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第二バチカン公会議の「信教の自由」について

2013年01月23日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今年の1月21日は、このブログを開始して満7年になります。愛する兄弟姉妹の皆様のご愛読を感謝します。

 今回は、第二バチカン公会議の「信教の自由」について、もう一度考察してみることを提案します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

 「信教の自由」とは?

 第二バチカン公会議の『信教の自由に関する宣言』(DIGNITATIS HUMANAE)の第2パラグラフによれば、「信教の自由」とは次の通りです。

「この自由は、すべての人間が、個人あるいは社会的団体、その他すべての人間的権力の強制を免れ、したがって、宗教問題においても、何人も、自分の確信に反して行動するよう強制されることなく、また私的あるいは公的に、単独にあるいは団体の一員として、正しい範囲内で自分の確信にしたがって行動するのを妨げられないところにある。」
【ラテン語原文は次の通り。】
Huiusmodi libertas in eo consistit, quod omnes homines debent immunes esse a coercitione ex parte sive singulorum sive coetuum socialium et cuiusvis potestatis humanae, et ita quidem ut in re religiosa neque aliquis cogatur ad agendum contra suam conscientiam neque impediatur, quominus iuxta suam conscientiam agat privatim et publice, vel solus vel aliis consociatus, intra debitos limites.


「行動するよう強制されない」と「行動するのを妨げられない」との違いは?

 「自分の確信に反して行動するよう強制されない」(ne aliquis cogatur ad agendum contra suam conscientiam)とは、誰も或る信仰箇条を強制によって押し付けられない、或いは、刑罰やその他の脅迫によって、自分の宗教以外の礼拝に参加するのを強制されない、ということです。

 このことはカトリック教会は常に認めてきていました。この部分に関しては、第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」に書かれている内容は、カトリック教会の聖伝に合致しています。聖ピオ十世が制定しベネディクト十五世が1917年に発布したカトリック教会法典の中にもそのことが書かれています。曰く、Can 1351. Ad amplexandam fidem catholicam nemo invitus cogatur.
【試訳:何人も不本意にカトリック信仰を受け入れるように強制されない。】

 さて、
「自分の確信にしたがって行動するのを妨げられない」(nee impediatur iuxta suam conscientiam agat)ということは、或る特別な市民法(Ius civile)によって、例えば、或る特定の宗教の寺院を建設することや、或る特定の宗教行事に参加すること、或る特定の宗派による学校を創立すること、普通のプロパガンダにより或る特定の宗教が宣伝活動をすることなどが妨げられないこと、を意味します。

 この後者について言えば、カトリック教会は第二バチカン公会議以前には、特定の状況下においては、或る範囲内で、国家がそのような状況を黙認(寛容)する態度【Tolerantia】を取ることを承認していました。更には、国家がこのような状況が立法によって、市民法によって保護することさえ、カトリック教会は認めてきていました。しかし、カトリック教会は、これを「自然法」(Ius naturale) として認めたことはありませんでした。

 自然法としての信教の自由は、唯一、真の天主に対する真の礼拝であるとカトリック教会が認める礼拝を実践する人々にのみ属するものであるからです。つまり、カトリックの宗教を実践することのみを自然法としての信教の自由として認めてきていました。何故なら真理のみが正しいこととして権利を持つからです。


 「市民法」と「自然法」との違いは?

 自然法は、人間の自然本性と人間本性に由来する義務に基づいて言います。人間は、天主による被造物であるので、人間には被造物としての義務、つまり宗教の義務があります。従って、この真の天主に対する真の礼拝を行う義務があるゆえに、人間には天主に礼拝をする自然法としての権利(ius naturale)があります。もちろん、真の天主に対して真の礼拝をするという権利(ius)です。
 言わば、自然法とは常に真なるもの、善なるものに関わっています。自然の理と真の天主に合致することがらに関わるものです。

 それに対して、市民法は、社会として、家族として、共に生活している市民の共通善の要求するところに基礎をおいています。本来ならしかじかであるべきところが、罪が存在するために、誤謬が存在するために、偽りの宗教が存在するために、しかしながら市民社会の平和と安寧のために、市民法は、真理と本当の善とから離れることを「黙認」(寛容)するような法を書き込むことが許されています。それは、「悪を避け、善へと導き、或いは少なくとも社会を傷つけそれにとって弊害となることを妨げるという目的のため」(dans le but de les détourner du mal et de les ramener au bien, ou du moins de les empêcher de blesser la société et de lui être nuisibles)【レオ十三世】です。

 ピオ十二世は、もしも効果的であったとしたら、より上位のまたより広範囲の善を守るために、少なくともその原理において、一般化された寛容ということさえも認めていました。たしかに、宗教において、より上位のまたより広範囲の善というものが本当に存在するのか、と問うことが出来ますが、ピオ十二世は「寛容」という態度を、例えば立法によって一般化することさえ、必要があるならば、原理において認めていました。


 「信教の自由に関する宣言」とピオ十二世の「一般化された寛容」との違いは?

 「信教の自由に関する宣言」の問題は、信教の自由を市民法としてのみならず、自然法としての権利として認めると宣言していることです。更に「信教の自由に対する人格のこの権利は、社会の法的制度において、市民的権利として受け入れられるべきものである」としていることです。

【ラテン語は次の通りです。Hoc ius personae humanae ad libertatem religiosam in iuridica societatis ordinatione ita est agnoscendum, ut ius civile evadat.】

 つまり、もはや単なる、悪(偽りの宗教)に対する「寛容」ではなく、真理と善とにのみ与えられるべき「自由」を与えよ、ということです。


 信教の自由に関する宣言は、どのような善に自由を与えることを欲しているのか?

 人間の人格という善、人格の尊厳のゆえに、「自分の確信(conscientia)にしたがって行動するのを妨げられない」べきである、と言います。確かに、宗教は誤っており嫌悪すべきであるかもしれない、しかし、人格は尊厳を持っているがゆえに自由を与えよ、と主張しています。


 そのような主張に対して、カトリック教会は排斥をしてきたのではないか?

 人間には、人格の尊厳が故に自然法としての自由があるという主張は、以前には存在していませんでした。

 しかし、十九世紀には、「良心と礼拝の自由」及び「礼拝の自由」という名前で信教の自由を認める要求がありました。リベラル派が「各人が各々の宗教を選び、その信仰宣言をする自由」という名で要求していました(レオ十三世の回勅『インモルターレ・デイ』)。彼らは、人間の最高の善として自由を持ち上げ、その自由を善用しようが悪用しようが、自由をどのように使おうがかまわず尊重せよ、と要求しました。

 十九世紀の歴代の教皇様たちは、そのような考え方を排斥してきました。例えば、ピオ七世は1814年のフランス憲法に反対して抗議し、グレゴリオ十六世は回勅『ミラーリ・ヴォス』で、このような考えを排斥しています。

 ピオ九世は1852年コロンビアのカルトの自由に抗議し、1855年にはスペインのカルトの自由に抗議しています。1876年にはトレドの大司教に手紙を書き、1864年には回勅『クァンタ・クラ』『シラブス(誤謬表)』を発表しています。

 レオ十三世は、1889年にブラジルの皇帝にこの「自由」に反対して、手紙を書き、1888年には回勅『リベルタス・プレスタンシッスィムム』を発表しています。

(続く)

【参考資料】第二バチカン公会議は、人間についてどのように新しく考えるようになったのか?

諸教皇は何故「良心ならびに信教の自由」を排斥したのか、理由は?


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ローズ胡美玉 さんの「苦しみの中の喜び」



ソウルではまだまだ雪が降っています(2)

2012年12月08日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

飛行機は雪のために、大変遅れましたが、私はただ今、大阪の宿に到着しました。お祈りをありがとうございます。

明日の無原罪の御宿りの祝日には、新大阪で午前11時にミサ聖祭があります。

今日、午後に岩手県を中心に大きい地震があったと知らされました。被害にあわれた方々のためにお祈り申し上げます。


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田神父

ソウルではまだまだ雪が降っています

2012年12月07日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、


インチョン空港でのアナウンスは、多くの飛行機の遅延の語っています。なぜなら、まだまだ雪がこんこんと降り積もっているからです。窓越しには滑走路に雪が舞い降り続いているのが分かります。

明日の無原罪の御宿りの祝日にはミサ聖祭を捧げることができますようにお祈りを願います。


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田神父

苦しみの中の喜び( その2)

2012年12月07日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

「苦しみの中の喜び」の出版が出来たことを天主様に感謝します。

ところで、今日、金曜日の新大阪でのミサ聖祭は、どうしてキャンセルせざるを得なくなりました。なぜなら、まだ私はインチョン空港におりますが、夕方の飛行機に乗ることができることになりました。それでも夜遅くの日本到着になってしまうからです。真夜中になってしまうからです。どうぞご了承お願いいたします。

以前にもソウルでの大雪のために飛行機が遅れ、また空港に着陸できないで、上空で長い間待ち、乗り継ぎ便に間に合わず、翌日の大阪行きが満席で、名古屋まで行って新幹線で大阪にたどり着いたこともありました。

それでも、明日の無原罪の御宿りの祝日にはミサ聖祭を捧げることができそうなので、天主様に感謝します。

では、今日はミサ聖祭をキャンセルいたしますが、ご理解を願います。


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田神父

苦しみの中の喜び

2012年12月07日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

「苦しみの中の喜び」の印刷が、完了致しました!

