先日、帰宅途中の電車で。
「ちょっと!!」(゜Д゜#)ゴルア!!
若い女性の声が響いた。見ると、つり革につかまった彼女の後ろを通って、反対側の列の電車のシートに腰をかけようとした老人のジャケットの胸ポケットのボタンに、彼女の大きな網目のマフラーが引っかかっていた。
とにかく、一人分だけ空いていた座席に無理に腰をかけた老人。それに伴って、マフラーを引っ張られて、座席の前まで移動させられてムッとしている女性。
「失礼!!!!」
彼女は、あたりはばからずに大きな声で、ボタンに引っかかったマフラーをはずそうとする老人を制すると、自分で丁寧にそのマフラーをはずしたのだった。
こんな時、まず、どっちかが謝らないか?
ぼくは日本人はそんな人種だと思っていた。スタバやマクドが愛されるノーコミュニケーション(?)な今だけど、ここまで日本人は変わってしまったとは思ってなかった。
そういえば、駅構内で、人と鉢合わせしても、謝る前に先に突き飛ばされる。メガロポリスTokyoは、そんな都会になってしまっている。それが嫌で、癒されに下田まで行くのだが。。
ダイバー同士で挨拶をしてくれる人は、・・・・・・それでも少ない。グループが違えばなおさらだ。
みんな、自分のカラを守ることで精一杯のようだ。日本人は、そんなカラを持つ生物になってしまっている。
良くも悪くも、そんな時代なんだろう。ぼくだって、他人に対してカラを持っている。
だからこそ、ぼくは挨拶を返してくれる仲間を、ことさら大切にしたい。自分ひとりで潜っているわけではない。バディが必要なのだから。
さて、この時期。寒い海に飛び込む勇気を与えてくれるダイバーはいませんか?背中を押してくれたら、潜る勇気がわいてくるんですけケド・・・。やや切実なお願い。「私をダイビングに連れてって」
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外国で「ソーリーsorry」と言っているのは、ぶつかって残念といっているだけで謝ってないと聞きました。ならば、失礼もしかたがないかぁ…
被写体の坊やは、この場で見たイルミネーションと夜風の冷たさと、繋いだ手のぬくもりを、生涯忘れないんじゃないかんと思います。感動しました。
この日、いろいろな親子の後姿を撮っていたんですよ。そう、この時のテーマが「世界の子供たちに愛を」。
「Sorry!」なら、心が伴っていなくても(ぶつかって残念と思ってるだけでも)、一応、謝罪の言葉という認識があるじゃないですか。
言葉なんて変化していくものだから、みんなが共通に認識しているフレーズさえ言えば済む話なのに・・・・・・。
アメリカは訴訟社会。だから、先に謝っちゃダメなんですかね。それを、日本人が真似をしてるんですかね。失礼!ぼくも日本人でした。
tetujinは、「恋人がサンタクロース」と歌ったユーミン世代なのに、一度も恋人でサンタクロース役を演じたことはないっす。
クリスマスの高価なプレゼントとシティホテル予約で競争だった時代に、夜遅くまで研究室に閉じこもって、実験結果を見つめていました。明け方、駅に向かって歩いていて、ケーキ屋の前のサンタクロースの置き看板の前を通り過ぎたときに、「ああ、昨日はイブだったんだ・・・」。
世の中のイブの華やかさとは異次元の、いつ果てるとも分らぬ仕事。それが20代の唯一のクリスマス・イブの記憶っす。それだからこそ、子供のための、家族のためのクリスマス・イブの暖かさは心に沁みます。
いつも、ご訪問、ありがとうございます。
来年も、よろしくお願いします。