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Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

8周年、感謝します

2014年01月22日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様

このブログも、1月21日で8周年を迎えました。天主様に感謝します。愛する兄弟姉妹の皆様の応援とお祈りに感謝します。

これからもよろしくお願いいたします。天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2月の聖伝ミサの予定

2014年01月19日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2月は、
大阪14日(金)、15日(土)、
東京16日(主日)の予定です。月曜は残念ですが、例外で、朝のミサはありません。

宜しくお願いいたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!!
トマス小野田圭志神父

グレゴリオ聖歌に親しむ会 1月の練習日が変更になりました。

2014年01月10日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 明日、1月11日(土)に予定されていた練習が、都合により、1月12日(主日)の午後6時からに変更になりました。ご迷惑をおかけしますが、ご理解をお願いいたします。

 天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

私たちの主イエズス・キリストの御降誕おめでとうございます

2013年12月25日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様

私たちの主イエズス・キリストの御降誕のお慶びを申し上げます。

今日、大阪でクリスマスの聖伝のミサがありました。次の通りの御報告を頂きました。御紹介します。天主様に感謝します!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父


――――――――――

アベマリア!
おめでとうございます(^O^)

クチュ-ル神父様は予定通り到着され、

5時半から玄義の間にキャロルをはさみながらロザリオを唱え、その後聖歌を数曲歌い、ミサが始まりました。

今日は25人の方が御降誕の歌ミサに預かるおめぐみを頂きました!素晴らしいお説教に皆感動し大きなお恵みに感謝しました。

御ミサ後、クチュル神父様から皆さんにCDのクリスマスプレゼントを頂き、馬小屋のイエズス様の前で食事を頂きました。

デオグラチアス!!

レイテ島の方々のために

2013年11月14日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

先日は日本でミサ聖祭を捧げることができ、天主に感謝します。詳しい報告は、改めて致します。

11月10日の主日にはフィリピンの台風被災者のために22020円の特別献金が自発的に集まりました。深く感謝致します。

レイテ島全体には電気が無く、石油製品もなくなったそうです。特にタクロバンでは陸の孤島となり、食べ物や飲料水が不足しています。それでも、苦しみを耐えているとのことです。

レイテ島担当者のヘラ神父様がいまレイテに船で行く機会を探しています。神父様は、月曜日からセブに行き、救援活動を組織しています。

聖ピオ十世会では、レイテ島に4箇所の巡回教会があります。タクロバン、マアシン、バト、ソゴッドです。

タクロバンは被害が甚大ですが、そこの信徒らは、今のところ、全員無事です。信徒らが助け合っています。しかし、タクロバンの教会の建物は崩壊したようです。聖ピオ十世会の所有の車は、被害を免れたとのことです。道路が開通したら、まだガソリンの入っているその車で信徒たちを安全で、とりあえず、食糧のある場所に移動させる予定です。

救援物資も軍隊がエスコートしているとのことです。家を失い、食糧もなく、雨が降り、生き延びた方々も命を落としているとのことです。

フィリピンの台風被災者、また地震の被災者の方々のために、どうか、どなたでも、マリア様に天使祝詞
「めでたし」を三回唱えて下さい。感謝します。

天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父

11月3日主日のミサ

2013年10月31日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

11月3日の主日ですが、いつも通りの10時30分から新大阪の丸ビルで聖伝のミサがあります。

クチュール神父様からのボーナス・ミサです。愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!


トマス小野田圭志神父

マニラでの堅振など

2013年10月20日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様

今日は、フィリピンのマニラの聖ピオ十世会の教会で、50名が堅振の秘蹟を受けました。
また、ティシエ司教様が司教による聖母像の戴冠式を執行しました。教会ははじけるほど人でいっぱいになりました。
聖伝のミサの後、聖ヨゼフの聖堂の祝別がありました。
お祝いの食事を皆で摂った後に、ティシエ司教様の講話を皆で伺いました。

天主に感謝します!マリア様に感謝します!聖ヨゼフに感謝します!

天主様の祝福が愛する兄弟姉妹の皆様の上に豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父

ロシアをマリア様の汚れ無き御心に奉献

2013年10月14日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様

今朝の月曜日のミサの開始が7時になってしまい申し訳ありませんでした。二名の方々がミサが8時のままだと来られました。大変申し訳ありません。今朝は9名の愛する兄弟姉妹の皆様がミサに与ることができました。

兄弟姉妹の皆様のしもべは、昨日の10月13日の主日にはティシエ司教様とソウルで過ごしました。私たちの聖ピオ十世会の教会は、人があまりにいっぱいで入り切れず、立ち見の方々が多くありました。They are outstanding Catholics!

ソウルでは16名が堅振を受けました。

また、ミサの後、ティシエ司教様はロシアをマリア様の汚れ無き御心に奉献する祈りを唱えました。天主に感謝!

