昨今の大道芸は、ジャグリングやアクロバット、あるいはパントマイム等のサーカス芸が主流で、70年代以降に欧米で演じられてきたものが多い。パリのナイトクラブにしろ、欧米ではこうした大道芸のパフォーマンスをきちんと評価する土台があり、パフォーマーたちは道行く人たちの投げ銭で生活が成り立っているようである。
一方、日本では大道芸だけで生計を立てられるのは一部の人で、多くの芸人はアルバイトをしながらというのが実状のようだ。海外では相応の評価を得て、生活できているパフォーマーたちが一様に口をそろえるのは、日本にはまだ大道芸を理解し、育てるという土壌ができていないということ。
たとえば、1日のパンにすら苦労している暮らしの貧しい人々が、大道芸をきちんと評価して、身銭を切ってパフォーマーたちを育てているのである。そうした人々の心にあるものは、芸術に対する深い理解であろう。貧しきものにお金を恵むという感覚ではさらさらなく、自身がもらった感動の対価としての投げ銭である。
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私にもかつて、池袋の路上で弾き語りをしていた過去があります。
当時はバブル絶頂期、経済的には恵まれた人々が多かったでしょうが、路上のパフォーマーに寄与する者は皆無と言ってもよい状況でした。(もっともやっている我々も金銭に不自由していたわけではなかったのですが)
>日本にはまだ大道芸を理解し、育てるという土壌ができていない
>大道芸をきちんと評価して、身銭を切ってパフォーマーたちを育てている
>自身がもらった感動の対価としての投げ銭
だから本気で評価を求め存在を確立したい者は必然的に興行主という器を求めざるをえなくなり、組織の枠組みの中での規制ある自己表現しか許されなくなって行く。
そうして”芸”を求める人々は大枚はたいてもそういう場所へ行くことを好むから、路上パフォーマーはますます時代の潮流から置きざられて行くことになる。
それでも夢が潰えることはない、そこに人間の素晴らしさを感じ取りたい私ですが。
・・・失礼。脳あるタカは爪を隠すでしたね。
実はtetujinは、脳が少々足らないんすかね。
「脳あるタカは ”ワシ”で領収書もらう」
なんて駄洒落で今日も大笑いしてますた。
おやかたさんの技術を持ってすれば、もっと良い写真を量産できたでしょうに・・・。