聖母月の黙想2
聖 母 月 中 の 祈 祷
我等主の御前(みまえ)に出で、主の御母マリアの尊敬によりて、主を讃美(さんび)し奉つらんとす。主よ願わくは我等の心を浄(きよ)め、すべての無益なる思いより遠ざけしめ、我が智恵を照らし、意志をば堅固(けんご)ならしめ給わんことを、我等の主イエズス・キリストによりて、アメン
最も尊むべき天主の御母童貞聖マリアよ、我等は御身につくすべき尊敬と愛とを現さんがために此処に集(つど)いきたれり。
我等は全能の天主が御身(おんみ)にかくも高き御位(みくらい)と御光栄(みさかえ)とを下し給えることを喜び、且つ主が御身(おんみ)の御心(みこころ)に最も深きいつくしみを与え、御身(おんみ)を我等の母と定め給いしによりて主を讃美し奉(たてまつ)る。
我等はこの月を聖母の月として今日一日をもまた御身の尊敬のために捧(ささ)げ奉(たてまつ)る。
いつくしみ深き聖母よ、我等は御身(おんみ)を御子イエズスの御前(みまえ)における代祷者(だいとうしゃ)として撰(えら)び奉(たてまつ)る。
今新たに我等が身も心も御身(おんみ)に献げ、我等が悲しみも喜びも生命(いのち)、死もすべて主の御旨(みむね)にかなうよう御身(おんみ)に任(まか)せ奉る。願わくは我等の御母たることを示し給へ。我等は叉、聖会と教皇、及びすべての聖職者並びに生けると死せる親族友達の為に祈り奉る。願わくは我等が讃美(さんび)と祈りとをもって御身の御心(みこころ)を喜ばせ奉らんとするを顧(かえり)み給え。
我等はこの聖(とうと)き月において、すべての公教信者が特に御身(おんみ)にさゝぐる其の祈りに我等の祈りを合わせ、且(か)つ天国において、天の元后(げんこう)なる御身(おんみ)を永遠に讃美(さんび)する諸々(もろもろ)の天使と共に御身を讃(たた)えまつらん。
されば我等をして死に至るまで生涯(しょうがい)忠実に主に仕(つか)え、死後天堂(てんどう)において諸天使(しょてんし)諸聖人(しょせいじん)と共に御身(おんみ)を愛し御身(おんみ)に感謝し、御身(おんみ)と共に主を永遠に讃美(さんび)するをうるの最上の幸福をえせしめ給わんとを特に願い奉る。アメン
一 日
聖 母 月 の 目 的
我を得(う)る者は生命を得(う)、そは神の恵を
得(う)ればなり。 (箴言八。五五)
懐(なつ)かしい聖母月を迎える言葉として、右の箴言(しんげん)ほど相応(ふさわ)しいものは他にあるまい。何となれば、聖母月は今更、説明するまでもなく、我等の救い主イエズス・キリストの御母、童貞聖マリアを特別に尊敬讃美(さんび)して、その御助力(おたすけ)を願う月であるが、我等の罪を贖(あがな)う為に人となって天下り給うた天主の第二位なる御子によりすがれば、如何なる人も永遠の生命を約束される如く、聖母を尊敬して其の御伝達(おんとりつぎ)を願えば、その生命を得るに必要な聖寵が、豊かに与えられるからである。
故に我々は各自の家庭に聖母の御絵(ごえ)或は御像(ごぞう)を美しく飾り、毎日,殊に晩には必ずその御足(みあし)の許(もと)に馳(は)せ集(つど)い、その御徳を深く黙想し、力を尽くして讃美し、熱心に祈願し、尚、御母に肖(あやか)る為に些(いささ)かなりとも犠牲を献(ささ)げるように努(つと)めよう。
祈願する一般の目的は、勿論(もちろん)、人、皆が救(きゅう)霊(れい)をえ、世に天主の光栄(こうえい)のいよいよ輝きまさる事ではあるが、その他、自分の欠点を改め徳に進む為、戴きたい恵(めぐみ)は人によって異(こと)なっていよう。
されば我々はよく己の心を反省して、必要な所を一心に祈り求むべきである。そしてその祈るに当たって,聖母の御徳に現れた天主の光栄を讃美(さんび)し、天国の諸天使、諸聖人、及び地上に於ける全公教会信者の祈祷(いのり)に合わせるならば、益々其の御心に叶(かな)うに相違(そうい)ない。
