、 那时展开案卷巨册,
In quo totum continétur,  そこにはすべてが[書かれ]収められているだろう、 其中纪录详细明白,
Unde mundus iudicétur. そこから、この世は裁かれるだろう。 全关审判普世的事迹。
Iudex ergo cum sedébit.  審判者が[審きの座に]座るだろうとき、 判主在座秋毫明察,
Quidquid latet apparébit :  隠れていることはことごとく明るみに出るだろう、 一切隐密显露透骨,
Nil inúltum remanébit. 裁かれずに残るものは何もないだろう。 断无一罪能逃脱谴罚。
Quid sum miser tunc dictúrus ?  そのとき、憐れな私は何を言おうか。 那时义者也难安心,
Quem patrónum rogatúrus,  どんな弁護者に頼もうか。 嗟我罪人何可诉陈,
Cum vix iustus sit secúrus ? 義人さえも、ほとんど安全ではないのに。 将呼何人作我的护身?
Rex treméndæ maiestátis,  畏るべき御稜威(みいつ)の王よ、 祢是赫赫威严君王,
Qui salvándos salvas gratis,  御身は救われるべき者らを無償で救い給う 凡蒙救者由祢恩赏,
Salva me, fons pietátis. 優しさの泉よ、私を救い給え。 仁慈之源请救我勿忘。
Recordáre, Iesu pie,  優しきイエズスよ、記憶し給え、 至慈耶稣求祢记忆,
Quod sum causa tuæ viæ :  御身の[地上での]御生涯の理由はこの私だったことを。 为着救我曾来犹国,
Ne me perdas illa die. かの日に、私を失い給うな。 切勿在那日把我殄灭。
Quærens me, sedésti lassus :  私をさがし求め、御身は疲れて座られた。 主为觅我奔走碌碌,
Redemísti crucem passus :  十字架を苦しみ、御身は[私を]贖い給うた。 被钉苦架把我救赎,
Tantus labor non sit cassus. かくも大いなる労苦が、空しくならんことを。 望此苦楚切勿无结局。
Iuste iudex ultiónis,  罰を与える正義なる審判者よ、 主的判决公正不偏,
Donum fac remissiónis   赦しの賜物をなし給え、 求祢容我清算日前,
Ante diem ratiónis. 報告の日の前に。 蒙受洪恩而恕免罪愆。
Ingemísco, tamquam reus :  私は、被告として嘆く、 我如罪犯挥泪忧惔,
Culpa rubet vultus meus :  私の顔は、罪で[恥じて]赤くなる、 因着罪愆满面羞惭,
supplicánti parce, Deus.  天主よ、請い願う私を容赦し給え。 恳求祢宽恕我的不堪。
Qui Maríam absolvísti,  御身は[マグダラの]マリアを赦し給うた、 玛达肋纳偕同右盗,
Et latrónem exaudísti,  [善い]盗賊の願いを聞き入れ給うた、 得祢宽恕与祢和好,
Mihi quoque spem dedísti. 私にも、希望を与え給うた。 勿使我失却祢的依靠。
Preces meæ non sunt dignæ :  私の祈りは、価値のないものである、 我的祈祷实属不堪,
Sed tu bonus fac benigne,  しかし、良き御身は優しく行い給え、 仗祢仁慈邀祢容涵,
Ne perénni cremer igne. 私が永遠の火に焼かれないように。 请救我于永火的难关。
Inter oves locum præsta,  羊らの中に場所を与え給え、 绵羊群内请给我位,
Et ab hædis me sequéstra,  牡山羊らから私を引き離し給え、 从山羊中把我引退,
Státuens in parte dextra. 御右に置き給え。 请将我置于祢的右队。
Confutátis maledictis,  罰を受けた呪われた者どもが、 祢使恶群惭愧慑服,
Flammis ácribus addíctis :  激しい火の中に加えられる時、 又把他们投诸永狱,
Voca me cum benedictis. 祝福された者らとともに私を呼び給え。 请招我享善人的永福。
Oro supplex et acclínis,  私はひれ伏して懇願し奉る、 向祢哀恳伏地战栗,
Cor contrítum quasi cinis :  心は灰のように砕かれた、 因着痛悔我心碎裂,
Gere curam mei finis. 私の最期の世話をなし給え。 求祢垂顾于我的末日。
Lacrimósa dies illa,  かの日は、涙の日、 罪犯复活起自土尘,
Qua resúrget ex favílla.  その日、塵からよみがえるは 应受审判到主法庭,
Iudicándus homo reus : 裁かれるべき被告なる人間。 真是悲惨日期的临身。
Huic ergo parce Deus :  だから天主よ、彼を容赦し給え、 吾主耶稣仁慈无匹,
Pie Iesu Dómine,  主よ、優しきイエズスよ、 请给罪犯宽恕怜恤,
Dona eis réquiem. Amen. 彼らに安息を与え給え。アメン。 并求祢赐与他们安息。阿们。
