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Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

同性愛の結びつきの論理的な結論・・・

2014年11月29日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 以前、次のような一コマ漫画をご紹介したことがあります。

人間と犬との「結婚」式



 この漫画は、犬との「結婚」を市役所に届け出る愚かな人(犬と結婚して「モルモットを養子にしたい」と言っている)のことを笑ったものですが、しかし、将来、真剣にそれをする人が出てくることでしょう。何故なら、自然本性を無視した同性同士の「結婚」の次に論理的必然としてでてくるのは、やはり、犬との結婚とかサルとの結婚、などの「自由」だからです。

 ネリー神父様は、こんな記事のことを教えてくれました。それは、「木」と「結婚式」をしたペルー人のコメディアン・エコロジストのニュースです。Un écologiste colombien épouse un arbre 上の漫画も、将来は笑えなくなるとしたら、恐ろしいことです。

 日本語でも記事がありました。ペルー人男性が木と結婚式

 さて、聖伝によると、 11月29日から12月7日までは、 無原罪のおん宿りの祝日を準備する9日間の祈り(ノベナ)をする期間です。
 特に、日本における聖ピオ十世会の意向で、聖母マリア様の無原罪の御宿りの祝日(12月8日)の準備を9日間祈祷(ノベナ)を持って始めて下さいますようにお願いいたします。

 詳しくは、ここをクリックしてご覧下さい。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


聖伝のミサ(いわゆる「トリエント・ミサ」と呼ばれているローマ式典礼様式のミサ)にようこそ!

ローマ・カトリックの聖伝のミサ vs エキュメニカルな新しいミサ(第二バチカン公会議のミサ)




この映画のダビングのために日本語訳を作り、録音してくださった声優の方々や、字幕を作ってくださった方々、すべての関係者の方々に感謝します。


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公教要理図解(ワグネル訳)
カトリック中央協議会編集の公教要理(1958年)
聖ピオ十世 公教要理詳解

ローマ公教要理 【使徒信経の部】
序文 教会における司牧者の必要性と権威および役務について またキリスト教のおもな教義について
信仰と信経について
第一条 天地の創造主、全能の父である神を信じます
第一条 天地の創造主、全能の父である神を信じます(続き)
第二条 われらの主、イエズス・キリストを信じます
第三条 聖霊によりて宿り、おとめマリアから生まれた

第四条 ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け十字架に付けられ、死んで葬られる
第五条 古聖所 ( Inferi ) に下り、三日目に死者の中から復活された
第六条 天に昇り全能の父なる神の右に座し
第七条 主は生ける人と死せる人とを裁くために来られる
第八条 聖霊を信じます
第九条 聖なる公教会、諸聖人の通功を信じます
第九条 聖なる公教会、諸聖人の通功を信じます(その2)
第九条 聖なる公教会、諸聖人の通功を信じます(その3)
第十条 罪のゆるし
第十一条 体の復活


ブラジルのイエズス様の御像を修理する作業の現場の動画だそうです

2014年11月14日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ブラジルのイエズス様の御像を修理する作業の現場の動画だそうです。見ているだけで、ひやひやします。すごいですね。

 明日、土曜日は、大阪で2回聖伝のミサがあります。
 明後日の主日は、東京で2回聖伝のミサがあります。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)







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アンジェルス・プレス 2014年講演会:ミサ聖祭 教会の中心

2014年10月14日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 先日、聖ピオ十世会アメリカ管区で行われた「アンジェルス・プレス 2014年講演会:ミサ聖祭 教会の中心」Angelus Press Conference 2014 - The Mass - Heart of the Church のビデオ・クリップをご紹介します。(ティシエ・ド・マルレ司教様、クチュール神父様やジョン・ヴェナリさんなどが映っていて、嬉しく思いました。John S. Burke Catholic High School で長い間校長として働いていた Monsignor James Byrnes 神父様の姿も見えました。)

 天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)





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ミューラー枢機卿は、フェレー司教を面会に招待

2014年09月08日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会本部からの報道発表をお知らせいたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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Cardinal Müller invites Bishop Fellay to meet with him



Having been invited by Rome, Bishop Bernard Fellay will meet with Cardinal Gerhard Ludwig Müller, Prefect of the Congregation for the Doctrine of the Faith, during the second half of September 2014. This interview was presented to the Superior General of the Society of Saint Pius X as an informal meeting to review the relations between the SSPX and Rome, which were discontinued at the departure of Cardinal William Levada, Cardinal Müller’s predecessor, and the resignation of Benedict XVI. This will in fact be the first meeting between Cardinal Müller and Bishop Fellay.

On September 3, 2014, on his website the Vatican Insider, the Italian journalist Andrea Tornielli announces this meeting and noted that the new District Superior of France, Father Christian Bouchacourt had the opportunity when he was superior of the District of south America, to meet Cardinal Jorge Mario Bergoglio, then Archbishop of Buenos Aires. Since then they have had contact on purely administrative matters concerning the District of South America.

The Superior General of the Society of Saint Pius X will go to Rome, following the example of Archbishop Marcel Lefebvre, who always accepted invitations of the Roman authorities. What will be said at this meeting is obviously unknown, yet Bishop Fellay will not have forgotten what Cardinal Müller said about the SSPX, as reported in the Corriere della Sera on December 22, 2013 : « The canonical excommunication of the bishops for their illegal ordinations was revoked, but a de facto sacramental excommunication remains for their schism; they put themselves out of communion with the Church. After that we are not closing the door and never will, but we are inviting them to be reconciled. But they too must change their attitude, accept the conditions of the Catholic Church, and the Supreme Pontiff as the definitive criterion for membership. »

And surely the Superior General will have in mind the declaration made with the Society’s other two bishops on June 27, 2013, on the occasion of the twenty-fifth anniversary of their episcopal consecration : « It was love of the Church which guided Archbishop Lefebvre and which guides his sons. It is the same desire to “pass on the Catholic priesthood in all its doctrinal purity and its missionary charity” (Archbishop Lefebvre, Spiritual Journey) which animates the Society of Saint Pius X at the service of the Church, when it asks with insistence for the Roman authorities to regain the treasure of doctrinal, moral and liturgical Tradition. »

(Sources : FSSPX/MG/vaticaninsider – DICI du 05/09/14)

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キリストの教会は聖である

2014年09月01日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!


「私たちは、主イエズス・キリストの力と来臨とを知らせたとき、巧みな作話をしなかった。私たちはそのみいつの目撃者であったからである。おごそかな光栄の中から「これは私の愛する子である。私はかれをよろこびとする」と声があって、主は父なる天主から、ほまれと光栄とを受けられた。私たちも、かれとともに聖なる山にいたとき、天からくるこの声を聞いた。こうして私たちは預言のことばに深く信頼をおいた。夜明けがはじまり、あけの明星があなたたちの心にのぼるまで、暗闇にかがやくともし火として、預言のことばにたえずより頼むのは、よいことである。」(ペトロの後の手紙)


愛する兄弟姉妹の皆様、

 キリストは、人間の社会組織として教会を創立しました。イエズス・キリストが創立した教会は、四つの特性をもっています。それは、唯一で、普遍的で、使徒継承的で、聖であるという、ことです。

【ポイント】キリストによって創設された教会は、唯一、公、使徒的で、聖なる教会

 それでは、キリストによって創設された教会が、聖であるということを見てみましょう。

キリストの教会は聖である

●キリストが建てた教会は、教会の創設者において聖である
その意味は「天主ご自身が教会の創設者であるから、教会の機構と仕事との主宰者が天主であり、したがって、教会における司牧の機構も、教えも、典礼も、また、目的も聖である」ということです。


●キリストが建てた教会は、教えにおいても聖である
信仰のない人でも、キリストが教える道徳的なおきてが、すぐれて高いことを、みな認めている。しかし、キリストは、単なる自然法にもとづく倫理道徳の水準をはるかにこえた、ご託身の奥義によって、かがやく、うるおいのある教義をおしえました。キリストは天主を知らない人たちでも実行できる、真実とか正直とかいうような、一般的な道徳で満足したのではなく、キリストは、ご自分に従う人びとに、もっと高い霊的な生活を要求したのです。

