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モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

2011年(平成23年、卯年)はどんな年? 記憶に残るベスト10 !

2011-12-20 22:32:32 | 街中ウオッチング
鴨長明(1155-1216)が、1212年に書いたといわれる『方丈記』の書き出しは次のような文章で始まる。

『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし』

移り行く世のはかなさ、万物流転の理(コトワリ)を語り、モノに固執する生活を戒め“悟り”を人生の軸として追求することを書いている。
それから約800年経過した2011年においても“破壊”と“創造”が織り成すドラマがあった。

さて、2011年を振り返ってみて出来事のランキングを10位まであげてみると、

1位:東日本大震災
3月11日 は忘れられない日となってしまった。巨大地震と大津波で宮城・岩手・福島そして太平洋岸の茨城・千葉まで大きな被害をもたらした。被災者の方々の一日でも早い復興を祈願し、それを皆で支えていきたいものです。
この大災害は、これまで軽んじてきた大事なものを気づかせてくれた。マズロー(Abraham Harold Maslow, 1908-1970)の欲求の5段解説でいうと5番目の欲求である自己実現の欲求で閉塞感に覆われていた人々及び日本の社会に、人間として根源的な欲求である『生存』が脅かされた現実に気づかされ、さらに『安全』の重要性、『所属と愛』という助け合って生きていく社会の重要性に改めて認識する契機ともなりました。
※ マズローの欲求段階説はこちらを参照

2位:なでしこジャパン女子ワールドカップで初優勝
6月26日-7月17日、ドイツで2011 FIFA女子ワールドカップが開催され、サッカー日本女子代表が初優勝。最優秀選手に澤選手が選ばれる。また、8月2日には団体には初の国民栄誉賞が授与された。大震災後に日本人に勇気と希望を与えてくれたので国民栄誉賞は当然でしょう。

3位:地上・BSテレビ放送、デジタル放送に完全移行
7月24日、日本のテレビ放送は、デジタルテレビ放送へ全面移行しアナログ放送は停止された。お隣韓国でもデジタルテレビ放送にもうすぐ完全移行なので日本だけが進んでいたわけではありません。

4位:10月20日に世界人口が70億人に達する。
人口が増えると、コミュニケーションの道具である世界のインターネット利用者は20億人、携帯電話の契約件数は50億件を超え(1月26日ITU発表)、食料価格は2010年12月に過去最高に達した。(1月5日FAO発表) 残念ながら、70億人の胃袋を支える食料は、供給不足と価格上昇がありそうです。“もったいない”意識をもっと高める必要がありそうです。

5位:中国2010年国内総生産(GDP)が日本を抜き世界第2位となる。
1月20日、中国が日本を抜きGDP世界第2位になりました。日本企業の中国進出も増加し、モノだけでなくヒトの往来も増えつつあり、中国さらにはアジアで就業する日本人がますます増加するでしょう。

6位:タイ王国において過去50年間で最悪の水害が発生。
10月、現地の複数の日本企業の工場が操業停止になり、日本経済にも深刻な影響を及ぼしてきている。集中による効率化は事故・天災にもろいことを改めて認識。
南半球では1月に大規模な大雨洪水の被害が複数あった。(ブラジルリオデジャネイロ州、オーストラリア北東部、南アフリカ、スリランカなど) 豊かな生活を追い求める人間社会のエゴイズムに、自然が強烈なカウンターパンチを繰り出しているようです。

7位:アラブの春
プラハの春はソ連軍によって鎮圧されたが、チェニジアに始まったアラブ世界での民主化は、エジプト・ムバラク大統領の辞任(2月11日)、リビア・カダフィ大佐の死亡(10月20日)で独裁体制が崩壊しました。アラブ世界の不安定化は石油の供給と価格に悪い影響が出そうです。来年も“省エネ”は徹底しましょう。

8位:今年は、ヒット曲がなかった年
9月末までのミリオンセラー(シングル盤で100万枚以上)は、3曲しかなく全て「AKB48」が独占。他のヒット曲不在という異例の年だった。心に余裕がない年だったのでしょうか? ちなみにベストスリーは:『Everyday、カチューシャ』(157.3万枚)『フライングゲット』(152.1万枚)『桜の木になろう』(107.8万枚)でした。

9位:2011年のヒット商品は「つながる」と「省エネ」
日経トレンディという雑誌主催の選考では、1位「スマートフォン」(携帯電話)2位「Face book」(インターネットの実名で仲間とコミュニケーションするサービス)3位「扇風機」だった。豊かで便利な生活を追い求めてきたが、”ちょっと不便な”生活を楽しんでも良いという芽が出てきたようだ。

