彦四郎の中国生活

中国滞在記

日本滞在6日間―福州➡上海➡関西(9時間) / 関西⇨北京⇨福州(14時間)―

2015-05-10 04:37:01 | 滞在記

 中国で 一人暮らしの生活をしている。中国という国の魅力を思う時もあれば、孤独というものを噛みしめる日もある。無性に日本の景色や空気や人が懐かしく感じる日もけっこう多い。海の中に潜った時、空気を吸いたくて海上に息継ぎに戻るような感じで2ケ月から3ケ月ぐらいの間隔で日本行きの飛行機に乗る。
 5月1日から4日まで、中国は「労働節(メーデー)」や「青年節」にあたり、大学の授業は4連休となった。5月5・6日には担当授業があるのだが、休講(振り替え授業は後日に実施)措置を取らせてもらい日本に一時帰国した。
 中国福建省の省都・福州から関西空港まで、毎週水・金・日曜日に直行便がある。この直行便の飛行時間は、約2時間半から3時間で短い。今回は、4月30日(木)に日本に帰国なので、直行便はない。上海経由の飛行機を利用した。5月7日(木)に中国に戻るのだが、上海経由のチケットが取れなくて北京経由を利用した。
 この連休を利用して一週間あまりの日本観光をする中国人が非常に多いので、なかなか便利な飛行機チケットが取れなかった。このため往復の飛行時間は23時間を要してしまった。中国の飛行機は、国内線でも国際線でも、出発時刻が1時間以上遅れるのは当たり前なので、なかなか大変だ。4月29日は、福州空港で1時間出発遅れ、上海空港で2時間出発遅れで、関西空港に夜の9時半に到着した。遅延時間も合わせて9時間を要した。自宅に夜12時頃に着いた。

 5月1日(金)に立命館大学に行く。自分の「立命館大学大学院研修員」証明カードを受け取ったり、大学院留学生試験についての問い合わせなどをした。高校生の集団が大学見学に来ていたり、雑談している中国人留学生たちのグループも見られた。季節がよく衣笠山の緑が美しい。

 京都の三条大橋に行くと、鴨川沿いに床どこが5月1日より営業を始めていた。祇園や八坂神社に行くと、中国からの観光客が多く見られた。八坂神社の背後に豊かな森の連山である東山の森が見られた。日本の山の森は、中国と比べても「多種多様な樹木」が繁り豊かな森を形成しているのが特徴だと思う。
 夜に、高瀬川沿いの「沖縄居酒屋」で、妻や娘と会った。彼女たちは、翌日5月2日の早朝からタイに旅行、5月5日の夜に日本に戻って来た。

 家族がタイから戻るまで、一人で家ですごしたり、時々京都の市内に出かけたり、滋賀県の棚田を見に行ったりしていた。友人や知人とも会いたかったが、今回は静かに過ごした。京都市内祇園の白川付近を散歩すると、いつもいる白鷺が中華料理屋の玄関先に飛んできた。店の女の人に聞くと、「私が出勤する午後4時頃になると店先に飛んできてエサを欲しがるんです。」と言っていた。

 5月5日、「子供の日」。電車に乗って京都市山科区の山科駅に近い「洛東高校」に行く。今年の4月から娘が赴任した学校を見ておきたかったからだ。京都地下鉄に乗ると、子供連れの家族も多い。小さな子供をだっこしたお母さんが目の前にいても、座席を譲らない若い人を見る。この場面は中国では絶対見られないことだ。中国ではどんな乗り物でも、子供連れの父や母がいたら必ず席を譲る。年配の人にも席を譲る。譲らないことは「恥ずかしい」ことだと学生たちは言っていた。
 中国の公共マナーは、かなり民度が低く問題が多い。しかし、「席を譲る伝統」だけは脈々と続いている。一方、日本の公共マナーは民度が高い。日本に観光に来る中国人もこの民度の高さに驚きを隠せないようだ。
 しかし、年配の人が近くに立っていても空いた席に自分の子供を素早く座らせようとする母親、目の前に子供を抱きかかえいてる人がいても席を立たない若い人。これは日本でよく見かける光景だ。この光景には、中国の人達はまた違った驚きをもつだろうと思う。いつから日本はこうなったのだろう。「恥の文化」を持つとも言われる日本人の劣化の一現実かな。「敬老」という人間関係の礼節においては、中国という国は「恥の文化」を一般的に色濃く残す国だと思う。しかし一方では、「年間20万人にのぼる誘拐事件にともなう人身売買」がいまだ横行している社会でもある。国の広さと現実の混濁と清濁のすざましさがある国、中国。