+ Sequéntia sancti Evangélii secúndum Ioánnem. ヨハネによる聖福音の続誦 福音
Ioann. 5, 25-29. ヨハネ 5ノ25-29 (若5:25-39)
In illo témpore : Dixit Iesus turbis Iudæórum : Amen, amen, dico vobis, quia venit hora, et nunc est, quando mórtui áudient vocem Fílii Dei : et qui audíerint, vivent. Sicut enim Pater habet vitam in semetípso, sic dedit et Fílio habére vitam in semetípso : et potestátem dedit ei iudícium fácere, quia Fílius hóminis est. Nolíte mirári hoc, quia venit hora, in qua omnes, qui in monuméntis sunt, áudient vocem Fílii Dei : et procédent, qui bona fecérunt, in resurrectiónem vitæ : qui vero mala egérunt, in resurrectiónem iudícii. そのとき、イエズスはユダヤ人の群集に仰せられた。「まことにまことに私はいう。死者が天主のみ声を聞くときが来る。いやすでに来ている。そのみ声を聞く人は生きる。父が命を左右されるように、子にもそれを左右させ、こうして、父はかれを最高の審判者とお定めになった、かれは人の子だからである。こう聞いておどろいてはいけない。墓にいる人々がみな、そのみ声の呼びかけをきいて、墓を出る時が来る。善をおこなった人は命のために、悪をおこなった人は永遠の罰のために、よみがえる。」 那时候、耶稣向犹太群众说:“我切切实实告诉你们:时候到了,现在就是,死人将听到天主子的声音,听到的就要活。如同父在自己内有生命,同样也赐子在自己内有生命,而且交给祂审判的权柄,因为祂是‘人子’。你们不要因此希奇:因为时候到了,凡在坟墓中的,都要听到天主子的声音而出来:行善的,复活得永生;作恶的,复活受审判。”
Ant. ad Offertorium. 奉献文 奉献咏
Dómine Iesu Christe, Rex glóriæ, libera ánimas ómnium fidelium defunctórum de pænis inférni et de profúndo lacu : libera eas de ore leónis, ne absórbeat eas tártarus, ne cadant in obscúrum : sed sígnifer sanctus Míchaël repræséntet eas in lucem sanctam : 主イエズス・キリスト、光栄の王よ、全ての死んだ信者の霊魂らを、地獄の罰と深い池とから救い出し給え、獅子の口から彼らを解き放ち給え。願わくは[地獄の]深淵が彼らを飲み込まず、暗闇に倒れぬことを。旗手聖ミカエルが、彼らを聖なる光に導かんことを。 主耶稣基督、荣光的君王,求祢救拔已亡诸信者的灵魂,脱免阴府的刑罚与深渊的极处。求祢拯救他们脱离猛狮的口;求祢不容深坑吞灭他们,并不容他们陷落于幽暗的处所。但望祢的总领天神圣弥额尔、引导他们入于至圣的光明之中。
* Quam olim Abrahæ promisisti, et sémini eius. * 御身が、その昔、アブラハムとその子孫とに約束し給うたその光に。 这光明是祢昔时许给了亚巴郎和他之子孙的。
V/. Hóstias et preces tibi, Dómine, laudis offérimus : tu súscipe pro animábus illis, quarum hódie memóriam fácimus : fac eas, Dómine, de morte transíre ad vitam. V/. 主よ、賛美のいけにえと祈りとを、われらは御身に捧げ奉る。本日我らがその記念をする霊魂らのために、これを受け入れ給え。主よ、彼らを死から生命へと移し給え。 主啊!求祢把我们为赞颂祢所呈奉的祈祷与祭献,惠然收纳,为使我们今天所纪念的灵魂,由死亡而迁入于生命。
* Quam olim Abrahæ promisísti et sémini eius. * 御身が、その昔、アブラハムとその子孫とに約束し給うたその生命に。 这生命是祢昔时许给了亚巴郎和他之子孙的。
Secreta. 密誦 密祷经
Hóstias, quǽsumus, Dómine, quas tibi pro animábus famulórum famularúmque tuárum offerimus, propitiátus intende : ut, quibus fídei christiánæ méritum contulísti, dones et præmium. Per Dóminum nostrum Iesum Christum. 主よ、願わくは、御身のしもべとはしためとの霊魂たちのために御身に捧げるいけにえを、憐れみ深く見給え。御身がキリスト教信仰の功徳を与え給うた彼らに、報いをも与え給え。天主として、聖霊との一致において、御身とともに世々に生きかつ治め給うわれらの主よ、聖子、イエズス・キリストによりて。 主,求祢惠顾我们为救助祢仆婢们灵魂所奉献的祭祀;切望祢既曾赏赐他们立了对基督信仰的功劳,也恩予他们这个信仰的酬报。因我们主……。