また改めて、詳しい報告をいたします。天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父

10月14日月曜日のミサ

2013年10月12日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

クチュール神父様からの連絡ですが、10月14日月曜日の朝の東京のミサは、都合により朝7時に始まります。時間の変更申し訳ありません。よろしくお願いいたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!!


トマス小野田圭志神父

司祭黙想会

2013年09月30日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

聖ピオ十世会のアジア管区の司祭たちは、今日から一週間の黙想会に入ります。良い黙想会になるようにお祈りください。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父

天主に感謝します

2013年08月13日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様

天主に感謝します!8月の日本のミッションの報告を頂きました。日本に行って下さったレネー神父様に感謝します!

月曜日の朝は東京で、9名の方々がミサに与りました。

御報告を紹介します。天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父

――――――――――

アベマリア!

今月の御ミサは、9日金曜日9人、10日土曜日は、15人が御ミサに預かるおめぐみを頂きました!デオグラチアス!
今月は、レネ-神父様がお越し下さり、お説教は哲学的な話しを交えて、私達の本来の目的、天国を、聖人方や聖母の祝日を通して再確認して、十字架の元に続けば、永遠の幸福にたどり着くというものでした。(うまくまとめる事ができません(>_<))
また、土曜日には御ミサの後に、聖母の被昇天と、世の終わりの公審判との深い関係をお話し頂きました。
いくつかの質問にもお答え頂き、とても素晴らしい時間を過ごす事ができました。
猛暑のなか、柔和に忍耐強く信徒たちに接して下さったレネ-神父、駅の階段を二段抜かしで颯爽と駆け上がられる神父様のお姿に、深い感謝と尊敬の念が湧き上がりました。
沢山のおめぐみに天主様に感謝!マリア様に感謝!聖ピオ十世会の神父様方に感謝致します!
――――――――――

天主に感謝します!

聖母の汚れなき御心への奉献更新のため:聖母マリアの道

2013年08月05日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
三 十 日 聖 マ リ ア の 道

 されば子供等よ、今(いま)我に聞け、我(われ)道を守る者は幸(さいわ)いなり (箴言一八。三二)

 我等はこの聖母月を迎えてから、先(ま)ず聖マリアが救い主の御母として、永遠の昔より天主に選(えら)まれ給うた事、次には悪魔の勢力が聖母の御力に打ち砕(くだ)かれるという天主の人(じん)祖(そ)に対する御約束など、順次(じゅんじ)黙想を続けて来たが、聖マリアの御生涯(ごしょうがい)は実に始めから仕舞(しま)いまで、一つとして我等の救いと永遠の幸福に関係せぬ所はない。
 しかして聖母は常に我等が一人残らず救われて、天国の住民となる事を切(せつ)に望(のぞ)ませ給い、今、聖母月の終わりに当たり、この冒頭(はじめ)に掲(かか)げた通り「されば子供等よ、今,我に聞け。我が道を守る者は幸いなり」と仰せになるのである。
 それでは聖マリアの道とは如何なる道であろうか。聖マリアは全く御子(おんこ)イエズスと行(こう)を共にされたのであるから、聖マリアの道は取りも直さずイエズスの歩(あゆ)まれた道である。それは天主と人とに対する愛の道に他(ほか)ならぬ。イエズスが聖(とうと)い天主の御身を以て此の世に降(くだ)り、卑(いや)しき肉の体(からだ)を受けて多くの苦しみを嘗(な)め、最後に冤(むじつ)の罪を担(にな)うて十字架上の露(つゆ)と消え給うたのも、聖マリアが天主の御母たる重大な責任を受けて、或る時はシメオンの予言に心を痛め、或る時は遠いエジプトに流浪(さすら)い、十字架の道に、御子の御死去に、云い尽くせぬ悲(かな)しみを味わい給うたのも、皆これ天主御父(おんちち)を愛し、我等を愛し、救いの事業を完成される為ではなかったか。
 しかもその愛は浅(あさ)はかなものであってはならぬ。一切の艱難(かんなん)に災禍(さいか)に遭(あ)い、あらゆる苦しみ悲しみに試(ため)されても確乎(かっこ)として揺(ゆ)るぎなき真(まこと)の愛でなければならぬ、云い換(か)えればこの愛の道はカルワリオの十字架の下(もと)に至っていなければならぬ。ここに於いてか、イエズス・マリアの愛の道は叉、犠牲の道、十字架の道と云ってもよいのである。
 聖パウロはこの真の超自然的愛と犠牲その他の諸徳(しょとく)との関係を実に美しく説明して「愛は堪忍(かんにん)し、情(なさ)けあり、嫉(ねた)まず、自慢(じまん)せず、怒(おこ)らず、不義(ふぎ)を喜ばず、何事をも信じ、何事をも希望し、何事をも怺(こら)うるなり」と云っている。
 聖母は我等に向かって「今我に聞け!」と仰せられた。故に我等はその御言葉に従(したが)って、イエズス・マリアの通られた愛の道、犠牲の道を進もう。勿論(もちろん)それは中々生(なま)やさしい覚悟くらいで歩(あゆ)める道ではない。その茨(いばら)の道に踏(ふ)み出す時には、先ず大先(だいせん)達(だつ)なるイエズス・キリストの御精神、聖マリアの御精神をわが心に確固(かっこ)と植え付け、超自然の世界に霊の眼(まなこ)を睜(みひら)かねばならぬ。そして如何に坦々(たんたん)として歩(あゆ)み易(やす)そうな大道が右(みぎ)左(ひだり)に見えても、それには一(いっ)切(さい)目もくれず、唯 わが前に印(いん)せられたイエズスと聖母の御足跡(おんあしあと)だけを見つめて、一歩一歩進むべきである。キリストが「滅亡(ほろび)に至る道は広し」と警(いま)戒(し)められ、叉、「十字架をとりて我が跡に従え」と命ぜられたのも、此処(ここ)の事である。
 かようにして「我に聞け!」と仰せられた聖マリアの御跡(みあと)を慕(した)い、一切の思い、言葉、望み,行為等に於いて及ぶ限り聖母に肖(あや)からしめるように努(つと)めるならば、「我が道を守る者は幸いなり」というその次の御言葉(みことば)も必ず実現される事は疑(うたが)いない。
何となれば、イエズス・マリアの愛の道、犠牲の道は険(けわ)しく茨(いばら)に満ちて居る上に、最後はカルワリオの十字架で終っているように見えるけれども、その先は主の御昇天(ごしょうてん)、聖母の被(ひ)昇天(しょうてん)によって直ちに天国に連(つら)なっているからである。
それは現世(このよ)の快楽(かいらく)の道、名誉(めいよ)の道、利(り)慾(よく)の道などが麗(うるわ)しい花に飾(かざ)られているようで、しかもその下に滅亡(ほろび)の底なしの淵(ふち)を隠(かく)しているのとは、雲泥(うんでい)の差もただならぬ。故に我等は聖母月の記念として「されば子供等よ、今我に聞け、我が道を守る者は幸いなり」との御母の御言葉を肝(きも)に銘(めい)じ、我等の行く手を照らす炬(たい)火(まつ)としよう。

