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東京思いつき散歩

2014-10-29 14:52:11 | 東京散策
家族のものがスカイツリーに行きたいということで、横浜駅から直通電車で押上(東京スカイツリー前)駅に到着。
最近は、各電鉄が相互乗り入れしていて大変便利になった。
東京スカイツリー
東京スカイツリーは、東京タワーに代わる電波塔なのだが、そんなこと忘れていて、一大観光施設が前面になっている印象だ。
東武鉄道が筆頭株主となっていて、総事業費はおよそ650億円。テレビ局からの賃貸料と観光客からの入場料などで収益を得るという。
634(ムサシ)の愛称でもある電波塔の名称は、公募では「大江戸タワー」が一番人気であったとか、なぜその名にならなかったかというと、地元の和菓子屋がその名になるのではと先に商標登録したとかで実現しなかったそうだ。 
       
タワーの展望台へはビルの4階からエレベーターで50秒で到着する。その上の展望回廊(第2展望台)には30秒。展望台の最高は464m。
 
                   高くなると屋外が眺められる。エレベーターは350mで終点。 

 
               浅草方面の景色。この日はもやっていて東京タワーも見つからなかった。

 
            第二展望のエレベーターは445m。フロワーの最高点は451.2m、螺旋状になっている。

                
                  下りのエレベーター内は江戸切子がデザインされている。

 

スカイツリーの次は、京成電車の線路に沿って西へ徒歩分の牛嶋神社に行く。
牛嶋神社
境内は結婚披露宴用の前撮り写真を撮影しているグループがひと組いただけで、参拝客はいなかった。
隅田公園の隣に位置しているのに、桜の季節以外は訪れないのだろうか。
この神社には、「撫牛(なでうし)」が置かれているテレビ番組があり、この春の隅田公園桜見物の際には知らず参詣していないので、機会があったらと思っていた。
撫牛とは、自分の身体の病んだ部分や具合の悪い部分をなでたあと、その牛の身体の同じ箇所をなでると、悪いところが牛に移って病気が治るという信仰である。この信仰は、おまじないのひとつという。自らのツミやケガレ、邪気を人形に移して祓い、心身を清めるというもののようだ。
 
860(貞観2)年、須佐之男命を勧請して創祀したというから、とても古い。その後、源頼朝が社殿を造営したり、江戸時代は鬼門守護の社として将軍家の崇敬が篤かった。
 

 

   

隅田川を渡り、浅草に。
 
浅草・浅草寺仲見世
浅草寺は江戸最古の寺院と言われ、平安時代の創建だと。
徳川家康が江戸幕府を開いてから、江戸の人口が増え、浅草寺への参拝客も一層賑わった。それにつれ、近くの住民に租税とは別に、強制労働である賦役として浅草寺境内の掃除が課せられた。しかし、その見返りもあって、境内や参道に出店営業の特権が与えらる。これが仲見世の始まりといわれ、元禄、享保(1688? 1735)の頃ことである。
伝法院から仁王門寄りの店を役店(やくだな)と呼び、20軒の水茶屋が並び、雷門寄りは平店(ひらみせ)と呼び、玩具、菓子、みやげ品などの店があった。その規模は次第に増え日本でも一番形の整った門前町へ発展していった、日本で最も古い商店街のひとつ。
浅草には、翌週に予定していた「時代祭」の見物に来る予定をしていたが、不適切は経理が明るみに出て、資金難となり今年は中止となった。25年も続くイベントを中止にするとは情けない。
 

 

仲見世で人形焼を買い求め、地下鉄銀座線で上野駅へ。焼きたての人形焼はうまかった。
上野・アメ横
「アメ横」と称するアメヤ横丁(アメ横商店街連合会)は、JRの上野~御徒町駅の山手線高架下とその西側付近の商店街である。
東京大空襲で焦土化した空き地に戦後闇市が発生し、愚連隊や暴力団の資金源になっていた時代もあった。その後出所の怪しい者を排除して、近藤マーケットが出来、現在の基礎となった。
街並みは、およそ400m。魚介類や乾物などの食品、衣類、雑貨、宝飾品などの店が業種ごとに集中する400軒以上の店舗となっている。
年末には正月用の生鮮食品などを買い求める人たちでごった返す風景は、年末の風物詩にもなっている。平日は、大きなトランクをガラガラ引いているアジア系の観光客が目立つ。
ここでは、生鮮食量品はやめて、テレビにも登場するチョコレートのたたき売りの店で菓子を求める。
今は、毎日閉店セールの店、1,000円セールの菓子や生鮮食料品店、化粧品やブランド物を売る店がアメ横特徴のようだ。
 

 
                   アメ横のシンボル「賑わいの像」と近くの鈴本演芸場

5分ほど歩いて湯島駅から明治神宮前駅に。
                   
原宿
原宿には、姪の結婚式で前の週も降り立っており、2週続けて来るとは思ってもみなかった。
原宿と言えば竹下通りである。駅から明治通りに向かって緩やかに下る、350mほどの通りである。店舗の多くは、若者向けの派手なファッション・ブティックで小規模な店舗が多い。今や個性的なファッションの街として広く知られ、修学旅行生のほか、外国人観光客の訪問も多い。

現在の駅舎は1924(大正13)年に竣工した木造建築で、都内で現存する木造駅舎で最も古い。建物は二階建てで、尖塔(せんとう)付きの屋根に白い外壁という、イギリス調のデザインとなっている。
改札口は、表参道口と竹下口、それに正月には明治神宮敷地内「臨時ホーム」(3番線ホーム)と臨時改札口がある。それに、代々木駅寄りの駅手前には「お召列車」が発着する皇室専用ホームがあるという。
                 
原宿では、ポップコーンを求める。人気の店で平日の夕方だったが、50分待ちであった。
5種類のポップコーンをガロン単位の缶入りで売るのが特徴で、テレビでも紹介されているようだ。
       
ここからは恵比寿に出て、湘南新宿ライン電車で横浜に戻る。
湘南から池袋・新宿駅を走る系統は、2001年から開始され、初めは本数が少なかったが今は増えて便利となった。


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