Præfatio defunctorum. 死者の序誦 为亡者的颂谢引
Vere dignum et iustum est, æquum et salutáre, nos tibi semper et ubíque grátias ágere : Dómine, sancte Pater, omnípotens ætérne Deus : per Christum Dóminum nostrum. In quo nobis spes beátæ resurrectiónis effúlsit, ut quos constrístat certa moriéndi condítio, eósdem consolétur futúræ immortalitátis promíssio. Tuis enim fidélibus, Dómine, vita mutátur non tollítur, et dissolúta terréstris huius incolátus domo, ætérna in cælis habitátio comparátur. Et ídeo cum Angelis et Archángelis, cum Thronis et Dominatiónibus, cumque omni milítia cæléstis exércitus, hymnum glóriæ tuæ cánimus, sine fine dicéntes.   Sanctus, ... 主よ、聖なる父よ、全能永遠の天主よ、われらの主キリストによって、われらがいつも、どこにても、主に感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいことであり、われらの義務と救いである。かれにおいて、幸せな復活の希望が、われらに輝いた。確実に死ぬべき条件により悲しむ者たちを、未来の不死の約束が慰めるためである。主よ、御身の信者たちにとって、生命は、取り去られるのではなく、変えられるのであり、この地上の肉身の住まいは滅びても、天において永遠のすみかを与えられるからである。ゆえに、天使、大天使と共に、座天使と主天使と共にまた天の万軍と共に、われらは、きわまりなく、主の御光栄の讃歌をうたい続けよう。 聖なるかな、… 主、至圣的父、全能永生的天主,我们藉我们主基督、时时处处颂谢祢,实是正义而必须的,属于我们天职的,也属我们得救的。因在基督身上给我们炫示着幸福复活的希望,使那些为着人性必死的现世所深怀忧伤的人们,凭有来日永生不死的恩许、而大感欣慰。主啊!对于信仰祢的人、生命并非被毁灭,只是改变而已:这个世上寄居的住所一经解体,天上就有个永远的安宅供给我们。为此、我们随同诸位天神、总领天神、上座者和宰制者以及天上万军、合唱光荣祢的圣歌,无穷期地说﹕圣、圣、圣……。
Ant. ad Communionem. 聖体拝領誦 领主咏(厄四2:34-35)
Lux ætérna lúceat eis, Dómine : Cum sanctis tuis in ætérnum : quia pius es. 主よ、永遠の光りが彼らに輝かんことを。* 御身の聖人らととともに永遠に。何故なら御身は優しいからである。 主啊!求祢赐与他们永远的安息,由于祢的仁慈,使他们永远偕同祢的诸圣。
V/. Réquiem ætérnam dona eis, Dómine : et lux perpétua lúceat eis : Cum Sanctis tuis in ætérnum : quia pius es. V/. 主よ、永遠の休息を彼らに与え給え。そして永遠の光りが彼らに輝かんことを。* 御身の聖人らととともに永遠に。何故なら御身は優しいからである。 主啊,求祢赐给他们永远的安息,并以祢的永光、照耀他们。
Cum sanctis tuis in ætérnum : quia pius es. 御身の聖人らととともに永遠に。何故なら御身は優しいからである。 由于祢的仁慈,使他们永远偕同祢的诸圣。
Postcommunio. 聖体拝領後の祈 领后经
Animábus, quǽsumus, Dómine, famulórum, famularúmque tuárum orátio profíciat supplicántium : ut eas et a peccátis ómnibus éxuas, et tuæ redemptiónis fácias esse partícipes. Qui vivis. 主よ、願わくは、懇願する者たちの祈りが、御身のしもべとはしためとの霊魂らの益とならんことを。御身が、全ての罪から彼らを解放し、御身の贖(あがな)いに与る者たちとなさんことを。聖父(ちち)なる天主とともに…。 主,我们恳切求祢,使我们的哀祷供益于祢仆婢们的灵魂;望祢救他们脱免诸罪,使他们参享祢的救恩。祢和天主父……。


