ケネディ大統領の大統領としての在職期間は、1961年1月20日から、テキサス州ダラスで暗殺された1963年7月20日までわずか2年足らず。
それでも、アポロ計画以外に、ヴェトナム戦争(1960年~1975年)、キューバ危機(1962年)で重要な決断をしている。
特にキューバ危機においては、ソ連とのあわや「核戦争」という超瀬戸際の中で、「核戦争」のボタンに手をかけながら終始強気を貫き通し、国家の威信と人類の滅亡を救ったのだった。
このように、1960年代はアメリカとソ連の2大超大国が対立して、お互いに相手国をねじふせようとしのぎを削っていた時代だった。
一方、アメリカ国民は未曽有うの繁栄を楽しんでいた時期で、これにあやかって日本も高度経済成長の波に乗っていた。
地上の楽園を呈していたアメリカを守るため、アメリカの指導者たちは「自由主義」を守ることに使命を燃やしていた。
1960年代のアメ車といえば、とにかく大きかった。水より安いと言われた、ただ同然の石油を浪費するでかい車に乗り、物質文明のもたらす豊かな消費生活を楽しんでいた。
日本のモータリゼーションの始まりは1965年。ホンダの狭山製作所でN-360の生産が本格的にスタートする。
強大さ、豊かさがアメリカと同義語であることを信じて疑わなかった時代。
これが、1973年秋に始まったアラブ諸国の「対米石油禁輸」によって、様相が一変する。第一次石油ショックである。
アメリカ的生活様式が、便利さ、快適さ、大量生産による品物の安さとするのなら、石油危機はアメリカ的生活様式の象徴であるクルマさえも変えずにはおかなかった。
音楽すらそうであった。イージー・リスニングを演奏するポピュラー・オーケストラは、次第に衰退していかざるを得なかった。
アラブが石油の禁輸を始める前年の1972年。イーストウッド監督が描いた「グラン・トリノ」で出てくるフォード マスタング。
強きアメリカを象徴し、歴代トリノの中でベストであるとの評価も高い一台だった。
(写真と本文は関係ありません。というか、かの自動車王ヘンリー・フォードはこの車を見るたびに脱帽したとか・・・)
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