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ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい : 福音書を歴史的記録書として信頼することが出来るか?

2006年05月30日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

 福音書を歴史的記録書として信頼することが出来るか?


ダ・ヴィンチ・コード「新約聖書の四福音書、すなわちマテオ、マルコ、ルカ、ヨハネ)は、四世紀にローマ皇帝コンスタンティヌスによって選別された。何故ならこれらがイエズスを天主であると表現していたからだ。その他のそれよりも古い「福音書」は、回収されて焚書された。そのためにイエズスの人間的な面影が記されてしまった。これらの焼かれた書は「外典」と呼ばれ、イエズスの本当の姿を描いている。」


歴史 「新約聖書に含まれる四福音書は、紀元五〇年から一〇〇年の間に編集された。初期の段階からキリストに関する書き物が出た(これは「外典」と呼ばれる)が、キリスト者はそれを使徒達からの教えと矛盾しているとして受け入れなかった。キリスト教を信じない人々にとっても、新約聖書は歴史書としてキリストの生涯を知るために最も信頼できる史料である。」


 新約聖書は、イエズスの「人間的な側面」を隠したことがない。それは、「女から生まれた」キリストの幼少時代を描き、その渇き、疲労、涙、苦しみ、死を描く。その反対にグノーシスの「福音」と呼ばれるものは、出来事が起こってからずっと後に編纂された、極めて後期のものであり、史実の文脈を離れた言葉などが挿入され、キリストは、神秘的で現実離れした、超人間的な智恵の師として描かれている。


 初代教会の著述家と教父らは、この新約聖書に含まれている四福音書について多くの証言を残しているし、古代の数千という多くの写本が存在している。比較すると、ユリウス・カエサルの『ガリア戦記』の最も古い写本(断片)は、9世紀から10世紀のものである。紀元110年に書かれたタキトゥスの『年代記』の最古の写本は、9世紀と15世紀のものである。フラヴィウス・ヨゼフスの『ユダヤ戦記』の最古の写本は、10~12世紀のものだ。多くの古代の作家は、後期の断片によってしか知られていない。


 しかし新約聖書の最古の完全な写本は四世紀のものが存在している。これは他の古典と比較すると例外的に古い。紀元130年のパピルス写本(Papyrus Ryland)には聖ヨハネの福音の断片があり、2世紀末葉のボドメール・パピルス(Papyrus Bodmer)には、その他の新約聖書の断片と共に、聖ヨハネの福音が完全に掲載されている。新約聖書の最も初期の段階から、すべての写本は、ごくわずかなヴァリアント(差異)があるにしろ、原文の忠実な伝達が証明されている。


 コンスタンティヌス皇帝は聖書を改竄することが出来たか? 

 ダ・ヴィンチ・コードの主張することは、現代のプロパガンダと出版を想定しなければ出来ない。しかしコンスタンティヌス皇帝の時代は、新約聖書は既に少なくとも2世紀の間、使徒から忠実に伝えられたものとして特別の崇敬が払われていた。数え切れないほどの写本がローマ帝国中に散在していた。わずかな変更でさえ数百万のキリスト者が受け入れるのを拒否したことであろう。


 「霊感」を受けて書かれた正典目録に対して、「外典」(アポクリファ)とは、正典以外のもので、様々なものがある。多くは想像の産物で、内容は幼稚である。3~4世紀には、グノーシス主義者は、自分たちの「福音」を編纂した。彼らは特に、キリストの「公」の教えの他に、イニシエーションを受けた特別の弟子らだけに伝えられた「イエズスの秘密」があると主張した。このグノーシス文書の中に、4世紀のナグ・ハマディの写本などがある。「ユダの福音」についても同様で、これを最近、編集翻訳したジュネーブのロドルフ・カッサー教授(Professor Rodolphhe Kasser)によると「これは、紀元後二世紀に想像された、後期の解釈の産物であるということを何度も強調しなければならない。ここには、イスカリオトのユダの真実に関していかなる新しい歴史的情報を見つけることが出来ない。」

(以前、「偽典」と記事を書きましたが、正確なカトリックの用語では、「外典」と言いますので、お詫びして訂正致します。)


 オリゲネスは三世紀にこう書いている。「教会は四つの福音書をもっている。異端者どもは極めて多くの福音を持つ。・・・多くの人は(福音を)書くことを試みたが、四福音のみが承認されている。そして私たちの主イエズス・キリストの人となりの何を信じるべきかに光を当てるのは、この四福音書だけだ。私は「トマスによる」とか「マティアスによる」と言われる別の福音が存在していることを知っている。無学であると思われないためにその他の福音も読む。・・・しかし私たちは教会が認めるもの以外は何も認めない。私たちは四福音書だけを認めなければならない。」(聖ルカの福音書に関する説教より)

 




 兄弟姉妹の皆様、ダ・ヴィンチ・コードの冒涜の償いのために多くの祈りをお願いいたします。日本の司教様や教会の指導者の方々のためにお祈りをお願いします。

 天主の御母聖マリアよ、我等のために祈り給え!

 


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ダ・ヴィンチ・コードに対するアメリカと日本の聖ピオ十世会

2006年05月27日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

ダ・ヴィンチ・コードに対する世界の反応(続き)

★アメリカ★


 聖ピオ十世会司祭、ノヴァック神父は5月27日土曜日、映画及び小説の冒涜に対して償いの公の行為をする予定。 ノース・カロライナ州ガストニアの映画館の前にて、午後7:15より行う。

(詳細は次のサイトをご覧下さい。)

http://www.remnantnewspaper.com/Archives/archive-2006-time_sensative.htm

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★日本★


 ===== 日本の聖ピオ十世会は ====



 ローマの枢機卿、司教様たちは私たちカトリック信者に対して、ダ・ヴィンチ・コードの冒涜に対して何らかの行動を取るように、と要請しておられました。私の知る限り、アリンゼ枢機卿を始め、プパール枢機卿、エレンス枢機卿、ルイニ枢機卿、また教理聖省秘書のアマト司教がそうでした。またアメリカでは多くの枢機卿、司教らが反対の声を挙げていました。



 ローマのこの要請に応えて、日本における聖ピオ十世会の私たちも行動を起こすことにしました。アジア管区長のクチュール神父様もこれを祝福して下さいました。5月20日の主日には、私たちは霊的に行動を起こしました。ミサ聖祭の前のロザリオの祈り、ミサ聖祭、そして晩課は、冒涜の罪の償いのために捧げられました。



 晩課が終わってからは、私は兄弟姉妹の皆様を代表して、もう一人の信者の方と、有楽町に行き、有楽町マリオンの映画館の前の交差点で、冒涜の償いのため、この映画を観る日本の兄弟姉妹の皆様のために、夕方の6時半から7時までロザリオの祈りを5連、そしてサルベ・レジナを歌いました。



 兄弟姉妹の皆様も、冒涜の罪の償いのために、お祈りをお願いいたします。願わくは、キリスト教を知らない日本の兄弟姉妹の方々が、ダ・ヴィンチ・コードがトンデモ本であることを知り、「それなら、本物のキリスト教って、いったい何なんだ? 本物の福音には何が書いてあるのか? イエズス・キリストって誰?」と興味を持たれますように! 


 「みんなは本物のイエズス・キリストを知らないだけで、いろいろとんでもないことを言っていたけれど、ダ・ヴィンチ・コードこそ、歴史を捏造している、人類を騙していた、本当の姿はこうなんだ」というきっかけになりますように! この悪が善となりますように!


 天主の御母聖マリアよ、我等のために祈り給え!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

 


 (詳しくは、「マニラの eそよ風」第344号 2006/05/25 聖ピオ十世会が日本で行ったダ・ヴィンチ・コードの冒涜に対する償いの行動をご覧下さい。) 

http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila344.html

 

 


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 兄弟姉妹の皆様、ダ・ヴィンチ・コードの冒涜の償いのために多くの祈りをお願いいたします。日本の司教様や教会の指導者の方々のためにお祈りをお願いします。

 天主の御母聖マリアよ、我等のために祈り給え!

 



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 モンプリエ(フランス):ダ・ヴィンチ・コードに反対するロザリオの祈り

2006年05月26日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

ダ・ヴィンチ・コードに対する世界の反応(続き)


★フランス★

 フランスの地方紙新聞の切り抜きより。


 ● 2006年5月23日号の Midi Libre 紙

 モンプリエ:ダ・ヴィンチ・コードに反対するロザリオの祈り


 5月22日、聖ピオ十世会のファブレグ修道院長、ヴェルノワ神父は、50余名の信徒らと共に、映画館の前でロザリオの祈りをし、映画ダ・ヴィンチ・コードにたいして抗議した。



 ● 2006年5月23日号の Monpelier Plus 紙

 Veni, Vidi, Da Vinci.


http://www.laportelatine.org/communication/presse/2006/davincipresse/presse200605.php

 

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日本のある信者のかたから、


 5月20日主日には、大阪の映画館の前をみた限りでは、プロテスタント教会の連中がダビンチコードに反対するビラを配って、ギターかき鳴らして拡声器でダビンチコードを非難する演説をしていました。カトリックはいませんでした。・・・ カトリックでは、国民投票条例や共謀罪や北朝鮮に対する経済制裁反対では国会議員の電話番号まで書かれたリストが送られてくるのに。自分達の主キリストの名誉を守るためには指一本動かそうとしない。


 プロテスタントまでが反対のビラを配って、並んでいる人に「お願いします」とか言っているのに。・・・


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 兄弟姉妹の皆様、ダ・ヴィンチ・コードの冒涜の償いのために多くの祈りをお願いいたします。日本の司教様や教会の指導者の方々のためにお祈りをお願いします。


 天主の御母聖マリアよ、我等のために祈り給え!

 



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メル・ギプソンは、ダ・ヴィンチ・コードを非難する

2006年05月25日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

ダ・ヴィンチ・コードに対する世界の反応(続き)


 メル・ギプソンは、ダ・ヴィンチ・コードを非難する。

http://www.pr-inside.com/gibson-slams-the-da-vinci-code-r5715.htm


 カトリックのメル・ギプソンは、ダ・ヴィンチ・コードの本と映画を、彼が聖なるものとして考えている信仰を攻撃するものとして非難した。とくに、イエズス・キリストとマリア・マグダラに関する筋書きに激怒した。


 メル・ギプソンは「私が心配なのは、人々がこれを事実だと思いこんでしまうことだ。私は、これが私が聖なるものと考えているすべてを侮辱しているということ自体としては、怒っていない。ダ・ヴィンチ・コードは、(皆に)フィクションと認められているからだ。しかし、これは、ある人にとってはこれを事実であるかのように見せかけるように賢く事実をデタラメ理論へと導いている。」と言う。

 


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 兄弟姉妹の皆様、ダ・ヴィンチ・コードの冒涜の償いのために多くの祈りをお願いいたします。日本の司教様や教会の指導者の方々のためにお祈りをお願いします。

 天主の御母聖マリアよ、我等のために祈り給え!

 


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ダ・ヴィンチ・コードに対する世界の反応(続き)

2006年05月24日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!