今月の聖伝のミサの会場でお分けすることができる予定です。(^o^)デオグラチアス!!!

Amazonでも購入可能です。

ところで、私この頃のソウルでの大雪のため、インチョン空港のフライトが大変乱れております。本来なら私は数時間前に既に日本に到着しているはずでしたが、まだインチョン空港におります。実はマニラ空港で9時間以上待たされました。
今日の新大阪でのミサは、どうなるかまだ不明です。私の関空行きの飛行機出発時間が分かり次第、ミサがどうなるか分かると思います。追って連絡します。


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田神父

私たちはどうしてカトリック教会に聖伝を復興させる手伝いができるかという試練(3)

2012年11月29日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 フェレー司教様も言うとおり、私たちは、バチカンとは「教皇の右の手」であると思っていましたし「私たちは聖座と教皇との間に区別をつけません。」 また、私たちが「ローマ」というとき、教皇様のもとにあるカトリック教会の権威を意味しています。

 しかし、現実には、残念なことに、教皇様が改革派の気に入るようなことを行動するときには、諸手を挙げて賛同する改革派の高位聖職者達も、ほんの少しでも第二バチカン公会議を疑問視させるようなことを教皇様がしようとするならば、それを妨害し、それに抵抗し、敵対するという事実があることを、私たちはまざまざと知らされました。

 フェレー司教様によると、このような対立は「ローマだけでなく教区のほぼ至るところに存在し」、「司祭たちと信者たちを永遠のミサに近づけないよう邪魔した司教たちに端を発して」いるのです。ローマ内部では、革新派と保守派との熾烈な戦いが繰り広げられていたのでした。もちろん、私たちは、第二バチカン公会議派の司教たちや近代主義に染まってしまっている部分の「ローマ」に、第二バチカン公会議の誤謬というウィルスに感染している「ローマ」に、私たちの身を委ねることはできません。聖母の汚れなき御心は、三つの印で、私たちを導いてくれました。それと同時に、ローマにある本当のカトリックの部分については、カトリック教会に聖伝を取り戻させようという保守派の部分については、それが拡大し、勢力を増していくように、助けてあげなければなりません。大変難しい問題です。

 もしも、私たちが、本当のカトリック教会の善のために、カトリック教会の聖伝への復興のために、ローマの保守派の高位聖職者達たちを助けたいと思うのなら、本当の意味で聖座に忠誠派でありたいと思うのなら、革新派の第二バチカン公会議を持ち上げるようなメッセージと、保守派の聖伝を大切にし第二バチカン公会議に反対するメッセージとを識別しなければなりません。もしも、カトリック教会をその破滅から救いたいと思うのであれば、革新派の「反聖ピオ十世会キャンペーン」の邪悪さを見抜かなければなりません。

 もしもカトリック教会の復興を本当に思うのなら、ローマの保守派の高位聖職者達たちが必死でしてきたように、このブログをお読みの兄弟姉妹も聖ピオ十世会を応援しなければなりません。聖ピオ十世会の聖伝のミサに与り、聖伝をもり立てなければなりません。第二バチカン公会議にも良いことが書かれている、などといってエクレジア・デイの妥協の道に行ってはなりません。

 ローマで働いている聖伝のミサを捧げている保守派の高位聖職者達たちが、教皇様は聖ピオ十世会をカトリックと認めている、バチカンにはどんな手を使ってでも教皇の計画を潰そうという人々がいる、今後も聖ピオ十世会は、今まで通り、思う存分第二バチカン公会議への攻撃を続けるがよい、教皇は教理聖省よりも上にある、教皇様が聖ピオ十世会を守る、と必死で情報を伝えているのに、私たちは何もしなくて良い、俺たちは「聖座」に忠実だ、ローマが「お墨付き」をつけるのを待てばよい、それまで新しいミサに与って、聖ピオ十世会の批判をしていればよい、それが「公式」の立場だ、それが建前だ、教区に文句さえ言っていればそれでよい、などと考えて満足するだけではいけません。私たちは改革派の罠を見抜き、堂々と聖ピオ十世会の聖伝のミサに与り始めなければなりません。カトリックの聖伝の復興のために。また、ローマにいるの保守派の高位聖職者達たちが必死の努力を支持したいと思うのなら、聖ピオ十世会に関する批判や悪口を一切止めなければなりません。

 ローマの信頼できる保守派たちが複数の信憑性のある情報ラインを使って、フェレー司教様に、第二バチカン公会議よりも、聖ピオ十世会を守りたい、というのが教皇の本心である、聖ピオ十世会がカトリックであると宣言することが、第二バチカン公会議よりももっと重要であるとみなしている、というメッセージを伝えてきたのですから、日本のカトリック信徒たちはもっと大胆でなければなりません。日本のカトリック信徒たちは、聖ピオ十世会の聖伝のミサに来なければなりません。

 もちろん、くどいほど繰り返すことになってしまいますが、私たちの力だけではローマに聖伝を戻すことは出来ません。天主の特別のお恵みが必要です。全能の天主の御憐れみとその介入が必要です。しかし、私たちは何もすることがない、ただ黙って風向きが変わるのを待てばよい、という態度では改革派に押しつぶされてしまうことでしょう。私たちが、聖伝への回帰を始めなければなりません。聖ピオ十世会への聖伝のミサに与ることによって、カトリック教会とその信仰を維持し続けなければなりません。

 何故なら第二バチカン公会議の道は破滅に通じているからです。最近、マクシミリアン・クラー氏とのインタビューの記事を読みました。彼は次のように指摘します。「今どのようなことが起こっているかを見ると、公会議の時代は終わりを告げると理解することが出来る。第二バチカン公会議派には若い人々がいないからだ。現在、若い司祭たちは古典的な聖伝のカトリックに引きつけられている。まだミサにあずかっているような若い人々は、普通は左翼ではない。聖伝の典礼と神学が元の場所に戻るのは時間の問題だ。」
【マクシミリアン・クラー氏は、1977年に東ドイツに生まれ、幼児洗礼を受けたカトリックで、両親もカトリック信徒。厳しい共産主義の監視下もとで共産主義に反対しつつあったカトリックはマイノリティー(人口の5%)、毎日ミサ聖祭に行くのは勇敢なことであった。彼が14歳の時ドイツの統一があり、新しいミサの教区のミサで共産主義にシンパ的なのを見て驚愕。その後、インターネットで聖ピオ十世会を知るようになり、2003年頃から聖伝のミサに与り始めた弁護士、既婚者で4人の子供の父親。】

 或いは、インターネットで「第二バチカン公会議五十周年、900年間の後、大聖ベルナルド修道会員はイタリアを去る Vatican II at 50: After 900 years, the Canons of Great Saint Bernard leave Italy, and wither in Switzerland 」という記事を読みました。第二バチカン公会議の実りは、修道会の消滅、召命の消滅という内容です。
【大聖ベルナルド修道会は、アルプスで巡礼者を遭難から守る修道士会で、そのセント・バーナード犬は日本でも有名。】


 それでは、私たち聖ピオ十世会は、それでは何をすべきでしょうか? ベルナール・ティシエ・ド・マルレ司教様によると、聖ピオ十世会の将来は、ルフェーブル大司教の意向の通りに行動することです。つまり「もしもローマがもう一度私たちとコンタクトを取るなら、私は自分の条件をつける」と。ティシエ・ド・マルレ司教様は、今年の7月の聖ピオ十世会総会で、ローマとの将来の関係を再開する場合の条件を激しく討論しあったと言います。これについて、ティシエ・ド・マルレ司教様のみならず、デ・ガラレタ司教様も同じことをお説教で仰っています

 両司教様たちによれば、将来の新しい教皇様(ベネディクト十六世ではない別の将来の教皇様)がもしも聖伝により好意的であるなら、かといって、必ずしも完全に「聖伝のカトリック的」ではなく、若干、近代主義に染まっているかもしれない、それにもかかわらず、聖ピオ十世会に対して善意を持っており、カトリック教会を何とかその崩壊の危機から救いたいと考えているとするなら、私たちは、私たち自身の条件をこの教皇様に提示する、と。