かようにして常に聖母の御徳を仰ぐならば、我等のマリアに対する尊敬と愛とは益々深きを加え、不束(ふつつか)な我等も次第(しだい)に感化されて、義に飢(う)え渇(かわ)く者となる事が出来よう。故(ゆえ)に我等は今月中毎日少しづつ聖母の御跡(おんあと)に倣(なら)い、天国への道を進む為に、短い黙想をして我等の救(たす)霊(かり)に深い関係のある聖母の御生涯を学ぶ事にしたい。その題材となるものは、聖母が永遠より天主に選ばれ給える事、聖母についての預言(よげん)や前表(かたどり)、聖母の現世に於ける御生活、最後に聖母が天国に於ける御栄(みさかえ)等である。
かような黙想は我等の信仰を強め、希望を堅くし、愛熱(あいねつ)を燃(も)やすものである。従ってこの黙想に依(よ)る決心は唯(ただ)一時的に止(とど)まらず、永続する徹底的(てっていてき)なものでなければならぬ。
かの第四誡(かい)に於(お)いて「父母を敬(うやま)うべし」と命ぜられた天主は、肉身の母を敬(うやま)う者に自然的、御祝福を約束されたが、その通(とお)り霊魂(たましい)の母、聖マリアを尊敬する者にも、必ず超自然的御恵(おめぐみ)を以て報(むく)い給うに相違(そうい)ない。
まことに「我を得(う)る者は生命を得(う)、そは神の恵(めぐ)みを得(う)ればなり」とは真実(しんじつ)に して謬(あやま)る事のない御言葉(みことば)である。
祈 願
ああ、敬愛し奉る元后(げんこう)よ、我等は今月中、我等の霊魂(れいこん)も肉(にく)身(しん)も全(まった)く御身に献げて仕(つか)え奉らんと決心し、なお、一般公教信者の一人も此の恵(めぐみ)に漏(も)れざらん事を切望(せつぼう)しつつ、御身を我等の頼(たの)もしき伴侶(みちづれ)、黙想のよき導(みちび)き手、御一人子イエズス・キリストの御祝福の代願者(だいがんしゃ)と選び、その御慈悲を蒙(こうむ)らんが為に、恭(うやうや)しく天使祝詞(しゅくし)三度(みたび)繰(く)り返して祈り奉る。
(天使祝詞 三度)
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聖 母 月 中 の 祈 祷
我等主の御前(みまえ)に出で、主の御母マリアの尊敬によりて、主を讃美(さんび)し奉つらんとす。主よ願わくは我等の心を浄(きよ)め、すべての無益なる思いより遠ざけしめ、我が智恵を照らし、意志をば堅固(けんご)ならしめ給わんことを、我等の主イエズス・キリストによりて、アメン
最も尊むべき天主の御母童貞聖マリアよ、我等は御身につくすべき尊敬と愛とを現さんがために此処に集(つど)いきたれり。
我等は全能の天主が御身(おんみ)にかくも高き御位(みくらい)と御光栄(みさかえ)とを下し給えることを喜び、且つ主が御身(おんみ)の御心(みこころ)に最も深きいつくしみを与え、御身(おんみ)を我等の母と定め給いしによりて主を讃美し奉(たてまつ)る。
我等はこの月を聖母の月として今日一日をもまた御身の尊敬のために捧(ささ)げ奉(たてまつ)る。
いつくしみ深き聖母よ、我等は御身(おんみ)を御子イエズスの御前(みまえ)における代祷者(だいとうしゃ)として撰(えら)び奉(たてまつ)る。
今新たに我等が身も心も御身(おんみ)に献げ、我等が悲しみも喜びも生命(いのち)、死もすべて主の御旨(みむね)にかなうよう御身(おんみ)に任(まか)せ奉る。願わくは我等の御母たることを示し給へ。我等は叉、聖会と教皇、及びすべての聖職者並びに生けると死せる親族友達の為に祈り奉る。願わくは我等が讃美(さんび)と祈りとをもって御身の御心(みこころ)を喜ばせ奉らんとするを顧(かえり)み給え。
我等はこの聖(とうと)き月において、すべての公教信者が特に御身(おんみ)にさゝぐる其の祈りに我等の祈りを合わせ、且(か)つ天国において、天の元后(げんこう)なる御身(おんみ)を永遠に讃美(さんび)する諸々(もろもろ)の天使と共に御身を讃(たた)えまつらん。
されば我等をして死に至るまで生涯(しょうがい)忠実に主に仕(つか)え、死後天堂(てんどう)において諸天使(しょてんし)諸聖人(しょせいじん)と共に御身(おんみ)を愛し御身(おんみ)に感謝し、御身(おんみ)と共に主を永遠に讃美(さんび)するをうるの最上の幸福をえせしめ給わんとを特に願い奉る。アメン