ダ・ヴィンチ・コードに対する世界の反応(続き)



FujiSankei Business によると、ダ・ヴィンチ・コードに対し ≪日本は冷静≫ だそうだ。


「ダ・ヴィンチ・コード」にキリスト教団反発(2006/5/20) ≪日本は冷静≫ 

http://www.business-i.jp/news/sou-page/news/200605200017a.nwc



 一方、日本のカトリック中央協議会(東京都江東区)では「見解を出すことは考えていない。映画は完全なフィクションであると考えている。海外のような抗議運動も、日本ではありえないと思う」(広報部)と話している。


 ただ、法王庁の高官などが出した「見に行かないように」といった談話は、機関紙などを通じて信者に伝えられており、「見に行かない信者は多いかもしれない」という。一方で広報担当者は「ここまで騒ぎになれば、私も参考までに見に行こうかなぁ」とも。映画への反応は極めておおらかなようだ。

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 FujiSankei Businessのこの記事を読んだ時、私はこう言いたいと思った。



 「カトリック中央協議会の広報部の担当神父様、

 初めまして。FujiSankei Businessの記事を読んで、この報道の信憑性を信じることが出来ませんでした。記者の方が神父様のお考えを歪めて報道なさったように思われます。


 神父様が「映画は完全なフィクションであると考えている」と思っておられても、日本人の多くの方にはそうではないと映っています。何故なら、ダ・ヴィンチ・コードの著者が巻頭で「芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述はすべて事実に基づいている」と断言しているからです。これに類する、ダ・ヴィンチ・コードのウソを事実とする本が、日本では書店で大量に販売されています。カトリック教会が真理を述べなければ、いったい誰が述べるのでしょうか? 


 またたとえ「映画は完全なフィクションである」と映画が宣言したとしても、洗礼を受けたものとして、ましてや司祭として、フィクションなら何でもあり、という態度は間違っています。譬えフィクションであっても冒涜しては罪になります。フィクションといえども、何に関しても何でも書いて良いとはなりません。


 カトリック教会には使命があります。
「私には、天と地との一切の権力が与えられている。だからあなたたちは諸国に弟子をつくりにいき、聖父と聖子と聖霊とのみ名によって洗礼をさずけ、私があなたたちに命じたことをすべて守るように教えよ。私は、世の終わりまで、常にあなたたちとともにいる。」(マテオ二八章)


 カトリック教会は、真理と公の道徳について発言する権利と義務があります。国家といえども、尊敬すべき団体について讒言したり侮辱する場合には、表現を制限させる義務があります。ましてや、ダ・ヴィンチ・コードで侮辱されているのは、私たちの主イエズス・キリストです。天主の御言葉です。道、命、真理、私たちの救い主、贖い主、教会の花婿です。人間は天主に対して言いたい放題、冒涜するものではありません。また、天主なるイエズス・キリストが、ご自分と一体としてまで高めて下さった花嫁であるカトリック教会を讒言することはゆるされません。



 例えば、中央協議会のリンクしている社会系委員会のサイトを見ると、いろいろと人権問題について闘っていることが分かります。


 しかしイエズス・キリストの天主の権利は全く眼中にないようです。私たちの主に対しては、小説や映画の中で、言葉と映像で暴力がなされています。「すべての暴力にNO!という教会を目指して」いるなら、イエズス・キリストに対してなされる暴力とハラスメントこそ、教会が取り上げなければならないのではないでしょうか。何故なら、私たちの愛は、先ず天主に向けられなければならないからです。私たちは「天主をすべてに超えて愛せよ、そして天主を愛するために、隣人を我が身の如く愛せよ」と命じられているからです。



 イエズス・キリストは、私たちの愛の対象です。私たちを愛するあまり十字架の死をも厭われなかった私たちの贖い主だからです。私たちの愛する主を、人々があれほど冒涜して神父様は、平気なのですか?


 イエズス・キリストはこう言っています。「人々の前で、私の味方だと宣言する人を、私もまた、天にいます私の父のみ前で、その人の味方だと宣言しよう。人々の前で私をいなむ者を、私もまた、天にいます私の父のみ前でいなもう。」 (マテオ十章)



 ええわ、ええわ、で何もしないと言うことは、無気力・無関心・愛のない証拠ではないでしょうか。裏切りとは、別の目的のために、一つのことを放棄することです。この世の勢力は、カネとモノとヒトを使ってイエズス・キリストをただの人間に貶めようとしてます。この世の冒涜に対する無気力は、闇に対して光を輝かさないことですから、その闇の勢力に力を貸すことではないでしょうか。イエズス・キリストを裏切ることに等しいのではないでしょうか?


 サタンは最初から、ウソつきで人殺しでした。ダ・ヴィンチ・コードもウソつきです。バチカンでは高官の枢機卿様や司教様がたが、「見に行かないように」と言っています。それを知っていながら、俺は関係ないよ、と言う態度で、「見に行かない信者は多いかもしれない」「ここまで騒ぎになれば、私も参考までに見に行こうかなぁ」ともの発言は、想像を超えています。



 私は、この報道が何かの間違いであったと願います。私は、カトリック中央協議会で働かれるすべての神父様のためにお祈り致します。天主様の祝福が豊かにありますように!


 二〇〇六年五月二四日


 トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)」

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 カトリックの方がブログでダ・ヴィンチ・コードについて反論を掲載している。

http://blog.goo.ne.jp/catholic-philately

 これを読んで、大変嬉しくなった。




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★アメリカ★



ダ・ヴィンチ・コードに抗議するアメリカの聖ピオ十世会。
75人が映画館前で抗議。
 

http://www.stltoday.com/
 

 先週18日金曜日夕方には、セイント・ルイスのチェイス・パーク・プラザ・シネマ映画館の前でダ・ヴィンチ・コードに対する15名の抗議のデモがあった。TFPの組織する抗議がセイント・ルイス地域で行われた。


 それよりも大きなグループとして、75名の抗議者、リッチモンド・ハイツのAMCエスクワイアー7の外に集まった。その多くは、聖ピオ十世会のアシジの聖クララ教会と聖母マリア被昇天教会からの信徒であった。彼らは平和的に円形の行列をし、ロザリオの祈りとし、いろいろなプラカードを持っていた。

 聖母マリア被昇天教会の助任司祭であるスティーブン・スース神父はこの問題についてカトリック教会の声を聞かせるために抗議しているとし「これはキリスト教の国だ。天主の名誉に経緯を原な分ければならない。映画は冒涜で満ちている」と述べた。


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★ローマ★


 フランス語版のDICI(聖ピオ十世会のインテリジェンス・サービス)は、ダ・ヴィンチ・コードを取り上げている。
http://www.dici.org/accueil.php


 ダ・ヴィンチ・コードに立ち向かう枢機卿たち Les cardinaux face au "Da Vinci code" の記事によると、
http://www.dici.org/actualite_read.php?id=1262&loco=FR

 アリンゼ枢機卿、プラール枢機卿、エランス枢機卿、ルイニ枢機卿などがダ・ヴィンチ・コードに反対する声を挙げておられる。


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★フランス★


 フランスでは、
http://www.dici.org/actualite_read.php?id=1268&loco=FR


 ■ ダ・ヴィンチ・コードの影響を調べるために、「キリスト教家族(ファミーユ・クレチアン)」誌の要請によって調査が行われた。その結果、フランス人の10人に2人がキリストの天主性を信じている、とのこと。10人に7人がキリストは、自分の人生を何も変えなかった、ところでダ・ヴィンチ・コードを読んだ人の48%がキリストをただの人間だと信じ、読まなかった人の場合、29%がキリストをただの人間だと思う、とした。

 


 ■ DIFI CULTURELは、そのサイトの中でダ・ヴィンチ・コードについての詳しい反論を掲載してる。
http://www.deficulturel.net/



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★イスラム世界★
 

イスラム保守派もNO ダ・ヴィンチ・コード
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=intl&NWID=2006052401000730

 【イスラマバード24日共同】「すべての宗教にとって大切な聖なる人物への侮辱だ」。イスラム教預言者ムハンマドの風刺漫画掲載問題で激しい抗議運動を展開したパキスタンのイスラム保守派政党が、26日の金曜礼拝後に映画「ダ・ヴィンチ・コード」に対する全国的な抗議行動を行う方針を明らかにした。・・・



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ソニー株:続落で5000円目前、「ダ・ヴィンチ」にカンヌが厳しい眼 (ブルームバーグ) 2006年5月19日(金)12時19分

http://money.www.infoseek.co.jp/MnJbn/jbntext/?id=19bloomberg11abmdPkD5u8SE



  5月19日(ブルームバーグ):ソニーの株価が薄商いのなか反落。一時は5030円まで下げた。午前終値は90円(1.8%)安の5050円。同社が通常の4倍以上の広告宣伝費をかけて売り込みを図る映画「ダ・ヴィンチ・コード」(ロン・ハワード監督)が現地時間17日夜に開会された第59回カンヌ国際映画祭で上映された。批評家らの評価は「分かりにくい」、「長たらしい」と芳しくなく、興行成功への期待感が萎んでいる。


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ダ・ヴィンチ・コード、世界での反応(続き)

2006年05月19日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア


ダ・ヴィンチ・コード、世界での反応(続き)


★日本★

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/new-for-you/top-sellers/-/books/all/249-1455112-4848344
 
 日本でのベストセラー:一位からは外れたが、その代わりに魔術師が活躍するハリーポッターが一位に。ダビンチコードは二位と三位を独占。トップスリーが反キリスト出版物に独占されることになった。

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★フランス 聖ピオ十世会関係 ★


http://www.laportelatine.org/accueil/communic/2006/davinci/davinci.php



■サン・ニコラ・ドゥ・シャルドネ教会(パリ)


 サン・ニコラ教会(Saint-Nicolas-du-Chardonnet)の主任司祭であるザビエ・ボヴェー神父(Xavier BEAUVAIS 日本語の報道ではグザビエ・ボーベ神父と表記されていた)の下で、
http://www.laportelatine.org/district/prieure/stnicol/stnicol.php
2006年5月17日午後8時に、反キリスト教的映画であるダ・ヴィンチ・コードに反対するデモが行われた。

http://web.mac.com/bernardlorber/iWeb/SNC/Activite/0F68E163-170F-4609-809B-9369A35B8D93.html


 ◎ダ・ヴィンチ・コードは秘教主義の引き出しの奥から出してきた時代遅れの話しを劇化したものに他ならない。底を知らない谷のような宗教的無知が、この小説を成功させ、人心を惑わすことを実現させ、人々にキリスト教の啓示とカトリック教会に対する軽蔑を拡げている。

 ◎この偽物に対して、私たちがこれを承認することができないということを明らかにし、この映画上映の取りやめを求めることしかできない。私たちはすべてのキリスト者たちが、平和的に行われる私たちの公のデモンストレーションに参加するように呼びかける。

http://www.lemonde.fr/web/depeches/0,14-0,39-27329761@7-37,0.html
http://www.angelqueen.org/forum/viewtopic.php?t=7474&sid=50c37f487f9d5416b16eed383ed08bb9



■資料などのダウンロード
http://web.mac.com/bernardlorber/iWeb/SNC/Activite/0F68E163-170F-4609-809B-9369A35B8D93_files/da_vinci_code1_etude.pdf.zip

http://web.mac.com/bernardlorber/iWeb/SNC/Activite/0F68E163-170F-4609-809B-9369A35B8D93_files/Tract_Da_Vinci.pdf.zip

http://web.mac.com/bernardlorber/iWeb/SNC/Activite/0F68E163-170F-4609-809B-9369A35B8D93_files/Da_Vinci_Cabanis.pdf.zip


■フランス・カトリック青年運動(MJCF)


 映画ダ・ヴィンチ・コードは、カトリックに反対する真の攻撃である。これは讒言に基づき、私たちにとって最も大切なもの、つまりイエズス・キリストと主が建てた宗教、を汚し冒辱している。


