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2018年1月19日(金)  御公現後の平日 「皆さんは今日、カナの婚宴に与っている」

2018年03月18日 | お説教・霊的講話
2018年1月19日(金)御公現後の平日のミサ:皆さんは今日、カナの婚宴に与っている
小野田神父 説教


聖母の汚れなき御心教会にようこそ。

今日は2018年1月19日、平日の金曜日で、御公現後第2主日のミサを捧げています。今日のこのミサの後にいつものように終課を一緒に歌いましょう。終課の前にはフェレー司教様の意向によって、聖ピオ十世会の12年に1度ある総会の成功を祈って、始業の祈りを唱えます。ぜひ参加して下されば嬉しく思います。

明日は、明日も10時30分からミサがあります。明日は踏絵の償いの式と、また2月2日の、御潔めの大祝日でここでミサがあるので、その準備の為の聖歌を練習する事を予定しています。どうぞいらして下さい。



“Tu autem servasti bonum vinum usque adhuc.”
「あなたという方は、今までこんなにおいしい良いワインを取っておいたのですね。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は御公現後第2主日のミサをしています。このミサは特に、イエズス様が最初にした奇跡の事を聖福音で読むので有名です。

このミサについては深い、教会には深い思い入れがあります。なぜかというと、御公現に続いて、主の御洗礼に続いて、このミサがいつも捧げられるからです。御公現も、イエズス様が最初に御自分が天主であるという事を示した時でした。御洗礼も、天主聖父が、「これこそ我が愛する子である」としたその事でした。第3の今日の福音で読んだ最初のイエズス様の最初の奇跡も、これがイエズス様が最初に目に見える公の奇跡をした日でした。この3つの最初のイエズス様の栄光を現した、「イエズスが天主である」という事を示した事の1つであるからです。深い思い入れがあります。

そこで今日、この2000年前イエズス様はどうやって最初の奇跡起こしたのか?という事をさっと垣間見て、

第2に、では2000年後の21世紀に生きる私たちにとって、これはどういう意味があるのか?という事を黙想して、

最後に遷善の決心を立てる事にしましょう。

イエズス様が公生活を最初に始める時に、弟子たちをまず数名選びました。その選ばれた内の1人が聖ヨハネでした、使徒聖ヨハネ。そのヨハネは、イエズス様が最初の奇跡をした時におそらく一緒に臨席していて、そのイエズス様が何をなさったのかをじっと見ていて、それを決して忘れる事ができなかったに違いありません。聖ヨハネはその他の福音史家が書いていない事を記録して、私たちに残しています。

その時イエズス様が公生活を始めたその最初、カナで結婚式がありました。その結婚式にいたのは、イエズス様のお母様でした、マリア様でした。ところでその結婚式に、イエズス様とその弟子たちも更に招かれていました。これを見ると、イエズス様が何を大切にしているか、という事が分かります。イエズス様は決して、私たちの喜びに反対するような方ではありませんでした。私たちの家族や婚姻というものを軽く見る方ではありませんでした。むしろ私たちの家庭や婚姻や、この喜びの家族のパーティーのようなものを、お祝い事を祝福して下さろうとお望みでした。ですから弟子たちも連れて行きました。

イエズス様はその直前までは、40日間の厳しい断食をして、お祈りをして、悪魔と戦った方でしたが、しかし隣人に対しては非常に思いやりがあって、人間的であって、そしてその為に時間を時を過ごす事を良しとされる、憐れみの方でした。

マリア様もそこにいらして、マリア様を見ると、私たちにとってとても多くの事を教えてくれます。マリア様はまずこの婚姻のその披露宴で、「一体この結婚されている方が何が必要なのか」とか、あるいは「これで困ったりしないだろうか」と、いつも「助けたい」、いつも心を配る優しい方でした。非常に母親らしい、非常に女性らしい方でした。そういう事が分かります。

おそらくマリア様はお酒なども飲まなかったに違いありませんが、お酒が無いという事に気が付きました。そしてイエズス様にそっと仰るのです、「あの人たちにお酒がもうありません。」