   祈   願

 ああ慈愛(いつくしみ)の御(おん)母(はは)、天国への案内者よ、我等は一切(いっさい)を御身の御手(みて)に委(ゆだ)ね奉(まつ)り、今より後、真(まこと)の愛を以て、人々の心に歓喜(よろこび)と平和の種子(たね)を蒔(ま)きつつ御身(おんみ)の示し給える道を進まんとす。
 何卒(なにとぞ)、繊(か)弱(よわ)き我等を助けて恙(つつが)なく最後の目的地に達せしめ給わん事を、恭(うやうや)しく天使祝(しゅく)詞(し)三度繰(く)り返して願い奉る。


(天使祝詞 三度)


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聖母の汚れなき御心への奉献更新のため:聖母の被昇天

2013年08月03日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
二 十 八 日 聖 母 の 被 昇 天

     門、汝の頭をあげよ。永遠の戸よ、あがれ、
栄光の主(しゅ)入(い)り給わん。             (詩篇二三。七)

これは昔ダビド王の時代に、かの貴(とうと)い聖(せい)櫃(ひつ)をエルザレムに運び、町の最(もっと)も立派(りっぱ)な場所に安置(あんち)した時、司祭達が歓喜(よろこび)に溢(あふ)れて歌った讃美歌(さんびか)である。
 さて我等は聖マリアを屡々(しばしば)旧約時代に於けるエルザレム神殿の聖(せい)櫃(ひつ)になぞらえて、新約(しんやく)時代に於ける聖(せい)櫃(ひつ)と申し上げるが、この新約の聖(せい)櫃(ひつ)が天国に挙(あ)げられて、永遠の住み家に安置(あんち)せられた時も、天の於(お)いてどれほどの歓喜(よろこび)があったろうか。
 先ずセラフイムやケルビムなどの大天使は勇みに勇んで天の元后(げんこう)を迎え奉った事であろう。次に人(じん)祖(そ)アダムとエワは、怨(うら)み重(かさ)なる蛇の頭を踏(ふ)み砕(くだ)き給うた聖マリアを始めて見奉って、心から感謝したに相違ない。また旧約(きゅうやく)時代の予言者、太祖(たいそ)を始め、多くの聖人方は彼等の希望を成就(じょうじゅ)し給うた聖母を仰いで、如何(いか)ばかり讃(ほ)め称(たた)え奉ったであろう。更に聖マリアの御両親なる聖ヨアキムと聖アンナ、浄配(じょうはい)聖ヨゼフ、洗者(せんじゃ)聖ヨハネ、罪なき殉教(じゅんきょう)の幼児(おさなご)達も聖マリアを待ちかねて、どれほど歓(よろこ)び迎えたか知れない。実にそういう栄誉かくかくたる聖マリアの被(ひ)昇天(しょうてん)を考える時、地上の我等も聖会と共に「門よ、頭を挙(あ)げよ、永遠の戸よ、あがれ。栄光の元后(げんこう)聖マリア入り給わん」と叫ばずにはいられぬのである。
 かような歓迎の内に天国に凱旋(がいせん)し給い、光輝(こうき)燦爛(さんらん)たる聖(せい)三位(さんみ)の玉座(ぎょくざ)の前に至り、御父、聖霊や懐かしい聖子(おんこ)に見えて親しく御物語りあり、次いで御自分の為に備えられた玉座に着かせ給うた聖母の御歓喜(おんよろこび)や御光栄(おんさかえ)の程に至っては、我等には到底想像も出来ない。何となればそれは全知(ぜんち)全能(ぜんのう)全善(ぜんぜん)なる三位(さんみ)一体(いったい)の、此の上もない御寵愛(おんいつくしみ)の玄(げん)義(ぎ)であるからである。
