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私たちはどうしてカトリック教会に聖伝を復興させる手伝いができるかという試練

2012年11月27日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 西暦303年2月23日、ローマ皇帝ディオクレチアヌスは帝国内のキリスト者に反対する勅令を発しました。ローマ神話の神々にいけにえを捧げないキリスト者らは、投獄、拷問を命じられました。この勅令は厳しく施行されました。それでも緩やかだったのはブリタニア(今の英国)とガリア(今のフランス)地域だけでした。303年の秋はディオクレチアヌス皇帝の在位20年が始まり、これほど長い統治をしたローマ皇帝は、150年前のアントニオウス・ピウス皇帝以後ありませんでした。

 304年、東方のローマ帝国の統治をしていたガレリウスはキリスト者迫害の最終の勅令を発します。キリスト者は全て、年齢、性別、地位にかかわらずローマ神話の神々にいけにえを捧げなければならない、さもなければ死刑。と言っても、これは当時普通に行われていたことを再確認しただけの勅令でした。

 歴史家によれば、私たちの主イエズス・キリストのカルワリオでの受難の次に、キリスト教全史を通してこの時代ほど恐ろしい迫害はありませんでした。拷問の残酷さ、殉教の血の海、広範囲にわたる迫害は想像を絶するものでした。老若男女が犠牲者となりました。ローマの聖アグネス、12才。メリダ(スペイン)のエウラリア、12才。コンプルトゥム(スペイン)のユストゥスとパストル、13才と9才。トゥンバルボ(アフリカ)のマクシマとセクンダ、14才と12才。

 ディオクレチアヌスとガレリウスとは311年に死にます。ガレリウスは死の6日前の311年4月30日、キリスト教の天主の「復讐」を恐れ、迫害停止の勅令を発します。キリスト教は存在する権利を持たないが、しかし帝国内での存在を黙認されることになります。十字架の受難以後、キリスト者が持つことの出来た最善の地位でした。

 想像を絶する最大最悪の迫害から9年後、313年2月、皇帝コンスタンティヌス一世はリキニウスとミラノで会い、キリスト教の完全な黙認(toleratio)の約束を取り付けます。この政策は後に勅令として発せられ、ミラノ勅令(Edictum Mediolanensium)と言われています。こうして、ローマ帝国内でキリスト教の自由が権利として認められることになりました。以前の厳しい迫害を生き延びたキリスト者たちは、これをどれほど天主に感謝して受けたことでしょうか!

 現代の私たちの目から見れば、実はミラノ勅令は「理想的」なものではありませんでした。何故なら、真の天主イエズス・キリストはローマの偽りの神々と同じレベルに置かれたに過ぎなかったからです。しかしその当時のキリスト者たちはどれほど喜んでこれを感謝したことでしょうか!血の海が終わったのですから! 

 これについて日本の私たちにはよくその気持ちが理解できます。それは今から129年前の、明治6年(1873年)3月14日、日本政府はキリシタン放還令を発したときとおなじです。これは流刑のキリシタンたちを解放してよいという命令でした。キリシタン発見(1865年3月17日)から8年後、それと同じ日付の1873年3月17日、寛永15年から明治6年まで235年の間、無数の義人の血をすすっていた高札は、忽然とその姿を消したのです。この高札が無くなった日からすぐに迫害が止んだわけではありませんでした。悪意と嫌悪と偏見と恐怖が蓄積されていました。迫害は止まず、中傷と誹謗が続きました。キリシタンたちは、差別され続けてきました。しかし、キリスト教信仰は黙認を受けたのです。もちろん、真の天主が他の神々と同じレベルに置かれただけです。本当はそれでは足りません。しかし、それへの大きな第一歩でした。

 話をローマに戻すと、その後、ローマ帝国のキリスト者たちの聖なる努力によって、また天国にいる無数の殉教者達の取り次ぎの祈りによって、380年と392年には、皇帝テオドシウスは、キリスト教を国教とする勅令を出すに至っています。

 このキリスト教国教化は、自然に、努力無しに、自動的に成立したものではありません。キリスト者たちの絶え間ない、祈りと、働きかけがあったこそ与えられたものでした。何故なら、実際、360年にローマ皇帝となった背教者ユリアヌスは、ミラノ勅令を逆用して、衰退しつつあったローマ神話の神々の崇敬の権利を主張し、キリスト教が持ちつつあった特権を廃止しようと務めたこともあるからです。おそらくローマ朝廷内では、カトリックの高官と異教徒の高官とがいて、異教徒達がカトリックに改宗していった、ますますカトリックの高官の数が増していったという事実があり、そのためにカトリック教会の祈りと努力が陰にあったことでしょう。

 人間の歴史には段階があり、それが現実です。もちろん天主は全能のお方ですから、303年のディオクレチアヌスの大迫害の翌年に、ディオクレチアヌスの大回心を起こさせ、突然キリスト教を国教とするように奇蹟を起こすことが出来たかもしれません。その当時、カトリック信徒たちはそのような奇蹟を祈り求めていたかもしれません。しかし、そのような奇蹟は天主が普通に起こすことではありません。それでも、全能の天主の御憐れみとその超自然的な介入によって、大迫害の約70年の後にキリスト教が大迫害の対象であったのが国教となるに至るのは大きな奇蹟でありお恵みであるように思えます。