一 日
聖 母 月 の 目 的
我を得(う)る者は生命を得(う)、そは神の恵を
得(う)ればなり。 (箴言八。五五)
懐(なつ)かしい聖母月を迎える言葉として、右の箴言(しんげん)ほど相応(ふさわ)しいものは他にあるまい。何となれば、聖母月は今更、説明するまでもなく、我等の救い主イエズス・キリストの御母、童貞聖マリアを特別に尊敬讃美(さんび)して、その御助力(おたすけ)を願う月であるが、我等の罪を贖(あがな)う為に人となって天下り給うた天主の第二位なる御子によりすがれば、如何なる人も永遠の生命を約束される如く、聖母を尊敬して其の御伝達(おんとりつぎ)を願えば、その生命を得るに必要な聖寵が、豊かに与えられるからである。
故に我々は各自の家庭に聖母の御絵(ごえ)或は御像(ごぞう)を美しく飾り、毎日,殊に晩には必ずその御足(みあし)の許(もと)に馳(は)せ集(つど)い、その御徳を深く黙想し、力を尽くして讃美し、熱心に祈願し、尚、御母に肖(あやか)る為に些(いささ)かなりとも犠牲を献(ささ)げるように努(つと)めよう。
祈願する一般の目的は、勿論(もちろん)、人、皆が救(きゅう)霊(れい)をえ、世に天主の光栄(こうえい)のいよいよ輝きまさる事ではあるが、その他、自分の欠点を改め徳に進む為、戴きたい恵(めぐみ)は人によって異(こと)なっていよう。
されば我々はよく己の心を反省して、必要な所を一心に祈り求むべきである。そしてその祈るに当たって,聖母の御徳に現れた天主の光栄を讃美(さんび)し、天国の諸天使、諸聖人、及び地上に於ける全公教会信者の祈祷(いのり)に合わせるならば、益々其の御心に叶(かな)うに相違(そうい)ない。
かようにして常に聖母の御徳を仰ぐならば、我等のマリアに対する尊敬と愛とは益々深きを加え、不束(ふつつか)な我等も次第(しだい)に感化されて、義に飢(う)え渇(かわ)く者となる事が出来よう。故(ゆえ)に我等は今月中毎日少しづつ聖母の御跡(おんあと)に倣(なら)い、天国への道を進む為に、短い黙想をして我等の救(たす)霊(かり)に深い関係のある聖母の御生涯を学ぶ事にしたい。その題材となるものは、聖母が永遠より天主に選ばれ給える事、聖母についての預言(よげん)や前表(かたどり)、聖母の現世に於ける御生活、最後に聖母が天国に於ける御栄(みさかえ)等である。
かような黙想は我等の信仰を強め、希望を堅くし、愛熱(あいねつ)を燃(も)やすものである。従ってこの黙想に依(よ)る決心は唯(ただ)一時的に止(とど)まらず、永続する徹底的(てっていてき)なものでなければならぬ。
かの第四誡(かい)に於(お)いて「父母を敬(うやま)うべし」と命ぜられた天主は、肉身の母を敬(うやま)う者に自然的、御祝福を約束されたが、その通(とお)り霊魂(たましい)の母、聖マリアを尊敬する者にも、必ず超自然的御恵(おめぐみ)を以て報(むく)い給うに相違(そうい)ない。
まことに「我を得(う)る者は生命を得(う)、そは神の恵(めぐ)みを得(う)ればなり」とは真実(しんじつ)に して謬(あやま)る事のない御言葉(みことば)である。
祈 願
ああ、敬愛し奉る元后(げんこう)よ、我等は今月中、我等の霊魂(れいこん)も肉(にく)身(しん)も全(まった)く御身に献げて仕(つか)え奉らんと決心し、なお、一般公教信者の一人も此の恵(めぐみ)に漏(も)れざらん事を切望(せつぼう)しつつ、御身を我等の頼(たの)もしき伴侶(みちづれ)、黙想のよき導(みちび)き手、御一人子イエズス・キリストの御祝福の代願者(だいがんしゃ)と選び、その御慈悲を蒙(こうむ)らんが為に、恭(うやうや)しく天使祝詞(しゅくし)三度(みたび)繰(く)り返して祈り奉る。
(天使祝詞 三度)
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