10位:「原発」「セシウム」「放射性物質」>
googleの検索キーワード総合1位は「原発」でした。来年も放射能という目に見えないだけでなく良くわからないことと付き合わないといけない年が続きます。
地震・津波の被害からの復興が終わっても放射性物質の被害からの復興はまだ終わっていないと思うので、本当はこれが1位だと思います。

番外:「東アジアの春」は来るのだろうか?
12月17日に北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記が死亡したというニュースが飛び込んできた。核・ミサイルで恫喝外交を進めてきた指導者でもあり、その死亡は北朝鮮の体制を不安定にし、東アジア全体に危険な影を落とし始めた。
中国・台湾、韓国・北朝鮮、日本、(ロシア)などの東アジアに春は何時来るのだろうか?

2011年は、アルカイーダの指導者ウサーマ・ビン・ラーディン(Usāma bin Lādin 1957- 2011年5月2日)が、米国海軍の特殊部隊によって射殺され、リビアの独裁者だったムアンマル・アル=カッザーフィー大佐(1942- 2011年10月20日)は、革命軍の兵士によった撲殺され、北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記が毒殺などの謀略ではなく心不全で死亡した。

独裁者はいずれ死亡する。私たちも何時か死亡する。望ましい死に方を考え実践することが2011年からの贈り物のように感じる。

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乾電池が消えた日

2011-03-15 08:14:33 | 街中ウオッチング
3月14日の午後には、店から乾電池が消えた。

乾電池だけでなく、トイレットペーパー、水、パン、インスタントラーメン、米などもなくなった。
緊急時での生活必需品がこれでよくわかる。これにラジオが追加されると最低限の生活が出来る。
豊かさにおごってきた生活を見直すと、実にシンプルな生活必需品が見えてくる。

今回の地震の被災者・関係する方々には心からお見舞いを申し上げたい。
この先どうすればよいのかと思い悩むことも出来ないぐらいの大惨事だと思うが、少しずつ明日を考えるようになって欲しい。

その原動力は、“思いやり”“助け合い”“感謝”なのかもわからない。
自分ひとりではなく、ヒトとヒトがいる社会が成り立ってきた最低限のルールなのかもわからない。

被災地以外では、家族を守らんがための過剰な買占めが起こりかねない。
東京電力の計画停電が発表された翌日の午後には、多くの店から乾電池が消え、電気が使えないことによる代替食料品が消えた。

一人一人が、いま必要でなくてもつい余分に買ってしまうところが累積すると、モノが消えることになる。このモノが消えた現実を目の当たりにすると、防衛本能を刺激するのか、遅れてはいけないと過剰な買占めが起こりかねない。
いまの社会は、家庭に余分な備蓄を持たないで暮らせるように、生産・流通され小売店に商品が届いている。
ちょっと我慢すると欲しいものが手に入る仕組みが出来上がっている。

この仕組みを破壊するのが、大分先に消費する商品を余分に買う“過剰”さにある。
1970年代に起きたオイルショックでいまの60歳以上の方は馬鹿なことをしたと経験済みのはずだが、経験していない人が増えている。

でも、こんな過剰な買占めは、お勧めしたいものだ。
被災地の実家に戻る若者に、炊き立てのご飯でおにぎりを作り、(手が痙攣するくらい握ったそうです。)車につめるだけの水を持たせてやった“思いやり”は、許されてよいと思う。

わが家族を守るためだけに、いつ使うかわからないほどの量を買うのは慎みたいものだ。
“思いやり”も“助け合い”もなく、守ったはずの家族に“感謝”すらされないことになりかねない。
いま教えられることは、“我慢”“辛抱”であり、この期を逃すと“思いやり”“助け合い”がわからないことになってしまう。
電気の消費量を抑えるための薄暗い店は、まるでモノがない倉庫のようでもあったが、人の心から消えていった大切な気持ちを表わしていたのだろう。
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神田神保町 古本祭り

2010-10-29 14:40:23 | 街中ウオッチング
11月17日(水)から世界に誇る古本屋街神田神保町で「古本まつり」が始った。
今年は11月1日までで、近隣には結構なグルメ店があるのでその出店屋台などで意外なモノが食べれることができ、本だけでなく胃袋も満足させてくれる。
ゲットした本を脇道にある飲食店で眺めながら身体を温めるのもまた楽しい。

