アボリジニの祖先は、今から約5万年前におそらくカヌーで海を渡り移住してきた。アジアの地方集団から派生したモンゴロイドの一派であるとされ、オセアニア系モンゴロイドに分類されている。
当時は海退と呼ばれる時期に当たり、現在と比べて120~150mも海水面が低かった。東南アジア・ボルネオ島・ジャワ島はスンダ大陸という大きな陸地であり、パプアニューギニア・オーストラリア大陸・タスマニア島もサフル大陸というひとつづきの陸地を形成していた。
少なくとも4万年前には大陸の南部に到達し、生活を営んでいた。その痕跡はマンゴウ国立公園やカカドゥ国立公園に現存する。岩に描かれた直線や同心円のモチーフは現在のアボリジニアートにも引き継がれ、文化の持つ歴史の長さを今に伝えている。
1770年にイギリスのキャプテン・クックらの船がボタニー湾に上陸。そして、その後、イギリス人は1788年に入植を開始。入植者はニュー・サウス・ウエールズと名付け英国領宣言した。先住民は、入植者の持ち込んだ病気や飲食習慣・迫害により30万人から16日万人に激減。19世紀以降おこなわれていた「母子隔離政策」は、「先住民同士の子作りを認めない」というもので、「白人との融合」と言う大義名分に名を借りた強制不妊のようなものだった。
先住民の力が弱体化する一方、入植者は次第に暴力的な侵略を始め、先住民の土地を収奪し始めた。彼らは土地を次つぎに開拓し、先住民を社会の周縁へと追いやった。さらにイギリス政府は、オーストラリアは「無主の土地」であるとして、先住民の土地所有権を認めなかった。先住民は文明的な社会組織を持たず、定期的に土地を耕作することもしていないから、というのがその根拠だった。
現在でもアボリジニの経済的地位は低いままだ。