今日、2020年11月4日は、十一月の初水曜日(月の初めての水曜日)です 聖ヨゼフ!我らのために祈り給え

2020年11月04日 | カトリックとは

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日、2020年11月4日は、十一月の初水曜日(月の初めての水曜日)です。
初水曜日に「聖ヨゼフの七つの御喜びと御悲しみ」について黙想することをご提案します。


聖ヨゼフはこの世で天主イエズス様と浄配なる聖母マリア様を最も良く知り、愛された御方であり、その隠れた徳ゆえに偉大なる御方、イエズス様とマリア様の最大の命の恩人であられました。

また、聖ヨゼフは、この世では、全てを天主の栄光のために、隠れてその生涯をささげられたが故に、天にて聖母の次に最大の栄光をあたえられていらっしゃいます。

聖伝では、水曜日は聖ヨゼフに捧げられた曜日であり、月の最初の水曜日を聖ヨゼフに捧げることで、聖ヨゼフを讃え、その御取次に信頼し、その御徳に倣って、聖ヨゼフを通して、天主イエズス様とマリア様をお愛しすることができますように。

初土曜日の「聖母の汚れ無き御心」への信心にならって、この「聖ヨゼフの七つの御喜びと御悲しみ」のどれかを「15分間黙想」することにいたしましょう。

聖ヨゼフの帯の信心については、下記リンクをごらんください。
聖ヨゼフの帯 cingulum Sancti Joseph

聖ヨゼフの御取次ぎにより、聖母の汚れ無き御心とイエズスの至聖なる聖心ヘの愛をますます与えてくださいますように!
聖ヨゼフの御取次ぎにより豊かな祝福がありますように!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


聖ヨゼフの7つの苦しみと喜び

1 ああいと潔き御母マリアの浄配、栄えある聖ヨゼフよ、御身のいと清き妻を失なわんと心に思い煩いし時の苦しみはいと大いなるものなりき。
されど天使が御託身の玄義を御身に伝えられし時の喜びは、またひとしお大いなりき。この苦しみ、この喜びにより、今も臨終の時も我らの心を潔き良心の喜びと、イエズス、マリアのうちに自我を滅する尊き御身の心を示し、我らを慰め給え。