 この映画は昔の合理主義者の古い攻撃を集め、反キリスト教の憎しみを育てている。他の宗教であればすぐに保護に動く政治の責任者たちは、反キリスト教については何もせずにしている。


 カトリック青年らは「嘆くのではなく動く」ことを望む。私たちはこの映画を機会に、私たちの主イエズス・キリストとその教会に対する愛をあかしする機会を見つけた。私たちは、真理に固執するすべての人々を招いて、私たちと具体的に行動を共にするように提案する。


 -この映画をボイコットするのみならず、この偽物を公に告発するポスターを張り、ビラを配る。

 -カトリックの教えを勉強し、私たちがこの教えをもっとよく愛し、擁護することが出来るようになること。ダ・ヴィンチ・コードのうそを論駁する多くの本が書店で入手できる。私たちは既に、十字軍、異端審問、聖書、教会の2000年の歴史などについて既に反論に答えた書物を出版した。・・・

 -祈りと償いのための苦業。教会はそれを私たちに求めている。聖母マリアさまもファチマでそこを要求された。それこそが天主の御母聖マリアが私たちから求めていることである。天主の童貞母は私たちに成功を保証して下さるだろう。


 願わくは、私たちのこの慎ましい、しかし断固とした反動が、侮辱を償ない、私たちの信仰を強め、現代の人々を照らさんことを。・・・


 異端にいつも勝利を収めた聖母マリアよ、天主なる御子の御国がとく来たらんことを。



■ファブレグ(モンプリエ)の修道院では、5月16日午後8時から12時まで聖体礼拝。
http://www.laportelatine.org/district/prieure/fabregu/fabregu.php



■ポスターなどのダウンロード
http://www.laportelatine.org/accueil/communic/2006/davinci/materiel/materiel.php



■チヴィタス
http://www.civitas-institut.com/content/view/383/2/



■ロランス神父様(聖ピオ十世会)のダ・ヴィンチ・コードについての講話
http://www.laportelatine.org/communication/sermons/060510loransdavinci.mp3



■ドミニク・ヴィアン教授のダ・ヴィンチ・コードについての解説
http://www.laportelatine.org/communication/sermons/060510viaindavinci.mp3



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★アメリカ★


ソニー製品の不買運動を カトリック系団体呼び掛け
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060518-00000089-kyodo-bus_all


 【ニューヨーク17日共同】中絶反対運動などをしている米カトリック系団体「ヒューマンライフ・インターナショナル」のアイテナウア代表は17日、映画「ダ・ヴィンチ・コード」に抗議し、関連会社が映画を配給しているソニーの全製品の不買運動を映画公開に合わせ19日から始めることを明らかにした。・・・

http://www.hli.org/

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★アメリカのカトリック司教評議会★


 アメリカのカトリック司教評議会は「ダ・ヴィンチ・コード」のうそを排斥するウェッブ・サイトを作った。

http://www.Jesusdecoded.com


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★中国★

映画『ダ・ヴィンチ・コード』中国カトリックが反発
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060518-00000002-scn-cn



 映画『ダ・ヴィンチ・コード』の試写会が17日、北京市内で行われた。「キリストが女性と結婚し、子供をもうけた」などというあらすじをめぐり世界各国で波紋が広がっているが、中国でもカトリック系の新聞がボイコットを呼びかける計画だ。18日付でチャイナデイリー(英字紙)が伝えた。・・・・

 河北省・石家庄市で発行されているカトリック系の新聞「Hebei Faith Press Newspaper」は今週中に社説の中でボイコットを呼びかける予定だ。同紙の責任者は「映画は真実でないから拒絶する」とコメントしている。

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「ダ・ヴィンチ・コード」人気の背景に宗教的無知=バチカン枢機卿 [ 05月11日 15時06分 ]
:http://www.excite.co.jp/News/entertainment/20060511150657/JAPAN-212912-1_story.html
 

[ローマ 10日 ロイター] バチカンの枢機卿らが、近く公開される映画「ダ・ヴィンチ・コード」とその原作への注目が高まっていることについて、背景に宗教的無知があると嘆いている。
 映画のプレミアを5月17日に控え、バチカンの文化評議会議長、ポール・プーパール枢機卿は、小説「ダ・ヴィンチ・コード」が教会の歴史を著しく歪めていると非難する一方、一般人の多くがフィクションと事実を見分ける十分な宗教的知識を持っていないとの考えを示した。
 小説では、イエス・キリストがマグダラのマリアと結婚し子供をもうけたが、バチカンはその事実を覆い隠してきたとされているため、キリスト教教会の強い批判を招いている。
 プーパール枢機卿は「基本的な知識がないために、寓話や空想、教会の歴史や価値に対する攻撃と、事実との判別が難しくなっている」と語った。

 

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【質問】

 教会が真理なら、ダ・ヴィンチ・コードを見ないように指導しなくても良いのではないか?



【答え】


 真理のみが権利を持っている。誤謬には権利がない、ただ寛容に黙認されるだけに過ぎない。真理を偽って冒涜したり讒言したりする権利はない。


 古代エジプトのピラミッドをUFOが作った、などという歴史家がいるだろうか? しかし、オカルト雑誌で何度も繰り返し報道されれば、中にはそれを信じてしまう人々もたくさん出てくるだろう。日本人は「みんながそうしているから」「誰もがそう言っているから」「面白いから」というと騙されてしまうのではないだろうか。


 オウム真理教に興味本位で近づいていった人々の中には、優秀な大学で勉強した人たちがいたではないだろうか? そのような人々が、麻原の体液入りの液体とかを高額で購入して飲んでいたのではないだろうか? ヒューザーの耐震偽装は、騙された方が悪かったのか?? まさか! 



 何故なら、誤った思想・誤謬を普及させる人々は、自然と、もっとも弱い者と或いは専門知識のない者に多くの影響を及ぼすからだ。そして、国家の義務が弱者の保護であるからだ。これこそが国家の第一の義務であり、社会組織の存在理由だからだ。国家は国民を外部の敵から守り、泥棒や殺人者、犯罪者などのあらゆる種類の侵略に対して国民の日常生活を保証するものだからだ。宗教から独立した国家でさえ、例えばポルノ雑誌のポスターを禁止するなどして、倫理の領域で国民の保護を保証している。


 キリスト教文明の国々はもっとも傷つきやすい者、とくに子供たちに対する国家の義務の感覚を維持してきた。国民はこの問題には敏感で、いろいろな家族からなる団体を通して、国家に必要な策を講じるように求めている。例えば、あまりにも内容が公衆道徳に反するラジオ番組は、たとえそれをだれも聴く義務がなくても、多くの子供たちがラジオを持っているため、子供を守るためにそのようなラジオ番組を禁止することができる。


 例えてみれば、ちょうど人が自殺を図る人々の救助に向かうように、誤謬に身を委ねる人々を守ることが出来るはずではないだろうか。これら不幸な者たちを救うために力ずくでの救助を強制行使する救助者を誰が非難できるだろうか? もう一つの比較をすれば、政府が麻薬を禁止することに対して、常用者への強制を行使したという口実で政府に不満を述べることは誰にも出来ないはずだ。真理にのみ権利があり、誤謬には権利がないからだ。


 もちろん、真理には権利があるにもかかわらず、実践において、やみくもに盲目的なそして非妥協的な規制をするのは愚かだろう。より大いなる悪を避けるために、公権力によってある種の誤謬が黙認されることは出来る。より大きな悪を避けるためにある種の誤謬については寛容であることができる。


 確かに、真理は何も畏れることがない。ただし、一般に誤謬は「その嘘が大きければ大きいほど、騙しやすい」ので、また、真理が誤謬に権利を与えてしまえば、そのこと自体が、真理自らを否認することになるので、真理は消滅してしまう危険さえ或る。


 自由は、一つの絶対的な善であると考えられる限り、空想の産物に過ぎない。絶対的善として考えられた自由は、相対主義と真理への無関心へと導く。


 従って、私たちは「真理があなた方を自由にするだろう」とのキリストの御言葉に留まらなければならない。


(詳しくは「教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ」 ルフェーブル大司教の公開書簡 その11
http://fsspxjapan.fc2web.com/op/op11.html
を参照)


 また、映画「ミッション・インポッシブル3(MI3)」は、上海では上映が無期限に延期されたそうだ。上海当局は、この映画で映る上海のイメージが悪すぎるから、という理由でこの処置をとったそうだ。もしイメージが合わない、という理由で上映延期がありなら、まさにダ・ヴィンチ・コードこそ無期延期されなければならないだろう。


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 私たちはダ・ヴィンチ・コードでなされる多くの冒涜に対して罪の償いを果たそう。


 特に私たちの愛する同胞である日本の兄弟姉妹の方々が、その巧妙に提示された虚偽に騙されることのないように祈ろう。


 兄弟姉妹の皆様、ダ・ヴィンチ・コードの冒涜の償いのために多くの祈りをお願いいたします。日本の司教様や教会の指導者の方々のためにお祈りをお願いします。

 天主の御母聖マリアよ、我等のために祈り給え!

 



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聖福音とダ・ヴィンチ・コード:真理と嘘の対立

2006年05月19日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!


聖福音とダ・ヴィンチ・コード:真理と嘘の対立


 ブラウンによると、新約聖書はコンスタンティノ皇帝が捏造したものということになっている。


 四世紀からイエズス・キリストの天主性を証明するために「聖書は、私たちが今日知る形のものとしては、コンスタンティノ皇帝という異教徒が作り上げたものだ」という。そのためにイエズスのあまりにも人間的な観点を描くような「福音」は排除されて「新約聖書」の編纂が命じられそのために必要な資金が支払われていた、と言うことになっている。


 しかし新約聖書の全二七巻は、西暦五〇年から一〇〇年までの間に、すなわち一世紀の間に成立したと言うことは、科学的に証明されている。


 天主は、将来、その新約聖書の正真正銘性について極めて厳しい批判がなされるということを知っておられた。カトリック教会以外に、どのような宗教も、その聖典の成立を正確に確実に提示することが出来るものはないほどである。


 西暦一七〇年のムラトリのカノンには既に新約聖書のテキストの正典リストが載っている。この正典リスト(=カノン)は西暦一三〇年には完全に成立していたようだ。更に新約聖書の写本、少なくともその一部の写本は、すべて四世紀以前のものだ。事実は、ダ・ヴィンチ・コードの仮説を全く無に帰している。


 新約聖書は、天主によって霊感を受けて書かれた。キリストの説教とその御活動、キリストの弟子らの活動や説教を語る。カトリック教会の聖伝と共に、新約聖書は福音の使信を私たちに伝えている。そしてイエズス・キリストの人間性と天主性との真理を私たちに教えている。正典の聖福音には、キリストの「人間的な側面」が隠されているどころか、明らかにされている。その幼年時代、その御生涯、その従順、義憤、餓えと渇き喜びと涙と悲しみ、苦しみと御死去である。


 ところが、ダ・ヴィンチ・コードが使っているグノーシスの「福音」においてはこのイエズス・キリストの「人間的な側面」が体系的に削除され、否定されている。根拠のない伝説に過ぎない偽典を賞賛する人々は、自己矛盾に陥っている。彼らは新約聖書を頻繁に根拠のないものであるかのように取り扱う。そしてその断片をとってそれを証拠に新約聖書は後世に書かれたものに違いない、と叫ぶ。