 どのような条件かというと、第一に、王たるキリストにかんして、カトリック司祭職に関して、本当のミサ聖祭について、真理を言う自由、真理を説教する自由、カトリックの聖伝の教義を説教する自由が認められること。

 第二に、第二バチカン公会議の誤謬を排斥する自由、典礼改革を批判する自由、特に新しいミサを批判する自由が与えられること、などなどです。

 この条件は、私たちが既にベネディクト十六世に提出してあります。教皇様は私たちの条件をよくご存じです。ベネディクト十六世の後継者は、私たちの条件をよく知ることでしょう。そして、ローマが聖伝に立ち戻ることが出来るように、私たちはプレッシャーをかけるつもりです。ローマが私たちに第二バチカン公会議をうけいれるようにとのプレッシャーをかけるのではありません。その反対です。

 私たちは、カトリックの聖伝の信仰を守ることによってカトリック教会に、そして教皇様に、最大の奉仕をするつもりです。シュミットバーガー神父様も言うとおり、「私たちは司教様たち、教皇様の役に立ちたいのです。私たちは彼らに仕えたいのです。教会を危機から救い出そうとする彼らを助けたいのです。そのすべての美、聖性において教会を新たにしたいのです。ですがもちろん、このことはいかなる妥協も、いかなる偽りの妥協もないという条件でのみ起こり得ます。これは私たちにとって非常に重要です。」

 カトリック教会の聖伝回復がますます促進することが出来るように、ローマ当局が聖伝をもう一度抱擁することができるように手伝うために、私たち聖ピオ十世会は、ますますより一層の聖化への努力をし、ミサ聖祭と一致して生きるように、努めなければなりません。何故なら、カトリック教会がカトリック司祭職の復興を通して復興されることを確信しているからです。

聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

【了】

(文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭))


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私たちはどうしてカトリック教会に聖伝を復興させる手伝いができるかという試練(2)

2012年11月28日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様

 私たち聖ピオ十世会がこの数ヶ月の間経験した試練は、私たちはどうしてカトリック教会に聖伝を復興させる手伝いができるか、という試練でしたが、では、一体何故試練が生じてしまったのでしょうか?

 デ・ガラレタ司教様は、10月にフランスでのお説教で、私たちにこう説明しています。(このお説教はしばらくして日本語でご紹介する予定です。)私たちが経験した問題の大部分は、ローマから混交のメッセージがあったという事実にある、と。つまり、どういうことかというと、教皇に大変近いローマ当局は、教理聖省からの回答が公式の回答であるがしかし無視すべきである、カトリック教会は今や崩壊しつつある、第二バチカン公会議というページをめくって、新しい章を始めたい、第二バチカン公会議は受け入れなくても良い、などということが伝えられたことです。聖座で働くさまざまな人々から、矛盾する事柄が伝えられていたことです。

 これについて、11月にフェレー司教様が詳しく説明してくれました。これは、ローマ内部で、聖座それ自体の内部で、革新派と保守派との激しい戦いがあることを垣間見せてくれます。

 私たちは以前、教皇に大変近いローマ当局から、公式のルートを通じて伝えられてくるものとは対立するメッセージが来ているという情報を受けていました。私は、以前、何故そのようなメッセージを無視しないのだろうか?と疑問に思っていました。建前だけであっても第二バチカン公会議に乗っ取られたものであっても公式のメッセージだけを聞いていれば良いのではないか?と。しかし、カトリック教会といえど人間たちから構成されている人間社会であり、ローマ内部では、革新派と保守派との熾烈な戦いが繰り広げられていることに想像がまわりませんでした。

 現実には、ローマにおいて第二バチカン公会議を死守することを決意している革新派のグループがあり、彼らは、聖伝の公認化に反対しています。しかし同時に、ローマの保守派の高位聖職者達が存在し、彼らは聖伝のミサを捧げ、カトリック教会を聖伝に戻そうと出来るだけのことをやっている方々で、カトリック教会を何とか救いたいと思っているのでした。そして非公式のメッセージは、保守派からローマの内部情報が伝えられており、そして彼らが聖ピオ十世会に力を貸してほしいと求めてきていた、ということです。

 例えば、フェレー司教様が指摘しているように、同じ教理聖省であっても、聖伝に対して、ミューラー大司教長官と、ディノイア大司教は正反対の意見をもっているのが分かります。今現在、私たちはローマ内部の矛盾に直面しており、ローマの保守派と革新派との戦いに巻き込まれてしまったということです。

 一方で、公的ルートを通じて、聖ピオ十世会は第二バチカン公会議と新しいミサを受け入れなければならない、という要求が来ていました。もちろん、私たちの答えはノー!です。

 他方で、信憑性のある非公式の保守派からの複数の情報ラインがあり、2011年8月半ばからずっとひっきりなしに、聖ピオ十世会の神学的立場に同意するということを伝えてきます。これらのバチカンの保守派高位聖職者が言うには「教皇様は、破門撤回のときと同じように、見返りに何の要求なしに【第二バチカン公会議や新しいミサを受け入れるという要求など一切無しに】聖ピオ十世会を承認するつもりだ、公式ルートからの内容は、教皇様の意向ではない、バチカンにはどんな手を使ってでも教皇の計画を潰そうという人々がいる、今後も聖ピオ十世会は、今と同じように思う存分[第二バチカン公会議への]攻撃を続けることができる、教皇は教理聖省よりも上にある、教皇様が聖ピオ十世会を守る」云々。それによれば教皇様ご自身は、第二バチカン公会議よりも、聖ピオ十世会を守りたい、というのが本心であることになります。聖ピオ十世会がカトリックであると宣言することが、第二バチカン公会議よりももっと重要であるとみなしている、ということになります。

 ローマの内部でのこの戦いは、何を意味しているのだろうか?ローマの聖伝への回心が始まり浸透しつつあるのか?少なくとも部分的にも、ますます教会自身の聖伝にたいする権利を復興させることはどうしたらできるのか?聖ピオ十世会が手にしている聖寵の宝が、もはや升の中に隠されないばかりか、さらにはキリストの神秘体である教会にも、教会が必要としている癒しの薬が与えられるためには、どうしたらよいのか?教会内において聖伝の教えがより明確に響き渡るために聖ピオ十世会には何が出来るのか?保守派と改革派とが対立しているローマ当局をして、教会がそのアイデンティティーを失うことなく喪失することの出来ない聖伝をもう一度抱擁することができるように、どのように手伝うことができるのか?聖伝が自らの地位に再び戻るために、聖ピオ十世会には何が出来るのか?これらが、聖ピオ十世会のいつもの自問自答でした。

 繰り返しになりますが、もちろん、私たち聖ピオ十世会の力だけで出来ることではありません。天主様からの超自然の助けが必要です。しかし、私たち聖ピオ十世会は、それに向けて私たちに出来る限りをしようとしているのです。これはルフェーブル大司教様の態度であり「私たちには天罰を待つしかない、天罰で全てが滅びるしかない、私たちには待つしかない」なdという態度では決してありません。


 確かに、ベネディクト十六世は、2009年に聖ピオ十世会の司教たちから何の見返りも何の要求もせずに、いわゆる「破門」を撤回しています。しかし、革新派はこれを妨害しようとしました。ウィリアムソン司教様のインタビューを破門撤回に合わせて発表させたことは、革新派が、カトリック教会の敵である世俗の権力・勢力と緊密につながりがあることを示していました。ローマ内部の保守派は、革新派が手段を選ばないということをよく知らされました。

 しかし、第二バチカン公会議と革命の成果を死守しようとする勢力は、今回も教会の敵の勢力と結託しました。フランスの司教たちは、フランス政府に働きかけてもしも聖ピオ十世会が認められるならばフランスはバチカンから外交官を召喚すると脅すことさえしました。ドイツとオーストリアとスイスのドイツ語圏の司教たちも聖ピオ十世会のボイコットの動きを見せました。保守派は、革新派の邪悪さとその勢力がそれほど大きいものだとは考えていなかったようです。

 ローマ内部の革新派からすれば、聖ピオ十世会に第二バチカン公会議に反対して「暴れて」もらっては困る、ということです。革新派は、聖ピオ十世会が何をするかよく知っていました。保守派も聖ピオ十世会には第二バチカン公会議の幕を閉じるのを手伝ってもらいたかったことでしょう、しかし、改革派の邪悪さを見くびっていたようです。


 しかし、ティシエ・ド・マルレ司教様によれば、聖母マリア様はロザリオの十字軍の報いとして、私たちがどうするべきかを示すために私たちに三つの印を与えてくれました。三つの思いもしなかった予期もしていなかった印でした。


(1)第1は、2012年6月13日、レバダ枢機卿はフェレー司教様をローマに招き「フェレー司教の提示した文章は受け入れることが出来ない」と拒否したことです。そして聖ピオ十世会が明らかに受け入れることが出来ない文章にサインをすることを要求したことです。