2 ああいと幸いなる保護者聖ヨゼフよ、御身は人となり給いし御言葉の潔き養父の位にあげられたれども、御身は幼きイエズスがいと貧しき中に生まれ給うを見て大いに悲しみ給いしが、
天使らのたえなる歌声を聴き、その輝ける夜の栄えを見給うや、その悲しみは天的の喜びと変じたり。御身のこの悲しみ、この喜びによりて、我らもまたこの世の歩みを終えたる後、天使らの賛美の歌声を聴き、天的光栄の輝きを受け得んことを願い奉る。



3 ああ御摂理にいと従順なしもべなる、栄えある聖ヨゼフよ、幼きイエズスが割礼にて流されたる尊き御血は御身の心を苦痛もて貫きたれども、
イエズスと命名されるや御身の心は喜びに満たされたり。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らをこの世の悪徳より離れしめ、イエズスのいと尊き御名を心から唱えつつ心満たされてこの世を去るを得しめ給え。



4 ああいと忠誠なる聖ヨゼフよ、御身は救世の玄義の成就に身をもって大いなる役を果たされしが、シメオンの預言によりイエズスとマリアが受け給うべき苦難を予知せられ苦しみ給いたれど、
数限りなき人々の霊魂がこれによって救わるるとの預言によりて、天的喜びに満たされたり。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らがイエズスの功徳と聖母マリアの御取次ぎにより、終わりなき栄えを得てよみがえる人々のうちに数えられる御恵みをとりなし給わんことを願い奉る。



5 ああ人となり給いし天主の御子のいとも注意深き保護者なる栄えある聖ヨゼフよ、御身はいと高きものの御子を養い給い、これに仕えるために多くの辛酸をなめられたり。わけてもそのエジプトへの逃避はいと苦しきものなりしが、
御身が常に天主御自身と共におられし喜び、またエジプト人らの諸々の偶像が地に落とされしを目の当たりに見られし時の安心はいと大いなりき。この御身の辛酸と喜びとによりて、我らが地獄的暴君より免れて、わけても危険なる機会より逃避する事を得しめ、我らの心のうちに地上的執着が落とされ、ひたすらイエズスとマリアに仕え奉りつつ日々の生活を送り、この世を幸いに終わる事を得しめ給え。



6 ああこの地上の天使なる栄えある聖ヨゼフよ、御身は御身の心を天の王に全く捧げられたり。御身がエジプトより戻られる喜びは、アルケラウスに対する憂慮にて不安の闇となりしが、
天使は再び御身にイエズスとマリアと共にナザレトにて楽しく住み給う事を約束せられたり。御身のこの苦しみ、この喜びによりて、我らの心を深い恐怖より免れしめ、潔き良心の平和を楽しみ、イエズスとマリアと共につつがなく世を送り、臨終においてはイエズスとマリアの御手に我らの霊魂を捧ぐる事を得しめ給え。



7 ああ全ての徳の鑑なる栄えある聖ヨゼフよ、御身は御身の誤りにあらずして幼きイエズスを見失い、三日の間苦しみもて捜し求められたり。
されど神殿の中に博士らに取り巻かれたるイエズスを見出されし時の喜びはいかに大いなりや。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らが大罪を犯しイエズスを失いたりせば、たゆまず彼を捜し求め、遂に再び巡り会えるよう、わけても臨終の時に彼と共にありて天国に至り、御身と共に天主の終わりなき御恵みを賛美し奉るようとりなし給わんことを心から願い奉る。



交唱 イエズスが教えをはじめたりしは三十歳ごろなり、人々、イエズスをヨゼフの子なりと思いたり。(ルカ3:23)

V 聖ヨゼフ、我らの為に祈り給え。
R キリストの御約束に我らをかなわしめ給え。

祈願 天主、御身のかしこき御摂理のうちに祝せられたヨゼフを至聖なるマリアの浄配に選び給いたれば、願わくはこの世の我らの保護者として崇め奉る彼が、我らの天のとりなし手となり給わんことを。 アーメン。

参考リンク
サンタフェ~奇跡の階段 コラレス通り1丁目 この記事に昔の階段の様子の写真があります。

聖ヨゼフの階段(アメリカのニューメキシコ、サンタ・フェにあるロレット・チャペル)



英語ではこちら。
THE SEVEN DOLOURS AND SEVEN JOYS.