イエズス様にどれほど優しく、慎ましくお願いした事でしょうか。イエズス様に、「あなた何かしなさい」とかズケズケと仰らずに、ただ「イエズス様、こうですよ」と仰いました。

イエズス様はそれに対して非常に冷たく、見かけ上非常に冷たく答えます、「女よ、あなたと私に一体何の関係があるだろうか。私の時はまだ来ていない。」

マリア様はそれにもかかわらず非常に、たとえ断られたかのように見えたとしても、それに対して怒ったり気分を害したりせずに、非常に肯定的に受け取ります。悲しんだりしません。そして拒否されたかのように思っても、マリア様は召し使いたちに、「イエズス様の仰る通りになさりなさい」とアドバイスします。

マリア様は自分の方に引き寄せるというよりは、自分から皆、自分の力を使って皆イエズス様に従うように、イエズス様へと向かうようにと導いている事がよく分かります。

マリア様のこの最初のジェスチャー、このお言葉、その態度を見ると、私たちはどれほどマリア様のようにならなければならないのか、という事をひしひしと多くの事を学びます。
私たちはともすると、「あなたここが悪いんじゃないの?」「何で準備しなかったの?」とか、「あぁ、何このまずいお酒は」とかもしかしたら、もちろんマリア様は頭の良い方ですし、色んな経験を持っている方ですし、ただ何か色々、欠点や間違ったところや、批判点や足りないところを見い出す事もできたかもしれませんが、一切仰いませんでした。
ただ仰ったのは、「この方たちはこうですよ」とイエズス様に仰る事と、そして人々には、「イエズス様が仰る通りになさりなさい。」それだけでした。

イエズス様は、イエズス様の時は来ていませんでした。一体、霊魂の救いと婚姻のドンチャン騒ぎと、一体何の関係があったでしょうか。しかしイエズス様は、マリア様を喜ばせようとしました。最初の奇跡をマリア様の為になさいました。水を最高のブドウ酒に変えました。

その為にはイエズス様がなさった事は、一見ブドウ酒とか全く関係ないような、一見すると、「一体、何の為に?」と思われるような事を、召し使いに命令します、「これをしなさい」と。これはイエズス様がいつも私たちに要求する事です。しかし私たちのちょっとした協力を使って、私たちのちょっとした事を使って奇跡を起こして、更に大きなものを私たちに与えようと思われています。

では第2に、これは2000年後の私たちに一体どんな意味があるのでしょうか?

典礼学者によると、「実は深い意味がある」と言います。なぜかというと、皆さんは今日、カナの婚宴に与っているからです。今、2000年前に起こったカナで起こった事が、今起こっているからです。今、カナではなく大阪の婚宴式に、皆さん与っているからです。

「結婚する人というのは誰ですか?」皆さんがその花嫁なんです。今、皆さんは結婚式を立てているのです。

では一体、皆さんは誰と結婚するのでしょうか?イエズス様です。天主三位一体と霊的な婚姻をして、1つになろうとされます。そこでこの結婚式が今行われているのです。

「ではそれでは、この婚宴、何でそれが結婚式なんでしょうか?私は既に他の人と結婚しているし」「まだ、私はまだ、」

はい。霊的に私たちは、洗礼を受けた時に、洗礼の水で洗われた時に、私たちの霊魂は教会の一部となります。キリストの神秘体の一部となります。そして実は教会というのは、キリストの教会つまりカトリック教会というのは、イエズス・キリストの花嫁なのです。神秘的な花嫁であって、イエズス・キリストがその頭、花嫁である教会はその体なのです。ですから今日この霊的な婚姻式というのは、私たちの霊魂が、教会の一部としてイエズス・キリストと霊的な一致をする、という事をもう一度再現しているわけです。

でも私たちはあまりにも貧しいので、この婚姻式に良いブドウ酒を準備する事ができないでいます、十分なブドウ酒を準備する事ができないでいます。私たちが準備する事ができるというのは、ただ平凡な、水のような味もそっけもないこの地上的で、時には罪深い考えや、行動や、言葉や、行いでしかないのが悲しい現実です。

