(写真)メキシカンブッシュセージの花
昼が短く夜が長くなり、短日性の花の時期になった。
メキシカンブッシュセージ(Mexican Bush Sage)の花は、
赤紫の毛羽立ったビロードのような萼(がく)に包まれ、白い花が顔を出す。
別の名を“ベルベットセージ” 、紫水晶のような色合いから“アメジストセージ”ともいわれ
敬意が払われた素晴らしい呼称を得ている。
花が咲くまでは、品は崩していないが荒々しいブッシュを形作る枝ぶりと葉であり
やはり、メキシカンブッシュセージという名が適している。
赤紫の萼(がく)が出てから白い花が咲くまでに2~3日も時をかけ、
さらに、白い花が口をあけ虫達を誘うのにはさらに1~2日かかる。
熟してから登場するのか晩生なのかわからないが、あせっていない戦略をとっており珍しいかもわからない。
メキシカンブッシュセージの発見
こんなアンビバレントな素晴らしいセージが発見されたのは、1900年10月と意外と遅い。
発見場所が、メキシコシティの真下にあるモレロス州の2000mを越えるテポトラン山中の崖というから
発見が遅れた理由が何となく理解できる。
限界を超えたその時に、発見されるべくしてそこで待っていたのだろう。
そして発見者は、限界を超えた男の一人であるプリングル(Pringle, Cyrus Guernsey 1838-1911)。
プリングルは、アメリカの植物学者というよりは数多くの新種を採取したプラントハンターであり、
メキシコ・アメリカ・カナダなどの植物相の探索と収集に力を入れ、
特にメキシコの植物の採取とその標本の作成には35年をかけたという。
彼が収集した新種の数は1200以上もあり、プラントハンターとしても素晴らしい実績を残している。
しかしプリングルは、順調にボタニストとしての道を歩んだわけではない。
兄の死により、大学を中退し家業の農場経営に戻り、
25歳で結婚したが、その直後に南北戦争(1861-1865)の兵役召集があったが、
クエーカー教徒としてこれを拒否し牢に入り、過酷な待遇に歩けないほどに衰弱した。
リンカーン大統領の恩赦で病気治療のために出獄したが、健康が回復するのは彼が30歳の頃のようだ。
30歳半ば頃から好きな植物採集の道に入るようになり、
1874年に最初の採取旅行をバーモント州のキャメル山脈で行い、
バーモンド州中で集めた標本を1878年の第三回パリ万博で展示発表した。
プリングル40歳の時で、パリ万博のカタログを見たが、確かに小さくプリングルの名前が載っていた。
ここから第一線のプラントハンター兼植物学者プリングルの道を歩むことになるが、
若い時は決して順調な人生ではなく、回り道をしながら好きこそモノの始まりを生涯で達成した人でもある。
そして何よりも気に入ったのは、プリングルを評して
『 His species are beautiful 』
といわれたことだ。彼が見つけたメキシカンブッシュセージは確かに美しい。
19世紀のプラントハンターとしてもう少し実績を調べ、
メキシコのセージ類の植物相との関係で再リサーチしてみようかと思った。
そして、プリングルの美しい植物を確認し堪能してみたい欲求に駆られた。
(写真)メキシカンブッシュセージの立ち姿
メキシカンブッシュセージ(Mexican Bush Sage)
・シソ科アキギリ属の多年草。-5℃までの半耐寒性だが、霜が降りないところでは
根元をマルチングすると戸外でもOK。
・学名は、サルビア・レウカンサ(Salvia leucantha Cav.)、種名はleucanthus(白い花の)からきている。
・英名は、メキシカンブッシュセージ(Mexican Bush Sage)。
・別名が紫水晶のような色合いからアメジストセージ(Amethyst sage)、花がビロード状の柔らかい毛で覆われているのでベルベットセージ(velvet sage)。
・原産地はメキシコ。
・開花期は9月から11月と秋の代表的なセージ。赤紫のビロードのような萼(がく)顎につつまれ白い花が次々と咲く。
・草丈1~1.5mぐらい。8月までに2回ぐらい摘心で丈を詰めるとよい。
・花後は、株元で切り詰め腐葉土・ワラなどでマルチングし越冬させる。
学名の命名者 Cav. は、
18世紀スペインの植物学の権威 カバニレス(Cavanilles, Antonio José 1745 - 1804)。
カバニレスは、メキシコからの新植物の栽培も行い、ダリアをヨーロッパで初めて開花させたことでも知られる。
1801年からは、マドリッド王立植物園の園長を彼が死亡する1804年まで務めた。
メキシコの宗主国スペインの代表的な植物学者カバニレスに献じられた植物は多い。