 しかし彼らが大切にするフィリッポの福音といわれているものは、紀元後三世紀中葉のものだ。その文書の多くはグノーシスから出たものだ。既に二世紀、三世紀には、聖イレネオ、聖ヒポリト、テルトゥリアヌスなどはこれらの伝説に力強く反駁を加えている。


 グノーシスは、現代のニューエイジと比較できる。グノーシスはだいたいキリストの人間本性を否定し、本当の天主の秘密の知識を授けることが出来ると主張する。


 ニケア公会議が言う通り、イエズス・キリストは「創られずして生まれた」天主の聖子、聖父と同一本性である。キリストによって創立された教会は、常に聖父と聖子と聖霊と三位であるが唯一の天主、三位一体の天主を信仰してきた。キリスト者だけが、私たち罪人を贖うために天主が人となったことを信じている。

 イエズス・キリストはご自分が天主であると宣言して十字架につけられた。使徒たちはそれを証して殉教した。多くのキリスト者らが同じくそれを証した。聖パウロも同じことを1世紀中葉に宣教した。ビトュニアのローマ総督小プリニウスは、西暦一一二年に、キリスト者らがキリストを天主として褒め称える参加を歌っていると証言している。(L. 10, l. 96)

 ニケア公会議の以前から、アンティオキアの聖イグナチオ(一一七年没)、ユスティヌス(一六五年没)、聖イレネオ(二〇〇年没)、アレクサンドリアの聖クレメンテ(二一五年没)、テルトゥリアヌス(二二五年没)などは、はっきりとイエズス・キリストが天主であることを宣言している。


 カトリック教会はキリストについて何も隠していたことはない。その反対だ。私たちの主イエズス・キリストのご命令のままに行動してきた。「私には、天と地との一切の権力が与えられている。だからあなたたちは諸国に弟子をつくりにいき、聖父と聖子と聖霊とのみ名によって洗礼をさずけ、私があなたたちに命じたことをすべて守るように教えよ。私は、世の終わりまで、常にあなたたちとともにいる。」(マテオ二八章)


 教会の全歴史は、イエズス・キリストの福音を伝え、キリストの愛を輝かせ、人間を善へと導き幸福にするために、力を尽くし続けてきたことを証明している。


 教会は、イエズス・キリストが天主であると思わせるために「初期のテキスト」闇に葬った? 一九四七年に発見された死海文書は、キリスト教信者の生活について、その信仰について何ら教えるところがない。


 四世紀のものであるナグ・ハンマディのグノーシス文書のごみ捨て場が、一九四五年に発見された。そこで新たな秘密の発見は何もなかった。あったのは過去キリスト教が排斥したグノーシスだけだった。ダ・ヴィンチ・コードの中に出てくる偽典『フィリッポとマリアの福音』はいかなる使徒とも関係のない後期の作だ。


 ダ・ヴィンチ・コードという現代のグノーシス的捏造は、悪気のないフィクションなどでは決してない。これはキリストとキリストの弟子達への憎悪を教えるフリーの授業であり講話だ。この小説は、カトリック教会を、陰謀をたくらみ・人を騙す寄生虫のような・オカルト団体の一つであるかのように疑惑するようにし向けている。教会に対する不信のキャンペーンをはっている。ローマ時代にはネロの時がそうだった。キリスト教会に向けられた根も葉もない讒言が、三世紀にわたる残酷な迫害の原因となった。キリシタン時代がそうだった。キリシタンに向けられた根も葉もない讒言が、豊臣秀吉を始めとし二五〇年の残酷な流血の迫害時代を呼び起こした。このグノーシスのがらくたは、悲しくもキリスト教をくだらない秘密の結集であるかのように見なしてこき下ろしている。


 だから私たちはダ・ヴィンチ・コードの「フィクション」の仮面の下に隠された、私たちの主イエズス・キリストへの冒涜とイエズス・キリストの創立した教会への讒言を告発する。


 それと同時に、私たちはイエズス・キリストについての正確な知識を学ぼう。カトリック教会の歴史、諸聖人の伝記などに関する良書を読もう。そして来るキリスト教に対する讒言の攻撃に対して真理で防備しよう。


「人々の前で、私の味方だと宣言する人を、私もまた、天にいます私の父のみ前で、その人の味方だと宣言しよう。人々の前で私をいなむ者を、私もまた、天にいます私の父のみ前でいなもう。」(マテオ十章)


至聖なるイエズスの聖心よ、我等を憐れみ給え!


原罪なく宿り給いし聖マリア、御身に寄りすがり奉る我等のために祈り給え!


 



 私たちはダ・ヴィンチ・コードでなされる多くの冒涜に対して罪の償いを果たそう。

 特に私たちの愛する同胞である日本の兄弟姉妹の方々が、その巧妙に提示された虚偽に騙されることのないように祈ろう。




 兄弟姉妹の皆様、ダ・ヴィンチ・コードの冒涜の償いのために多くの祈りをお願いいたします。日本の司教様や教会の指導者の方々のためにお祈りをお願いします。

 天主の御母聖マリアよ、我等のために祈り給え!

 



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ダ・ヴィンチ・コードとその各国の反応

2006年05月18日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

ダ・ヴィンチ・コードとその各国の反応


 ★アメリカでは★


 伝統・家庭・所有のためのアメリカ会(TFP) とその「アメリカがファチマを必要としてるキャンペーン」は映画『ダ・ヴィンチ・コード』の抗議署名運動をして103402の署名を今までに集めた。
http://www.tfp.org/php/action_form/davinci_code.php


 同会は、全米に抗議の組織を作った。
Rejecting The Da Vinci Code Protest Central
http://www.tfp.org/davincicode/index.htm


 同会はダ・ヴィンチ・コードを論破する冊子を作り、PDF形式で公開している。

http://www.tfp.org/davincicode/protest_resources/RDVC.pdf


60,057 Catholics Reject Da Vinci Code - Catholic Online
http://www.catholic.org/prwire/headline.php?ID=1900

 

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★アメリカの司教様たちの対応★



 アメリカの司教たちも、ダ・ヴィンチ・コードに反対するTFPの運動をサポートしている。以下はサポートしている司教様たちの名前。


 ◎ アトランタの大司教、ウィルトン・グレゴリー大司教
http://www.tfp.org/davincicode/support/images/ArchbishopGregory_DVC_Lette.jpg


 ◎ フィラデルフィアの大司教、ジャスティン・リガリ枢機卿


 ◎ カンザス市の司教、ロバート・フィン司教


 ◎ サン・フアンの引退大司教、ルイ・アポンテ枢機卿
http://www.tfp.org/davincicode/support/images/Bishop_DVC_Letter_PR2.jpg
http://www.tfp.org/davincicode/support/images/Bishop_DVC_Letter_PR1.jpg


 ◎ パルマの聖ヨザファト教区司教、ロバート・モスカル司教


 ◎ グアムのアガナ教区司教、アンソニー・アプロン司教


 ◎ ミネソタ州のニュー・ウルム教区司教、ジョン・ニーンシュテット司教


 ◎ セント・ルイスの大司教、レイモンド・バーク大司教


 ◎ コロラド・スプリングの司教、マイケル・シェリダン司教


 ◎ モバイルの大司教、オスカー・リプスコム大司教


 ◎ テキサスのブラウンスビルの司教、レイモンド・ピナ司教


Bishops' Support for TFP Protests Against The Da Vinci Code
http://www.tfp.org/davincicode/support/bishop_support.htm

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有名なカトリック司祭はダ・ヴィンチ・コードの映画をボイコットを呼びかける(February 16, 2006)


 カトリック聖職者兄弟会会長のジョン・トリジリオ神父(Father John Trigilio, president of the Confraternity of Catholic Clergy)は、この映画とそれに広告を出しているスポンサーをボイコットするように呼びかけている。「これは単なるフィクションだ」という人々は、これが読者にインパクトを与えるために書かれたと言うことを忘れている。想像の前提の上に成り立つ間違った結論は、常識と通常の理性が私たちにナンセンスと教えることさえも信じ込ませてしまう。」


 「偽典は禁止されたのでも隠されたのでもなく、ただ信頼されず無視されたのだ。グノーシスの偽典は全く不正確で偽りだらけだったからだ。・・・ヒトラーとナチスのプロパガンダ大臣であったヨーゼフ・ゲッペルスは、ウソが大きければ大きいほど人々はよく信じる、と言っていた。


「もしもこれと同じような陰謀論がイスラムやユダヤ教、或いはその他の宗教に関してなされていたら、今頃は裁判沙汰になっていただろうし、世界中で抗議行動がおこっていただろう。しかしカトリックは自分の敵に自由に攻撃させている。もう目を覚ます時だ。立ち上がって私たちの宗教と私たちの教会を守ろう。ダン・ブラウンは教会攻撃以外の別の趣味を見つけるべきだ。」


Prominent priest: Boycott Da Vinci Code film
http://www.renewamerica.us/columns/abbott/060216


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ダ・ヴィンチ・コードのための『辞典』


 ジェイムズ・ガーロウ博士(Dr. James Garlow)は、『ダ・ヴィンチ・解読コード"The Da Vinci Codebreaker," (Bethany House)』という辞典を作った。これは『ダ・ヴィンチ・コード』に登場する人々、場所、文書、出来事などに関する事実を知るためのものだ。


 ガーロウ博士は言う。「キリスト者がその信じていることを維持するのに充分な信仰がないというよりも、キリスト教の歴史についての事実で防御態勢ができていないのだ。」


 マイケル・メッヴェドはこうコメントする。「私は宗教的には確固としたユダヤ教徒だが、多くの騙されやすい読者たちが『ダ・ヴィンチ・コード』をそれの本当の姿--安物の巧妙に組み立てられた、そして同時に、苦々しく偏見とキリスト教の伝統に全く無責任な讒言に満ちているエンターテイメント--を見るよりも、真面目な宗教的学問的作品だと思いこんでいるので、ぞっとしたのだ。ガーロウ博士の『ダ・ヴィンチ・解読コード』は、公平な人々が必要とするウソ、神話、誤解(これらはダン・ブラウンの小説と疑いなくロン・ホワードの映画で促進されるのだが)の事実に基づくバック・グランドを提供している。」


 ガーロウ博士は言う。「ダ・ヴィンチ・コードはキリスト者たちによい機会を提示している。それは信仰の歴史を学ぶのみならず、学んだことを他の人々に伝えるという挑戦を受けて立つことだ。個人が何を信じているかにかかわらず、私たちは皆、真理を知ることを望んでいる、と私は思う。キリスト者として私たちは真理について何も畏れることがない。


 ガーロウ博士については以下のサイトを参照のこと。
http://www.bethanyhouse.com/
http://www.jimgarlow.com/.
http://www.thetruthaboutdavinci.com/.

