Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

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天主様に感謝!聖母マリア様に感謝!

2013年07月16日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 天主様に感謝!今月はアジア管区長のクチュール神父様が来日してくださいました。多くの方々が聖伝のミサにあずかるお恵みを受けたことを天主様に感謝します。主日は東京で31名の方々が、月曜日は10名の方々がミサにあずかることができました。

 次のような報告をいただきましたのでご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)@ソウルにて

*****


クチュール神父は今日の説教で、聖書を読む時にはその意味を良く理解して読むことが重要であることを今日の聖福音の例を使って説明してくださいました。具体的には、
(1)天主は正義をもって裁かれる方であること、
(2)天主は私たちに多くの贈り物をしてくださる分、私たちがそれをどう使ったかについて天主に対して報告をしなくてはならず、その報告に対する裁きが私たちが死んだすぐ後、私審判として行なわれること、
(3)私たちは、今日思ったこと、行ったこと、行なわなかったことを含む全てのことについて裁かれること、
(4)そのため、私たちは今日の聖福音の使用人に習い、今、賢明に行動する必要がある、
とのことでした。また、煉獄の霊魂の為にミサを捧げていただくことの重要性についても話されました。

昼食の後午後2時半からのクチュール神父の霊的講話では、最近英語版が出版されたロベルト・デ・マッテイ教授の第二バチカン公会議に関する本("TheSecond Vatican Council - An Unwritten Story")の中から一章を取り上げて、とりわけ伝統と啓示という言葉の内容について、カトリック教会の伝統的な教えとプロテスタントの説、そして第二バチカン公会議で主張された新しい考えを対比して、聖ピオ十世会とバチカンとの理解の違いはどこにあるのかを詳しく説明してくださいました。

晩課のあと、クチュール神父と一緒に皆で近くの東洋文庫ミュージアムで行なわれている「マリー・アントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い」の展示を見学し、夕食を共にしてお別れしました。

ミサの参列者数
男: 14人(内、子供0人)
女: 17人(内、子供2人)
計: 31人(内、子供2人)

霊的講話の参列者数
男: 6人
女: 7人
計: 13人

晩課と東洋文庫ミュージアム展示会の参加者数
男: 5人
女: 3人
計: 8人


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聖母の汚れなき御心への奉献更新のため:聖母の代願の象徴なるエステル

2013年07月16日 | カトリックとは
十 一 日 聖母の代願の象徴なるエステル

エステル王の御前(みまえ)に進みし時・・王は怒(いか)れる顔を上げしが・・天主は
忽ち彼の心を和(やわ)らげ給えり。    (エステル書十五。九の一 一)

ペルシャ国王アスエロは、ユデア人を憎むアアマン宰相(さいしょう)の奸(わる)計(だくみ)に乗せられ、遂に国中(くにじゅう)のユデア人を一日の内に皆殺しにせよとの厳命(げんめい)を発した。
 所がその皇后のエステルは、矢張りユデア人の中から迎えられた婦人であったから、同胞の不幸を黙視(もくし)するに忍(しの)びず、彼等を救う為に、招きを受けずに王の居間に入る者は何人と雖(いえど)も殺されるという、厳(きび)しい掟(おきて)があるにも拘(かか)わらず、敢然(かんぜん)進んで王の前に立ち、憐(あわ)れみを乞おうとした。その時王は憤(いかり)の形相(ぎょうそう)物凄(ものすご)く顔を上げたが、天主は其の瞬間急に其の心を和(やわ)らげ給うた、というのが冒頭(はじめ)に記(しる)した言葉である。
 このエステルは云うまでもなく聖マリアの象徴(かたどり)であった。彼女が国王に同胞(どうほう)の命乞(いのちご)いをした如く、聖母も我等不幸な人類を憐(あわ)れみ、いつも主の玉座(ぎょくざ)の御前(みまえ)に代願(だいがん)し給うのである。
 こう云うと我等の為天主御父(おんちち)に取りなして下さる方は救い主イエズス・キリストではないかと疑(うたが)う人もあろう。成る程天主御父は人類を救う為に御独子(おんひとりご)を世に遣(つか)わし給うた。そして之を信ずる者は聖書にもある如く、確(たし)かに永遠の生命を受ける。けれども浅ましい我等は救い主の御慈悲(おんいつくしみ)を軽蔑(けいべつ)したり、その御旨(みむね)に反抗(はんこう)したりして罪を犯(おか)し、自分に与えられる主の御苦難御死去の功徳(くどく)を踏(ふ)みにじり、永遠の生命を失う危険に瀕(ひん)することが度々(たびたび)ある。
 イエズスは天主であって無限の慈悲(いつくしみ)と共に無限の正義も有し給い,公(こう)審判(しんぱん)の折には審判者となられるお方(かた)である。それで我等がかような不心得(ふこころえ)を働いた時には、その正義から咎(とが)め給わぬ訳には行かぬ。かような場合、主の御怒りを宥(なだ)め参らせて、我等の為に憐(あわ)れみを乞(こ)うて下さるのは何方(どなた)であるか。それは聖母
マリアの外(ほか)にはない。
 聖マリアはエステル皇后のように、主の御招きを待ち給う必要がない。天の元后(げんこう)として常に三位(さんみ)一体(いったい)の御側(おそば)においでになる。そしてかのカルワリオ山の上、十字架のもとに立ち給うた時から、地上に於いて天主を父として認め、キリストを兄弟として信ずる者を悉(ことごと)く御自分の愛子(あいし)として、その為に祈り給うのである。故(ゆえ)にその代願(だいがん)には元后(げんこう)としての権利(けんり)と慈母(じぼ)としての限りなき愛が含まれている。その権利の為に聖母の代願は此の上もなく効果があり、その愛の為に聖母は如何(いか)なる罪人もお見捨てにならぬ。寧(むし)ろ重い罪人ほど余計に同情を寄せ給う事は、恰(あたか)も母親が不幸な子ほど不愍(ふびん)に思うようなものである。
そして縋(すが)り奉る者は、善人なるか悪人なるかを問わず、必ず助けてくださるのである。
 されば天主に対して「我を憐(あわ)れみ給え」と祈る事が出来ぬ場合には、臆(おく)せず速(すみ)やかに聖母の御許(みもと)に馳(は)せ寄り「慈悲(いつくしみ)深き御母、我を助け給え!」と願うがよい。そうすれば大いなる慰(なぐさ)めを得(え)、再び希望と信頼とを恵(めぐ)まれるであろう。
 なお、我等も聖母に倣(なら)い、友の為にも敵の為にも、我等によき人にも悪(あ)しき人にも、隔(へだ)たりを置かず、彼等の報(むく)いを求めず、祈祷(いのり)の効果如何に頓着(とんちゃく)せず、唯(ただ)ひたすら真心(まごころ)を尽くして祈ろう。
 かように励(はげ)むならば、生涯、殊に臨終(りんじゅう)の時、天の元后(げんこう)に特別な御扶助(おたすけ)を蒙(こうむ)る事は疑(うたが)いない。

   祈   願

 ああ我等の代願者なる聖マリアよ、望(のぞ)むらくは我等をして明らかに己が欠点を知り、心より罪を悔(く)やみ、友を助け敵を愛し、罪を償(つぐな)い、もって善(よ)き終わりを遂(つ)ぐるの恵を得(え)させ給わん事を、恭(うやうや)しく天使祝詞(しゅくし)三度繰(く)り返して願い奉る。

(天使祝詞 三度)


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