アヴェ・マリア!
カステルガンドルフォで、ベネディクト十六世教皇様はクレルヴォーの聖ベルナルドの言葉を引用した。しかしニュースでは「働きすぎてはいけない」とだけ報道されており、聖ベルナルドの(そして、おそらくベネディクト十六世教皇様の)意図がよく伝わっていないと思われる。
Pope: Don't work too hard
http://www.news24.com/News24/World/News/0,,2-10-1462_1985739,00.html
じつは、聖ベルナルドは、自分自身の救霊をなおざりにしてまで、活動主義に陥るな、たとえ教皇職という仕事であってもそれに没頭して、自分の内的生活、祈りの生活をなおざりにするなら、それは呪われた職務だ!と言っているのだ。自分の霊魂を「天主不在の部屋」とするな!と警告しているのだ。
聖ベルナルドは、かつて愛弟子の一人であって、後に教皇となったエウジェニオ3世に次のように書き送っている。
「聖下よ、私は聖下に、あらゆる世俗的業務から、完全に身をお引きなさいとはもうしません。ただ、それに全身全霊を打ち込まないようにとお勧めしているだけでございます。
もし聖下が全ての人のための人間でございますなら、当然聖下は、聖下ご自身のための人間でもいらっしゃるはずです。そうでないと、たとえ聖下が全世界の全ての人をお救いになったとしても、もしも聖下ご自身の霊魂を失いになりましたら、何の役に立ちましょうか?
ですから、いつも、どこでも、聖下ご自身を確保されますように。全ての人が聖下の泉に飲みに参りますなら、聖下もまた、ご自身の泉からお飲みになることをお忘れになりませんように。人はみな、聖下の泉から飲んで渇きを癒されていますのに、聖下ただ一人、いつも渇きに苦しめられ通しでいらっしゃるということは、まことにおかしな話ではございませんか。どんなに他人のためにお尽くしになっても、もし聖下がご自身をなおざりにされますなら、とどのつまりは無益な骨折りとこそ申すべきことでしょう。
それゆえ、聖下の全てのご配慮は、まず聖下ご自身のこと(=救霊)に始まり、聖下ご自身のことに終わるべきです。まず最初に聖下ご自身のことを、また最後にも聖下ご自身のkとをご考慮、ご反省なさいますように。
そして聖下の救霊に関しては、お母さまの一人息子である聖下ご自身よりも自分に近いものはだれもいないのですから、まずご自分を救わなければならないのです。このことをゆめゆめお忘れになりませんように。」
(聖ベルナルドの『反省録』 Sanctus Bernardus "De Consideratione": A te tua inchoetur consideatio ne frustra extendaris in alia, te neglecto ... Tu tibi primus, tu ultimus ... in acquisitione salutis nemo tibi germanior est unico matris tuae. ドン・ショタール著 山下房三郎訳 『使徒職の秘訣』ドン・ボスコ社 110-111ページより孫引き。更に、同書172-173ページもご覧下さい。)
ルフェーブル大司教も、聖ピオ十世会の神学生、司祭らに、ドン・ショタールの素晴らしい著書『使徒職の秘訣』を必読の書としてしておれました。
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