 

Dictionary Counters 'Da Vinci' on Its Own Terms
http://www.earnedmedia.org/alrc0404.htm

 

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★カンヌ映画祭★


 カンヌ映画祭で『ダ・ヴィンチ・コード』は低い評価を受ける
May 17 4:32 AM


 拍手よりも嘲笑のヤジがロン・ホワードの1億2500万ドルの映画に挨拶を送った。更に悪いことに映画のキー・ポイントで2000名の観衆が笑い出した。


 The US daily The Boston Globe の批評家ピーター・ブルネットはこう語った。「私はあまり気に入らなかった。小説と同じくらい趣味が悪いね。トム・ハンクスはひどかった。イアン・マッケレンもひどい。・・・」


 トム・ハンクスがイエズス・キリストの子孫の生き残りだと打ち明ける時、カンヌ映画祭の観衆は笑いをこらえることが出来なかった。


「あの最も大切な時に、ジャーナリストたちの間で笑いがあった。大きな笑い声ではなく鼻でのせせら笑いだ。私はそれがすべてを語っていると思う。」とインドのタイムズ紙のジェルソン・ダ・クンハは語る。


「観衆は混乱していた。拍手はなかった。ただ沈黙だけだった」とイタリアのテレビ局 ライ3 のマルゲリータ・フェランディーノは語った。「私はこの本の半分を読んで飽きてしまった。ひどい内容だ。」


「本当にがっかりした。対話はちゃちだった。俳優はそんなに悪くなかったが、映画は本ほど良くなかった。」と英国のラジオIRNからのリナ・ハンチャウイは語った。


 ハリウッドのトップの雑誌『The Daily Variety』誌は、この映画をこき下ろした。ブラウンのベストセラー小説は「退屈な、気味の悪いものとなった」と批評する。「もしも小説が存在していなかったとしたら、これひどい脚本がハリウッドのスタジオで一考されたなどと言うことは信じることも不可能だ。」


Critics crucify 'Da Vinci Code' in Cannes
http://www.breitbart.com/news/2006/05/17/060517083200.xsu2opby.html


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★アルゼンチン★


 アルゼンチンの司教はキリスト教に反対する「憎悪の波」と描写した。


 アルゼンチンのラ・プラタの大司教、エクロール・アゲル大司教は、カトリックに怠惰であることなく、「高貴な堅固」をもってイエズス・キリストに反対する「支配的な恥知らずの」憎しみの波に答えるように信徒らを励ました。


Catholic World News : Argentine prelate decries 'wave of hatred' against Christianity
http://www.cwnews.com/news/viewstory.cfm?recnum=43531


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★ローマ★


 教皇様の説教家、カンタラメッサ神父は「似非歴史の文学」を批判した。


「私たちは、信仰者達の沈黙が同意であるかのような誤解を与えること、そして何千万の善意の信仰がマスメディアによって操作されているは、許されない・・・。」

Pope’s preacher: Betrayal repeated by Judas Gospel, best-selling ‘Da Vinci Code’ - Catholic Online
http://www.catholic.org/international/international_story.php?id=19473

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 ★「仏教国」のタイ★

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1971630/detail
 

タイ検閲委、「ダ・ヴィンチ・コード」のラスト10分間削除命令=会社側は異議申立

【ライブドア・ニュース 05月17日】- AP通信によると、ソニー・ピクチャーズエンタテインメント傘下のコロンビア・ピクチャーズは17日、同社の話題作「ダ・ヴィンチ・コード」の上映をめぐり、タイ政府の映画検閲委員会が最後のシーンの10分間を削除する決定を下したことに対し、異議を申し立てた。この削除は、タイ国内のキリスト教関係者が映画の内容はキリスト教に対する侮辱として、上映差し止めなどの抗議を受けて、16日に決定されたもの。

  同委の担当者は、「検閲委員会は作品中10分間の場面について削除を命じた。しかし、映画会社側から異議の申し立てがあり、再検討する」としている。一方、同社のタイ関係者は、削除には応じられないが、協会側からの要望通り、この映画はフィクションであることのメッセージを映画の中に入れるだろうとしている。

  世界的なベストセラーになった原作本の「ダ・ヴィンチ・コード」にもカトリック教会の指導者からキリスト教を侮辱し、歪めるものとして強い批判が出ており、不買運動や抗議行動が広がっている国がある。仏教徒が圧倒的多数を占めるタイでは同作品の公開が18日から始まる予定になっている。【了】

ライブドア・ニュース 戸塚雅美記者/em
(参照:http://blog.livedoor.jp/emasutani/)

 
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★フィリピン★


「ダ・ヴィンチ・コード」、R18指定に…フィリピン

http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20060516i115.htm

 【マニラ=遠藤富美子】カトリック教徒が国民の8割以上を占めるフィリピンで16日、比大統領府の映画・テレビ審査委員会が、世界的なベストセラー小説を映画化した「ダ・ヴィンチ・コード」を18歳以上向けの「R18指定」とした。

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★イギリス★


「キリストに子ども」6割 英世論調査で読者回答

http://cnn.co.jp/showbiz/CNN200605170004.html

 【ロンドン17日共同】17日付の英紙デーリー・テレグラフは、世界的ベストセラー小説「ダ・ヴィンチ・コード」を読んだ人の6割が、小説の筋書きに沿い、イエス・キリストには子どもがいて血筋が続いている可能性があると信じているとの世論調査結果を掲載した。

 調査結果では、36%の読者がカトリック教会はキリストについての真実を隠ぺいしていると信じていると回答した。
 


「キリストに子ども」ダ・ヴィンチ読者6割が信じる

http://www.zakzak.co.jp/top/2006_05/t2006051724.html
 
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★その他★

映画版「ダ・ヴィンチ・コード」、プレミア前に抗議広がる

フランス、カンヌ──ダン・ブラウンの世界的ベストセラーの映画化「ダ・ヴィンチ・コード」(ロン・ハワード監督)は17日、カンヌ国際映画祭でプレミア上映される。こうしたなか、世界各国のキリスト教団体は、同作品の上映中止や上映期間短縮を求める抗議行動を展開中だ。


韓国ではプロテスタント団体が裁判所に上映差し止めを請求したが、裁判所は「原作や映画がフィクションであることは明らかであり、映画鑑賞者が内容を事実であると誤解する可能性はない」として請求を棄却した。団体は裁判所の決定を尊重するとしたうえで、映画版をボイコットする方針を明らかにした。


インド政府は抗議を受けて、同作品の上映を暫定的に見合わせる方針を決定。その一方でカトリック団体の幹部が上映禁止を求め、ムンバイでハンガーストライキを開始した。参加者は増える見通しという。


ギリシャの首都アテネではギリシャ正教の関係者らを含む200人が、十字架やギリシャ国旗を掲げて議会までのデモ行進を実施。関係者は、原作の内容が「下劣」だと批判するとともに、預言者ムハンマドの風刺画1つで抗議行動を起こしたイスラム教徒にならい、キリスト教徒も立ち上がるべきだとの考えを示した。正教は映画の内容について「ばかばかしい」とコメントしているが、ボイコットを呼びかけるには至らなかった。


シンガポールのキリスト教団体は上映禁止を求める一方、映画や原作への反論を試みる講座を開催する。検閲当局は、大人以外に事実とフィクションの区別は難しいとの判断から、映画版をNC16(16歳未満鑑賞禁止)に指定した。


このほか、物語に悪役として登場する白皮症の男の描写について、米患者団体が反発を表明した。


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 私たちはダ・ヴィンチ・コードでなされる多くの冒涜に対して罪の償いを果たそう。


 特に私たちの愛する同胞である日本の兄弟姉妹の方々が、その巧妙に提示された虚偽に騙されることのないように祈ろう。



 兄弟姉妹の皆様、ダ・ヴィンチ・コードの冒涜の償いのために多くの祈りをお願いいたします。日本の司教様や教会の指導者の方々のためにお祈りをお願いします。


 天主の御母聖マリアよ、我等のために祈り給え!

 


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ダ・ヴィンチ・コードのカトリック教会に対する讒言と虚偽

2006年05月17日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

 

 ダ・ヴィンチ・コードのカトリック教会に対する讒言


 ダ・ヴィンチ・コードは、カトリック教会が反女性的であるとし、カトリックは中世に七百万人の魔女を焼いたと言う。しかし事実は最近の研究が明らかにしているように、一四〇〇年から一七〇〇年の間に四万人(四百万ではなく単に四万)が魔女・魔法使いといて処刑されたと考えられているが、その多くはプロテスタントによって処刑された。中世には魔女として処刑された人々は殆どいない。

(Jenny Gibbons, "Recent Developments in the Study of the Great European Witch Hunt", #5, Pomegranate (Lammas, 1998)



 ブラウンは神殿騎士団が奇妙な秘密の始まりをもっていたと主張するが、真面目な歴史家で神殿騎士団のそのような始まりに関する文書や証拠を見つけた人は一人も存在していない。ダ・ヴィンチ・コードによると、神殿騎士団がゴチック建築を発明し、オカルトのシンボルをそこに密かに埋め込み、異教の神々を礼拝した、と主張する。ダ・ヴィンチ・コードによると、神殿騎士団は教皇クレメンテ五世によって解散させられ、神殿騎士団員数百名を焼き殺しその灰をティベル河に投げ捨てた、そのために騎士団はフリーメーソンと姿を変えて今日に至る、と主張する。これは全くの作り話だ。


 神殿騎士団はまず、イスラム教徒から迫害を受けていた聖地にいるキリスト教信者を助け聖地を保護するためにあった。彼らは建築家ではなかった。


 アヴィニョンの教皇であったクレメンテ五世ではなく、フランスのフィリップ五世が神殿騎士団に対立し、彼らに対して異端や魔術の告発をしていた。そしてフィリップ五世の下で、拷問などが実行され哀れ神殿騎士団の中には偽りの自白をしたものもあったが、後にそれを撤回している。学問的な研究の成果によれば、神殿騎士団が異端集団だったという証拠はない、ということだ。しかしフィリップ五世は、優柔不断なクレメンテ五世に圧力をかけ、その解体を迫った。


(Malcolm Barber, "The Trial of the Templars", Cambridge University Press: 1978;
Edward Burnmn, "The Templars Knights of God", Rochester, VA: Destiny Books, 1986;
Peter Partner, "The Murdered Magicians: The Templars and Their Myth", Oxford: Oxford University Press, 1982)


 教皇クレメンテ五世が神殿騎士団の会員を焼いた灰をティベル河に投げ捨てたというが、ローマあるいはイタリアのその他の都市で神殿騎士団の会員が焼かれたという記録は存在していない。ただしフィリップ五世の下で、パリとフランスのその他の都市で合計すると百名以下の会員が焼かれたことはある。


 神殿騎士団の住んでいたところは、ソロモンの神殿の下の古い馬小屋の中ではない。彼らはアルアクサというイスラム寺院の隣の神殿山(Temple Mount)の上に立つ王宮の一部に住んでいた。


 以上のようにブラウンの描く「歴史的事実」まったくデタラメであり、彼は単に反キリスト教、反カトリックのフィクションを書いているとしか言いようがない



 ダ・ヴィンチ・コードが描く秘密結社


 ダン・ブラウンはバラ十字架団、フリーメーソン、その他の秘密結社のシンボルや儀式についてあまり知られていない情報をダ・ヴィンチ・コードに織り込んでいる。幾つかは本当のことが記載されているがその殆どはデタラメだ。そのためにどこからどこがウソでどこからどこまでが本当か混乱を引き起こさせている。


 例えばブラウンはヒエロス・ガモスと言われる異教の性的乱交秘密酒神祭ともいうようなものが秘密結社には存在しているという。これについては信頼のおける研究家らによってもかつて秘密結社において存在したし、現在でも存在しているという。しかしダン・ブラウンは神殿騎士団の「秘密儀式」の一部にそれがあったとウソをつく。


 シオン修道院のグランド・マスターの「秘密文書」に載せられたリストであるが、そこにあげられている人々はかなりの数が様々なオカルト団体と関わっていたらしい。ただし彼らが、存在していなかったシオン修道院という一つの団体に関わっていたというのはナンセンスだ。