キリストは、彼らに、英雄的な徳の理想に到達する努力をすすめています。おさない子供たちの信頼に見られるような、天主にたいするあたたかい従順が、兄弟愛にあらわされ、柔和とか、謙遜、そのほか、色々なかたちであらわされることを要求している。たとえば、自発的な清貧、迫害をよろこんでうける精神、信仰を証明するためには死をもよろこんで受けるほどの犠牲心、あるいは、また、苦しんでいる人や、他人の救霊のために、命をすてることまでも実行せよ、という。以上のような、その他のすべての理想をまとめて、キリストは、「あなたたちの天の父が完全であるように、あなたたちも完全なものになれ」と言っています。

キリストは、これら人間聖化の教えを、その他の教えとともに、教会に委託して、「私があなたたちに命じたことを、すべて守るように教えよ」と命じたのでした。
使徒聖ヨハネは、こう書いています。「私たちは天主の子である。」「愛するものたちよ、私たちはいま、天主の子である。のちにどうなるかは、まだあらわれていないが、それがあらわれるとき、私たちは天主に似たものになることを知っている。私たちはかれをそのまま見るであろうから。」(ヨハネ一3:2)


●キリストによって創設された教会は、教会のメンバーにおいても聖である
キリストは、自分の教会の信者が「貧富、上下の別なく、最小限の意味においてさえ、すべてのメンバーが聖人だ」などとは、一度も言ったことはありません。
人間はだれでも、天主から与えられた自由意志を乱用することによって、善にかえて、悪を選ぶことができるからです。天主ご自身と親密な交際をつづけて生活していた筈の使徒たちのなかにさえ、ひとりのうらぎり者(ユダ・イスカリオト)がいたということを、私たちはよく承知しています。私たちはまたキリストが、かれの王国(教会)を、よい魚もよくない魚もいっしょにあつめる網にたとえていることや、あるいは、毒麦もともにそだっていく麦畑にたとえていることも知っています。

しかしながら、キリストの教会は、キリストの天主からの援助をうけているのですから、全体として見る場合、いつの時代にも、聖性においてきわだっていなくてはならないのは当然です。キリストの教会は、いかなることがあっても、その存在目的について、全体として失敗することがあろうはずがないからです。そしてまた、高い理想実現のために、たくさんの例証を示していかなければならないからです。

従って、教会は、教会の子らのうちに各時代にわたって、英雄的な徳をあらわしていかなければならないのです。キリストの教会は、《よい木》で、《よい実を結ぶ》べきなのです。教会は、善徳の実をむすばせなければならない。なぜなら、教会の創設者であって、天主ご自身であるキリストが、いつも教会といっしょにいるからです。

教会の聖性は、奇跡によって証明される
キリストは、奇跡をもって、教会の聖性を証明することをやめるはずがありません。なぜなら、「信ずる人には、私の名によって、悪魔をおいだし、あたらしい言葉を話し、蛇を握り、毒を飲んでも害をうけず、病人に手をおいて癒すなどのしるしを見せるだろう」と。また、「私を信ずる人は、私のするようなことをおこなうであろう。そればかりか、もっと偉大なことをおこなうだろう」といっているからです。


キリストの教会は不可謬である
キリストが創立した教会の特徴を持っている教会が、今現在どこにあるかを、考察する前に、キリストの教会が持っているはずの別の特徴「不可謬性」について触れておきましょう。

キリストによって創設された教会が不謬であるというのは、キリストが教会に委託した信仰と真理とについて、教会がこれを教える場合にも、説明する場合にも、決してまちがいを犯すことができないという意味です。

間接的な証明
(1)もしも、キリストの教会が、教会の教えに関する信仰を強要していながら、まちがうことがありうるということを認めるとすれば、つぎのようなことが実現することになります。
(a)天主は、永遠の苦罰を用意してまで、まちがいを信じさせるために、人びとを束縛しているということになるから。なぜなら、「信じない人は、亡ぼされる」のだからです。
(b)そのうえ、ある教えが、天主の教えであるか、どうかについて、なんら確信がえられないことになるから。

(2)もしも、地上に、不謬の教権をもっている機構が存在しないとすれば、教師としてのキリストの聖務は、キリストがこの世を去った時に終りをつげたことになるだろう。さて、これが、どういう結果になるかを考えてみよう。旧約時代というはかり知れない長い間、天主はご自分のおん子をつかわすために、天啓につぐ天啓という特別な恵みをくだし、くわしい祭式の体系を制定して、人びとの心を準備した。時みちて、救い主がきた。ところが、かれは、三年たらずのあいだ、不謬の権をもって教えたにすぎない。世界のちょっとした片隅の、しかも、一握りほどの人びとに教えただけです。常識からいっても、このような不合理な前後の比率を認めるわけにはいかない。天主が、キリストの時代に、ユダヤ人たちに与えたことを、世界の終末にいたるまで、すべての人びとに与えるということを、私たちが、期待することは、当然なことです。私たちが、今日もなお、天主のおん子の不謬の声を聞くことができるために、私たちのうちに、天主が不謬の権を用意したということは、けだし当然の主張と思われる。

直接の証明
不朽性による証明
キリストの教会はけっしてなくなりません。教会はいつも、天主の権をもって、人びとを教えます。なぜなら、キリストは、常に教会とともにいると約束しているからです。したがって、教会は、教会の教えについて、誤ることができません。

信仰の唯一性による証明
キリストの教会は、いつの時代にも天主の与えた同一の真理体系をおしえ、これを信じていかなければなりません。教会は信仰の唯一性をもっているのであるから、当然、この唯一性をたもち、まもっていく方法手段をもっていなくてはならないわけです。
歴史が証明するように、また、聖パウロ自身の手記によってもわかるように、キリスト教のもっともあきらかな教えまでが、人間の気まぐれと、あるいは、よからぬ傾向とのゆえに、いつもまちがった解釈の危険にさらされてきました。したがって、キリストの教会は、常に誤謬におちいる危険にさらされているのです。誤謬は一致にとって、致命的なものです。それで、ある教義が啓示された教えであるか、またはそうでないかを宣言し、教会の決定をすてるすべての人に、破門宣告を与えて、教会のふところからおいだすことができる不謬の権を、キリストはかれの教会に賦与しておかなければならなかったのです。
キリストによって創設された教会は、不朽であるから、今日もなお、賦与された一切の権力をもって、地上に存在しなければならなりません。この教会は、見える、唯一の、全世界におよぶ、聖なる、使徒的な、そして不謬の教会です。

聖伝のミサ(いわゆる「トリエント・ミサ」と呼ばれているローマ式典礼様式のミサ)にようこそ!