しかしイエズス様は、私たちのこの日常の生活を、時には惨めな生活を、天主の命へと変えて、天主の恵みと憐れみの満ちた、天主的な生活へと変えようとして下さるのです、この婚姻式を通して、ミサを通して。

福音の時には、2000年前に起こった事が、あたかも今あるかのように記念しました。ですから司祭は福音書には接吻して、あたかもイエズス様に接吻するかのように。また3つの十字架を切って、福音に十字架をしたり、額とか、口とか、胸にも十字架をしたりして、イエズス様が今まさにここで、そのカナの事をなさっているかのように記念します。荘厳ミサでは香を焚いたり、ろうそくを灯したりして、イエズス様の御言葉とその現実を記念します。

しかしこのミサでは更にもっと大きな奇跡が起こります。カナの奇跡を超える、はるかに超える奇跡が起こります、大阪の婚姻の秘跡では行われます。それは、ブドウ酒がイエズス・キリストの聖血となる事です。この婚宴の式で、もうこれ以上あり得ない最高のブドウ酒が、私たちに与えられるわけです。そしてこの御聖体と聖血の、この私たちに与えられるイエズス・キリストの御体は、飲んでも飲んでも飲み尽くす事ができないほどの、無限の恵みと祝福に満ちておられます。そして今日この事が今、実現しようとしているのです。

そこで教会はその事をよく知っているので、聖体拝領誦にはそのもう一度福音の事を引用して、「あなたという方は、今の今まで最高のワインを残しておいたのですね、私たちの為に」と、何度も繰り返して歌わせようとします。

これが今、この大阪で、2018年1月19日に今、現実に行われようとしている奇跡です。

では私たちはどのような決心を立てたら良いでしょうか?

私たちも、まずカナの婚宴をしたこの夫婦に新郎新婦に倣って、まずマリア様をぜひこの婚宴の席に呼ばなければなりません。このマリア様にぜひ、マリア様と共にこのミサに与らなければなりません。なぜならば、マリア様がいればこそ私たちの惨めな毎日の生活が、イエズス様の御取次ぎによってより良くブドウ酒へと変わるように助けてくれるからです。

そしてマリア様の言葉をよく聞かなければなりません。マリア様は、「イエズス様が仰る通りに、何でもしなさい。」イエズス様は私たちに、時には一見関係ないような事を命じます。私は司祭になって、司祭の仕事といえば告解場に入って、そしてミサを立てて、聖務日課を唱えて、それなのに私の長上は、飛行機に乗って、車に乗って、何とか村に行って、何か司祭とは関係ないような事を命じられますけれども、しかし長上の命令はすなわちイエズス様の命令ですから、それに従う事によって、その関係ないと思われるような事を聖化してくれます。私たちと関係ないと思われるようなお掃除や、あるいは単純な手作業や、あるいは病気、あるいはその他の事も、イエズス様の仰る通りであればあるほど、私たちは水をたくさん汲む事ができます、いっぱいまで満たす事ができます。マリア様をここに呼んで、マリア様の仰る通りに、イエズス様の仰るように致しましょう。

第2にそして最後に、イエズス様は私たちに、「特にマリア様の汚れなき御心の信心をするように」と望んでいます。この地上に聖母の汚れなき御心の信心を確立する事を望んでいます。「そうしたら平和が来る。そうしたら多くの霊魂が救われる。そうしたら私たちは特別の聖人になる」と。ですからその為にも、イエズス様の聖心の御旨を仰る通りに果たす為にも、私たちの空っぽの石のかめをマリア様への信心で満たす事に致しましょう。きっとそうすれば私たちの行う信心がどのように冷たい水のようなものでも、最高のものに変えてくれるに違いありません。

“Tu autem servasti bonum vinum usque adhuc.”
「あなたという方は、今の今までこんなに良いワインを取っておいたのですね。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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