i. St. Joseph, pure spouse of most holy Mary, the trouble and anguish of thy heart were great, when, being in sore perplexity, thou wast minded to put away thy stainless spouse: but this joy was inexpressible when the archangel revealed to thee the high mystery of the Incarnation.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee comfort our souls now and in their last pains with the consolation of a well-spent life, and a holy death like unto thine own, with Jesus and Mary at our side.
Pater, Ave, and Gloria.

ii. St. Joseph, Blessed Patriarch, chosen to the office of Father of the Word made Man, the pain was keen that thou didst feel when thou didst see the Infant Jesus born in abject poverty; but thy pain was changed into heavenly joy when thou didst hear the harmony of angel-choirs, and behold the glory of that night when Jesus was born.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee obtain for us, that, when the journey of our life is ended, we too may pass to that blessed land where we shall hear the angel-chants, and rejoice in the bright light of heavenly glory.
Pater, Ave, and Gloria.

iii. St. Joseph, who wast ever most obedient in executing the law of God, thy heart was pierced with pain when the Precious Blood of the Infant Saviour was shed at His Circumcision; but with the Name of Jesus new life and heavenly joy returned to thee.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us, that, being freed in our life from every vice, we too may cheerfully die, with the sweet Name of Jesus in our hearts and on our lips.
Pater, Ave, and Gloria.

iv. St. Joseph, faithful Saint, who wast admitted to take part in the redemption of man; the prophecy of Simeon foretelling the sufferings of Jesus and Mary caused thee a pang like that of death; but at the same time his prediction of the salvation and glorious resurrection of innumerable souls filled thee with a blessed joy.
By this thy sorrow and thy joy, help us with thy prayers to be of the number of those who, by the merits of Jesus and his Virgin Mother, shall be partakers of the resurrection to glory.
Pater, Ave, and Gloria.

v. St. Joseph, watchful Guardian, friend of the Incarnate Son of God, truly thou didst greatly toil to nurture and to serve the Son of the Most High, especially in the flight thou madest with Him unto Egypt; yet didst thou rejoice to have God Himself always with thee, and to see the overthrow of the idols of Egypt.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us grace to keep far out of the reach of the enemy of our souls, by quitting all dangerous occasions, that so no idol of earthly affection may any longer occupy a place in our hearts, but that, being entirely devoted to the service of Jesus and Mary, we may live and die for them alone.
Pater, Ave, and Gloria.

vi. St. Joseph, angel on earth, who didst so wonder to see the King of heaven obedient to thy bidding, the consolation thou hadst at His return was disturbed by the fear of Archelaus, but nevertheless, being reassured by the angel, thou didst go back and dwell happily at Nazareth, in the company of Jesus and of Mary.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us, that, having our hearts freed from idle fears, we may enjoy the peace of a tranquil conscience, dwelling safely with Jesus and Mary, and dying at last between them.
Pater, Ave, and Gloria.

vii. St. Joseph, example of all holy living, when, though without blame, thou didst lose Jesus, the Holy Child, thou didst search for Him for three long days in great sorrow, until with joy unspeakable thou didst find him, who was as thy life to thee, amidst the doctors in this Temple.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee with our whole heart so to interpose always in our behalf, that we may never lose Jesus by mortal sin; and if (which God avert) we are at any time so wretched as to do so, that we pray thee to aid us to seek Him with such ceaseless sorrow until we find Him, particularly in the hour of our death, that we may pass from this life to enjoy Him for ever in heaven, there to sing with thee His divine mercies without end.
Pater, Ave, and Gloria.

Ant. Jesus Himself was about thirty years old, being, as was supposed, the son of Joseph.

V. Pray for us, holy Joseph.
R. That we may be made worthy of the promises of Christ.

Let us pray.
O God, who in Thine ineffable providence didst vouchsafe to choose blessed Joseph to be the husband of Thy most holy Mother; grant, we beseech Thee, that we may have him for our intercessor in heaven, whom on earth we venerate as our holy protector. Who livest and reignest world without end. Amen.


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