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ミサ聖祭の価値と司祭

2014年07月28日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 6月は、アメリカにあるウィノナの神学校に行き司祭叙階式に与る機会がありました。司祭として神学校に行って叙階式に与ったのはこれでようやく二回目で、この機会が与えられたことを天主に感謝します。
 この叙階式の模様がYouTubeにアップされているとのこと、教えてもらいました。

2014 St Thomas Aquinas Seminary Priestly Ordinations 1

2014 St Thomas Aquinas Seminary Priestly Ordinations 2

2014 St Thomas Aquinas Seminary Priestly Ordinations 3

2014 St Thomas Aquinas Seminary Priestly Ordinations 4

2014 St Thomas Aquinas Seminary Priestly Ordinations 20

 さて、私たちの主イエズス・キリストは、天主でありながら、罪人の義化のために、私たち人間の救いのために、人間となりました。イエズス・キリストが人間となることによって最も望んだことは、自らをいけにえとして罪の償いのために捧げることでした。すなわち、カルワリオで十字架の犠牲を捧げることでした。そして、このカルワリオの犠牲は、毎日、私たちの祭壇の上で再現実化しています。ミサ聖祭こそは、私たちキリスト教生活の源であり、聖化と超自然の命の源です。

 私たち、理性を持った被造物である人間は、真の天主を真の創造主であると認める義務を持っています。私たちは、全てを創造した天主から、全てを無償で受けました。私たちが持つ全ては天主から戴いたものです。私たちはこのことを認める正義の義務があります。宗教の徳は、正義の徳に属するものであり、私たちを天主と結びつけ、天主が当然受けるべきものを、私たちをして天主に与えるようにさせる徳です。天主が当然受けるべきものとは、私たち理性的被造物が天主を創造主として認めて天主に従うこと、つまり礼拝(흠숭)することです。それはちょうど子供が父母を親と認めてそれに従う、つまり敬愛する務めがあるのと同じです。

 この宗教の徳行は、何よりもまず内的なものです。つまり知性と意志によるものです。私たちの知性を真理に従わせ、私たちの意志を善に従わせ、私たちの全てを真理と善と美の源である天主に従わせることです。そして、私たちの全てとはつまり、霊魂と肉体と私たちの所有する全てのことですから、この天主への礼拝は同時に外的なものになっていきます。

 天主は、その憐れみにより、私たちに対する愛により、全く自由に、人間となって私たちのところに来ることを望みました。天主は、今から2014年前に人間となって、私たちにどのように天主に対して祈り、礼拝するべきかを教えてくれました。人間となった天主イエズス・キリストは、ご自分を全く天主御父に従わせ、十字架の上で天主御父にいけにえとして自分を捧げました。御父の栄光のために、霊魂の救いのために、真理と霊において、十字架の上で自らを最高のいけにえとして捧げました。それは私たちがイエズス・キリストに倣うためです。

 このイエズス・キリストのカルワリオでの犠牲は、天主御父の御稜威にとって無限に嘉するものでした。天主イエズス・キリストは、自分の血潮を流して罪の償いとして捧げ、天主御父の正義を宥めたのです。聖パウロはこう言います。
「実に愛される子らとして、天主に倣う者であれ。私たちを愛し、私たちのために、香ばしいかおりのいけにえとして天主にご自分をわたされたキリストの模範に従って、愛のうちに歩め。」(エフェゾ5:1-2)イエズス・キリストの御受難は、真の犠牲であり、全人類の歴史でもっとも荘厳な瞬間でした。いえ、全創造の歴史の全てにおいて、人間となった天主のいけにえこそが、天主に最高の栄光と賛美と礼拝とを捧げた瞬間でした。

 天主イエズス・キリストは、この唯一の最高の犠牲の効果を、何時の時代でも私たちに及ぼすことが出来るように、この十字架の犠牲が時において継続することを望みました。主は、このカルワリオの犠牲が、今なお、カトリック教会の祭壇の上で、ミサ聖祭において再現実化することを望みました。そしてこの十字架の犠牲の再現実化であるミサ聖祭を中心に、主はご自分の神秘体を形成することを望みました。キリストの花嫁でありキリストの神秘体であるカトリック教会は、天主に祈りを捧げます。キリストの真の教会であるカトリック教会の最高の祈りは、このミサ聖祭です。何故なら、花婿であるイエズス・キリストはご自分の教会にこのミサ聖祭という祈りを委ねたからです。ミサ聖祭よりもすぐれた祈りはあり得ません。何故なら、天主御子のご自分の祈りであり、礼拝であり、犠牲であり、贖罪の最高の業だからです。この最高の祈りにおいて、イエズス・キリストは、御聖体を通して、ご自分の体、御血、御霊魂、天主性に私たちが与ることを望みました。それは私たちもイエズス・キリストのように、祈り礼拝し賛美し償いと感謝をすることができるためです。

 イエズス・キリストが望んだ司祭職の目的とは、このカルワリオの犠牲が日々祭壇の上で継続させることです。カルワリオの犠牲をミサ聖祭において再現実化させることです。ほかの言葉で言うとパンとブドウ酒を聖変化させてミサを捧げ、御聖体の秘蹟を執行することです。パンをイエズス・キリストの真の現実の体に全実体変化させることです。天主であるイエズス・キリストを祭壇の上に来させ、このイエズス・キリストを今日天主御父に捧げ、このイエズス・キリストを霊魂たちに与えることです。司祭が聖変化の言葉を発するとき、イエズス・キリストはあたかも命じられたかのように祭壇の上に来るのです。ここに新約の司祭職の核心があります。ミサ聖祭を執行すること、これが司祭叙階の目的です。

 聖変化の言葉を発声するたびに、天主を祭壇上に、真に現実に実体的に現存させることが出来る、これが新約の司祭の持っている想像を絶する権能です。イエズス・キリストはその全能と憐れみとによって、哀れな被造物である人間である司祭にこのものすごい力を与えました。

 ミサ聖祭こそが、キリスト者を聖化させる根源です。従って、その論理的な結論は、ミサ聖祭こそが、キリスト教文明の根源です。別の言葉で言うと、ミサ聖祭の祭壇なくして、キリスト教世界はあり得ないということです。

 キリスト教世界とは、キリストの統治する世界のことで、つまり、人間によって実現され認識された天主イエズス・キリストの統治のことです。イエズス・キリストの王国はこの世からのものではありません。しかし、人間の聖性、祈り、良き模範、勇気、愛徳、隣人愛、救霊を求める熱意などは、イエズス・キリストを真の天主として認めさせ、イエズス・キリストを主と宣言させます。その時、文化的に、社会的に、政治的に、キリストを天主であると認識する世界が現れます。それと反対に、臆病や無関心、背教や聖徳の欠如によって、キリスト教世界は消えていきます。

 キリスト教世界は、西暦33年の過越祭(パスカ)と五旬祭との間にエルサレムにおいて、住所も無いような家の高間に集まった、ガリラヤ出身の漁師を指導者とする少数の男女から、歴史的に、社会的に出現します。個人も、家庭も、町も、ミサ聖祭によって聖化されるからです。家族生活を送る上で必要な徳行も、社会生活。市民生活、政治生活を送る上で必要な徳行も、愛徳も、誠実も、勤勉も、正義も、犠牲の精神も、忠実の精神も、赦しの精神も、ミサ聖祭から由来するからです。

 ミサ聖祭こそが、カトリック教会の中心であり、カトリック生活の中核であり、使徒職の心臓でもあります。何故なら、ミサ聖祭から超自然の命が流れ出るからです。私たちにとってイエズス・キリストの超自然の聖寵が絶対に必要です。何故なら、究極のところ、霊魂を変化させ、心を天主へと開かせるのは聖寵の業だからです。そして、イエズス・キリストは、司祭の手にこの贖いの全ての聖寵の源であるミサ聖祭を委ねました。私たちの主は、ミサ聖祭を通して個人を、家庭を、社会を聖化することを望みました。司祭は単なる道具に過ぎず、霊魂を聖化させるのは、イエズス・キリストです。司祭の一日は、つまり、ミサ聖祭の準備であり、ミサ聖祭の続きです。つまり、司祭はミサ聖祭を生きるのです。司祭生活とは、ミサ聖祭の延長です。

 従って、カトリック教会を通して天主に使えることを望む司祭は、祈りの精神と観想の精神を保ち続けなければなりません。外的な活動主義、アジテーションによって、内的生活、霊的生活を消すことを避けなければなりません。私たちではなく、イエズス・キリストこそが私たちの内にますます生きなければなりません。願わくは天主の聖母、永遠の司祭の母である終生童貞なる聖マリアが、私たちを助けてくださいますように!

天主様の祝福が豊かにありますように!