 我等は今少しくイエズス・キリストとその御母(おんはは)聖マリアとの御臨終(ごりんじゅう)の有様を比(く)較(ら)べて見よう。主イエズスは云うまでもなく、世の罪を贖(あがな)い総(すべ)ての人々を救う為に、潔白(けっぱく)の御身を最も残酷(ざんこく)極(きわ)まる刑罰(けいばつ)の犠牲(ぎせい)として、御死去になった方である。所が聖マリアはそれに反し、世にも恵まれた平和な臨終を遂げ給うた。けれどもこの麗(うるわ)しき御最期(おさいご)は決して偶然(ぐうぜん)に得られたものではない。
 その御生涯の豊(ゆた)かな御功績(ごこうせき)、殊にカルワリオの十字架の下(もと)で耐え忍び給うた云い尽くし難(がた)い御苦悩(おんくるしみ)の報酬(むくい)として、聖(とうと)き御子(みこ)の御功徳(おんくどく)により与えられた特別の御恵(おんめぐみ)であったのである。
 美しい終わりを遂(と)げた聖人、殉教者(じゅんきょうしゃ)達は外(ほか)にも沢山(たくさん)ある。然し聖マリア以外の人は、いずれも原罪の結果を蒙(こうむ)っているので、罪の罰としての死を免(まぬが)れる訳にはゆかぬ。従(したが)ってその最期(さいご)を聖母のそれと比べる事は到底(とうてい)出来ないのである。
 我等も罪に汚(けが)れている者であるから、いつか一度は是非(ぜひ)共(とも)死の大いなる苦痛を忍び、それによって我が罪に対する最も重い償(つぐな)いを果たす必要がある。我等の生涯はその重大な時を迎える為の永い準備期間に他(ほか)ならぬ。されば我等はこの期間を徒(いたづら)に費(つい)やす事なく、却って善業を積み、一生の終わりの償(つぐな)いの負担を、少しでも軽からしめるよう励むべきである。
 なお臨終(りんじゅう)に当たって最も頼もしき扶助者(たすけて)は、古往(こおう)今来(こんらい)例(ためし)なき幸福な死を遂(と)げ給うた聖マリアの外(ほか)にはない。故(ゆえ)に我等は常日頃から聖母に縋(すが)って善(よ)き終わりを遂(と)げる御恵(おんめぐみ)を願い、日毎に「今も臨終の時も祈り給え」の祈祷(いのり)を繰(く)り返してその御助けを求めよう。そうすれば聖母は必ず我等を臨終(りんじゅう)の床に守り、我等の霊魂を御胸にかき抱(いだ)いて、地獄の深淵(ふち)の上を飛び越え、輝く天国に導いて下さる事であろう。

   祈   願

 ああ、天国の元后(げんこう)なる聖マリアよ、我等は御身の御光栄(みさかえ)に輝く被(ひ)昇天(しょうてん)を衷心(ちゅうしん)より歓(よろこ)び、御身が天主より受け給いし比類(たぐい)なき其の御恵(おんめぐみ)を讃称(ほめたた)へ奉る。
 我等は拙(つたな)く繊(かよ)弱(わ)き者にして、過失(あやまち)に陥(おちい)る事も屡々(しばしば)なれど、御身の御慈愛(おんいつくしみ)を恃(たの)みとして、一期(いちご)の大事なる臨終の時に、過(あやま)って滅亡(ほろび)に至らざるよう御助けの程を求め奉る。
 冀(こいねがわ)くは我を死の床より挙(あ)げて天国に導きたまえ。しかして、諸聖人と共に限りなく御名を讃(ほ)め、御恩恵(おんめぐみ)を謝(しゃ)し、共に天主を愛し、且(か)つ仰ぐを得(え)せしめ給わん事を、恭(うやうや)しく天使祝詞(しゅくし)三度繰(く)り返して願い奉る。


