モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

殿、電柱ですぞ。 辛口セイジ論

2008-09-02 00:36:22 | ニッポンの政治
21時30分から2時間もテレビに釘付けになり、画面から伝わってこない”セイジ”の匂いをかいでいた。

伝わってきた匂いは、”無意味””悪臭”のようだ。

”無意味”とは、味も素っ気もなく価値がないということだが、

価値がないということに気づいていない政治家がいるところが面白いし、
政治家だけでなくテレビに出演した評論家・学者も同じ仲間ということが鮮明になった気がする。

これをあぶりだす試薬は、「自民党総裁選を派手に戦うべし」ということに対して反応を取ることだ。

組織としては、ルールがありそれにのっとって後継者を決めるのが当然だが、
これが”セイジ”の重要なことだと、この2時間はこれに終始していた。

これは、自民党という党の最大の遺産であるとともに、
こんなことに期待しない市民が増えていることに気づかない政治家、評論家、学者、メディアの政治部記者が
まだ多数いるから成立した2時間だったのだろう。
これから1ヶ月もこの調子で脳死させられるのはつらい。

これが見捨てられている最大の事のように思うがいかがだろうか?
こんなことにはうんざりしているし、飽きている。

これまでは、
優秀な官僚がいたので、日本の未来をデザインするシンクタンク機能があり、
これに乗っかってきたからシンク(辛苦かも?)機能を喪失しても、
ポリシーを具体化するという大義名分で、人事ごっこに時間と金を使う余裕があったのだろう。

優秀な官僚機構が失敗の責任を取るという民間では当たり前の”倒産・破産””解雇””降格・減俸”がなく
緊張感がなくなりこれも同じように考えることをしなくなった。
考えることは、”税収がないのでこれ以上使わない”、”借金はしない”ということばかりで、
考えた形跡がないというべきだろう。

優秀な官僚の制度疲労が自民党を或いは政党政治をだめにしたとも言える。
唯一試していないのは、政権交代で、緊張感を取り戻し官僚が立ち直れるかどうかだろう。
政権政党が替われば、政策が変わるので考えざるを得なくなり、生き返る可能性がある。


本質的には、結果責任を取らない組織は腐るのが当たり前で、
シンクタンク機能を別途創るか、官僚制度に結果責任の仕組みを導入し緊張感を取り入れることが必要だと思う。

いづれにしてもコストと時間がかかるので、いま一番即効性があるのが政権交代で優秀な官僚に立ち直って欲しい。
自民党は、無責任な責任を取り、これから政策政党としての基礎を組織・制度として構築して欲しい。

最後に、今日のメディアの評価だが、
ある民放のキャスターを除き私にとっては無意味・無価値でした。

”セージ”の香りは脳を刺激し、消毒されたかなという気分になれるが、
”セイジ”は、腹が立つ香りがしてくるから身体によくない。

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