麻布(あざぶ)の地名の由来は、昔、アサを栽培し、布を織った土地であることにより、麻布という字が当てられるようになったのは江戸時代の元禄期からといわれる。
東京都港区5地区のうちのひとつで、東麻布、麻布狸穴町、麻布永坂町、麻布十番、南麻布、元麻布、西麻布、麻布台、六本木で麻布は形成される。
地理的には麻布地域の縁を沿うように古川が流れており、この川によって山と谷、高台と低地が形成され起伏に富んだ坂道の多い地形である。
近年まで麻布地域内の鉄道駅は反対運動があったため、交通ののアクセスが悪かった。
そこでどんな「まち」?
◆およげたいやきくんの店
モデルとなったのは3代目の御主人。コック帽と蝶ネクタイ姿が話題となり、それで昭和50(1975)年の「およげたいやきくん」のモデルとなった。
「東京たい焼き御三家」と呼ばれている店がある。店の特徴は1匹づつ手焼きが条件という。
麻布の浪花屋、四谷のわかば、そして人形町の柳家である。
四谷のわかば2013.11
人形町の柳家2013.1TBS-TVドラマ「新参者」に人形町のたい焼き屋が登場するが、柳屋ではなく架空の店舗である。
◆鬼平犯科帳(池波正太郎著)の世界
麻布ねずみ坂・麻布暗闇坂・麻布一本松などがよくドラマに登場している。現在の麻布十番あたりまでが江戸と云われる領域のようだ。だが、登場する麻布は当時は江戸と云っても山の中のようである。
暗闇坂
鼠坂
一本松
◆坂が多い
ここ港区は坂が多く80余りを数え、その半分余は麻布地域だと云うからおどろく。
鳥居坂
狸坂
植木坂
狸穴坂
◆外国大使館が居並ぶ
日本にはおよそ140ヵ国の大使館があり、その内90ヵ国近くの大使館が港区に存在する。
ロシア大使館
フィージー大使館
◆昭和の家並みが僅かに残る
近代的なタワーマンションと昭和のかおりがするトタン屋根の家がひとつのアングルに納まる
戦火をくぐりぬけたビーンテージマンション(1937年築)(↓↑)
◆赤い靴・きみちゃん
赤い靴のモデルきみちゃんが明治44(1911)年麻布十番(旧永坂町50)の孤女院で9歳の生涯を閉じた。
◆寺が多い
江戸の街ができるはるか以前の西暦1000年よりも前の時代に神社仏閣がこの地に建立された。
麻布地域は海を見下ろす南向きの高台で神仏を祀るのに相応しいと判断され、現在の寺は1000年以上続くものと、その後にできたものとが麻布のまちに混在し形成されている。
★慈眼山光林寺 臨済宗妙心寺派 南麻布4丁目 延宝6(1678)年創建
★日東山曹渓寺 臨済宗妙心寺派 南麻布2丁目 元和9(1623)年創建
★法久山安全寺 日蓮宗下総小金井本土寺末 元麻布3丁目 寛永元(1624)年創建
★多聞山天現寺 臨済宗大徳寺派 南麻布4丁目 享保4(1719)年創建
◆更科蕎麦の名店
★更科堀井(麻布永坂更科一門)・・ 元麻布三丁目
寛永元(1789)年創業。
信州出身で信州特産晒布の保科松平家御用布屋だった八代目清右衛門が、保科家の江戸屋敷傍の麻布永坂町に、そば屋「信州更科蕎麦所 布屋太兵衛」を創業したのが始まり。当初は、大名屋敷や寺院などに出入しており、明治時代半ばの最盛期には、皇室や宮家などにも出前を届けた。
★麻布永坂更科本店・・麻布十番一丁目
昭和25(1950)年創業のそば屋店舗。
永坂沿いで太平洋戦争前に営業していた建物
「永坂更科発祥之地」碑
★永坂更科布屋太兵衛・・麻布十番一丁目
昭和34(1959)年創業。
更科(さらしな)は、江戸の蕎麦屋の老舗で、「藪(蕎麦屋)」、「砂場(蕎麦屋)」と並び、蕎麦御三家のひとつである。
更科の特徴は蕎麦殻を外し、精製度を高め、白く高級感のある蕎麦である。更科の特徴として打ち出されたのは江戸時代末期から明治時代のことと考えられている。
◆初代米国大使や連合国司令官が関係する店
★最初のアメリカ公使宿館跡 麻布山善福寺
安政6(1859)年、それまで伊豆下田にいた総領事ハリスを公使に昇格させ、明治8(1875)年までこの善福寺に公使館を置いた。
善福寺は都内では浅草寺、深大寺に次ぐ古刹。天長元(824)年、空海によって創建、浄土真宗本願寺派。
★麻布I.B.KAN
創業は文政元(1818)年、現存する理髪店では日本最古。ハリス公使の髪を切ったという記録もある。
★マッカ-サー元帥家族御用達の小林玩具店
創業は明治の初め。アメリカ大使館が近いことでマッカーサーファミリーがよく来ていた。
◆日本経緯度原点
駐日アフガニスタン大使館(旧国土交通省狸穴(まみあな)分室)脇の空き地に設置。
明治7(1874)年に海軍水路寮がこの地に観象台を設置した。後に帝国大学付属東京天文台(現・国立天文台)に移管され、明治25(1892)年に参謀本部陸地測量部がこの天文台の子午環の中心を日本経緯度原点として定めた。
◆不思議がいっぱい
昔より「七不思議」は江戸の各地に伝わっている。中でも「麻布七不思議」「本所七不思議」「八丁堀七不思議」は江戸の三大七不思議と謂われている。
麻布は巻頭でも述べたように、起伏に富んだ地形で坂や寺社が多くあり、それで『不思議』がありそうな雰囲気を醸し出していそうだ。
がま池の図
広重・一本松
東京都港区5地区のうちのひとつで、東麻布、麻布狸穴町、麻布永坂町、麻布十番、南麻布、元麻布、西麻布、麻布台、六本木で麻布は形成される。
地理的には麻布地域の縁を沿うように古川が流れており、この川によって山と谷、高台と低地が形成され起伏に富んだ坂道の多い地形である。
近年まで麻布地域内の鉄道駅は反対運動があったため、交通ののアクセスが悪かった。
そこでどんな「まち」?