(天使祝詞 三度)



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7月15日(月)のミサ開始時間は午前7時です。その他は予定通りです。

2013年07月11日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

7月15日(月)は、国民の祝日ですが、今回の開始時間は、司祭の都合でいつもの通りの午前7時に変更になりました。ご了承ください

7月15日(月)証聖者聖ヘンリコ皇帝(3級祝日)白
          午前7時   ミサ聖祭

 その他は、予定通りです。ご理解を感謝します。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

キリストの代理者である教皇のみが、普遍的教会を統治する至高の権力を持つという私たちの信仰 その3

2013年07月05日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今日は初金曜日ですね。いかがお過ごしでいらっしゃいますか?

 今回は、「キリストの代理者である教皇のみが、普遍的教会を統治する至高の権力を持つという私たちの信仰」と「キリストの代理者である教皇のみが、普遍的教会を統治する至高の権力を持つという私たちの信仰 その2」の続きです。

 ルフェーブル大司教様と聖ピオ十世会とは、イエズス・キリストがそう創立したが故に、カトリック教会が君主制的組織であり、地上におけるキリストの代理者たる教皇のみが、普遍的教会を統治する至高権力を持つ(従って第二バチカン公会議の主張する「司教団体主義」は受け入れられない)というカトリック信仰を宣言し続け、教皇様のために祈り闘っています。そして私たちの教皇様は、今ローマにいるフランシスコ教皇様です。

 もしも、フランシスコが教皇ではなかったのなら、ではキリストの教会は可視的存在としていったいどこにあるのでしょうか? もしもフランシスコが教皇ではないのなら、この事実をいったい誰が全キリスト教世界において公式に・正式に宣言することができるのでしょうか? 全キリスト教世界は、彼を本当の教皇であると認識し続けているのが現実です。カトリック教会において、個人的な判断は、いかなる司法的な・教会法的な価値を持っていません。

 ある個人が、ヨハネ二十三世、あるいはパウロ六世、あるいはヨハネ・パウロ二世、あるいはベネディクト十六世、あるいはフランシスコを、個人として判断する権利があると主張し、全教会を前にだれそれは教皇ではないと宣言する権利があると主張した、だれそれは教皇ではないと主張したとしても、自分の主張は絶対的に確かで証明されていると言い続けたとしても、しかし、カトリック教会においてそのような主張はいかなる法的価値を持っていません。そう主張する主体が、単なる個人に過ぎないからです。

 もしも「この世に存在する本当のカトリックたち」と主張する方々が、自分の権威で「聖座が空位だ」と宣言することができると信じたとすると、この同じ人々は教会に本当の教皇を与える力と義務があると思い込むかもしれません。そうして、キリストの教会に、キリストが約束した可視性と不可崩壊性(indefectibility)とを保証しようとするかもしれません。そのような人々は、自分たちの論理と、誠実な意図をもって、教会を救おうと自らコンクラーベを開いて「教皇」を選出するかもしれません。実際に、すでに、いかなる教会法根拠もなく、選挙権もなく、自分たちの「教皇」を選んでしまった人々もいます。そのようにして選ばれた自称「教皇」たちも複数存在します。正気を失ってしまったように私たちには見えますが、これは「自分の権威で「聖座が空位だ」と宣言する権利と義務がある」と信じたその論理的結論にすぎません。何故なら、それは、自分たちにこそ、教会に本当の教皇を与える権利と義務があると思い込むことだからです。

 たとえそこまでの極端な論理的結論にいかなくとも、ローマにいる教皇が本物の教皇ではないということは、あたかも信仰箇条の一つであるかのように行動する人々もいます。ローマにいる教皇を教皇としてそのために祈ることも拒否する人々もいます。

 私たちは、ルフェーブル大司教様とともに、「教皇が教皇であるかないかを判断するのは私たちの義務でも権利でもない、もしもそれをすることがあるとするならば、ひょっとしたら将来の教皇が発言することがあるかもしれない、しかし、私たちは自分の義務をよく果たそう、つまりカトリック信仰を守るという義務を」、という態度をとり続けています。

 さて、前回は、父親から悪事を命じられた場合との類比で、教皇様が誤謬を含んでいる、あるいは/かつ悪を促進することを命じられた場合、どうすれば良いか?ということを考察しました。ところで、9年前に『マニラのeそよ風』第236号を書いていたその時は、あまりにも自明だと思ったので言及しませんでしたが、今回は、言及しなかったことを考察することを提案します。つまりそれは、「悪い父親が良いことを命令したら?」という場合です。

 「悪い父親」から、良いことを命令されたら私たちはどうしなければならないのでしょうか? ある人(ここでは仮にヨハネさんと呼ぶことにしましょう)の父親はカトリック信徒ではないのですが、カトリック信仰と道徳に合致することをするように命令した(例えば、ロザリオを唱えなさい、聖伝のミサに与りなさい、など)場合を考察しましょう。ヨハネさんは、自分の父親に対してどのような態度を取るべきでしょうか? 答えは、あまりにも明らかです。もちろん、良き命令に従う、です。

【質問1】父親がカトリック信仰と道徳に合致することを命令した場合、自分の父親に対してどのような態度を取るべきか?