(2)第2に、6月30日付けの教皇の手紙が、はっきりと聖ピオ十世会に第二バチカン公会議と新しいミサを受け入れることを要求することを求めて来たことです。

(3)第3は、教理聖省長官としてミューラー大司教が長官として任命されたことです。ミューラー大司教は以前レーゲンスブルクの大司教でしたが、聖ピオ十世会の神学校について「廃校にしてやる、教授らは追い出してやる」と言っていた司教でした。


 この三つの印は、ローマの保守派はまだ力が足りない、ベネディクト十六世は聖ピオ十世会を守りきれない、時は今ではない、ということを示してくれる聖母の汚れなき御心からの導きの印でした。(続く・文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭))


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私たちはどうしてカトリック教会に聖伝を復興させる手伝いができるかという試練

2012年11月27日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 西暦303年2月23日、ローマ皇帝ディオクレチアヌスは帝国内のキリスト者に反対する勅令を発しました。ローマ神話の神々にいけにえを捧げないキリスト者らは、投獄、拷問を命じられました。この勅令は厳しく施行されました。それでも緩やかだったのはブリタニア(今の英国)とガリア(今のフランス)地域だけでした。303年の秋はディオクレチアヌス皇帝の在位20年が始まり、これほど長い統治をしたローマ皇帝は、150年前のアントニオウス・ピウス皇帝以後ありませんでした。

 304年、東方のローマ帝国の統治をしていたガレリウスはキリスト者迫害の最終の勅令を発します。キリスト者は全て、年齢、性別、地位にかかわらずローマ神話の神々にいけにえを捧げなければならない、さもなければ死刑。と言っても、これは当時普通に行われていたことを再確認しただけの勅令でした。

 歴史家によれば、私たちの主イエズス・キリストのカルワリオでの受難の次に、キリスト教全史を通してこの時代ほど恐ろしい迫害はありませんでした。拷問の残酷さ、殉教の血の海、広範囲にわたる迫害は想像を絶するものでした。老若男女が犠牲者となりました。ローマの聖アグネス、12才。メリダ(スペイン)のエウラリア、12才。コンプルトゥム(スペイン)のユストゥスとパストル、13才と9才。トゥンバルボ(アフリカ)のマクシマとセクンダ、14才と12才。

 ディオクレチアヌスとガレリウスとは311年に死にます。ガレリウスは死の6日前の311年4月30日、キリスト教の天主の「復讐」を恐れ、迫害停止の勅令を発します。キリスト教は存在する権利を持たないが、しかし帝国内での存在を黙認されることになります。十字架の受難以後、キリスト者が持つことの出来た最善の地位でした。

 想像を絶する最大最悪の迫害から9年後、313年2月、皇帝コンスタンティヌス一世はリキニウスとミラノで会い、キリスト教の完全な黙認(toleratio)の約束を取り付けます。この政策は後に勅令として発せられ、ミラノ勅令(Edictum Mediolanensium)と言われています。こうして、ローマ帝国内でキリスト教の自由が権利として認められることになりました。以前の厳しい迫害を生き延びたキリスト者たちは、これをどれほど天主に感謝して受けたことでしょうか!

 現代の私たちの目から見れば、実はミラノ勅令は「理想的」なものではありませんでした。何故なら、真の天主イエズス・キリストはローマの偽りの神々と同じレベルに置かれたに過ぎなかったからです。しかしその当時のキリスト者たちはどれほど喜んでこれを感謝したことでしょうか!血の海が終わったのですから! 

 これについて日本の私たちにはよくその気持ちが理解できます。それは今から129年前の、明治6年(1873年)3月14日、日本政府はキリシタン放還令を発したときとおなじです。これは流刑のキリシタンたちを解放してよいという命令でした。キリシタン発見(1865年3月17日)から8年後、それと同じ日付の1873年3月17日、寛永15年から明治6年まで235年の間、無数の義人の血をすすっていた高札は、忽然とその姿を消したのです。この高札が無くなった日からすぐに迫害が止んだわけではありませんでした。悪意と嫌悪と偏見と恐怖が蓄積されていました。迫害は止まず、中傷と誹謗が続きました。キリシタンたちは、差別され続けてきました。しかし、キリスト教信仰は黙認を受けたのです。もちろん、真の天主が他の神々と同じレベルに置かれただけです。本当はそれでは足りません。しかし、それへの大きな第一歩でした。

 話をローマに戻すと、その後、ローマ帝国のキリスト者たちの聖なる努力によって、また天国にいる無数の殉教者達の取り次ぎの祈りによって、380年と392年には、皇帝テオドシウスは、キリスト教を国教とする勅令を出すに至っています。

 このキリスト教国教化は、自然に、努力無しに、自動的に成立したものではありません。キリスト者たちの絶え間ない、祈りと、働きかけがあったこそ与えられたものでした。何故なら、実際、360年にローマ皇帝となった背教者ユリアヌスは、ミラノ勅令を逆用して、衰退しつつあったローマ神話の神々の崇敬の権利を主張し、キリスト教が持ちつつあった特権を廃止しようと務めたこともあるからです。おそらくローマ朝廷内では、カトリックの高官と異教徒の高官とがいて、異教徒達がカトリックに改宗していった、ますますカトリックの高官の数が増していったという事実があり、そのためにカトリック教会の祈りと努力が陰にあったことでしょう。

 人間の歴史には段階があり、それが現実です。もちろん天主は全能のお方ですから、303年のディオクレチアヌスの大迫害の翌年に、ディオクレチアヌスの大回心を起こさせ、突然キリスト教を国教とするように奇蹟を起こすことが出来たかもしれません。その当時、カトリック信徒たちはそのような奇蹟を祈り求めていたかもしれません。しかし、そのような奇蹟は天主が普通に起こすことではありません。それでも、全能の天主の御憐れみとその超自然的な介入によって、大迫害の約70年の後にキリスト教が大迫害の対象であったのが国教となるに至るのは大きな奇蹟でありお恵みであるように思えます。


 ところでトリエント・ミサと呼ばれる聖伝のミサは、1969年に新しいミサが許されると、長い間迫害され、不当に禁止されてきました。聖ピオ五世の勅令クォー・プリームムは無視され続けてきました。

 ところが2007年7月7日、ベネディクト十六世は、本当は聖伝のミサが「決して廃止されたことがない」という事実を自発教令スンモールム・ポンティフィクムで告白しました。いつも私たちが言っているとおり、この教令は、私たちの目から見ると不完全なものです。何故ならこれによれば、聖伝のミサと新しいミサとが同じレベルに置かれているからです。しかし、歴史的に見ると、聖伝のミサに対する迫害に終止符を打たせようとする点で意義があります。言ってみれば聖伝のミサに関する「ミラノ勅令」です。

 これから聖伝のミサは、将来テオドシウスのような教皇によって、カトリック教会内で唯一の義務のミサ聖祭になるのでしょうか?それとも、背教者ユリアヌスのような教皇が出てしまい、聖伝のミサも新しいミサも同じレベルに置かれつづけるのでしょうか? 今後の聖伝のミサと聖伝のカトリック信仰の発展は、天主の恵みと共に、私たちの祈りと努力にかかっています。私たちの絶え間ない、祈りと、働きかけによって、聖伝のミサの勝利が与えられると信じています。何故なら、人間の歴史には段階があり、それが現実だからです。私たちは、全てが天主に依存しているかのように祈り、同時に全てが私たちの努力と智恵に依存しているかのように行動しなければなりません。

 もちろん、私たち聖ピオ十世会の力だけで出来るはずがありません。天主の御憐れみと御助けが必要です。聖母の汚れなき御心の取り次ぎの祈りが必要です。超自然の助けが必要です。しかし、私たちは、それに向けて私たちに出来る限りをする義務があります。

 聖ピオ十世会の立場は、正にそれです。私たちは第二バチカン公会議の誤謬というあまりにも巨大な悪と闘って、カトリック教会が聖伝に立ち戻るようにしていこうと考えています。何故なら、ルフェーブル大司教様も、それをし続けてきたからです。ルフェーブル大司教様はそれに可能な限り努力したからです。驚くべきことに、ルフェーブル大司教様は、アシジの集会をしたローマと交渉して、一人の司教を聖別して良いというローマの同意を得ることさえもしました。
ルフェーブル大司教様は「もう手遅れだ、私たちには天罰を待つしかない、天罰で現代文明が滅びることだけが解決策だ」とは言いませんでした。

 ローマと交渉し、ローマの権威を認めつつも、しかし、生き残り手段として、1988年にカトリックの司教を聖別したのも、その可能な限りの努力の表れでした。
 ルフェーブル大司教は、教皇に対して「おまえは教皇を辞めろ、教皇職を辞任せよ」とも「私が言うとおりに教会を運営せよ」とも言いませんでした。何故なら、ルフェーブル大司教も聖ピオ十世会も、自分たちがカトリック教会の一部であって、教皇でもなければ、教会当局でもないことを認めていたからです。

