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京都・高瀬川を歩く

2018-11-03 13:43:52 | 京都


高瀬川は、水運に用いる「高瀬舟」にちなんで名付けられた、1611(慶長16)年、商人の角倉親子によって京の街と伏見を結ぶためにつくられた運河である。
現在は鴨川で京都側と伏見側に分断され、上流が「高瀬川」、下流は「東高瀬川」「新高瀬川」と呼ばれている。
昔は伏見迄高瀬舟で、その先大阪までは三十石船で荷を運んでいたと龍馬が隠れていた「酢屋」のご主人が話されていた。
 



高瀬川は川底が浅いため船底の浅い高瀬舟が用いられた。
展示の舟は尚且つ水面から浮いている。

高瀬舟は人足(曳子)が綱で曳き、川沿いにはそのための道が設けられていた。1710(宝永7)年ころは188艘もの舟が就航していた。

帆掛けの高瀬舟もあるという。

「一之舩入」は荷揚げや舟の方向転換に使われた場所で「九之舩入」まであった。現在はここ「一之舩入」のみが残っている。



「七之舩入」、昔の写真が展示されていた。









訪れた日:2018.8.7


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