 このヨハネさんのお父さんが、仮に、とても悪い父親であった、酒におぼれギャンブルにおぼれ家庭を顧みずに放蕩の父親だった、悪事をするように子供たちに命令したりすることもあった、と仮定します。そしてこの「悪い父親」が、カトリック信仰と道徳に合致することをするように命令した(例えば、勉強しなさい、悪い猥褻な雑誌を読んではいけない、ロザリオを唱えなさい、聖伝のミサに与りなさい、など)場合、私たちはどうすべきでしょうか?

(1)悪い親であろうが父親の望みは絶対である。しかし、勉強するとか、ロザリオの祈りとか聖伝のミサなどは、めんどくさいし古くさい、口だけは「はい、はい」と答えておいて、実際は行動には移したくない。「お父さん、お父さん、尊敬します」と口先では言っておこう。しかし、このような良い命令は実行しない。

(2)悪い親であろうが父親として尊敬する。もしも天主の掟に反することならそれをすることは出来ないが、幸福なことに、この命令は良い命令だ。その良い命令を受け入れて、従わうことこそが真の従順だ。

(3)酒におぼれギャンブルにおぼれ家庭を顧みずに放蕩をするのは、父親とは言えない。悪事をするように子供たちに命令するような人は、父親として認めない。彼は私の上にいかなる権威も無い。口では「父」と呼んだとしても、それは名前だけで、事実上は父親でも何でもない。彼を全く無視して行動する。彼の悪い行動の全てを非難をすることが子供として正しい態度だ。父親の地位を自ら辞任し放棄するように彼を訴えて行動すべきだ。

上のうちどれがカトリック信者の取るべき態度でしょうか?

【質問1に対する 答え】

 正しい答えは(2)です。

 弱い人間性を纏った親は、私たちにとって天主の代理者であります。罪人である親も、天主の御摂理によって、私たちにとっては天主の代理者であるが故に、天主を愛するために、親に従順であるべきです。親の命令が天主の戒律に合致している場合には、もちろん従うべきです。

【質問2】

 ここにカトリック信者のヨハネさんがいます。彼は天主の十戒を守る男性で、特に第四戒を大切にしています。さて、彼の属する司教区の司教様は、カトリック信仰と道徳に反するようなことをするように説教したり(例えば共産主義、近代主義)、模範を示したり(例えばカトリック以外の宗教行事に参加する)、命令したり(例えば御聖体に対する崇敬の態度の禁止)するのですが、今回は、どのような理由なのかは分かりませんが、日本の全ての司教様たちと一致して日本を聖母の汚れなき御心に奉献するように積極的に働いて、平信徒たちにも聖母の汚れなき御心に自分を奉献するように勧告したり、東京都議会選挙の前には、共産党に投票してはならない、と訴えていた、とします。

 ヨハネさんは、自分の司教様のこの命令に対してどのような態度を取るべきでしょうか?

(1)悪い司教であろうと、司教様は絶対である。しかし、聖母の汚れなき御心への奉献だとか、共産党に投票してはならない、などということは古くさいことだ。口だけは「はい、はい」と答えておいて、実際は行動には移したくない。「司教様、分かりました、尊敬します」と口先では言っておこう。しかし、このような良い命令は実行しない。

(2)悪い司教様であろうと、司教様として尊敬する。もしも天主の掟に反することならそれをすることは出来ないが、幸福なことに、この命令は良い命令だ。その良い命令を受け入れて、従わうことこそが真の従順だ。

(3)天主の掟に反するような悪事を説教し行動し命令するような人は、カトリック司教として認めない。彼は私の上にいかなる権威も無い。たとえミサの中で「我らの司教、だれそれ」と名前を挙げて祈ったとしても、それは口先だけで、事実上は司教でも何でもない。彼を全く無視して行動する。彼の悪い行動の全てを非難をすることが信者として正しい態度だ。司教の地位を自ら辞任し放棄するように彼を訴えて行動すべきだ。

上のうちどれがカトリック信者の取るべき態度でしょうか?

