醍醐寺の金堂(国宝)は豊臣秀吉の命によって、紀州(和歌山県)の湯浅から移築されたもの。また、
国宝の五重塔は、醍醐天皇のご冥福を祈るために朱雀天皇が起工、951年村上天皇により完成。 京都府下最古の建造物だ。
下伽藍には、その他清龍宮本殿(重文)や、祖師堂、不動堂、大講堂、女人堂、弁天堂など多くの堂宇が点在している。
1598(慶長3)年、豊臣秀吉は醍醐寺で、諸大名からその配下の者など約1300名を従えて盛大に花見を催したという。秀吉が没する約半年前のことだ。
平安時代、貴族達は酒や肴を携えて花を愛で歌を詠んだ。当時の花見は梅や桃。しかも、庶民にはお花見など縁遠いものだった。
桜の花見が庶民に知れ渡ったのが、太閤さんの花見と言われた秀吉の「醍醐の花見」。これを機に庶民の間にも花見が広がっていったと言う。
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