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日本で働いた聖なる宣教師たち

2014年07月02日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 20世紀初頭、革命政府によってフランスのカトリックの修道会が迫害を受けていたことがありました。それを避けるためには、カトリック教会が受け入れることが出来ない条件をのまなければならない、とされた時、修道院と教会と学校を没収されて、国外追放になっても、国外から祈った方がフランスのためになる、と答えた、ということを読んだことがあります。

 最近、アルゼンチンに任命を受けて働いているフィリピン人の聖ピオ十世会司祭がマニラに休暇で戻ってきました。フェレール神父様で、彼は司祭になって8年になります。彼に私はこう尋ねました。アルゼンチンで働いていて、一番の慶びは何んですか、と。
 フェレール神父様は、答えて、「天主様の御旨を果たしている、と言うことです。」
 まさに、それこそが最高の慶びです。

 日本における霊魂の聖化と救霊とのために、私も天主様の御旨として、祈るという職務を捧げております。

 特に日本で働いていた、聖なる司祭たちの御取り次ぎを求めます。日本では次のような聖なる司祭たち(日本人および外国人)が働いていました。

日本で働いた聖なる宣教師たち

聖フランシスコ・ザベリオ SJ
聖マキシミリアーノ・コルベ、フランシスコ会司祭

聖トマス西 OP (1590-1634)、ドミニコ会日本人司祭(1626年マニラにて叙階、1629年11月10日帰国。1634年11月17日殉教)
聖ヤコボ朝長 OP (1582-1633)、ドミニコ会日本人司祭(1626年マニラにて叙階、1632年帰国。1633年8月17日殉教)
聖ビセンテ塩塚 OP (1637)、ドミニコ会日本人司祭(マニラにて叙階、1636年琉球到着。1637年長崎移送、9月29日殉教)

聖ドミンゴ・エルキシア OP (1589-1633)、ドミニコ会スペイン人司祭(1623年来日、1633年8月14日殉教)
聖ルカ・スピリト・サント OP (1594-1633)、ドミニコ会スペイン人司祭(1617年叙階。1623年来日。1633年10月19日殉教)
聖アントニオ・ゴンザレス OP (1594-1637)、ドミニコ会スペイン人司祭(1636年琉球に到着。37年長崎に移送。同年9月23日殉教)
聖ミゲル・アオザラザ OP (1594-1637)、ドミニコ会スペイン人司祭(1636年琉球に到着。37年長崎に移送。同年9月29日殉教)
聖ヨルダノ・アンサロネ OP (1594-1637)、ドミニコ会イタリア人司祭(1622年叙階。1632年来日。1634年11月17日殉教)
聖ギョーム・クルテ OP (1594-1637)、ドミニコ会フランス人司祭(1617年叙階。1636年琉球に到着。37年長崎に移送。同年9月29日殉教)

福者セバスチアン木村 SJ (1565-1622)、イエズス会司祭、最初の日本人司祭(1601年長崎にて叙階)
福者トマス金鍔 OSA (1600-1637)、アウグスチノ会日本人司祭(1628年セブにて叙階)
福者ユリアノ中村 SJ (1568-1633)、イエズス会日本人司祭(1608年長崎にて叙階)
福者ディオゴ結城 SJ (1574-1636)、イエズス会日本人司祭(1615年長崎にて叙階)
福者ペトロ岐部 SJ (1587-1639)、イエズス会日本人司祭(1620年ローマにて叙階)
福者トマス辻 SJ (1570-1627)、イエズス会日本人司祭(1608年長崎にて叙階)
福者アントニオ・ピント石田 SJ (1570-1632)、イエズス会日本人司祭(1612年長崎にて叙階)
福者ルイス笹田 OFM (†1624)、フランシスコ会日本人司祭
福者ルイス馬場 OFM (†1624)、フランシスコ会日本人司祭
福者イエロニモ伊予 (†1632)、日本人司祭

福者エルナンド・デ・アヤラ・デ・サン・ホセ、アウグスチノ会スペイン人司祭(†1617.6.1)
福者ペドロ・デ・ズニガ、アウグスチノ会スペイン人司祭(†1622.8.19)
福者バルトロメ・グティエレス、アウグスチノ会メキシコ人司祭(†1632.9.3)
福者ビセンテ・カルヴァーリョ、アウグスチノ司祭隠修士会ポルトガル人司祭(†1632.9.3)
福者フランシスコ・デ・ヘスス、アウグスチノ司祭隠修士会スペイン人司祭(†1632.9.3)
福者フアン・バウティスタ・マチャード・デ・タボラ、イエズス会ポルトガル人司祭(†1617.5.22)
福者カルロス・スピノラ、イエズス会イタリア人司祭(†1622.9.10)
福者カミロ・コンスタンッオ、イエズス会イタリア人司祭(†1622.9.15)
福者ペドロ・パブロ・ナバルロ、イエズス会イタリア人司祭(†1622.11.1)
福者へロニモ・デ・ロス・アンヘレス、イエズス会イタリア人司祭(†1623.12.4)
福者ディエゴ・カルヴァーリョ、イエズス会ポルトガル人司祭(†1624.2.22)
福者ミゲル・カルヴァーリョ、イエズス会ポルトガル人司祭(†1624.8.25)
福者フランシスコ・パチェコ、イエズス会ポルトガル人司祭(†1626.6.20)
福者バルタザール・デ・トルレス、イエズス会スペイン人司祭(†1626.6.20)
福者フアン・バウティスタ・ゾラ、イエズス会イタリア人司祭(†1626.6.20)
福者アルフォンソ・デ・ナバレテ、ドミニコ会スペイン人司祭(†1617.6.1)
福者フアン・マルテイネス・デ・サント・ドミンゴ、ドミニコ会スペイン人司祭(†1618.3.19)
福者ルイス・フローレス、ドミニコ会ベルギー人司祭(†1622.8.19)
福者フランシスコ・モラレス、ドミニコ会スペイン人司祭(†1622.9.10)
福者アンヘル・フェレール・オルスッチ、ドミニコ会イタリア人司祭(†11622.9.10)
福者アロンソ・デ・メナ、ドミニコ会スペイン人司祭(†1622.9.10)
福者ホセ・デ・サン・ハシント・サルバネス、ドミニコ会スペイン人司祭(†1622.9.10)
福者ハシント・オルファネル、ドミニコ会スペイン人司祭(†1622.9.10)
福者トマス・デ・スマラガ、ドミニコ会スペイン人司祭(†1622.9.12)
福者ペドロ・バスケス、ドミニコ会スペイン人司祭(†1624.8.25)
福者ルイス・ベルトラン・エクサルチ、ドミニコ会スペイン人司祭(†1627.7.29)
福者ドミンゴ・カステレット、ドミニコ会スペイン人司祭(†1628.9.8)
福者)
)
福者ペドロ・デ・ラ・アスンシオン、フランシスコ会スペイン人司祭(†1617.5.5)
福者フアン・デ・サンタ・マルタ、フランシスコ会スペイン人司祭(†1618.8.16)
福者リカルド・デ・サンタ・アナ、フランシスコ会ベルギー人司祭(†1622.9.10)
福者ペドロ・デ・アビラ、フランシスコ会スペイン人司祭(†1622.9.10)
福者アポリナール・フランコ、フランシスコ会スペイン人司祭(†1622.9.12)
福者フランシスコ・ガルベス、フランシスコ会スペイン人司祭(†1623.12.4)
福者ルイス・ソテロ、フランシスコ会スペイン人司祭(†1624.8.25)
福者フランシスコ・デ・サンタ・マリア、フランシスコ会スペイン人司祭(†1627.8.17)
福者アントニオ・デ・サン・ブエナベントゥラ、フランシスコ会スペイン人司祭(†1628.9.8)


聖なる司祭たちよ、我らのために祈り給え!
全ての聖なるカトリック司祭たちよ、我らの祈りを取り次ぎ給え!

愛する兄弟姉妹の皆様に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖伝のミサ(いわゆる「トリエント・ミサ」と呼ばれているローマ式典礼様式のミサ)にようこそ!