【質問2に対する 答え】

答えは(2)です。


【質問3】

 ここにカトリック信者のヨハネさんがいます。彼は天主の十戒を守る男性で、特に第四戒を大切にしています。さて、この教皇様は、カトリック信仰と道徳に反するようなことをするように説教したり(例えば近代主義)、模範を示したり(例えばカトリック以外の宗教行事に参加する)するのですが、今回は、どのような理由なのかは分かりませんが、「聖伝のミサは決して廃止されたことがなかった」「ルフェーブル大司教の聖別した司教たちのいわゆる "破門" など無い、撤回する。」と主張したとします。

 ヨハネさんは、教皇様のこの主張に対してどのような態度を取るべきでしょうか?

(1)どのような教皇であろうと、教皇は絶対である。しかし、聖伝のミサとか、聖ピオ十世会、などということはどうでも良いことだ。口だけは「はい、はい」と答えておいて、実際は行動には移したくない。「教皇様、分かりました、尊敬します」と口先では言っておこう。しかし、このような良い命令は実行しない。

(2)近代主義の考えに染まっている教皇様であろうと、教皇様として尊敬する。もしも天主の掟に反することならそれをすることは出来ないが、幸福なことに、この命令は良い命令だ。その良い命令を受け入れて、従わうことこそが真の従順だ。

(3)天主の掟に反するような悪事を説教し行動し命令するような人は、カトリック教皇として認めない。彼は私の上にいかなる権威も無い。たとえミサの中で「我らの教皇、だれそれ」と名前を挙げて祈ったとしても、それは口先だけで、事実上は教皇でも何でもない。彼を全く無視して行動する。彼の悪い行動の全てを非難をすることが信者として正しい態度だ。

上のうちどれがカトリック信者の取るべき態度でしょうか?

【質問2に対する 答え】

答えは(2)です。

 最初の(1)の態度は、多くのNovus Ordoの司教様や神父様たちの態度のような感じがしますが、そのような感じについては私が間違っていることを祈ります。

 最後の(3)の態度は、たとえ口先だけでは教皇を教皇として認めている、と主張したとしても、実際上はセデヴァカンティストの態度です。教皇が存在しようがしまいが、良い発言をしようがしまいが、彼の原理は近代主義とエキュメニズムだからすべては悪い(に決まっている)、と色眼鏡を通して見る態度です。


 真ん中の(2)が、現在、フェレー司教様の下で、聖ピオ十世会が取っている態度です。この態度を取り続けるために、聖ピオ十世会は多くの苦しみがありました。

 ルフェーブル大司教様は、第二バチカン公会議で発布された神学校運営に関する規定(ratio fundamentalis)を忠実に適用させました。エコンの神学校はそれを適用させている数少ない神学校のうちの一つです。ルフェーブル大司教様は、第二バチカン公会議の文章のどれが良く、どれが間違っているかを区別することをよく知っていました。

 ルフェーブル大司教様は、アシジの集会をしたローマと交渉して、一人の司教を聖別して良いというローマの同意を得ることさえもしました。たとえアシジの集会をした当局でも、カトリック聖伝をまもる司教を聖別して良いというのは良い命令です。すでに書いたことですが、繰り返せば、ルフェーブル大司教様は「もう手遅れだ、私たちには天罰を待つしかない、天罰で現代文明が滅びることだけが解決策だ」とは言いませんでした。ルフェーブル大司教様は、ローマと交渉し、ローマの権威を認めつつも、しかし、生き残り手段として、1988年にカトリックの司教を聖別したのです。

 ルフェーブル大司教様は、「単なる一カトリック司教」として、カトリック教会の中に聖伝が戻ってくるように働きかけていたのです。ルフェーブル大司教様はローマに、聖伝に自由を与えてくれることを求めていました。もしも新規なこと、革新的なこと、ありとあらゆる「実験」が許されるのなら、聖伝にも「実験」する自由を与えてほしいと。

 聖ピオ十世会は、すでに1970年教会から公式の認可を受け、ローマの枢機卿らから賞賛の手紙を受け取っています。スイスの一司教が教会法に反してそのような権限がないにもかかわらず、聖ピオ十世会の認可を取り下げたとき、ルフェーブル大司教様はローマの教会裁判所に訴えて判決をお願いし、それが受理されたにもかかわらず、その裁判はすることをブロックされました。すべての迫害は聖伝のミサを捧げ続けていたからです。従って、この迫害は全く不法であり、聖ピオ十世会は教会法上、存在し続けています。

 ところで数年前から、ベネディクト十六世の方から自主的に、聖ピオ十世会に対して次のような要求がありました。「聖ピオ十世会は、カトリック教会のまっただ中にある、カトリック教会の正真正銘の正しい修道会である、と私は宣言したい。その宣言のために聖ピオ十世会は何らの条件を受け入れる必要が無い。そのままの聖ピオ十世会に教会法による教区を任せたい。聖ピオ十世会を無条件で属人区としたい」と。