昼が短く夜が長くなり、短日性の花の時期になった。
メキシカンブッシュセージ(Mexican Bush Sage)の花は、
赤紫の毛羽立ったビロードのような萼(がく)に包まれ、白い花が顔を出す。
別の名を“ベルベットセージ” 、紫水晶のような色合いから“アメジストセージ”ともいわれ
敬意が払われた素晴らしい呼称を得ている。
花が咲くまでは、品は崩していないが荒々しいブッシュを形作る枝ぶりと葉であり
やはり、メキシカンブッシュセージという名が適している。
赤紫の萼(がく)が出てから白い花が咲くまでに2~3日も時をかけ、
さらに、白い花が口をあけ虫達を誘うのにはさらに1~2日かかる。
熟してから登場するのか晩生なのかわからないが、あせっていない戦略をとっており珍しいかもわからない。
メキシカンブッシュセージの発見
こんなアンビバレントな素晴らしいセージが発見されたのは、1900年10月と意外と遅い。
発見場所が、メキシコシティの真下にあるモレロス州の2000mを越えるテポトラン山中の崖というから
発見が遅れた理由が何となく理解できる。
限界を超えたその時に、発見されるべくしてそこで待っていたのだろう。
そして発見者は、限界を超えた男の一人であるプリングル(Pringle, Cyrus Guernsey 1838-1911)。
プリングルは、アメリカの植物学者というよりは数多くの新種を採取したプラントハンターであり、
メキシコ・アメリカ・カナダなどの植物相の探索と収集に力を入れ、
特にメキシコの植物の採取とその標本の作成には35年をかけたという。
彼が収集した新種の数は1200以上もあり、プラントハンターとしても素晴らしい実績を残している。
しかしプリングルは、順調にボタニストとしての道を歩んだわけではない。
兄の死により、大学を中退し家業の農場経営に戻り、
25歳で結婚したが、その直後に南北戦争(1861-1865)の兵役召集があったが、
クエーカー教徒としてこれを拒否し牢に入り、過酷な待遇に歩けないほどに衰弱した。
リンカーン大統領の恩赦で病気治療のために出獄したが、健康が回復するのは彼が30歳の頃のようだ。
30歳半ば頃から好きな植物採集の道に入るようになり、
1874年に最初の採取旅行をバーモント州のキャメル山脈で行い、
バーモンド州中で集めた標本を1878年の第三回パリ万博で展示発表した。
プリングル40歳の時で、パリ万博のカタログを見たが、確かに小さくプリングルの名前が載っていた。
ここから第一線のプラントハンター兼植物学者プリングルの道を歩むことになるが、
若い時は決して順調な人生ではなく、回り道をしながら好きこそモノの始まりを生涯で達成した人でもある。
そして何よりも気に入ったのは、プリングルを評して
『 His species are beautiful 』
といわれたことだ。彼が見つけたメキシカンブッシュセージは確かに美しい。
19世紀のプラントハンターとしてもう少し実績を調べ、
メキシコのセージ類の植物相との関係で再リサーチしてみようかと思った。
そして、プリングルの美しい植物を確認し堪能してみたい欲求に駆られた。
(写真)メキシカンブッシュセージの立ち姿
メキシカンブッシュセージ(Mexican Bush Sage)
・シソ科アキギリ属の多年草。-5℃までの半耐寒性だが、霜が降りないところでは
根元をマルチングすると戸外でもOK。
・学名は、サルビア・レウカンサ(Salvia leucantha Cav.)、種名はleucanthus(白い花の)からきている。
・英名は、メキシカンブッシュセージ(Mexican Bush Sage)。
・別名が紫水晶のような色合いからアメジストセージ(Amethyst sage)、花がビロード状の柔らかい毛で覆われているのでベルベットセージ(velvet sage)。
・原産地はメキシコ。
・開花期は9月から11月と秋の代表的なセージ。赤紫のビロードのような萼(がく)顎につつまれ白い花が次々と咲く。
・草丈1~1.5mぐらい。8月までに2回ぐらい摘心で丈を詰めるとよい。
・花後は、株元で切り詰め腐葉土・ワラなどでマルチングし越冬させる。
学名の命名者 Cav. は、
18世紀スペインの植物学の権威 カバニレス(Cavanilles, Antonio José 1745 - 1804)。
カバニレスは、メキシコからの新植物の栽培も行い、ダリアをヨーロッパで初めて開花させたことでも知られる。
1801年からは、マドリッド王立植物園の園長を彼が死亡する1804年まで務めた。
メキシコの宗主国スペインの代表的な植物学者カバニレスに献じられた植物は多い。