(Robert Richardson, "The Unknown Treasure: The Priory of Sion Fraud and the Spiritual Treasure of Rennes-le-Chateau", Houston, TX: NorthStar, 1998. )



 例えばアイザック・ニュートンは、オックスフォードの「見えない学寮」(invisible College)の一部だった。

 ヴィクトル・ユーゴーは、秘教主義と聖なる女性の伝説に巻き込まれていた。しかし彼らがすべてフィクションのシオン修道院という一つの団体に所属していた、というのは現実ではない。


 ダ・ヴィンチ・コードによると、バラ十字架団、フリーメーソン、その他の秘密結社などが一つの現実であるかのように描かれている。しかし現実は全く違う。これらの悪の勢力はカトリック教会とキリスト教世界に反対して闘う時だけは一致するが、そうでなければ互いに相争っている。


 ブラウンはこれらの秘密結社らを常に良いものとして描き、それに平行してカトリック教会を悪として描いている。革命的現代人は善を悪として受けいれ、悪を善として考えるのか? ダ・ヴィンチ・コードはそのような現代人に、キリストが天主であるということを否定するように暗示している。だから世界中のマスメディアは、これを促進し宣伝し、囃し立てているのだ。



 ダ・ヴィンチ・コードは冒涜的な性格を持っているために私たちはこれに対して抗議する。アリンゼ枢機卿はキリスト者らに、ダ・ヴィンチ・コードに反対して行動を起こさなければならない、と要請している。


 教理聖省の秘書アンジェロ・アマト司教(サレジオ会)は、四月二八日に映画ダ・ヴィンチ・コードをボイコットするように訴えた。


 オプス・デイ運営のローマのサンタ・クルチェ(聖十字架)大学でのセミナーで、アマト司教はこう言った。
「あなたたちが皆、これをボイコットすると期待します。」


 アマト司教は言葉を続ける。「大部分のキリスト教信者の極めてお粗末な文化的素養のため、彼らは自分たちの希望の理由を挙げることさえも出来ない。」そのために「ダ・ヴィンチ・コードのような頑固に反キリスト教的な小説---イエズス・キリストと福音書と教会とに関して讒言と攻撃と歴史的・神学的誤謬に満ちた---が奇妙にも成功をおさめた」と説明する。


 アマト司教は更に言う。「これらの讒言と攻撃と誤謬がもしもコーラン(イスラム経典)やショラー(ユダヤ経典)に関するものであれば、世界中で大騒動が起こっていたことであろう。しかしカトリック教会とキリスト者らに向けられたものであったがゆえになんの罰も受けなかった。」


「このような場合、キリスト者たちは嘘と根拠のない名誉毀損を拒否するためにもっと敏感であるべきだ。」


 一九八八年の「キリストの最後の誘惑」という映画上映の時、これはボイコットを受け、「それに相応しい経済的失敗」という痛手を与えることが出来た、とアマト司教は追憶する。そしてダ・ヴィンチ・コードについては「極めてゆゆしいものであり、歴史的に間違っている」と評価する。


「今日、福音の伝達が現実の迫害によって妨害されているばかりか----世界にはまだ、投獄や死刑の刑をもって、自分の信仰を宣言する自由を拒否されているキリスト者らがまだいる----しかしポスト・モダン文化の弱々しい思想によって迫害されている。何故ならポスト・モダン文化はキリスト教の啓示という強力な思想を拒否するからだ。」そのために現代は「虚無的・相対主義的・生命技術偏重的文化の重々しい雰囲気がある」という。


「私たちは現代、真理と明らかな物事に対応していない仮想現実的な空間の中に生きているかのように思われる。この仮想世界は世論操作とマスメディアのシミュレーションの実験室で作られているようだ。」 アマト司教はこの意味で「人物と出来事と歴史の操作」があると告発する。


ユダの福音についてもアマト司教は「カトリック報道機関は、ニュースを報道するだけではダメだ」とし、これが「偽典の福音であり、教会と教父たちはこの存在を知っており排斥した」偽物、「事実の現実と対応しない、ユダを間違って描くもの」であるということを理解させる情報を読者に提供しなければならない、と述べた。

http://www.dici.org/actualite_read.php?id=1249&loc=fr


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 韓国では、朝鮮日報によると、映画『ダヴィンチ・コード』、上映禁止仮処分棄却、とのことだ。しかしそれなりの努力をしたことはうれしい。


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 ソウル中央地裁・民事捜査部は16日、「韓国キリスト教連合会・映画『ダヴィンチ・コード』特別対策委員会」が同映画の国内公開禁止を要求し提出した仮処分申請を棄却した。

 同委員会は先月、「映画『ダヴィンチ・コード』がキリストの神聖と聖書の真理を毀損し冒涜している」とし、「これにより個人の宗教的信念が侵害される恐れがある」として、同映画の韓国配給会社である(株)ソニー・ピクチャース・リリージング・コリアを相手取り上映禁止仮処分申請書を提出した。

 米国の作家ダン・ブラウンのベストセラー小説『ダヴィンチ・コード』を原作にした同映画は18日に世界で同時公開される。

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1967237/detail
 
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 フィリピンでは、上映が延期になったと以前噂で聞きましたが、そうではなくなったようだ。ただし、18歳未満不適切映画、R18に指定されたそうだ。(テケテキさん、コメントと情報を感謝します。)


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 私たちは何をしたらよいのだろうか?



 ADさん、コメントを感謝します。では、私たちは何をしたらよいのだろうか?


 パッションの時には、「反ユダヤ」という言いがかりをつけられてバチカンにまで抗議した。それと同じように私たちは、キリスト教の指導者の方々が行動を起こして下さるのを期待している。何故なら、私たち個人の力には限りがありすぎるからだ。



 しかし、下の日本カトリック正義と平和協議会の活動リストを見ると、

http://www17.ocn.ne.jp/~antijpj/yamanouchi/jpj-act.html

 環境保護、森林保護、熱帯雨林保護、良心の自由、人権闘争、死刑反対、盗聴法反対など、人間を天主の地位に上げるようなことは力を尽くしていることは分かる。人間は天主のように高められている。


 だが、その反対に、天主である私たちの主イエズス・キリストを単なる人間に貶めることについては、無関心なのではないか、と私は畏れる。


 日本のカトリック教会の指導層は、私たちの主イエズス・キリストの名誉のためには、何も動かないかもしれないと畏れる。もしも私たちの主イエズス・キリストの御聖体が粗末に扱われているなら、映画において私たちの主イエズス・キリストが侮辱されていても心を動かさないかもしれない、と畏れる。これが空しい虞であることを祈る。


 では、私たちは何をしたらよいのだろうか?


 天主の御母聖マリア、マグダラの聖なる痛悔女マリア、私たちの主イエズス・キリストの十字架の下に佇もう。イエズス・キリストの側に立ち、天主に祈ろう。またベロニカのように、償いの布をイエズス・キリストに捧げよう。


 私たちは映画『ダ・ヴィンチ・コード』を制作した SONY に対して憎しみを抱くものではない。しかしこの小説と映画はあまりにも反キリスト教的なものであるので、私たちは決してこれを見ないようにしよう。その時間とお金があれば、私たちはダ・ヴィンチ・コードでなされる多くの冒涜に対して罪の償いを果たそう。特に私たちの愛する同胞である日本の兄弟姉妹の方々が、その巧妙に提示された虚偽に騙されることのないように祈ろう。

 



 兄弟姉妹の皆様、ダ・ヴィンチ・コードの冒涜の償いのために多くの祈りをお願いいたします。日本の司教様や教会の指導者の方々のためにお祈りをお願いします。

 天主の御母聖マリアよ、我等のために祈り給え!




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ダ・ヴィンチ・コードに対する世界のカトリック教会の動き

2006年05月16日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!



 私たちの主イエズス・キリストが冒涜されている映画や小説、例えばダ・ヴィンチ・コードがベストセラーになっている今、日本のカトリック教会の指導者たちが何か行動を起こされることを期待している。


 アリンゼ枢機卿はキリスト者らに、ダ・ヴィンチ・コードに反対して行動を起こさなければならない、と要請している。


 報道によればアリンゼ枢機卿は「キリスト者は、椅子に座って何もせずに「赦し忘れる」だけで充分だとは言ってはならない。政治的な行動を取ることも時には私たちの義務である」と言った。


「キリストを冒涜し、それをよしとする人々は、キリスト者が自分たちを侮辱する人々を赦し愛するということを乱用している。」

http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/4750283.stm
http://www.sabcnews.com/world/europe/0,2172,126503,00.html



 えっ? 司教様たちはお忙しいから、そのような時間はない? では人権問題や正義の問題でいつも口うるさく騒ぐ「カトリック正義と平和協議会」(略称・「正平協」)ならが、私たちの主イエズス・キリストの天主の権利と、尊厳と正義が踏みにじられているのだから、何か行動を起こしても良いのではないだろうか?


 外国人の指紋押捺は外国人を犯罪予備軍と見るものだから人間の尊厳に反している、として闘う司祭たちもいたではないか。イエズス・キリストとカトリック教会とを歴史の歪曲者として犯罪者として取り扱うダ・ヴィンチ・コードに対して、声を挙げても良いのではないか? 


(ちなみにいうと、外国人の指紋押捺は外国人を犯罪予備軍と見るものだから人間の尊厳に反している、のが本当なら、家に鍵をかけるのも、パソコンにパスワードを設定するのも、他人を犯罪予備軍と見るものではないか? フィリピンでは私は外国人だが、ビザを取るために十本の指のそれぞれの指紋を採られた。私は喜んで指紋をつけてあげた。人間の尊厳に反している? ばかばかしい。)



 また「宗教者九条の和」の団体に所属し、日本国憲法第九条のためなら時間も労力も惜しまないという司教様たちなら、私たちの主イエズス・キリストのためなら少しは時間が取れるのではないか?


 靖国神社公式参拝に対する抗議・要請・遺憾表明、「つくる会教科書」不採択要請、盗聴法反対、日の丸君が代国旗国歌法制化反対などに積極的に活動し、アクティヴィストとして動いておられるのならば、私たちの主イエズス・キリストとカトリック教会の名誉のために少しは活動する時間があるのではないだろうか?


 私たちは彼らが「つくる会教科書」不採択要請のために電話で攻撃するようにアジテーションしていたのをよく覚えている。


 日本カトリック司教協議会の正平協の担当司教様は、2001年2月20日付で各ミッション系の学長・学校長・園長宛に「日の丸・君が代・元号」の使用に反対するための要請文書を送っておられる。さらにまた、2001年3月27日付で内閣総理大臣・保守党党首・公明党代表・文部科学大臣宛に「つくる会教科書」不採択の要請文書を送っておられる。


 ダ・ヴィンチ・コードを上映する映画館、それを売る書店に抗議・要請・遺憾表明などを書くぐらい何でもなさそうだけれど。


 日本カトリック司教協議会の正平協担当司教様は、各ミッション系の学長・学校長・園長宛に「ダ・ヴィンチ・コード」に反対するための要請文書を送って下さっても良さそうだ。特に何も知らない日本の青少年にとってこの小説と映画を悪影響を及ぼすことは必須だからだ。


 ダン・ブラウンは巻頭で「芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述は、すべて事実に基づいている」と言っているのだ。そして私たちの主イエズス・キリストの天主性を否定しているのだから。



 それとも、日本の司教様たちにとって私たちの主イエズス・キリストとカトリック教会の名誉などはどうでもよいのだろうか? 私はそうは思いたくない。



 私は一年ほど前から、ダ・ヴィンチ・コードについて話を聞きながら、何も行動を今まで起こさなかった。反省している。最初は無視したけれども、もう無視できない所まできている。


 おそらく、日本では、ダ・ヴィンチ・コードを本気で読んでいるかたが多くあるのではないだろうか。本当はフィクションなのだけれど。本当は、いわゆる「トンデモ本」なのだけれど! リトル・ペブルの時もそうだった。リトル・ペブルの嘘やペテンが暴かれても、未だに信じている犠牲者は多い。ダ・ヴィンチ・コードも科学的に証明されて、嘘だ、詐欺だ、いかさまだ、と後でいわれても、それを信じてしまった後には、かなりの人がそれを盲信し続けてしまうのではないだろうか。


 世界ではどんなことをやっているのだろうか?