(写真)神田神保町古本、まつり

(写真)平日の4時頃なので若者が少ない

(写真)片側だけに軒を連ねている古本屋


初日の17日に出かけたが、日本に寒気団が来ていたので、陽射しがある割りには寒かった。特に、古本屋街は、本が日焼けすることを防ぐために陽にあたらない南西側に軒を連ねてるので、一時間以上も覗いていたら芯から体が冷えてしまった。

(写真)昔懐かしいカレー

遅いランチを神保町交差点近くにある新世界菜館で、カレーを食べた。
蕎麦屋のカレーのように小麦粉をフライパンで炒めたあの昔懐かしい甘めのカレーで、この店の名物となっている。上海蟹も時期的に始っていたが、手が凍えているので、身体を温めるにはこのカレーがお奨めと思う。

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明り障子に写る秋の陽

2009-09-09 10:50:11 | 街中ウオッチング
気持ちのよい秋の瞬間です。




フッと見たら、そこに秋があった。

光りは真上から斜めに変わり、その光りが影を生み出す。

影は障子に映りこみ、明りを取り込む。

外の世界をさえぎって取り込む障子の美しさは、陰影で描かれ、

そして、気持ちのいい空間が創られる。

写真は、野田市にある『住吉』。そばと銘酒が魅力。
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夏祭り

2009-08-02 10:11:49 | 街中ウオッチング
ワッショイ、ワッショイ~、ワッショイ、ワッショイ~。
死んだような野田の商店街に元気な声が満ちた。

神輿が12基も出たようだ。5基は見たが、1基に担ぎ手が30-40人ぐらい、その脇には交代の人々などが取り巻き熱気に満ちていて、
夜店・屋台、ほんのちょっと残った店では夜祭のセールと活況にあふれていた。

いや~活気がある地元はうれしい。
活気に惹かれてついつい遅くまで飲んでしまいました。

(写真)野田の神輿パレード
   

   


お祭りだけでなくもっと元気になってもらいたいものだ。
幸い野田には、江戸時代からの醤油の産地でもあるので古い文化が残っている。これらをめぐる歩け歩けの元気なジジババのツアーがそこそこあるので芽を出させるタネはあるようだ。
歩く+うんちくは心と体の健康によいのでどこでも創れそうだが、古いものを残しておくという根性と維持する支援がないと難しい。

日本全国の駅前商店街が崩壊の危機にあるようだが、徒歩と自転車の街づくりに転換させないと再生できそうもない。
大型ショッピングセンターが届出だけで作れるようになった大店法という法律の改定、自動車社会に適した高速道路・バイパスの作り過ぎ、商店の世代交代などが絡み合って駅前商店街が崩壊させられた。

この棘を抜き逆のことを意識してやらない限り身近な店がますます消えていってしまう。
お祭りだけで街は再生できそうもないが、あるだけでも人は集まる。
お祭りがなくなる街にはしたくないが、もう直ぐなくなるような気もしないでもない。

なくしたものを作り直すのは難しい。
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35年ぶりに観光地として再デビューする廃墟『軍艦島』

2009-04-22 22:44:08 | 街中ウオッチング
長崎港の沖にある通称『軍艦島』に2009年4月22日、今日から上陸できるようになったという。
人が住まなくなってから35年もたった。

人が住まなくなれば当然廃墟となり、日本の近代を切り開いた『軍艦島』は時間が経過するに従い“遺跡”となる。
これを“近代遺跡”と名付け、探検をした。

その探検記録のほこりを払いもう一度光を当てたくなった。3回のシリーズで記載したので関心があれば目を通していただけたら幸いだ。


シリーズ「近代遺跡探検 軍艦島編」

「1974年からお役ごめんとなり、これを契機に人々から見捨てられたところがある。
かつては、日本経済成長の原動力であり、先端技術が集積したところでもある。
繁栄しているところには人も集まり、面積あたりでは日本一の人口集積密度をも誇った。・・・・・」
続きはここで、 近代遺跡探検 軍艦島①


”軍艦島” は、長崎市高島町端島という。
長崎港から伊王島、高島までの定期航路はあるが、その先の端島まではない。
現在では、船会社が軍艦島回遊クルージングを不定期で実行しており、
このようなクルージングに参加するか、海上タクシーをチャーターする以外
“軍艦島”に近接できない。
上陸は禁止である。
特に、1991年の台風で外壁が破壊されるなどの被害があり危険な状態にあるようだ。
・ ・・・・」
続きはここで 近代遺跡探検② 軍艦島は小型高性能!