 ルフェーブル大司教様は、「単なる一カトリック司教」として、カトリック教会の中に聖伝が戻ってくるように働きかけていたのです。もちろん、私たちの力だけではローマを聖伝に戻すことは出来ません。天主の御摂理の特別の介入によってのみ、天主のお定めの時に、天主のお望みの方法(多分に聖母の汚れなき御心を通して)で、カトリック教会に寄生している「公会議の教会」は終わりを迎えることでしょう。もちろん、私たちは、全能の天主の御憐れみとその介入を信じています。しかし、私たちは何もすることがない、とするのはルフェーブル大司教様の考えではありませんでした。何故なら、繰り返しになりますが、人間の歴史には段階があり、それが現実だからです。ルフェーブル大司教様と共に、私たちの絶え間ない、祈りと、働きかけによって、聖伝のミサの勝利が与えられると信じています。

 シュミットバーガー神父様も言うとおり「聖ピオ十世会は決して己のために働いたことはありません。聖ピオ十世会自身を目的そのものだと見なしたことはありません。それどころか、聖ピオ十世会は教会と教皇たちに仕えることを常に切望しているのです。これはルフェーブル大司教様が常に述べていたことです。私たちは司教様たち、教皇様の役に立ちたいのです。私たちは彼らに仕えたいのです。教会を危機から救い出そうとする彼らを助けたいのです。そのすべての美、聖性において教会を新たにしたいのです。ですがもちろん、このことはいかなる妥協も、いかなる偽りの妥協もないという条件でのみ起こり得ます。これは私たちにとって非常に重要です。私たちは実際、公に教会内にこの宝を復興させ、この宝の権利を取り戻させようと──これは私たちの望んだすべてです──確かに試みました。そして、私たちはある程度の範囲までやり遂げたと言えるでしょう。」

 そのことは、フルーガー神父もインタビューで次のように述べています。
「私たちは社会でもっと行動的になり、市民社会でより大きな影響を持ち、慎重さ、謙遜、愛徳でキリスト教社会を再建しなければなりません。」

 私たち聖ピオ十世会がこの数ヶ月の間経験した試練は、正に、私たちはどうしてカトリック教会に聖伝を復興させる手伝いができるか、という試練でした。(続く)


天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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天主様に感謝します

2012年11月11日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

一昨日の金曜日の大阪でのミサ聖祭には、16名の方々が、昨日の土曜日のミサには23名の方々がミサ聖祭に与りました。天主様に感謝します!!

今日、主日の東京でのミサには27名の方々がミサ聖祭に与りました。

残念ながら私の体調が思わしくなく、予定されていた午後の公教要理や、晩課はキャンセルさせて頂きました。m(_ _)m

東京で親しむ会に参加された方々にもご無礼してしまいました。m(_ _)m

明日の朝のミサも、東京ではキャンセルしたいと思います。ご了承お願いいたします。明日のミサは、静岡の実家で捧げる予定です。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かありますように!!


トマス小野田神父(聖ピオ十世会司祭)

聖母マリアよ、祈り給え

2012年10月14日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア

愛する兄弟姉妹の皆様、

ローズ・フーさんは、先ほど天主様に霊魂を返したとのことです。永遠の安らぎを彼女の霊魂に与えたまえ。


今日は、大阪でミサ聖祭がありました。天主様に感謝します。32名の方々がミサ聖祭に与りました。


午後は、簡単な公教要理の後、一時間ほどファチマの聖母マリア様を讃えて聖歌を歌いました。感謝します。今回、東京から二名の方々がミサ聖祭に与りに来られました。


霊的花束も頂きました。かたじけなく思います。深い感謝とともに頂きました。

天主様の祝福が愛する兄弟姉妹の皆様の上にありますように!!

トマス小野田神父(聖ピオ十世会司祭)

10月のミサ聖祭、追加のお知らせ

2012年09月25日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

如何お過ごしでしょうか?

 まだ先の10月の話ですが、先日、クチュール神父様から私に、管区長命令で、10月に休暇を取って休め、との命令がありました。(本当はクチュール神父様こそ休養が必要だと思いますが。)

 そこで、10月はしばらく日本で休養します。そのために、日本でのミサ聖祭を一回追加します。

 通常のミサ聖祭に加えて、10月14日の主日には大阪でミサ聖祭を捧げようと思います。
 その他の通常のミサ聖祭は予定通りです。
よろしくお願いいたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)@ソウルには、携帯電話を使って


追伸: 最近、静岡にいる父は、家にコウモリが来るようになったことを教えてくれました。
 近頃、富士山の近くにいたコウモリに異常があるとどこかで読みましたが、それと関係があるのでしょうか??

ローズ・フーさんのために

2012年09月24日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

「楽は苦にあり」の著者であるローズ・フーさんの御健康が思わしくないとのことです。後、数日間の命かもしれないとのことです。愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りをお願いいたします。感謝します。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!



トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

天主に感謝

2012年07月16日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今朝の東京でのミサ聖祭は、17名が参加しました。天主に感謝します。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!



トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

近況報告

2012年07月03日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

如何お過ごしでしょうか?

私は、昨日の午前中にマニラの修道院を発ち、所用でイロイロの修道院に来ています。昨日は、韓国から来ている青年がイロイロの修道院で、聖公会からカトリックに改宗しました。ピオという霊名で条件付きの洗礼を受けました。彼の堅忍のためにお祈りをお願いいたします。

 今回は、イロイロの修道院長のダニエルス神父様と色々お話ができました。

 私は、明日の午後の飛行機でイロイロからマニラに戻ります。


聖ピオ十世会のため、総会のために、愛する兄弟姉妹の皆様の熱心なお祈りをお願いいたします。

聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!

聖ピオ十世、我らのために祈り給え!



トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

ルフェーブル大司教様とのインタビュー (フィデリテール誌1989年7-8月号) その1

2012年06月23日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教様のインタビューを日本語に訳して下さった方があります。これは以前に頂いていたのですが、愛する兄弟姉妹の皆様にすぐにご紹介することが出来ませんでした。遅ればせながら一部を修正してご参考にご紹介いたします。日本語に訳して下さった方に心から感謝いたします。

 その他にも、まだまだご紹介するばかりの日本語に訳された記事があるのですが、私の時間がとれずにご紹介できていないものも多々あります。出来るだけ早くご紹介するつもりであります。愛する兄弟姉妹の皆様のご理解をひたすらにお願い申し上げます。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)@ソウルにて


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ルフェーブル大司教様とのインタビュー

<>和訳者補足

このインタビューは、司祭会がフランスで発行する雑誌フィデリテール の1989年7-8月号に掲載された。これは例により明快で意味深い、正式の教会が置かれた状態と、司祭会とこの教会の関係を分析したものである。

1:何故司教聖別を?

質問:おそらく、司教たちの聖別をしようという重大な決断を貴方が下された理由と目的を思い出す事は適切だと思います。ちょうどあの時、貴方はこの聖別がローマ側に猛反発を引き起こすだろうと自覚されましたね。貴方は司祭職と秘蹟の継承が継続する事を御望みになったからこそ、「破門され、離教者としてさっさと片付けられる」という危険を冒す事を引き受けたのです。

ルフェーブル大司教様:ええ、確かに、それは用意されるべき決断でした。この決断はある日突然下されたわけではないのです。既に数年に亘り、歳もとっている事から、私は自分の後継者を確保する必要がある事をローマに理解してもらおうと努力していました。何時かは誰かが私を引き継いでくれると保証する必要が私にはあったのです。司教なくして、誰も神学校や神学生たちを持つ事など出来ませんから。人々もまた、信仰と秘蹟、それも特に堅振の秘蹟を伝承してくれる司教を必要としているのです。ローマの当局者たちはこの現実を非常に良く分かっています。私は数回それ<司教聖別>を仄めかしてから、最終的に私は、それを公然と行ったのです。ローマでは、誰一人として私が彼らの不意をついた‐つまり彼らは不意に嵌められたとか、あるいは私が隠れて行動したなどと言う事は出来ません。彼らは数年前から何通もの手紙や、手元に彼らが持っている私の説教の録音、それからデ・カストロ・マイヤー司教様と私自身が教皇聖下に宛てた手紙を通じてはっきり警告されたのですから。