 スコットランドでは、カトリック教会はダ・ヴィンチ・コードに対抗するビデオ・ディスク(DVD)を作った。教会はダン・ブラウンの小説を「記念碑的なナンセンス」と評価した。このDVDは、ダ・ヴィンチ・コードの「神話」のマスクを剥がし、六〇のカトリック校と五〇〇の小教区に送られる。グラスゴウ大学の英文学教授パトリック・レイリーは、この中でダ・ヴィンチ・コードはキリスト教にとって危険な不正確な記載が多く含まれていると指摘する。


 パトリック・レイリー教授はダン・ブラウンの小説は全く歴史的根拠がなく、語られる「事実」は虚偽である、と説明する。

 オプス・デイは、ソニー株式会社に抗議を送り、これにフィクションということを明確にさせるように要求している。


「この映画はフィクションであり、現実を想定させるものが万一あったとしてもそれは、単なる偶然にすぎません」という内容の声明をSonyが映画の始めに入れることで、「キリストの姿や教会の歴史、視聴者の宗教的信条に敬意をあらわすことができると考える」としている。


 フィリピンでは、ダ・ヴィンチ・コードは上映が延期されるようだ。


 カトリック司祭で聖書専門家のレジノ・コルテスは、"The Da Vinci Code: An Exegetical Review" (ダ・ヴィンチ・コード:聖書解釈学的再検討)という本を出版した。


 ローマでは、四月一四日、聖金曜日にカンタラメッサ神父は聖ペトロ大聖堂で説教中に、ダ・ヴィンチ・コードとユダの福音を批判した。


 教理聖省の秘書アンジェロ・アマト司教(サレジオ会)は、四月二八日に映画ダ・ヴィンチ・コードをボイコットするように訴えた。これは「讒言と、攻撃と、歴史的・神学的誤謬に満ちたものだ」と非難した。


http://www.dici.org/actualite_read.php?id=1249&loc=fr



 司教様たちには、是非バチカンからのこの要請に応えてもらいたい。

 




 兄弟姉妹の皆様、ダ・ヴィンチ・コードの冒涜の償いのために多くの祈りをお願いいたします。日本の司教様や教会の指導者の方々のためにお祈りをお願いします。

 天主の御母聖マリアよ、我等のために祈り給え!



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邪悪なダ・ヴィンチ・コードはカトリック信仰に対立する

2006年05月16日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

邪悪なダ・ヴィンチ・コードは

カトリック信仰に対立する

歴史に見せかけたカトリック信仰への攻撃

「無知は私たちの最悪の敵である」(聖ピオ十世教皇)


スタイル


 ストーリーは平凡なフィクションとされる。しかし作者は、実際の出来事、実在の人物、実在の場所などを織り込ませながら、少しずつ事実であるかのように提示している。フィクションと実在を巧妙に混ぜ合わせ混乱を引き起こさせることにより、最後には反キリスト教の宣伝となっている。

「私の本の中で、私は数世紀の間ひそひそと語られていた秘密を明らかにする。私がそれを発明したのではない。この秘密が成功したスリル小説の中で、初めて暴かれた。私はダ・ヴィンチ・コードが読者に考察の新しい軸を与えることを心から期待している。」(ダン・ブラウンのサイトhttp://www.danbrown.comより)


 この道具として使われている曖昧さは真理と誤謬を超えて、善と悪を超えて「考察の新しい軸」を提示しようともくろんでいる。それはキリストに対する憎しみである。キリスト教とカトリック教会に対する憎しみだ。


歴史的・文化的な文脈


 この邪悪なおとぎ話は、歴史的事実に関する無知、宗教に関する無知、福音書に関する無理解を良いことに、多くの人にアピールすることができた。第二バチカン公会議はカトリック教会の聖伝と歴史との断絶をもたらした。多くの司教、司祭、平信徒らは、教会の過去と切り離され、根無しにされ、混乱の中に放り込まれている。ちょうどその時、作者は、証拠もなく歴史上の実在の場所や人物を歪曲し、似非科学的やり方で話を作り上げた。子供じみた秘教的なグノーシス伝説で話を丸め込み、無知な人々に付け入る。ダ・ヴィンチ・コードは、何も知らない多くの人々に、多くの誤解と偏見と不信を送りつけている。


詐欺の言葉づかい


 前書きから「ここで取り上げられた遺跡、美術品、公文書、秘密儀式のすべての描写は、証明されている」と著者は読者を騙している。


 ダ・ヴィンチの描いた「最後の晩餐」にある聖ヨハネは、実はマグダラのマリアであると言う。これには根拠がない。何故なら西洋絵画の全伝統は、キリストの右に聖ヨハネを描きつづけていたからだ。ブラウンによるとキリストの前にはカリスが無い。何故ならマグダラのマリアが「聖杯」だからだ、と言う。しかしダ・ヴィンチは、御聖体の制定の前の様子を描いたのであり、だからキリストはユダの裏切りを予告しているのだ。従って、聖杯はこの時には必要ではなかったのだ。


 シオンの修道院とは「一〇九九年に創立されたヨーロッパ秘密結社の一つで、実在の組織である。一九七五年、パリ国立図書館は秘密文書の名前で知られる羊皮紙を発見し、シオン修道院に所属する数名の会員の名前が分かった。その中にはアイザック・ニュートン、ボッティチェリ、ヴィクトル・ユーゴー、レオナルド・ダ・ヴィンチなどの名前がある。」しかしこの名前の団体は、ドルイド教の僧、反ユダヤ主義者のペテン師ピエール・プランタール(Pierre Plantard)「尊師」によって一九五六年に作られた協会でしかなく、それ以前に存在していたものではない。神話を作り上げるためにピエール・プランタールは一九六七年に偽物の文書を偽造しそれを国立図書館に置かせた、と言うのが事実だ。


 パリにあるサン・スルピス教会は「シオン修道会」と全く関係がない。秘教的なものも異教的な要素もない。ブラウンは読者が素直に信じることをいいことに、フィクションと現実とを混ぜ合わせて全くデタラメを書き連ねる。

 サン・スルピス教会にあるオベリスクと真鍮の帯は、秘密の跡でも何でもなく、一八世紀の科学道具の一部だった。ステンドグラスの真ん中にある P と S の文字は、「シオン修道院」(Prieure de Sion)の頭文字ではない。この教会の聖なる保護聖人の聖ペトロと聖スルピスの頭文字だ。

 パリの子午線は、ブラウンが自分の説のために使っているが、ダ・ヴィンチ・コードが言うようにルーブルを通っているのではない。サン・スルピス教会も通っていない。ブラウンの限界は明らかだ。

 ダ・ヴィンチ・コードによると、ティービングはアラマイ語の伴侶とは「妻」という意味だ、と断言する。しかし実際の文書はアラマイ語ではなくコプト語で書かれている。コプト語の伴侶に当たる言葉はギリシア語からの借用語であり「霊的な姉妹」を意味すると思われる。「妻」ということを言うのなら「ギュネー」という言葉を使っていただろう。

目的


 ダ・ヴィンチ・コードがインスピレーションを受けたのは、最近のグノーシス、秘教、フェミニズム、ニューエイジ、カバラ降神術だ。いにしえの反キリスト教的なおとぎ話、偽伝書、異教のデタラメを盛り込んで、悪意を持ってキリスト教を攻撃する。ダ・ヴィンチ・コードは、カトリック教会が歴史を歪曲したと告発し、「真のキリスト」に関する文書をなきものとしたと非難する。ダ・ヴィンチ・コードの究極の目的は、キリスト教信者の滅びであり、信仰の喪失であり、カトリック教の崩壊である。

 ブラウンは言う。「イエズスに関して、カトリック教会が私たちに教えたことの大部分は、そして私たちに今でも教え続けていることは、全く単純に間違っている。」(ダ・ヴィンチ・コード) 彼は数世紀にわたって新興宗教やセクトらが、最近ではエホバの証人とかイスラムとかが、たどたどしく繰り返す文句をまた歌い始めている。事実の「新しい見方」を促進するためにカトリック教会の信用を失墜させようとしている。


 この「歴史小説」の目的は、私たちの主イエズス・キリスト、人となった天主の御言葉に関する神学を根本的に攻撃することだ。ダ・ヴィンチ・コードの攻撃の中心は、本質的に私たちの主イエズス・キリストその人にある。この本によれば、キリストは確かに偉大な人物、大預言者ではあったが、天主ではなかった。キリストの第一の弟子はマグダラのマリアであり、彼女と結婚したことになっている。マグダラのマリアの胎は「聖なる杯」であり結婚の実りである娘サラを身ごもった。フランスの王たちはこの子孫である。


キリストの独身の事実

 ブラウンはキリストの独身の事実を否定する。彼は三〇歳にもなるユダヤ人であれば普通に結婚していたはずだ、ユダヤ教世界においては独身というのは殆ど存在していないことが確かに証明されている、と言う。しかしもしもブラウンの言うようにキリストが少なくとも偉大な預言者であったとしたら、旧約の預言者のように終生の貞潔を守るべきではないだろうか。キリストの先駆者、洗者聖ヨハネも童貞であった。ユダヤ教世界に独身が無かったなどというのは虚言である。

キリストとマグダラのマリアと「結婚」


 キリストとマグダラのマリアと結婚が、「文書による証拠」で書かれたとうそぶくこの小説で想像されている。この「結婚」は、本質的にすべての人間関係を性愛の観点しかものを見ることの出来ない貧弱な現代の傾向から出たものだ。現代のメンタリティーは、天主の聖寵によってキリスト教的な貞潔を守るなどということを受けいれることが出来ないからだ。だから現代社会は司祭の独身制、修道誓願について攻撃をかけている。


 偽伝の「フィリッポの福音」と言われるグノーシスの本によると、グノーシス共同体に置いては口による接吻が行われていたらしい。この接吻ということは、新しいメンバーに霊を伝えるという象徴的な意味があったようだ。古代キリスト教では接吻に霊的な意味があったのであり何ら性的な意味を持っていたのではなかった。ローマ人への書簡(一六:一六)の中で聖パウロも口づけについて話をしている。マグダラのマリアがキリストの御足に接吻をした、これだけをもって二人が結婚していたという証拠にはならない。メシアの来る前の旧約時代に、ヤーウェがイスラエルの花婿であったように、キリストはその教会の花婿である。教会こそがキリストの唯一の花嫁である。



 ダ・ヴィンチ・コードによるとカトリック教会において女性は軽蔑されているとされる。ブラウンはキリストは本当はマグダラのマリアを教会の頭としたかったと暗示させている。しかし使徒たちが陰謀をたくらみ、マグダラのマリアの地位を横取りしてしまった、と言うことになっている。だからカトリック教会は、女性を蔑視しているという。