 ところでトリエント・ミサと呼ばれる聖伝のミサは、1969年に新しいミサが許されると、長い間迫害され、不当に禁止されてきました。聖ピオ五世の勅令クォー・プリームムは無視され続けてきました。

 ところが2007年7月7日、ベネディクト十六世は、本当は聖伝のミサが「決して廃止されたことがない」という事実を自発教令スンモールム・ポンティフィクムで告白しました。いつも私たちが言っているとおり、この教令は、私たちの目から見ると不完全なものです。何故ならこれによれば、聖伝のミサと新しいミサとが同じレベルに置かれているからです。しかし、歴史的に見ると、聖伝のミサに対する迫害に終止符を打たせようとする点で意義があります。言ってみれば聖伝のミサに関する「ミラノ勅令」です。

 これから聖伝のミサは、将来テオドシウスのような教皇によって、カトリック教会内で唯一の義務のミサ聖祭になるのでしょうか?それとも、背教者ユリアヌスのような教皇が出てしまい、聖伝のミサも新しいミサも同じレベルに置かれつづけるのでしょうか? 今後の聖伝のミサと聖伝のカトリック信仰の発展は、天主の恵みと共に、私たちの祈りと努力にかかっています。私たちの絶え間ない、祈りと、働きかけによって、聖伝のミサの勝利が与えられると信じています。何故なら、人間の歴史には段階があり、それが現実だからです。私たちは、全てが天主に依存しているかのように祈り、同時に全てが私たちの努力と智恵に依存しているかのように行動しなければなりません。

 もちろん、私たち聖ピオ十世会の力だけで出来るはずがありません。天主の御憐れみと御助けが必要です。聖母の汚れなき御心の取り次ぎの祈りが必要です。超自然の助けが必要です。しかし、私たちは、それに向けて私たちに出来る限りをする義務があります。

 聖ピオ十世会の立場は、正にそれです。私たちは第二バチカン公会議の誤謬というあまりにも巨大な悪と闘って、カトリック教会が聖伝に立ち戻るようにしていこうと考えています。何故なら、ルフェーブル大司教様も、それをし続けてきたからです。ルフェーブル大司教様はそれに可能な限り努力したからです。驚くべきことに、ルフェーブル大司教様は、アシジの集会をしたローマと交渉して、一人の司教を聖別して良いというローマの同意を得ることさえもしました。
ルフェーブル大司教様は「もう手遅れだ、私たちには天罰を待つしかない、天罰で現代文明が滅びることだけが解決策だ」とは言いませんでした。

 ローマと交渉し、ローマの権威を認めつつも、しかし、生き残り手段として、1988年にカトリックの司教を聖別したのも、その可能な限りの努力の表れでした。
 ルフェーブル大司教は、教皇に対して「おまえは教皇を辞めろ、教皇職を辞任せよ」とも「私が言うとおりに教会を運営せよ」とも言いませんでした。何故なら、ルフェーブル大司教も聖ピオ十世会も、自分たちがカトリック教会の一部であって、教皇でもなければ、教会当局でもないことを認めていたからです。

 ルフェーブル大司教様は、「単なる一カトリック司教」として、カトリック教会の中に聖伝が戻ってくるように働きかけていたのです。もちろん、私たちの力だけではローマを聖伝に戻すことは出来ません。天主の御摂理の特別の介入によってのみ、天主のお定めの時に、天主のお望みの方法(多分に聖母の汚れなき御心を通して)で、カトリック教会に寄生している「公会議の教会」は終わりを迎えることでしょう。もちろん、私たちは、全能の天主の御憐れみとその介入を信じています。しかし、私たちは何もすることがない、とするのはルフェーブル大司教様の考えではありませんでした。何故なら、繰り返しになりますが、人間の歴史には段階があり、それが現実だからです。ルフェーブル大司教様と共に、私たちの絶え間ない、祈りと、働きかけによって、聖伝のミサの勝利が与えられると信じています。

 シュミットバーガー神父様も言うとおり「聖ピオ十世会は決して己のために働いたことはありません。聖ピオ十世会自身を目的そのものだと見なしたことはありません。それどころか、聖ピオ十世会は教会と教皇たちに仕えることを常に切望しているのです。これはルフェーブル大司教様が常に述べていたことです。私たちは司教様たち、教皇様の役に立ちたいのです。私たちは彼らに仕えたいのです。教会を危機から救い出そうとする彼らを助けたいのです。そのすべての美、聖性において教会を新たにしたいのです。ですがもちろん、このことはいかなる妥協も、いかなる偽りの妥協もないという条件でのみ起こり得ます。これは私たちにとって非常に重要です。私たちは実際、公に教会内にこの宝を復興させ、この宝の権利を取り戻させようと──これは私たちの望んだすべてです──確かに試みました。そして、私たちはある程度の範囲までやり遂げたと言えるでしょう。」

 そのことは、フルーガー神父もインタビューで次のように述べています。
「私たちは社会でもっと行動的になり、市民社会でより大きな影響を持ち、慎重さ、謙遜、愛徳でキリスト教社会を再建しなければなりません。」

 私たち聖ピオ十世会がこの数ヶ月の間経験した試練は、正に、私たちはどうしてカトリック教会に聖伝を復興させる手伝いができるか、という試練でした。(続く)


天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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