 この警告は、私たちに対する彼らの態度にある種の変化をもたらしたと私は思います。彼らは司教聖別を恐れてはいたのですが、私が実際それを行うとは信じていなかったのです。それから1987年6月29日に、私が司教聖別候補者たちについて公にお話した時でさえ、ラッツィンガー枢機卿は少し狼狽しただけでした。ローマでは、私が司教聖別に取り掛かりはしないか当局者たちは恐れていましたので、彼らは私たちが常に要求してきた事‐つまり御ミサ、秘蹟、そしてヨハネ二十三世の1962年版典礼様式に則った司教儀式‐に対して、少しではありますがより寛大になろうという決定を下したのです。あの時、彼らには第二バチカン公会議に賛成するよう私たちに要求する気は一切なかったようです。彼らはそれについて何一つ触れませんでしたし、彼らは私たちが私の後継者となる司教一名を持つ可能性にそれとなく言及さえしたくらいです。

 ところで、それは確かに彼らが見せた幾分意味深く根本的な変化でした。だからこそ、私のやるべき事を知るという問題が生じたのです。総長様やその補佐たちと会って、貴方がたはどうお考えなのか?また差し伸べられている手を私たちは受け入れるべきか?それともそれを拒絶するか?と尋ねる為、私はリッケンバッハ(Rickenbach)まで行きました。

 私は言いました「私自身、個人的には、彼らを全く信用していません。何年も何年も私はこの種の人たちと付き合って来ましたし、数年間私は彼らの行動様式も見て来ました。私にはこれ以上彼らに対する信頼がありません。」それでも、司祭会と聖伝界内部の人々が、"貴方には関係修復を試みてみることが出来ましたね、討論と対話に入る事によって貴方は何一つ失わなかったじゃないですか" と後になって言い得る事を私は望みません。これは総長様とその補佐たちの意見でした。彼らは言いました「貴方は差し出されている提案を考慮すべきです。それを無視すべきではありません。彼らと話し合う事は依然として無駄ではないのですから。」

 そこで、私はラッツィンガー枢機卿と会う事に承諾し、ラッツィンガー枢機卿に、誰かが(こちらの方に)来て、司祭会を訪問すべきだと要求しました。この様な訪問は、聖伝の維持という利益に帰着するかも知れないと私は考えたのです。それと同時に聖伝の影響が認められることがはっきりと分かると思ったのです。それは、私たちの立場をローマにあって力づけてくれ、聖伝を守る事を旨とした数人の司教とローマ委員会<の設立>とを獲得する為に自分の行う依頼には、さらなる成功のチャンスがあるだろうと私は考えました。

 しかしながら、時を待つまでもなく私たちは正直でない方々と取引している事に気付いてしまったのです。この訪問の直後にガニョン(Gagnon)枢機卿とモンセニョール・ぺルル(Msgr. Perl)がローマに戻ると直ぐに、私たちは彼らの物笑いの種となってしまいました。ガニョン枢機卿は新聞紙面で信じられない発表をしてくれたのです。彼曰く、もし私が司教聖別の話しを進めるなら、私たちの内の80%は司祭会を去って行くだろうというものでした。私たちは認可を模索している最中だったのです。そしてローマは、私たちとの和解と、その為に私たちが自分たちの過ちを認める事を模索していました。司祭会の諸々の施設を訪問した方々は、結局自分たちは会の外見しか見なかったという事‐つまり天主のみ人の心の内にあるものが見えるのであるから、この訪問は、単なる訪問であって、それ以上の価値がないという事を口にしました . . . 要するに、彼らはこの訪問それ自体の間に、自分たちが行い、口にした事とは全く異なる事を語っていたのです。それは想像を絶するように思えました。彼らはバチカンに戻り、ローマの有害な影響下に入っただけで、またローマのメンタリティーを取り入れ、再び私たちに食ってかかったり私たちを蔑んだりしたのです。

 それでも、私は会話をする為にローマへ行きはしましたが、会話の成功に対する自信など一切ありませんでした。私は1月の初めにオラニエ(Aulagnier)神父様に宛てて手紙を書きました。私は6月30日に司教たちを聖別しているだろうと確信しています。私には実際彼らに対する信頼が全くないので、それは司教聖別の年となるでしょうと。

 それでも、私たちがどんな良い意志を持っているかを証明する為に、出来るだけ耐えようと私は望みました。私たちが聞きたくもない公会議の問題を彼らが再び持ち出して来たのはその時なのです。合意の為の定式は、まさに私たちにとって承諾可能な限界のものが見つけられました。次に彼らはミサ<トリエントミサ/聖ピオ五世のミサ>と典礼書を与えてはくれたのですが、ローマ委員会と司教聖別に関しては私たちの要求を受け入れたくなかったのです。ローマ委員会に於いて私たちが獲得出来たのは、七名の構成メンバーのうちの二名‐しかも議長席、副議長席はもらえません‐だけで、私の要求していた司教三名については、たった一名しか獲得出来ませんでした。既にこれはほぼ容認出来ない事でした。また<議定書の>署名の前でさえ、私が何時この司教を頂けるのかと尋ねた時、それに対する答えは回避的か、意味を成さないものでした。彼らはいつかを言うことが出来なかったのです。11月は如何ですか?‐彼らには言うことが出来ませんでした。それでは降誕祭は如何でしょう?‐彼らは言うことが出来ませんでした。. . . ですから日付を聞き出す事は不可能でした。

 合意を容易にするあの<5月5日の>議定書に署名した後で、ようやく私は腰を据えて考えました。不信と沈黙の蓄積は、5月5日に私がローマへ預けてきた三人分の関係書類<司教聖別候補者三名分のプロフィール>の中から、6月30日に向けた司教一名の任命を求めるよう私を駆り立てたのです。つまり司教一名を任命してもらうか、私が自分の望むものを司教聖別するかの何れかでした。この様な選択の機会に直面して、ラッツィンガー枢機卿様は言われました「そういう事であれば議定書は終わりです。それは終わりとなって、これ以上議定書はありませんよ。貴方は関係を壊しているのですから。」そう言ったのは彼であって、この私ではありません。

 5月20日に、私は教皇様に手紙を書いて、自分は議定書に署名をしましたが、司教たちを頂きたい事、しかも6月30日に司教たちを是非頂きたいと彼に伝えました。

 しかし実際には、合意に至る道などありませんでした。私はラッツィンガー枢機卿様にあの選択肢を突きつけ、そして彼の方は8月15日に司教一名を私たちに与えるという趣旨の事を言っていた一方で、その彼はバチカン<教皇ヨハネ・パウロ二世>によって敷かれた要求を満たす司教一名を聖座が選ぶ為に、さらに多くの聖別候補者に関する書類を私に要求していたのです。ところで、それはいったい何処にわたしたちを導く事になっていたのでしょうか?

 相互理解に至る事は不可能だと理解しましたので、6月2日に再び私は教皇聖下に宛てて手紙を書きました。これらの会話と接触を継続するのは無益です。また私たちは同じ目的を持っていません。聖下は和解を利用して私たちを公会議に向けさせたいと思っておられますが、私たちが望むのは、ありのままの私たちが認められる事です。私たちは、聖伝を今行なっているようにこれからも継続する事を切望しますと。

 それ<和解交渉>は終わりました。隠れて行動したくなかった事で、私が6月15日に記者会見をすると決定した時、和解交渉は終わってしまいました。聖伝主義者の司教なくしては、永続性のある聖伝など決してあり得ないのです。それを頂く事は絶対に不可欠なのです。だからこそ、聖ペトロ会やル・バルー(Le Barroux)はお伽の国にあるのです。彼らが聖伝主義者の司教たちを持たないからです。

2:聖ペトロ会に与えられる司教?

質問:聖ペトロ会に司教一名が与えられるかも知れないという噂が徘徊しておりますが。

ルフェーブル大司教様:どの司教様でしょうか?‐第二バチカンの要求を満たす司教様ですか?その場合、彼らは、ゆっくりゆっくりと、自分たちを公会議へと向けさせる司教様を持つ事になるでしょう‐それは分かりきった事です。生粋の聖伝主義者であり、公会議の誤謬や公会議による刷新に反対する司教様を彼らが持つ事は決してありません。ですから、実際のところ、聖ペトロ会は私たちの署名したのと同じ議定書には署名しなかったのです。それは彼らが司教を持たないからなのです。私がラッツィンガー枢機卿様と署名した議定書は、私たちが司教を持つ事が出来ると規定しました。それにより、あるやり方で、ローマは司教一名の任命を承認してくれたのです。人々は、貴方は教皇聖下に背いていますよと私たちに言って来ます。部分的に背いているのですが、根本的にはそうではありません。ラッツィンガー枢機卿様は、司祭会のメンバー一名を司教として持つ事に対して書面による認可を私たちに与えてくれました。私が四司教を聖別したのは本当です。しかし一名又は二名の司教を持つという基本方針そのものは、教皇聖下から与えられました。その反対に、私たちと縁を切った人々<聖ペトロ会等>は、どんな司教も、あるいはローマ委員会に於けるどんな代表も獲得しなかったので、自分自身を引き渡し、身動きが取れなくなって進歩主義者の手中へと陥ったのです。この様な状況下に於いて、彼らには決して聖伝を維持する事が出来ないでしょう。欲しいものは何でも頂いていると彼らは言っているのですが、完全に思い違いをしているところなのです。