「生活があった“端島”。
生活が消えてしまい入れ物・容器・殻だけが残ってしまった“軍艦島”。

“軍艦島”は恐ろしい。 そして 美しい。
これが実感だった。・・・・・」
続きはここで 近代遺跡探検③ 軍艦島はインスタレーションのミュージアムと思う
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酔っ払い論。

2009-02-22 08:15:33 | 街中ウオッチング

前財務・金融大臣の中川さんが酔っ払ってしまった。ようだ。
公の場でやってしまったので、しかも国内ではなく海外の重要な場でやってしまったので世界に配信されてしまった。

私も自慢ではないが中川さん同様かそれ以上に酔っ払うので、 「酔っ払い」というものを考えるいいチャンスになった。

私には、理想の酔っ払い像というものがある。
それは、蕎麦屋で、ぬる燗1本を肴一品でゆっくりと飲み、仕上げにもりそばを食べて今日一日に感謝する儀式を行って帰るスタイルだ。

たまにいく神田のまつやという蕎麦屋に、夏は着流し、先日は寒いので刺し子状の厚手の羽織をはおっていたが、瞑想のように超然として飲んでいる“いなせなおやじ”がいる。

たぶん毎日きている常連客のように感じるが、氏素性に興味がわきじっと観察をしている。最初の頃は、この蕎麦屋のおやじが蕎麦うちが終わり、仕事上がりで飲んでいるのかと思うほど店の中でのデッドスペースに遠慮がちに陣取って飲んでいる。
しかしどうも店の人間ではなく客のようだ。次には、江戸の伝統的な職人ではないかと思った。或いは、今はいない江戸の火消しのようでもあった。

観察からわかったこのいなせなおやじには一つの酒を飲む哲学があるようだ。
悪い席に座る。彼は、いい席を初めての客のためにゆずり、自分は末席のデッドスペースで飲むことを旨としているようだ。そして、人に話しかけない。寂しさをヒトで紛らわせる愚行をしない。そして、既定の量でやめる。

(写真)神田まつやの蕎麦


私が理想としている飲み方を現に実践しているおやじがいた。

こんな飲み方が出来る人間は、そうあまりいないように思う。
過去に壮絶な物語があったとしか思えない。
中川さんもこの仲間に入れる切符を手に入れたかもわからない。これからはじまる壮絶な経験を乗り越えれば。

一人で飲む酒には二つのタイプがあると思う。
奈落の酒に落ちていく飲み方で、到着駅はアルチュウだろう。
もう一つは、奈落の底から這い上がってカムバックしてきたヒトが感謝して飲む酒だろう。

中川さんは、ストレスの多い重労働もあったと思うが、荒んでいく直前の人相になりつつあったが、このおやじはすがすがしい顔をしている。しかし、このいなせなおやじは、どうも奈落の底を経験したようだ。でなければ規定量でとまらないし、自分を律することが出来ない。

私はいまだにこのおやじのような飲み方が出来ない。
友人と飲みたいし、最後は体力テストで倒れるまで飲み続ける、ブレーキをはずした暴飲列車の乗客なのだ。ただ、この列車には人生経験のない若者を乗客として乗せない見識だけは持ち合わせている。幸いなことに、現地調達で一緒に飲むヒトを探してしまう嗅覚があるので飲み仲間には不自由しない。
奈落の酒を極めるには、緊張感が欠ける身内と飲んではいけない。
中川さんは習慣を省みることがなかったためか中途半端なことで失敗している。

何故酒を酔っ払うほど飲むのか?ということを考えてみるといいのかなと思う。
酒は現実からの逃避に便利であり、現実に戻っていく勇気をも与えてくれる。
考えなしの常用はこの意味・効用を麻痺させ逃げっぱなしになってしまう。
考えて、現実から“逃げるな”ということだろう。

私の理想の酒の飲み方をしている“いなせなおやじ”は素晴らしい。
きっと彼は、奈落を経験しそこから這い上がってきたことで得た自分を律する技術を持っていると思う。一人遊びできる大人は、IT技術など先端科学の技術も重要だが、人間の気持ちを制御する技術を持っており、この技術はヒューマン・サイエンスとして重要だと思うに至った。
飲み屋で学ぶことも結構あるということだろうか?