 しかし、原罪の汚れなく宿り給うた天主の御母聖マリア、そして罪を痛悔したマグダラのマリア、そしてその他の多くの女性の聖人たちは、カトリック信仰の中心にいつも存在している。たしかにプロテスタントは女性の神秘を自分たちの宗教から追放してしまった。しかし、カトリック教会は、全人類史において、男女両性の等しい尊厳を認め、教え、確立させた最初の団体である。カトリック教会の指導において、キリスト教文明は古代の異教的習慣と隷属状態から女性を解放した。


 これを書くのに、
Da Vinci Code contre foi catholique
par Abbe Marc Vernoy, fsspx
を参照にした。

 兄弟姉妹の皆様、ダ・ヴィンチ・コードの冒涜の償いのために多くの祈りをお願いいたします。


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<<ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい!>>

2006年05月15日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

<<ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい!>>



 アリンゼ枢機卿はキリスト者らに、ダ・ヴィンチ・コードに反対して行動を起こさなければならない、と要請した。


 報道によればアリンゼ枢機卿は「キリスト者は、椅子に座って何もせずに「赦し忘れる」だけで充分だとは言ってはならない。政治的な行動を取ることも時には私たちの義務である」と言った。


「キリストを冒涜し、それをよしとする人々は、キリスト者が自分たちを侮辱する人々を赦し愛するということを乱用している。」

http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/4750283.stm
http://www.sabcnews.com/world/europe/0,2172,126503,00.html



 私たちは、私たちの救いのために生まれ十字架につけられた天主を冒涜するのを黙って見ているわけにはいかない。


 これはあまりにも重大な問題だ。かつてそのような映画が日本で世界で作られたし、これからも創られ続けるかもしれない。もうたくさんだ。


 もはや、黙っていることは私たちにとって許されない。この種のジョークや笑い話はもうたくさんだ。まことしやかに語られる嘘はもうこりごりだ。この種の邪悪な反キリストの映画について、私たちも声を挙げなければならない。



 この冒涜は全世界であまりにも宣伝され注目を浴びた。ここで私たちの主イエズス・キリストが冒涜されて、黙っているのは正義が許さないだろう。私たちカトリックは、この本を拒否しなければならない。


  何故なら、ダ・ヴィンチ・コードにおいては
  私たちの主イエズス・キリストが天主ではないからだ。
  イエズス・キリストは単なる人間にすぎないからだ。



 このフィクションによれば、イエズス・キリストは、ダヴィドの王家の極めて優れた男であるが、天主ではない、マグダラのマリアと結婚しこの地上の王座とソロモン王のように、王家の血統を残したいと考えた、キリストが十字架につけられた後、妊娠していたマグダラのマリアはフランスに逃げ、キリストの子孫はメロヴィング朝王家の元となった、この血統は今日でも続いているが、敵から隠されていなければならない、その敵とは男性支配社会のカトリック教会である、カトリック教会は権力を握り続けるために嘘の歴史を作り上げた、云々。全く荒唐無稽な話だ。

 


ダ・ヴィンチ・コードは、冒涜とデタラメの極みだ



 ダン・ブラウンによると、マグダラのマリアが中世に何故人々があれほど「聖なる杯」を求めていたかを理解する鍵となる、何故なら「聖なる杯」とは2000年前にキリストが最後の晩餐で最初のミサ聖祭を捧げたその物質的なカリスではなく、キリストの王家の血統のことだ、ということになっているからだ。マグダラのマリアがキリストの血統を運ぶカリス(杯)である、というのだ。


 ダン・ブラウンの想像によると、カリス(杯)というのは、古代において女性のシンボルだったと主張する。ブラウンによると聖杯は、神聖な女性のシンボル、フェミニズムのシンボル、となる。ブラウンはそこで中世の教会がマグダラのマリアを売春婦と「見なした」とする。それはキリストが元来望んだ地位に女性がつくことを防ぐためであった、とする。


 ブラウンによると、マグダラのマリアを頭とする平等な教会をキリストは望んでいた、ことになっている。何故ならマグダラのマリアが「神聖な女性的原理であり女神(divine feminine principle and goddness)」であるからだ。ブラウンがこれによって何を言わんとしていたのか私たちには分からない。彼はそれを説明しようともしないからだ。ただコンスタンティン皇帝によって公認されたカトリック教会は「女性を従属させ、女神を追放し、不信者を焚刑にし、異教を禁止した」ということで間接的に「女性の原理」を描写するだけだ。


 まったく歴史的な証拠もなく、読者はそのような「歴史の秘密」を聞かされ、それを信じるように期待されている。歴史はカトリック教会の「陰謀」だった。マグダラのマリアの血統を隠しつづけようという陰謀だった、という「秘密」だ。ブラウンはマグダラのマリアの血統がシオンの修道院(1099年創立)の秘密兄弟会によって数世紀にわたって守られてきたとフィクションする。


 ファンタジーは続く。このシオン修道院は、神殿騎士会(the Order of the Knights Templar)を成立させた秘密結社であり、創立の最初の九名の騎士はキリストとマグダラのマリアとの血統に関する秘密文書を密かに入手することが出来た(!)、そしてこの秘密文書はエルサレムのソロモンの神殿に隠されていた(もうめちゃくちゃ!)、そこで神殿騎士会がそこを本部とした。中世の十字軍の理想も、じつは神殿騎士会の目的を遂行させるためのカバーアップだった(!)、とされる。



 神殿騎士会については、多くの学術論文や研究書がある。中には極めて批判的で否定的な著者も存在している。しかしこの騎士会がマグダラのマリアの骨と「王家の血筋」を守るために創立された、などというのは全くの空想でありおとぎ話、荒唐無稽なデマに過ぎない。ブラウンは、しかし、今まで隠されていたマグダラのマリアの「遺物」がパリのルーブル博物館の大ピラミッドの下に隠されている(!)と言う。(あまりにもくだらない)


 もしも本物の聖女マグダラのマリアの聖遺物を崇敬したいのなら、フランスのヴェズレー(Vezelay)というところにある修道院とバジリカに存在している。マグダラのマリアは、私たちの主イエズス・キリストの御復活の後、ユダヤ人達の迫害があまりにも厳しく、ガリア(フランス)のマッシリア(マルセイユ)に逃れてきた。聖女はマルセイユの近くのサント・ボームという洞窟で苦行の生活をして一生を終えた。彼女の聖遺物は、ヴェズレーにある聖女に捧げられた大聖堂に運ばれ、そこで彼女の取り次ぎにより、多くの奇蹟がおこった。中世の間、有名な巡礼地となった。

 


ダ・ヴィンチ・コードは、ここがおかしい!


 ダン・ブラウンの説は、冒涜であるばかりか内容が自己矛盾している。



 ブラウンはマグダラのマリアが「神聖な女性的原理であり女神(divine feminine principle and goddness)」であると主張するが、何故、神聖な(divine)存在になり、女神(goddness)となったか、というとその理由は自分の胎内にイエズス・キリストの種を運んだからだ、と言うことになっている。しかしブラウン自身はイエズス・キリストが天主であることを否定している。もしイエズス・キリストが神でないなら、何故マグダラのマリアが女神(goddness)となることができるのか?


 もしもキリストのおかげでマグダラのマリアが神となったなら、イエズス・キリストも神なのではないか??

 


ダ・ヴィンチ・コードは、ここがデタラメ!



 ダン・ブラウンの説は、冒涜であるばかりか基本的歴史的事実に反している。

 ダン・ブラウンは今までの過去の歴史はすべてが「勝利者」によって書かれているので、覇権的・特権的・男性的利益の観点から書かれている、従って、全歴史を見直す必要があると主張する。「歴史家」が自分の望むようなことを除いて、すべての現実を否定し、すべての歴史を書き換える、これが彼の立場だ。ブラウンは事実や真理は存在しない、と言う。だから事実や真理に基づく歴史は存在しないと言う。


 ブラウンの愚かさは、例えば西暦三二五年に開催されたニケア公会議が、イエズス・キリストを「単なる人間」から「天主の聖子」と変えたと主張することだ。これなどは、それ以前は、イエズス・キリストを天主であると考えていた人はいないかのような主張だ。ブラウンは、それ以前の三世紀の間、イエズス・キリストのみが天主であると宣言し恐るべき迫害で殉教していった数百万のキリスト者たちの流した血を全く無視している。


 ニケア公会議以前、初代教会の教父たちは、イエズス・キリストが天主であることをくり返しくり返し説いていた。アレクサンドリアの聖クレメンテは一九〇年にこう書いている。
「キリストのみが、同時に天主であり人間である。そしてキリストは私たちのすべての良きものの源である。」


 ニケア公会議はローマ皇帝によって招集されたかもしれないが、約二五〇名の司教らがそれを指導した。そしてキリストの天主性を否定したアリウスを排斥・断罪した。ブラウンはアリウスは賛否両論で票が割れたと主張するが、事実はアリウスを支持して投票した司教は二名だけだった。これが歴史的事実だ。ブラウンが捏造することとは全然違っている。



 ブラウンは、イエズス・キリストとマグダラのマリアとの結婚と平等主義の教会について、グノーシスの福音に基づく、と主張している。ブラウンによれば、キリスト教とはグノーシス教会の腐敗変形したもの(!)で、元来のグノーシス教会では女性神を礼拝していた。彼は、本当に言いたい放題! まずあたかもグノーシスが統一教義を持っていたかのようにブラウンは考えている。これは歴史的事実に全く反している。


 グノーシスは、極めて多種多様で数多い汎神論的なセクト・カルトで、キリスト教以前に栄えていたが、紀元後三世紀に復活しだして現代に至っている。グノーシスは基本的に、物質が霊を悪くさせるもの、物質=悪、霊=善、と考える。そして全宇宙は神が物質により悪化したもの、と考える。


 グノーシスの「福音」には色々あるが「フィリッポの福音」によれば「この世は罪によって存在し始めた」とある。グノーシスは物質の悪を克服して、霊に戻ることがすべての存在の目的であると説く。中には女性神として「母」や「智恵(ソフィア)」と呼ばれる原理を説くものがある。しかしそれらは、グノーシスの一部だ。ブラウンの主張は、グノーシスがすべて女性神を礼拝すると主張する点で、グノーシスを歪曲している。



 聖書学者はこの点で一致しているが、グノーシスの「福音」と呼ばれるものは、キリスト者の信仰を反映するものでは全くなかった。グノーシスの書物はキリスト者によって、廃棄され、無視されていた。最近になって発見された「福音」と言われるものは、皆、古代のゴミ捨て場から出てきたものだ。


 フェミニズムの先頭を行く「神学者」と言われるような人々やシスターも、キリストとマグダラのマリアとの結婚やグノーシスの福音について歴史的信憑性は全くないと主張している。


 私たちが今もっている四福音書は正真正銘の歴史であると、教会教父らによって既に二世紀には証明されている。(もしも、それに少しでも虚偽があったら、ユダヤ人達はそれみよがしに、それを指摘して突っ込んでいただろう。しかし彼らはそれが出来なかった。)
Carl Olson and Sandra Miesel, The Da Vinci Hoax (San Francisco: Ignatius Press, 2004)


 従って、ブラウンの主張は全く根拠がない。



 これを書くのに
 The Da Vinci Code: Blasphemous Thesis and Bad History
 by Marian T. Horvat, Ph.D.
 published by Tradition in Aciton, Inc.
 を参照にした。

 

 

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