ローマ・カトリックの聖伝のミサ vs エキュメニカルな新しいミサ(第二バチカン公会議のミサ)




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6/18(木)20:00 現在のロザリオの総数は、15576環です

2014年06月18日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
6/18(木)20:00 現在のロザリオの総数は、
15104環+472環=15576環です。

多くのロザリオのご報告をありがとうございます!
天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】

小野田神父様
6月8日までのロザリオ数を報告させていただきます。
①御聖堂・教会敷地内ルルド 9環
②移動中のiPhone(教皇様のCD) 14環
③You-Tube動画 5環

計28環


【報告】
十アヴェ・マリア!!♪♪
*レジナ・マリア  1月~6月8日!♪まで  259環

御祈りお願致します!♪
デオ・グラチアス!!

十チーム・パラマイ

【報告】
十アヴェ・マリア!!♪♪

御元気でいらっしゃいますでしょうか?
*マキシミリアノ・マリア・コルべ 1月~6月8日!♪まで 185環


至聖なるイエズス様の聖心!!!♪♪♪

聖なるロザリオの聖母マリア様!!♪♪

聖会の保護者なる聖ヨゼフ様!!♪♪

非常な御恵みの聖ピオ十世会の司教様方♪神父様方♪を御護り下さいませ!!

デオ・グラチアス!!

 十チーム・パラマイ

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ローマ・カトリックの聖伝のミサ vs エキュメニカルな新しいミサ(第二バチカン公会議のミサ)




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聖ヨゼフの帯 cingulum Sancti Joseph

2014年05月15日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、「聖ヨゼフの帯」について改めてご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!


Source; “FAVORITE PRAYER TO ST. JOSEPH” TAN BOOKS Imprimatur 1997
出典 同上

聖ヨゼフの帯は、1657年のベルギーのアントワープにおいて、シスター・エリザベトという名の信心深いアウグスチノ会の修道女の奇跡的治癒と共に始まりました。
三年間の重くて痛い病気の後、医者は彼女の治癒の望みをあきらめ、彼女はまもなく死ぬと予測しました。しかしシスター・エリザベトはいつも聖ヨゼフへの信心を持っており、帯を作って聖ヨゼフの名誉において祝別してもらい、それを彼女の腰の周りに着けていました。数日後、彼の御像の前で祈っていると、彼女は突然痛みから解放されました。彼女の回復は奇跡的だとみなされました。
遂にはその帯の信心が広まり、そしてその敬虔な使用を通じて無数の即別な恵みがもたらされました。この帯は身体的病気に対しての救済だけでなく、貞潔の徳を保つ為の霊的助けとして使われました。この信心は1859年の9月19日に典礼聖省によって認可され、教皇ピオ9世によっても祝福され認可されました。

この帯を着ける事による恵みは、1) 聖ヨゼフの特別な御保護、2) 霊魂の清さ、3) 貞潔の恵み、4) 臨終の時までの堅忍、5) 死の時の特別な援助の恵み、です。

この帯は糸もしくは綿で、端に7つの結び目があり、腰の周りに着けねばなりません。それは司祭によって祝別されねばなりません。その帯を着ける者は聖ヨゼフに敬意を表して、日々7回の栄唱と共に「聖ヨゼフに向かいて貞徳を求むる祈」を唱えねばなりません。【7つの結び目と7回の栄唱は、聖ヨゼフの7つの苦しみと喜びとを意味しています。】


聖ヨゼフの帯のための祈り
栄唱 7回
願わくは聖父(ちち)と聖子(子)と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。

ラテン語版 Latin ver.
Gloria Patri, et Filio, et Spiritui Sancto.
. Sicut erat in principio, et nunc, et semper, et in saecula saeculorum. Amen.

英語版 English ver.
Glory be to the Father, and to the Son, and to the Holy Ghost.
. As it was in the beginning, is now, and ever shall be, world without end. Amen. × 7 times

聖ヨゼフに向かいて貞徳を求むる祈
童貞者の父かつ保護者なる聖ヨゼフ、御身は純潔そのものにましますイエズスと、童貞中の童貞にまします聖マリアとの、忠実なる守護者と選ばれ給えり。願わくは、御身に託せられたる最愛のイエズスとマリアとによりて、われをしてすべての汚れを免れしめ、精神も、心も、身体も、清浄潔白にして、完全なる貞潔を保ちながら、絶えずイエズスとマリアに仕えしめ給わんことを、ひたすらこいねがい奉る。

ラテン語版
Virginum custos et pater, sancte Ioseph, cuius fideli custodiae ipsa Innocentia Christus Iesus et Virgo virginum Maria commissa fuit; te per hoc utrumque carissimum pignus Iesum et Mariam obsecro et obtestor, ut me, ab omni immunditia praeservatum, mente incontaminata, puro corde et casto corpore Iesu et Mariae semper facias castissime famulari. Amen.


O Guardian of virgins, and holy Father St. Joseph, into whose faithful keeping were entrusted Christ Jesus, Innocence itself, and Mary, Virgin of virgins, I pray and beseech thee, by these dear pledges, Jesus and Mary, that, being preserved from all uncleanness, I may with spotless mind, pure heart, and chaste body, ever serve Jesus and Mary most chastely all the days of my life. Amen.


【聖ヨゼフの7つの苦しみと喜び】

1 ああいと潔き御母マリアの浄配、栄えある聖ヨゼフよ、御身のいと清き妻を失ならんと心に思い煩いし時の苦しみはいと大いなるものなりき。されど天使が御託身の玄義を御身に伝えられし時の喜びは、またひとしお大いなりき。この苦しみ、この喜びにより、今も臨終の時も我らの心を潔さ良心の喜びと、イエズス、マリアのうちに自我を滅する尊き御身の心を示し、我らを慰め給え。

2 ああいと幸いなる保護者聖ヨゼフよ、御身は人となり給いし御言葉の潔き養父の位にあげられたれども、御身は幼きイエズスがいと貧しき中に生まれ給うを見て大いに悲しみ給いしが、天使らのたえなる歌声を聴き、その輝ける夜の栄えを見給うや、その悲しみは天的の喜びと変じたり。御身のこの悲しみ、この喜びによりて、我らもまたこの世の歩みを終えたる後、天使らの賛美の歌声を聴き、天的光栄の輝きを受け得んことを願い奉る。

3 ああ御摂理にいと従順なしもべなる、栄えある聖ヨゼフよ、幼きイエズスが割礼にて流されたる尊き御血は御身の心を苦痛もて貫きたれども、イエズスと命名されるや御身の心は喜びに満たされたり。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らをこの世の悪徳より離れしめ、イエズスのいと尊き御名を心から唱えつつ心満たされてこの世を去るを得しめ給え。

4 ああいと忠誠なる聖ヨゼフよ、御身は救世の玄義の成就に身をもって大いなる役を果たされしが、シメオンの預言によりイエズスとマリアが受け給うべき苦難を予知せられ苦しみ給いたれど、数限りなき人々の霊魂がこれによって救わるるとの預言によりて、天的喜びに満たされたり。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らがイエズスの功徳と聖母マリアの御取次ぎにより、終わりなき栄えを得てよみがえる人々のうちに数えられる御恵みをとりなし給わんことを願い奉る。

5 ああ人となり給いし天主の御子のいとも注意深き保護者なる栄えある聖ヨゼフよ、御身はいと高きものの御子を養い給い、これに仕えるために多くの辛酸をなめられたり。わけてもそのエジプトへの逃避はいと苦しきものなりしが、御身が常に天主御自身と共におられし喜び、またエジプト人らの諸々の偶像が地に落とされしを目の当たりに見られし時の安心はいと大いなりき。この御身の辛酸と喜びとによりて、我らが地獄的暴君より免れて、わけても危険なる機会より逃避する事を得しめ、我らの心のうちに地上的執着が落とされ、ひたすらイエズスとマリアに仕え奉りつつ日々の生活を送り、この世を幸いに終わる事を得しめ給え。