『酔っ払い、正常と思う心に酔っている。』

医療領域を除き、正常・正常でないかは、民主主義的に決めるしかないようなので、自己評価だけでは危ないということだろう。第三者の声を聞けないお山の大将は、わかっていないし危ないということにつながる。

『ストレスは、身内と飲むと高くなる。』 持つべきもの身内と飲むより直言の友だろう。

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『 ほっこり 』とした紅葉

2008-11-17 07:48:01 | 街中ウオッチング

『 ほっこり 』としたシーンをお楽しみください。

(写真)『ほっこり』した紅葉


最近気に入っている言葉がある。 『ほっこり』だ。

京言葉のようだが、使い方によってだいぶ違う意味がありそうだが

こころにあたたかいかんじょうが生じることをいう。

そう~見て感じたことをいう。

素晴らしい紅葉も『 ほっこり 』なのだ。





サクラの開花は北上するが、紅葉は南下する。
その紅葉は、9月の北海道の大雪山からはじまるという。
そして最後は何処まで日本列島を南下するのだろうか・・・・・
                 (野田市清水公園の「ほっこり」)


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神田神保町『古本祭り』

2008-11-03 09:25:58 | 街中ウオッチング

40年近く神田神保町界隈で遊んだり仕事をしてきたが、
『古本祭り』には初めて行った。

11月3日までというので今日が最終日になるが、
11月1日の土曜日に行き、その日は朝まで神田界隈で飲んでしまった。
時間帯ごとに行きつけの店があるので顔を出しているとついつい朝になってしまう。

酔いがさめたので、『古本祭り』を紹介してみようかと思いはじめた。

(写真)神田神保町交差点の出店


靖国通り沿いの西陽があたらない通りに古本屋街がある。
本が日焼けしないようにという合理的な立地の考え方だが、
夕方には結構寒くなってきた。

小川町交差点付近から九段交差点まで宝探しをしたが、そこそこの収穫があった。
古本なので、絶版・品切れなどは定価の2倍と高いものもあったが、
大部分は半値以下で手に入れた。

(写真) 近所の料理店の出店


裏道や料理店では出店があり、缶ビールと食べ物が誘惑していたが、
閉店までの時間をフルに使い本を探すため誘惑を断ち切って探し回った。
ちょっと余裕を持ってくるといいかなと思った。

靖国通りと並行したすずらん通りには、出版社の出店があり驚いたが
無理して作ったのかもわからないが、“よごれもの”ということで、定価より安く売っていた。
出版物には再販規制があるので出版社が定価以外で売ることは難しいので、
古本屋があり、この制度を逆手に活用するブックオフがある。

呉越同舟でも活字の素晴らしさ、宝探しの楽しさ体験できる『古本祭り』は素晴らしい。
意外なものを手に取っている自分が発見できる。
忙しさにかまけず、この芽を育てると人生が豊かになるかもわからない。
そんなちょっとした機会を手に入れられる『古本祭り』だった。


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頑張っている駅前商店街 巣鴨地蔵通り商店街

2008-04-19 10:23:22 | 街中ウオッチング

駅前商店街が活気がなくなり、シャッターが下りっぱなし、
或いは、さら地になり駐車場化するところが増えている。

だが、
巣鴨地蔵通り商店街は、ヒトにあふれ、閉まっている店はなく
活気がある元気な商店街だ。
最近では、商店街のアーケードを利用した太陽光発電でも話題になっていたが、
確かに、アーケードに黒く光り輝くソーラー発電の装置が乗っていました。

原宿が若者をひきつけているように、
巣鴨は“ジジババの原宿”といわれるように、平日の午前10時には
かつての若者でにぎわっていた。(私もそうですが・・・)

(写真)とげぬき地蔵
 

(写真)とげぬき地蔵通り商店街


巣鴨駅からとげ抜き地蔵までの2~3百mは、
客と店との掛け合いがいたるところであり、昼時ともなれば大混雑間違いないだろう。
串に刺さった団子1本だけを買い、(これもうれしい)
食べながら歩いても行儀が悪いとならないのがうれしい。

横浜中華街も饅頭を食べながら歩くことは歩けるが、
ここには似合わないし行儀が悪い。と感じる。

小売店が元気だと、人間素直になれるのだろうか?
きっと、大型店・ブランドショップ街では素直になれないものがあるのだろう。
小売店が元気な商店街は生活しやすいですね~


とげぬき地蔵のその先には、
東京で唯一残ったチンチン電車、都電が走っていた。
かつての若者はこの電車も懐かしく、
東京オリンピックで大きく東京が変質したが、それ以前の東京を楽しむことが出来る。
時間があれば、早稲田までチンチン電車で行きたかったが、断念。

(写真)唯一のこった都電

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