 バチカンでは聖伝のミサを捧げている高位聖職者たちがいます。信憑性のあるそのような保守派の高位聖職者たちから、聖ピオ十世会の神学的立場に同意するということを伝えてきます。これらのバチカンの保守派高位聖職者が言うには「教皇様は、破門撤回のときと同じように、見返りに何の要求なしに【第二バチカン公会議や新しいミサを受け入れるという要求など一切無しに】聖ピオ十世会を承認するつもりだ、公式ルートからの内容は、教皇様の意向ではない、バチカンにはどんな手を使ってでも教皇の計画を潰そうという人々がいる、今後も聖ピオ十世会は、今と同じように思う存分[第二バチカン公会議への]攻撃を続けることができる、教皇は教理聖省よりも上にある、教皇様が聖ピオ十世会を守る」云々と。(これについてはすでに「私たちはどうしてカトリック教会に聖伝を復興させる手伝いができるかという試練」において詳細に書きました。)

私たちはどうしてカトリック教会に聖伝を復興させる手伝いができるかという試練(2)

アヴェ・マリア!愛する兄弟姉妹の皆様、...



 聖ピオ十世会とエクレジア・デイ委員会傘下の修道会らの違いはどこにあるかというと、今回、ローマの方から聖ピオ十世会に接近があったのに比べ、エクレジア・デイ委員会の傘下にある修道会らは、皆、自分たちの方からローマに行って聖伝のミサをすることができる修道会として公式の認可を受けるために働きかけました。そして、バチカンの反聖伝の勢力は、今まで聖ピオ十世会を中心に一つとなっていた聖伝の勢力を分断することを試み、エクレジア・デイ委員会傘下の修道会たちを作り上げることによって聖伝の分裂化を成功させました。
 もう一つの違いは、ローマが、非公式的には、聖ピオ十世会は第二バチカン公会議の改革を受け入れる必要が無い、第二バチカン公会議や新しいミサを受け入れるという要求など一切無しに、聖ピオ十世会を承認したい、という要望を出してきたに比べ、エクレジア・デイ委員会傘下の修道会らには、第二バチカン公会議や新しいミサの受け入れを要求したことです。

 聖ピオ十世会の昨年の苦しみはここにありました。確かに近代主義に染まってはいるけれども、ベネディクト十六世は、正当な教皇様なのなら、もしも教皇様が聖ピオ十世会に関して正当な、良い望みを示すなら、どうしてそれを拒むことが出来るでしょうか?

 教皇様が聖ピオ十世会の活動にお墨付きを与えたい、聖ピオ十世会が現在の教会の危機からカトリック教会を救うために教皇様を助けることを教皇様が望んでいる、だから、聖ピオ十世会が第二バチカン公会議を受け入れる必要はない、この聖ピオ十世会の活動の「公認」は、聖ピオ十世会をして第二バチカン公会議を飲み込ませる罠ではない、のであれば、本当のことが本当であると宣言されることは、それ自体で善であるのですから、私たちはいったいどうしてそれに従わないことができるでしょうか?

 これについては、一年前に、記事を書いたことがあります。
【質問】「あまりに多くの失望を味わったので罠かもしれないという疑い」とはどういうことなのでしょうか?

アヴェ・マリア!愛する兄弟姉妹の皆様、 今回は御質問に答えることをお許しください。御質問については、少し私が編集しました。【質問】聖ピオ十世会の総長であるフェレー司教様...


 ベネディクト十六世は、正当な教皇様です。イエズス・キリストはベネディクト十六世の口を通して今でも語り続けることができます。だから、もしも良い望みであるのならば、それに従うべきです。結局、去年の6月には、最後の最後に、ローマは聖ピオ十世会が第二バチカン公会議とその後の改革を受け入れることを要求したので、その命令には従うことができませんでした。

 私たちは、カトリック教会がイエズス・キリストの真の唯一の教会であると信じています。にがにがしさもなく、乱暴にならず、祈り、苦しみ、試練を受け入れる。天主が私たちに送り給う全ての十字架を忍従する。教皇職に信頼すること。ペトロの後継者としてのペトロの後継者に信頼し続けます。聖ピオ十世会は、天主様から贈られる全ての十字架と苦しみを、教皇様のために、カトリック教会のために捧げます。

 願わくは、教皇様が聖伝に立ち戻りますように! 教皇様が、カトリック教会をその聖伝に立ち戻らせますように!
 聖母の汚れなき御心よ、教皇様のために祈り給え!教皇様を助け給え!教皇様を守り給え!
 聖ペトロとパウロ、我らのために祈り給え!
 聖ペトロとパウロ、教皇フランシスコのために祈り給え!
 聖ペトロとパウロ、聖ピオ十世会のために祈り給え!
 聖ペトロとパウロ、日本のために祈り給え!


 天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)



--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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