6 ああこの地上の天使なる栄えある聖ヨゼフよ、御身は御身の心を天の王に全く捧げられたり。御身がエジプトより戻られる喜びは、アルケラウスに対する憂慮にて不安の闇となりしが、天使は再び御身にイエズスとマリアと共にナザレトにて楽しく住み給う事を約束せられたり。御身のこの苦しみ、この喜びによりて、我らの心を深い恐怖より免れしめ、潔き良心の平和を楽しみ、イエズスとマリアと共につつがなく世を送り、臨終においてはイエズスとマリアの御手に我らの霊魂を捧ぐる事を得しめ給え。

7 ああ全ての徳の鑑なる栄えある聖ヨゼフよ、御身は御身の誤りにあらずして幼きイエズスを見失い、三日の間苦しみもて捜し求められたり。されど神殿の中に博士らに取り巻かれたるイエズスを見出されし時の喜びはいかに大いなりや。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らが大罪を犯しイエズスを失いたりせば、たゆまず彼を捜し求め、遂に再び巡り会えるよう、わけても臨終の時に彼と共にありて天国に至り、御身と共に天主の終わりなき御恵みを賛美し奉るようとりなし給わんことを心から願い奉る。


交唱 イエズスが教えをはじめたりしは三十歳ごろなり、人々、イエズスをヨゼフの子なりと思いたり。(ルカ3:23)

V 聖ヨゼフ、我らの為に祈り給え。
R キリストの御約束に我らをかなわしめ給え。

祈願 天主、御身のかしこき御摂理のうちに祝せられたヨゼフを至聖なるマリアの浄配に選び給いたれば、願わくはこの世の我らの保護者として崇め奉る彼が、我らの天のとりなし手となり給わんことを。 アーメン。

THE SEVEN DOLOURS AND SEVEN JOYS.

i. St. Joseph, pure spouse of most holy Mary, the trouble and anguish of thy heart were great, when, being in sore perplexity, thou wast minded to put away thy stainless spouse: but this joy was inexpressible when the archangel revealed to thee the high mystery of the Incarnation.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee comfort our souls now and in their last pains with the consolation of a well-spent life, and a holy death like unto thine own, with Jesus and Mary at our side.
Pater, Ave, and Gloria.

ii. St. Joseph, Blessed Patriarch, chosen to the office of Father of the Word made Man, the pain was keen that thou didst feel when thou didst see the Infant Jesus born in abject poverty; but thy pain was changed into heavenly joy when thou didst hear the harmony of angel-choirs, and behold the glory of that night when Jesus was born.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee obtain for us, that, when the journey of our life is ended, we too may pass to that blessed land where we shall hear the angel-chants, and rejoice in the bright light of heavenly glory.
Pater, Ave, and Gloria.

iii. St. Joseph, who wast ever most obedient in executing the law of God, thy heart was pierced with pain when the Precious Blood of the Infant Saviour was shed at His Circumcision; but with the Name of Jesus new life and heavenly joy returned to thee.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us, that, being freed in our life from every vice, we too may cheerfully die, with the sweet Name of Jesus in our hearts and on our lips.
Pater, Ave, and Gloria.

iv. St. Joseph, faithful Saint, who wast admitted to take part in the redemption of man; the prophecy of Simeon foretelling the sufferings of Jesus and Mary caused thee a pang like that of death; but at the same time his prediction of the salvation and glorious resurrection of innumerable souls filled thee with a blessed joy.
By this thy sorrow and thy joy, help us with thy prayers to be of the number of those who, by the merits of Jesus and his Virgin Mother, shall be partakers of the resurrection to glory.
Pater, Ave, and Gloria.

v. St. Joseph, watchful Guardian, friend of the Incarnate Son of God, truly thou didst greatly toil to nurture and to serve the Son of the Most High, especially in the flight thou madest with Him unto Egypt; yet didst thou rejoice to have God Himself always with thee, and to see the overthrow of the idols of Egypt.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us grace to keep far out of the reach of the enemy of our souls, by quitting all dangerous occasions, that so no idol of earthly affection may any longer occupy a place in our hearts, but that, being entirely devoted to the service of Jesus and Mary, we may live and die for them alone.
Pater, Ave, and Gloria.

vi. St. Joseph, angel on earth, who didst so wonder to see the King of heaven obedient to thy bidding, the consolation thou hadst at His return was disturbed by the fear of Archelaus, but nevertheless, being reassured by the angel, thou didst go back and dwell happily at Nazareth, in the company of Jesus and of Mary.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us, that, having our hearts freed from idle fears, we may enjoy the peace of a tranquil conscience, dwelling safely with Jesus and Mary, and dying at last between them.
Pater, Ave, and Gloria.

vii. St. Joseph, example of all holy living, when, though without blame, thou didst lose Jesus, the Holy Child, thou didst search for Him for three long days in great sorrow, until with joy unspeakable thou didst find him, who was as thy life to thee, amidst the doctors in this Temple.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee with our whole heart so to interpose always in our behalf, that we may never lose Jesus by mortal sin; and if (which God avert) we are at any time so wretched as to do so, that we pray thee to aid us to seek Him with such ceaseless sorrow until we find Him, particularly in the hour of our death, that we may pass from this life to enjoy Him for ever in heaven, there to sing with thee His divine mercies without end.
Pater, Ave, and Gloria.

Ant. Ipse Jesus erat incipiens quasi annorum triginta, ut putabatur filius Joseph.

V. Ora pro nobis, sancte Joseph.
R. Ut digni efficiamur promissionibus Christi.

Oremus.
Deus, qui ineffabili providentia beatum Joseph sanctissimae Genitricis tuae sponsum eligere dignatus es; praesta quaesumus, ut quem protectorem veneramur in terris, intercessorem habere mereamur in coelis. Qui vivis et regnas in saecula saeculorum. R. Amen.


Ant. Jesus Himself was about thirty years old, being, as was supposed, the son of Joseph.

V. Pray for us, holy Joseph.
R. That we may be made worthy of the promises of Christ.

Let us pray.
O God, who in Thine ineffable providence didst vouchsafe to choose blessed Joseph to be the husband of Thy most holy Mother; grant, we beseech Thee, that we may have him for our intercessor in heaven, whom on earth we venerate as our holy protector. Who livest and reignest world without end. Amen.


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苦しみの玄義 第三玄義、イエズス・キリスト、茨の冠を被らせたもう

2014年04月19日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

十字架の道行きの十四留の中にはありませんが、ロザリオの苦しみの玄義 第三玄義、イエズス・キリスト、茨の冠を被らせたもうを黙想をすることを提案します。

特に、茨の冠は、上からの正式な命令なしに、部下らが勝手に課した拷問でした。(マテオ27:27-30)

天主の計画としては、ユダヤ人たちがイエズスをキリストであり自分たちの王であると宣言することでした。ユダヤ教の存在の目的がまさに真のメシアを宣言することでした。しかしユダヤ人たちはこれに値しませんでした。
しかし真のメシアの王国はこの世からのものではありませんが、イエズス・キリストには真の天主として、王として、最高の司祭として、戴冠式が行われるべきでした。
イエズス・キリストは、大司祭カイファの前で天主の聖子であることを宣誓しました。真の天主は戴冠されるべきでした。また、ピラトの前で自分が王であると宣言しました。王である主の頭には王冠があるべきでした。旧約の大司祭はいけにえを捧げるときに三重冠(ティアラ)を頭に戴きます。十字架上で新約のいけにえを捧げる大司祭イエズス・キリストも王冠を戴かなければなりませんでした。主は言います。「私はこの世に勝った」と(ヨハネ16:33)。凱旋将軍であるイエズス・キリストは王冠を被る権利がありました。ユダヤ人の習慣では花婿は婚姻の式である種の冠を被りました。イエズス・キリストは、真のソロモンとして、自分の聖なる血で、自分の花嫁である教会をあがない、清め、霊的な婚姻のちぎりを結びます。

