再入院したその退院の日がやってきた。これで本当に入院生活とお別れ。その日の朝、いつものように朝5時にベッドを抜け出したぼくは、まだ寝静まっている病棟の廊下を松葉杖で忍び足で歩行し、ナースステーションの前を通過して食堂へ。ポケットからビスケットの包みとインスタントコーヒーのビン、マグカップ、そして文庫本を取り出すと本を読み出した。
小川洋子の「博士の愛した数式」。以前読んだ本だが、現実との接点があいまいで幻想的な登場人物たちが織り成す世界にもう一度浸りたくて再読。彼女の文体には心を揺さぶられる。ページの一文一文に鼻の奥がツーンとなる。
いい年をしたおっさんが恥ずかしいと思うのだが、涙が止まらない。
ベッドにいないぼくを探して、藤原紀華が検温のために食堂にやってくる。やばい。涙を見られてしまう。
できるだけ目を合わせないようにしていたのだが、彼女が怪訝そうな顔をする。だから、花粉症ということでごまかす。
「今年も花粉症がひどくて・・・・・・」
そして笑顔でお別れ。5日間の再入院は、前回の入院にも増して夢のような時間であったけれど、幕切れはあっけない。
”お元気で”の言葉ひとつで現実の世界に収監される。来週からまた、満員電車で出勤の生活がやってくる。
今年(2008年)1月から、にわかハンディキャッパーとして松葉杖をつきだした。右足首を脱臼骨折し、損傷部分をチタン製プレートで補強中。しばらくは期間限定ハンディキャッパーとなる。松葉杖をつきながら普通に出歩いているのだが、バリアフリーとかユニバーサルデザインというものの実態を、障害者の立場から見ることになった。
まず、混んだ電車に乗ると自分はどこに位置すべきか悩むことになる。優先席の前に立つのは、”その席を譲れ”といってるようで気になる。普通の座席でも同じであるが、気の弱いtetujinは遠慮して電車の入り口付近に立ってしまう。
足にハンディがあるから電車内の移動が困難なために入り口付近に立つのだが、健常者は歩行の遅いぼくをどかしてまで我先に電車から降りようとする。
松葉杖を突いて実際に外を歩いていたのは、2月10日に一時退院して3月3日に再入院するまでの2週間と、3月7日に退院してから外来で診察を受けるまでの4日間、合計、28日間である。この間に、松葉杖をついて飛行機でバリ島に行ったり、勝浦や白浜へ電車で海を見に行ったりしていた。
電車には合計10回近く乗ったのだが、席を譲られたのは1度もなかった。むしろ、回復が進んで松葉杖をお守りとして脇に抱えていた頃に、ぼくよりももっと障害がひどく、荷物を入れた歩行器と杖でどうにか電車に乗ってきた老人にだれも席を譲ってあげないから、座っていた普通席を譲ったことがあった。
駅に設置されたエレベーターは、そこにたどり着く頃には、海外旅行のスーツケースなどを運搬する若い女性などが先に乗って行ってしまうため、エレベーターが戻ってくるまで、しばらく待つことが多かった。
ともあれ、いろいろな人の世話になってここまで回復できたことを、本当に感謝をしている。
骨が折れても、仮骨ができたら元に戻れると思っていた。怪我から約3ヶ月たった今でも、むくみの取れない右足。天気が変るとつま先が痺れてどうしようもない。生まれて初めて「手術を受ける」ということ、「入院する」ということ、「職を失うかもしれない」など様々なことを考えた。
それぞれの骨折には様々なドラマがあり、骨折からの回復がどのような過程を歩むのかは、かなり不確定な要因に左右される。
もし、骨折された方で、この文章を読んでくださる奇特な方がいらっしゃいましたら、ぜひ、喫煙は骨癒合を妨げるのでやめましょう。牛乳(カルシウム)や納豆(ビタミンK)、シイタケ(ビタミンD)などは骨癒合を促進します。どうか、がんばって・・・・・・。
私は交通事故で骨折し 入院してました? 松葉杖で暮らして もう 10か月です?
骨折がこんなに大変なものなんて 今まで知らなかった? まだ なかなか骨癒合が遅いから へこんでました? あなたのお話で 少し 元気もらいました? ありがとうございます!(^-^)
10ヶ月ですか。tetujinよりほんの少しだけ先輩っすね。骨折の状態によって、回復具合は人それぞれのようです。
実は、よせばいいのに、この週末は立山に登ってきました。今、帰り着いたところです。
右足首をかばって歩いたせいか、今は、左ひざにかなりの痛みを感じています。どうやら、tetujinはあせりすぎのようですね。
四つ葉? 様。tetujinみたいに無理をせずに、じっくりと直してくださいね。その方が、回復が早かったりします。どうぞ、お大事に。
また、いつでも、遊びに来てください。すねに、同じ傷を持つ身ですから、筋金入りのお付き合い?ができればと思います。