◆およげたいやきくんの店
モデルとなったのは3代目の御主人。コック帽と蝶ネクタイ姿が話題となり、それで昭和50(1975)年の「およげたいやきくん」のモデルとなった。
「東京たい焼き御三家」と呼ばれている店がある。店の特徴は1匹づつ手焼きが条件という。
麻布の浪花屋、四谷のわかば、そして人形町の柳家である。
四谷のわかば2013.11
人形町の柳家2013.1
◆鬼平犯科帳(池波正太郎著)の世界
麻布ねずみ坂・麻布暗闇坂・麻布一本松などがよくドラマに登場している。現在の麻布十番あたりまでが江戸と云われる領域のようだ。だが、登場する麻布は当時は江戸と云っても山の中のようである。
暗闇坂
鼠坂
一本松
◆坂が多い
ここ港区は坂が多く80余りを数え、その半分余は麻布地域だと云うからおどろく。
鳥居坂
狸坂
植木坂
狸穴坂
◆外国大使館が居並ぶ
日本にはおよそ140ヵ国の大使館があり、その内90ヵ国近くの大使館が港区に存在する。
ロシア大使館
フィージー大使館
◆昭和の家並みが僅かに残る
近代的なタワーマンションと昭和のかおりがするトタン屋根の家がひとつのアングルに納まる
戦火をくぐりぬけたビーンテージマンション(1937年築)(↓↑)
◆赤い靴・きみちゃん
赤い靴のモデルきみちゃんが明治44(1911)年麻布十番(旧永坂町50)の孤女院で9歳の生涯を閉じた。
◆寺が多い
江戸の街ができるはるか以前の西暦1000年よりも前の時代に神社仏閣がこの地に建立された。
麻布地域は海を見下ろす南向きの高台で神仏を祀るのに相応しいと判断され、現在の寺は1000年以上続くものと、その後にできたものとが麻布のまちに混在し形成されている。
★慈眼山光林寺 臨済宗妙心寺派 南麻布4丁目 延宝6(1678)年創建
★日東山曹渓寺 臨済宗妙心寺派 南麻布2丁目 元和9(1623)年創建
★法久山安全寺 日蓮宗下総小金井本土寺末 元麻布3丁目 寛永元(1624)年創建
★多聞山天現寺 臨済宗大徳寺派 南麻布4丁目 享保4(1719)年創建
◆更科蕎麦の名店
★更科堀井(麻布永坂更科一門)・・ 元麻布三丁目
寛永元(1789)年創業。
信州出身で信州特産晒布の保科松平家御用布屋だった八代目清右衛門が、保科家の江戸屋敷傍の麻布永坂町に、そば屋「信州更科蕎麦所 布屋太兵衛」を創業したのが始まり。当初は、大名屋敷や寺院などに出入しており、明治時代半ばの最盛期には、皇室や宮家などにも出前を届けた。
★麻布永坂更科本店・・麻布十番一丁目
昭和25(1950)年創業のそば屋店舗。
永坂沿いで太平洋戦争前に営業していた建物
「永坂更科発祥之地」碑
★永坂更科布屋太兵衛・・麻布十番一丁目
昭和34(1959)年創業。
更科(さらしな)は、江戸の蕎麦屋の老舗で、「藪(蕎麦屋)」、「砂場(蕎麦屋)」と並び、蕎麦御三家のひとつである。
更科の特徴は蕎麦殻を外し、精製度を高め、白く高級感のある蕎麦である。更科の特徴として打ち出されたのは江戸時代末期から明治時代のことと考えられている。
◆初代米国大使や連合国司令官が関係する店
★最初のアメリカ公使宿館跡 麻布山善福寺
安政6(1859)年、それまで伊豆下田にいた総領事ハリスを公使に昇格させ、明治8(1875)年までこの善福寺に公使館を置いた。
善福寺は都内では浅草寺、深大寺に次ぐ古刹。天長元(824)年、空海によって創建、浄土真宗本願寺派。
★麻布I.B.KAN
創業は文政元(1818)年、現存する理髪店では日本最古。ハリス公使の髪を切ったという記録もある。
★マッカ-サー元帥家族御用達の小林玩具店
創業は明治の初め。アメリカ大使館が近いことでマッカーサーファミリーがよく来ていた。
◆日本経緯度原点
駐日アフガニスタン大使館(旧国土交通省狸穴(まみあな)分室)脇の空き地に設置。
明治7(1874)年に海軍水路寮がこの地に観象台を設置した。後に帝国大学付属東京天文台(現・国立天文台)に移管され、明治25(1892)年に参謀本部陸地測量部がこの天文台の子午環の中心を日本経緯度原点として定めた。
◆不思議がいっぱい
昔より「七不思議」は江戸の各地に伝わっている。中でも「麻布七不思議」「本所七不思議」「八丁堀七不思議」は江戸の三大七不思議と謂われている。
麻布は巻頭でも述べたように、起伏に富んだ地形で坂や寺社が多くあり、それで『不思議』がありそうな雰囲気を醸し出していそうだ。
がま池の図
広重・一本松
訪れた日:2017.11.10
12.14
12.14