私たちの主イエズス・キリストは、もっとも純粋な黄金と銀とで出来た、高価な真珠と美しい宝石とダイアモンドとがちりばめられた王冠を被るべきでした。しかし、罪を犯したアダムとエワとのためにこの地が受けた「茨とあざみが生え出る」呪いを取り除くために、この真の王かつ救い主は、この呪いの印を持つことを天主は計画されました。

アブラハムによって屠られるべきだったイサアクの代わりのいけにえは、その角が茨に刺さって動きが取れなくなっていた雄羊でした。あたかもこの雄羊は、頭に茨の冠を被って、もがいているかのようでした。
ローマ軍人たちは、イエズス・キリストに対してあざ笑いながらこう言ったことでしょう。「頭をまっすぐにして動くな、おまえが長い間待ち望んだものを与えよう」と。確かにイエズス・キリストは、この茨の冠をかぶせられる時を待ち焦がれていました。人類が頭で犯す罪を償うことができるために、この時を待っていました。傲慢の罪、虚栄の罪、愛徳に反する考え、世俗的な考え、不潔な不純な考えや想像の罪を償うために。
もしも頭が苦しむのなら、体全体も苦しみます。もしもキリストの神秘体のかしらであるイエズス・キリストが苦しむのにもかかわらず、苦しむことを拒むのなら、快楽の生活と、罪の喜びを望むのなら、頭と一致していることはできません。

ローマ軍人は、私たちの主イエズス・キリストに茨の冠を押し被らせます。あざけりと軽蔑を込めて。茨はイエズス・キリストの頭に突き刺さり、血潮は流れ、顔は赤の血に染まります。聖伝によると茨は私たちの主の目にも刺さったと言われています。イエズス・キリストは全てを私たちの罪の償いのために堪え忍んでいます。

Popule meus, quid feci tibi? Aut in quo contristavi te?
我が民よ、私がおまえにいったい何をしたのか? いったい何においておまえを悲しませたことがあるというのか?
Ego propter te Chananaeorum reges percussi: et tu percussisti arundine caput meum.
私は、おまえのためにカナアンの王たちを打ちやった。しかしおまえは私の頭を葦で打った。
Ego dedi tibi sceptrum regale: et tu dedisti capiti meo spineam coronam.
私はおまえに王の笏を与えた。しかしおまえは私の頭に茨の冠を与えた。
Responde mihi.
私に答えよ。

私たちは時に、間違いを犯して注意されることがあり、叱られることがあります。私たちは頻繁にその間違いを指摘されても、偽りの弁解や、言い訳をしたりするのではないでしょうか。アダムとエワも言い訳をしました。「私の責任ではなかった、エワのせいだ」「蛇のせいだ」と。私たちはどうでしょうか?「病気だったので」?「天気のせいだ」?
私たちは、人から悪口や侮辱を言われたりすることもあります。しかし私たちの主は、どれほどの侮辱を受けたことでしょうか。

主の茨の冠を黙想し、いつも心の平和を保ち、イエズス・キリストともに苦しみを捧げる恩寵を願い求めましょう。悲しみの聖母よ、我らのために祈り給え!


さて、すでに報告しましたが、11月10日の主日にはフィリピンの台風被災者のために22020円の特別献金が自発的に集まりました。12月には東京で JPY48,350 (approx. USD462)が集められました。感謝します。さらに、12月のボーナスミサの時に、大阪で5万円の特別献金が集まりました。
それ以外にも、フィリピン台風募金として、ある方が11月26日に1万円、11月29日には5万円、入金がございました。総計で日本からは、180370円が集まりました。
韓国からも、現金として172万ウォンと200米ドルが集まりました。
これらの合計をフィリピンのペソに換算した161,212ペソが、レイテ島の被災者の復旧作業をしているダニエルス神父様の元に届けられました。
天主様に感謝します!ありがとうございます。

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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聖ピオ十世会日本は、毎年恒例の公式秋田巡礼を5月2日から6日まで行います。特に今年の巡礼に、多くの兄弟姉妹の皆様を巡礼にご招待いたします。

今年で8回目になる巡礼ですが、ご参加希望の方々は、聖ピオ十世会日本 秋田巡礼 SSPXJAPAN PILGRIMAGE TO AKITAなどを通してお申し込みください。




ご報告天主様に感謝します!

2014年03月22日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、こんばんは!

次のようなご報告を頂きました。愛する兄弟姉妹の皆様に御紹介します。天主様の祝福が豊かにありますように!!トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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アヴェ・マリア!
三月はクチュ―ル神父様がミッションの為来日して下さり、21日金曜日は16人が、今日22日土曜日の歌ミサには17人が聖なる御ミサに与るお恵みを頂きました。デオグラチアス!

今日御ミサの後の公教要利では、旧約聖書と教会典礼の関係をわかりやすく説明して頂きました。大変興味深いお話でした。また三月末で、ロザリオ十時軍の中間報告を小野田神父様にするように、そして残る半期、特に四旬節中はいつもより多く祈るようにとのお言葉を頂きました。

その後、ミサ会場前に新しくオ―プンしたレストランで神父様と信徒16人で一緒に昼食を頂きました。

沢山のお恵みに天主様に感謝致します。そして、聖母マリア様に感謝、聖ヨゼフ様に感謝、クチュ―ル神父様に感謝、通訳・翻訳してくださいました信徒会長方やその他多くの方々に感謝致します。

今年の秋田巡礼にはジョン・ヴェナリ氏が参加予定です

2014年02月27日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今年の秋田巡礼には、(クリストファー・フェラーラ氏ではなく、これは私の誤りでした、失礼しました)カトリック・ファミリー・ニュースのジョン・ヴェナリ氏が参加する予定です。

愛する兄弟姉妹の皆様の多くの参加をお待ちしております。また、ロザリオの十字軍のご報告も、よろしくお願いいたします!!

天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

シメオンの役を勤めた福者ヘンリコ・スソー

2014年02月27日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 2月2日は、童貞マリアの御浄めの祝日でした。3月5日の灰の水曜日からいわばロザリオの「苦しみの玄義」に入りますので、その前に、喜びの玄義の第四である聖母の御浄めの玄義を黙想する模範をご紹介します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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預言者シメオンの役を勤めた福者ヘンリコ・スソー(Blessed Henry Suso, Heinrich Seuse, (Henricus Suso) [1295-1366]

 驚くべき苦業とセラフィン的愛によって有名なドミニコ会員福者ヘンリコ・スソーは、聖母の潔めを次の方法で頌栄(しょうえい)していた。
 潔めの祝日の前三日間は、霊的に三本のロウソクを準備した。つまり(1)聖母の童貞としての汚れなき清さ、(2)聖母の底の無き深き謙遜、(3)聖母の母としての尊厳を尊敬し、毎日三回「マグニフィカト(Magnificat)」を唱え、これをロウソクとした。その祝日の夜明けに、信者等が聖堂に集まる前に、中央祭壇の前に跪いて聖母の御生涯を黙想し、聖母が幼きイエズスを抱き聖殿に奉献するのを観想した。

 聖母がエルサレムの外門に来られると、ヘンリコは立ちあがって、天主を愛する多くの霊魂たちと共に聖母を迎えに行った。聖堂の入り口へ行き、丁度そこに聖母が御子を携えて聖堂に入ろうとするのに出会ったかのようにして、聖母の名誉のために歌うので暫く停ってそれを聞いて下さいとお願いし、心の中で霊的に「インヴィオラタ」の讃辞を歌って申し上げ「ただ御身のみ汚れなき者としてとどまり給えり(Quae sola inviolata permansisti)」と云う句に達すると聖母に向って「哀れな罪に満ちた者(自分のこと)を憐れんで下さい」と願った。それから立上って、霊的に灯ったロウソクを手にして聖母のお伴をして祭壇の方へ進んだ。