 これら聖伝主義者の<四>司教たちを持つ事は私の義務であるし、信徒や神学生たちにとっては必然だったと思っています。

 繰り返しますが、もしこの信仰と聖伝への忠誠がこれらの司教たちにないとしたら、共同体というものが信仰と聖伝に忠実に留まる事が出来るとは思いません。それは不可能です。貴方が何と言おうと、公教会は先ず最初に、そして真っ先に司教たちから成り立ちます。例え司祭たちが貴方の考え方を持っていたとしても、この司祭たちは司教方から影響を受けるのです。そうやって貴方がそれを眺めようと、司教方が司祭たちを作り上げるのであって、まただからこそ神学校に於いて、あるいは説教か、黙想会に於いて、でなければかなり多くの方法を使って司祭たちを指導するのです。進歩主義者の司教たちと一緒では聖伝を維持する事など出来ないのです。

 私たちが前進する上で他に方法はありませんから、カトリックの聖伝を守り、信仰を保つ司教たちを持つ事が私たちに今保証されているのをとても嬉しく思います。何故なら、危険に晒されているのは信仰だからです。それは小さな問題ではありません。少しの細事に関する問題ではないのです。

3:「ルフェーブルは教会内に留まるべきである。」

質問:ある人々は言います:「そうですね、ただルフェーブル大司教様はローマとの合意に受け入れるべきでしたね。というのも、いったん聖ピオ十世会が認められ、聖職停止が解除されるなら、彼は公教会の内側でもっと効果的に活動する事が出来たからです。しかし彼は今教会の外側にいます。」

ルフェーブル大司教様:こういう事は、言うのは簡単です。公教会の内側に留まる為、あるいは公教会の内側に身を置く為にそう言うのは簡単なのです‐それはどういう意味でしょうか?第一に、どの教会について私たちは話しているのでしょうか?もし貴方が「公会議の教会」について話しているとすれば、二十年もの間カトリック教会を望むと言う理由から公会議と戦って来た私たちは、恐らく、この「公会議の教会」に、それをカトリックにする為に戻らなければならない事になります。それは全くの幻覚です。長上たちを作り上げるのは配下の者ではなく、長上たちが配下の者を作り上げるのですから。

 全ローマ聖省の間で、そして進歩主義者である全世界の司教方の間で、私は完全に圧倒されている事になるでしょう。何も出来ずにいるでしょう。私には信徒も神学生も守る事が出来なかったかも知れないのです。ローマは私にこう言ったでしょう「大丈夫、私たちは叙階式執行の為に、これこれの司教様を貴方に差し上げるつもりです。ただ貴方の神学生たちは、これこれ教区からやって来る教授たちを受け入れなければなりません。」考えられません。聖ペトロ会に於いて、彼らはアウスブルグ教区から来る教授たちを迎えています。これらの教授たちは誰なのでしょうか?彼らは何を教えるのでしょう?

4:離教の危険?

質問:最後になって、善き天主が貴方を御自分のもとにお呼びになる時、この分裂は徐々に広がって行き、一部の方々が“可視的教会<公会議型のカトリック教会>”と呼んでいるものと並ぶ並行教会<対立/離教教会>に直面するかも知れないという心配をお持ちにはなりませんか?

ルフェーブル大司教様: ドン・ジェラール(Dom Gerard)師<聖ベネディクト修道会に属する、ル・バルーの聖マリー・マドレーヌ大修道院長>やマディラン(Madiran)氏の主張する“可視的教会”についての話は馬鹿げています。

 私たちが代表し、継続しようと試みているカトリック教会と対立するものとしてこの「公会議の教会」を“可視的教会”として話しが出来るのには驚きです。私たちこそがカトリック教会だと私は言っているのではありません。私は決してそんな風には言いませんでした。これまで自分を教皇の上に置こうと望んだと私の事を非難する事は誰にも出来ません。しかし私たちは真にかつてのカトリック教会を代表しています。何故なら私たちは公教会が常に行なった事を継続しているからなのです。可視的教会の特徴、即ち、唯一、聖、公、そして使徒継承の特徴を持っているのは私たちです。この特徴は、可視的教会を特徴づけるものなのです。

マディラン氏は抗議しました:「ですが、公式な教会はさらに不可謬性も持っています。」しかしながら、不可謬性の問題については、デュラック(Dulac)神父様が教皇パウロ六世について、暗示的な一節において言ったように、私たちは言わなければなりません:「何年も前に、公教会に数人の教皇たちがいた頃、人々は彼らの内から誰か一人を選ぶ事が出来ました。しかし今や、私たちは一人の中に二人の教皇を持っています。」私たちには選択の余地がないのです。これら最近の教皇たちの各々が、まさに一人の中の二人の教皇なのです。彼らが聖伝‐つまり<公会議前の>教皇たちの聖伝、そして不可謬な聖伝‐を代表する限りに於いて、私たちはこの教皇に一致します。彼がペトロの後継者を継続している限りに於いて、また彼にされた<聖霊の守りによる>不可謬性の約束がゆえに、私たちは彼に結びついているからです。彼の不可謬性にしがみ付くのは私たちなのです。しかし、例え限定された事項<信仰と道徳>に関しては、彼が教皇であるという意味において、彼がこの不可謬性を持っているとしても、彼は自分の意向と考えによりそれ<不可謬性>に対立しています。それは、彼がもはや不可謬性により行動する事を望まないからそうなるのです。彼はそれを信じていないので、不可謬性のスタンプを押された行為をする事が一切なくなります。

そういう訳で、彼らは第二バチカンが教義的公会議ではなく、司牧的公会議である事を望んだのです。彼らは不可謬性を信じないからです。彼らは決定的な真理を望みません。<彼らにとって>真理は生きているべきであり、また進化すべきものなのです。ゆくゆく、それは時と共に、また歴史と共に、知識などと一緒に変わってしまうかも知れないのですが . . . . その一方で、不可謬性は<真理の>表現形式を一度で定める事から、それは不変の真理を作り上げる‐つまり不変の真理にスタンプを押す‐のです。この事を彼らは信じる事が出来ませんし、またそれだからこそ私たちは不可謬性の支持者となるし、公会議型の教会はそうならないのです。「公会議の教会」は不可謬性に反対しています‐それは確実で間違いありません。

ラッツィンガー枢機卿は不可謬性に反対しています。教皇様は御自身が受けられた哲学的養成ゆえに不可謬性に反対しているのです。私の言う事を正確に理解して下さい!
‐私たちは教皇様が変わることのない使徒座、つまりペトロの座の全価値を代表する限りに於いては、彼に反対しません。が、教皇様が御自身の不可謬性を信じないで、エキュメニズムを実施する近代主義者である限りに於いて、私たちは彼に反対します。言うまでもなく、彼らが如何に否定しようと、潜在的に(virtually)離教的である「公会議の教会」に私たちは反対します。実際問題として、この教会はそれが近代主義であるという理由から、潜在的に(virtually)破門されている教会です。私たちはしばらくの間破門される者となりますが、何故ならカトリックのままでいたいと望むからです。カトリック教皇及びカトリック教会と共に留まりたいと思いうからです‐そこが<ドン・ジェラール師とマディラン氏が指摘する事との>違いです。

それを別とすれば現状について正しい理解をお持ちのマディラン氏が、私たちは“可視的教会”ではないという事‐つまり私たちは不可謬なる“可視的教会”から去っている‐と言っている事についてですが、この発言の全ては、単に現実と合致しない言葉にしか過ぎません。

5:司教たちの必要性?

質問:大司教様、カトリック司祭職に向けて養成されている神学生たちには自分たちを叙階するカトリック司教たちが必要だ、という結論に至ることなく、司教聖別に賛成も反対もせず、またこの司教聖別に関して如何なる立場も取らず、さらに貴方がエコンを創立する際に模範を示して下さった様な司祭養成を奨励する事は可能でしょうか?

ルフェーブル大司教様:その様に考える人々は、ド・ミルヴィル(de Milleville)司教様に似た司教方を持つ事になるでしょう。彼らは叙階式を行う為に私服でフォンゴンボー(Fontgombault:ソレム系聖ベネディクト修道会支院)まで来ました。彼が説教をしたとしたら、私はただ彼がこれらの神学生たちに何と言ったか、そしてどんな模範を彼らに与えかを知りたいですね。それはもはやカトリック教会ではありません。それは不快な結果を全て備えた「公会議の教会」なのです。彼らは公教会の破壊に貢献しているのです。デュラック神父様が言われた様に、一人に於いて二人の教皇であり始めたのはヨハネ二十三世でした。彼こそがこの世に対して公教会の開放を始めた方です。その瞬間から、私たちは曖昧さと二面性という、自由主義者固有の行動様式に立ち入ってしまいました。

 ですから、私たちはこれらの司教聖別について、少しも躊躇したり、あるいは疑念を抱いたりすべきではないと思います。私たちは離教徒でも破門されたものでもなく、教皇様に反対しているのではありません。私たちはカトリック教会に反対などしていません。また私たちは並行教会を作っているのでもありません。これらの指摘はどれも馬鹿げています。私たちは常にそうであったように‐つまりカトリック教徒(Catholics carrying on)であり続けているのです。それだけです。余計な複雑化を探す必要性はありません。私たちは、ポペール氏(Paupert)がその著書 Torn-Away Christians<引き裂かれたキリスト教徒たち>で書いた様な、“小さな教会”を作っているのではありません。この本の終わりに彼が書いている事は貴方を身震いさせます。「もう自分が誰なのか私には分からない!」と。

ポペール氏は神学生‐恐らくは司祭‐でした。しかし彼は信仰を失ってしまい、その後それを多少取り戻して、聖伝主義者の思考に心が傾いているのですが、公会議の教会を去る事を怖がっています。そういう理由から、彼は自分がカトリック教徒なのかそうでないのか、また自分は信仰を実践しているのかいないのか分からなくなっているのです。「近頃教会にいても、私は自宅にいない様な気がする。だから私は聖体拝領に行かないのだ。」

彼は知的な方ですが、自分が出口のない袋小路にいる事に気がついています。それはぎょっとさせます。またこれは、聖伝への一歩を断固拒絶するカトリック教徒の全てが抱えている問題です。彼らは司教座を占拠している人々、即ち司教たちと一緒に留まりたいと考えるのですが、自分たちが若かった頃に実践したカトリック信仰と、これ以上一切の関係を持ちたくないのです。そしてこれを再び身に付けようという意志を持っていないのです。無数のカトリック教徒たちがこの状況に置かれていると考える時、それは実に恐れおののくべき事です。ですから、彼らの多くはもはや日曜日に教会へ行かない傍らで、他の人々はセクトに入会するか、全く何も実践しないので、信仰を失っている最中です。

6:大司教様は来た道を引き返せないのか?

 質問:最近出版されたEcone, How To Resolve The Tragedy <エコン、この悲劇をどう解決するのか>という本の中で、ド・マルジュリィュ(de Margerie)神父様は、貴方がこれまで常に拒絶してきたものを受け入れる事により、ローマと和解するよう貴方に助言しておられます。それについてどうお考えですか?

 ルフェーブル大司教様:個人的に私はド・マルジュリ神父様と面識がありません。彼は矛盾に満ちています。信教の自由を擁護してから、それが聖伝と一致しており、何ら<聖伝との>断絶は存在しないと言明するようになる時、彼が大いに恥ずかしい思いをするのは目に見えています。それは擁護する事の出来ない立場です。何故なら、「公会議の教会」の指導者たち、例えばラテラノ大学学長、あるいはローマに於ける重要人物である(潜在的に、教皇たちの社会回勅の全てを書いた人物である)パヴァン司教様(Msgr. Pavan‐現在枢機卿)同様に、「公会議の教会」の最も傑出した人々は、昨年の五月のヴェニスの会議で、信教の自由について公に「そうです、何かが変わりました」と言われたのです。ラッツィンガー枢機卿やこの問題に関して数多くの著書を書かれた神学者たちのような他の方々は、信教の自由なる学説が聖伝と一続きである事を立証しようと努力しています。以前であれば、自由というものは、真理との基本的関係の中で常に主張されました。現在、自由は人間の良心と関係があるとされるのです<つまり真理と関係は無視された>。これは真理の選択を人の良心に委ねる事を意味します<良心が真理だと認めれば、それがその人の真理となる>。またそれは公教会の死となるのです。<第二バチカン公会議が神聖なものとした>人権が公教会から承認される時、それは革命の毒を持ち込む事を意味します。少なくとも、ラテラン大学の学長とパヴァン司教様とはこの事実を認めているのです。他の方々は、私たちを黙らせようと奮闘しつつ言いたい事を言うでしょう。しかしそこには「市民社会である国家は、根本的にどれが真の宗教であるかを知る事が出来ない」と白地に黒で書かれているのです。公教会の全歴史は、私たちの聖主の時以来ずっと、この様な主張への抗議に始まります。ジャンヌ・ダルクや聖人たち、そして聖なる人々であり、公教会を擁護した王子や王たちはどうですか‐彼らは真の宗教を識別する事が出来ませんでしたか?どうしてこんなとんでもない事を書けるのか人は不思議に思います!

 それから私たちが様々な仲介者を通してローマに送った異議に対するそのローマからの回答は、どれも変更は存在せず、むしろ単に聖伝の継続があるという事を説明する傾向がありました。これらの主張はこの公会議が打ち出した 信教の自由に関する宣言 に見る主張より酷いものです。それではまさに嘘を伝える官僚世界(officialdom)です。

 ローマに於いて、彼らが信教の自由やエキュメニズム、さらに司教団体性などの公会議の思想に愛着したまま留まっている内は、誤った道を進んでいます。これは深刻ですよ、というのも、それは事実上の結果に帰着するからです。その事を教皇様によるキューバ訪問が証明しています。教皇様は、拷問人あるいは暗殺者を、まるで正常な人間くらい正直でもあるかのように、その手をキリスト教徒たちの血で染めている共産主義指導者たちを訪問し、又は謁見中に彼らを迎え入れたのです。

7:共産主義に反対する聖職者たち?

 質問:リュスティジェ(Lustiger)枢機卿が<ウクライナの首都>キエフに行けない事というニュースの流出がありましたが。

 ルフェーブル大司教様:ロシアに行った結果、モスクワがカトリックになったと彼は考えました。それは思慮の欠如です。彼らが言うには、教皇様は、スリピ(Slipyi)枢機卿様の後を継いだ現職の総主教を取り替える事で、ウクライナの<首都キエフ>総主教の任命権をモスクワに多かれ少なかれ与えたそうですが、代わりに任命される人は、当然の事ながら、ピメネ(Pimene)同様にソ連工作員となるでしょう。

 これらカトリックによる訪問の全てはソ連を有利にしてしまいます。ソ連は遂に、自分たちの欲がるものを獲得するでしょうが、それは特に、政府の支配下にある階級制を利用してウクライナ人を自分のポケットに入れる為です . . . . ちょうどハンガリーのミゼンティ枢機卿様の後に、彼らがレカイ(Lekai)を任命した時にやった様にです。つまりレカイのスキャンダルです!以前なら、これら全ての枢機卿と司教たちは監獄に投げ込まれましたが、それは彼らがカトリック宗教を擁護していたからです。ですが今ではその彼らが、真にカトリックの司祭たちを監獄に投げ込んでいるのです。私たちはそれとちょうど同じ状況にあります。つまり司教たちは、私たちがカトリックのままでいるからこそ、その私たちを迫害しているところなのです。私たちを追い詰めているのは、無神論政府や社会主義者、あるいはフリーメーソンたちではなくて、一般的に考えられているところではカトリックの司教たち‐つまり公会議派司教たちなのです。

 同じ事が共産主義の国々で起こっています。彼らはカトリックの司教たち、それも共産主義政府に同意する“平和の司祭たち(Pax Priests)”である司教方を持っています。

 私はあるハンガリー人司祭から1通の手紙を頂きましたが、そこにはこう書いてありました:「議論が起きると、政府は司教と司祭たちに賛成してもらおうと努め、政府は“善人”役を演じています。」信じられません!教皇様は、真理と徳に対するのと同じ敬意を誤謬と悪にも払うというこのやり方を使って、多くの損害を与えています。それは小さな民族にとっては大惨事となるのです。またそれは全キリスト教道徳の、あるいは道徳の基盤それ自体の崩壊であるどころか、社会生活の完全な崩壊なのです。

8:道徳を擁護する教皇?

 質問:ヨハネ・パウロ二世は家族の団結を擁護していますし、彼は司祭の結婚や、堕胎にも反対しています。道徳の点で、多くの方は彼が良い教皇だと考えておりますが。

 ルフェーブル大司教様:自然道徳に関する特定の原理についてそれは本当です。良い事は言われていますが、それなら、避妊に賛成する司祭たちには、例えばの話し、御咎めがありません。誰も<彼らに対して>強硬な態度を取らないのです。私たちがまず反対しない自然道徳の一部を成す一般的な指導がそこにはあるだけです。合衆国のブッシュ大統領が<もちろん政治的な理由で>堕胎に反対しているのなら、ではどうして教皇が堕胎に賛成出来るというのでしょうか?


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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