Inviolata, integra et casta es, Maria,
Quae es effecta fulgida coeli porta.
O Mater alma Christi carissima:
Suscipe pia laudum praeconia.
Te nunc flagitant devota corda et ora:
Nostra ut pura pectora sint et corpora,
Tua per precata dulcisona:
Nobis concedas veniam per saecula.
O benigna! O Regina! O Maria!
Quae sola inviolata permansisti.
マリアよ、御身は汚れなき者、終生童貞、そして操正しき方なり:
御身は輝く天の門とされ給うた。
おお、いとも愛すべきキリストの慈悲深き御母:
われらの敬虔なる賛美の称讃を受け給え。
今われらの熱心な心と舌は御身を求め奉る:
われらの心と身体が純潔であらんことを。
御身の甘美なる響きの祈りによりて
とこしえにわれらに赦しを与え給え。
おお、愛すべき御者よ、おお、元后よ、おお、マリアよ。
ただ御身のみ汚れなき者としてとどまり給えり。


 聖母が自分の心にともされた天主の光と愛のこの炎が決して消されることがないように願いつつ、この神秘的行列にお伴する諸聖人に向って、自分と一緒に「アドルナ・タラムム(Adorna thalamum tuum)」を歌った。この「アドルナ・タラムム」は、御浄めの祝日にミサの前に、ロウソクの行列をしながら歌うグレゴリオ聖歌である。

Adorna thalamum tuum, Sion, et suscipe Regem Christum:
amplectere Mariam, quae est coelestis porta:
ipsa enim portat Regem gloriae novi luminis.
Subsistit Virgo adducens manibus Filium ante luciferum genitum:
quem accipiens Simeon in ulnas suas praedicavit populis Dominum eum,
esse vitae et mortis, et Salvatorem mundi.
シオンよ、汝の花嫁の部屋を飾れ、しかして王たるキリストを迎え入れよ:
天の門なるマリアを抱擁せよ。
マリアは実に、新しき光の栄光の王を運び給い、
明けの明星の上る前に生み給いし御子を手にしつつおとめにとどまり給う。
その御子をシメオンは両腕の抱え人々に予告せり、
この聖子は生と死の主にして、世の救い主なり、と。






 祭壇に到着して、マリアが御子をシメオンに渡す時、ヘンリコは聖母の前に跪き、その美しい御子を自分にも見せて頂き、そして彼を抱き、その御手足に接吻し、暫く自分の欲しい儘にする事を許されるよう願った。聖母はそれを許されるので、ヘンリコは愛と悦びに心躍り、イエズスを抱いて自分の心に押し当て幾度も抱擁するのであった。そして万物の創造主が、天上に於いて美しく大いなる光栄に満ち給うのに、地上に於いては弱く貧しくあり給う玄義を考えて恍惚とするのであった。最後に、讃辞と嘆声と感謝の中に御子を御母に返し、その祝日中、御子からも御母からも眼を放さないようにしていた。

【これは、渡辺 吉徳 (著)「ロザリオの信心 」(1980年)に掲載されている記事に、加筆編集したものです。】

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The Life of Blessed Henry Suso by Himself.
Creator(s): Seuse, Heinrich (or Suso, Heinrich) [1295-1366]

CHAPTER XII.

How he kept the feast of Candlemas.
FOR three days before our Lady's feast of Candlemas, he used to get ready with prayer a candle for the heavenly Mother; and he formed the candle of three twisted tapers in this manner:--The first taper was in token of her stainless and virginal purity; the second, of her unfathomable humility; and the third, of her maternal dignity;--three prerogatives which are hers alone above all creatures. And he made ready this spiritual candle every day with three magnificats. Now when the day of the blessing of the candles was come, he went early in the morning, before any one had gone into the church, to the high altar, and waited there in contemplation the coming of the august Mother with her heavenly treasure. When she drew nigh the outer gate of the city, he ran to meet her with the multitude of all souls that love God, and he outran them all with the longings of his heart. Then running in front of her in the street, he prayed her to tarry a while with her attendants until he had sung something in her honour. Thereupon, with a spiritual voice less melody, so that his lips moved, but no one heard him, he began to sing as lovingly as he could the prose, "Inviolata," &c. (O spotless one, &c.), and he bowed himself down before her as he sang, "O benigna, O benigna!" (O gracious one! O gracious one!) and he prayed her to show forth her gracious kindliness to wards a poor sinner. Then rising up, he followed her with his spiritual candle in the desire that she would never permit the burning flame of divine light to be extinguished in him. After this, on coming up to the multitude of all-loving souls, he began to sing "Adorna thalamum," &c. (Make ready the bridal bed, &c.), and he called upon them to receive the Saviour with love, and fervently to embrace His Mother; and thus he led them with songs of praise as far as the temple. Then drawing near to the Mother before she entered in and gave the Saviour to Simeon, he knelt down in front of her, and with uplifted hands and eyes prayed her to show him the Child, and to suffer him also to kiss It. When she kindly offered It to him, he spread out his arms to the boundless quarters of the wide world, and received and embraced the Beloved One a thousand times in one hour. He contemplated Its beautiful little eyes; he looked upon Its little hands; he kissed Its tender little mouth; and he gazed again and again at all the infant members of the heavenly treasure. Then lifting up his eyes, he uttered a cry of amazement in his heart that He who bears up the heavens is so great and yet so small, so beautiful in heaven and so childlike upon earth; and as the Divine Infant moved him so did he act towards It,--now singing, now weeping, with other spiritual exercises, until at last he gave It back to Its Mother, and, going in with her into the temple, remained there till all was fully accomplished.






秋田の聖母への巡礼

2014年02月18日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今年も、聖ピオ十世会日本は、第八回目の秋田の聖母への巡礼を行います。

5月2日から6日までです。今年は、クチュール神父様を始め、ポーランドの聖ピオ十世会司祭も迎え、さらには、アメリカからクリストファー・フェラーラ氏も参加します。

愛する兄弟姉妹の皆様の多くの、多くの参加をお待ちしております。

毎年、多くの愛する兄弟姉妹の皆様が、巡礼でさまざまなお恵みを頂きました。今年も、より多くのお恵みを享受されることを祈り、熱望致します。

まだブログを通してのみでお会いしていない兄弟姉妹の皆様と、秋田の巡礼でお会いすることができるなら、心から嬉しゅうございます。

愛する兄弟姉妹の皆様が、巡礼のお恵みを頂けますように、お祈り申し上げます。

皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

天主様に感謝!ご報告

2014年02月15日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様

天主様に感謝します!大阪での聖伝のミサを捧げ、天主様に感謝します!

次のようなご報告を頂きました。愛する兄弟姉妹の皆様に御紹介します!

天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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アヴェ・マリア!
大阪には珍しい大雪の為、電車が止まってしまったりと、道中大変なご苦労をされた方もおられましたが、それでも
14日金曜日は16人の方々が、
15日土曜日には23人の方々が
御ミサに与るお恵みを頂きました。デオグラチアス!
ほんの数時間で都会の薄汚れた町並みを真っ白に変えてしまった雪を見て、インマクラ―タ、無原罪を連想しました。私の汚さもマリア様がこんな風に綺麗にして下さるといいなとも思いました。

土曜日の御ミサ後には20人が公教要理を受け、あっという間に時間が過ぎてしまいました。(:_;)

土曜日のお説教でルルド、グアダルペ、ポンペイの聖母とロザリオの奇跡の話しをお聞きし、いっそうロザリオの祈りをたくさん称えたくなりました。

暑い国から雪降る国へと、体調管理も難しい神父様の御健康が心配ですが、ロザリオでマリア様に神父様をお守りいただく事に致します。

チョコレートの代わりに棕櫚の葉をリュックに詰めて帰られた小野田神父様に、マリア様が特別のチョコレートを下さいますように!!

大阪でのミッション本当にありがとうございましたm(__)m

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
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