 5月7日、早朝5時すぎに自宅を出て中国に戻るため関西空港に向かう。9時に北京行きの飛行機(中国国際航空)に乗る。出発時刻に大きな遅れがない。さすが、日本の空港だ。3時間あまりで北京空港に到着する。この北京空港は巨大である。上海空港や成田空港の2倍はあるだろうか。乗り継ぎをするのも、その巨大さゆえにかなり難しい。乗り継ぎ手続きなどに迷い、空港の案内職員に聞いてみるが、愛想のない冷たい対応。このあたりは、中国の公共な仕事に携わる職員の民度の低さにへきへきさせられる。午後4時すぎに福州へ行く飛行機が出発する予定が3時間遅れでようやく出発。福州まで3時間、午後10時すぎに到着。宿舎に12時に着いた。翌日早朝から、大学の授業に出かけた。
 次に日本に帰国できるのは、夏休みに入る7月20日以降~7月下旬になるだろうか。あと2か月半の間、「中国という海の中」に再び潜る。




「十八大精神・向雷鋒学習・文明・就学立身」―中国の大学の黒板・掲示板などに書かれる四大標語―

2015-05-05 06:45:34 | 滞在記

 中国の大学を訪れると、教室の後黒板やキャンパス掲示板に標語やスローガンが書かれ(描かれ)ているのをよく目にする。私が勤めている閩江大学の掲示板や教室の後黒板にも多く書かれている。色彩的にも美しい絵と言葉が描かれている場合が多い。言葉でよく書かれているものの一つに「十八大精神」とか「向雷鋒学習」とかの言葉がある。初めて中国の大学に赴任した時、これらの言葉の意味がよく分からなかったが、赴任後半年ぐらいして分かってきた。(※最初のころは、18の標語スローガンがあるのかと思っていた。)

 「学習十八大精神」の「十八大精神」とは、2012年の「中国共産党第18回全国人民代表大会」で採択された基本方針のことであった。「この大会で習近平同志を総書記(主席)とする新中央指導部を選出した。経験豊富で働き盛り、才色兼備かつ有為で奮い立っている同志が中央指導部に入り、党の中央指導部の世代交代を再び実現した。中国の特色ある社会主義が勢い旺盛で、松明が受け継がれ、しっかりとした後継者がいることを示すものである。」「この第18回大会で示された方針を真剣に学習宣伝し貫徹することによって、中国の特色ある社会主義が実現される。」「歴史的意義の大きい十八大精神である。」などと説明されてもいる。

 「向雷鋒学習」とは、「雷鋒から学べ」という意味である。この「雷鋒(らい・ほう)の名前を知らない中国人はいないようだ。中国の街では、よく見かけるし、小学校の教科書などにも何十年も掲載されている人物らしい。
 雷鋒は中国人民解放軍の模範兵士とされてきた人物であった。1962年、電柱を輸送中のトラックを立て直す作業中に頭を強打して死亡。22才であった。死後、毛沢東などの共産党幹部の言葉を引用した日記が見つかった。毛沢東により、人民解放軍の思想的モデルとして宣伝に利用されるようになり、今日まで政府キャンペーンで常に登場している。3月5日は「雷鋒に学ぶ日」として、学生たちが公園や街路なとで掃除をする日になっている。「自己犠牲的精神」「人民に奉仕する」がこのキャンペーンの中心的思想モデルである。一般の企業や工場などにも、雷鋒の像を設置しているところが結構多いという。

 この「雷鋒に学べ」のスローガンに対して、肝心の中国国民や学生たちは、「どう思っている」のだろうか。一度聞いてみたいとは思うが----。中国のネットに次のような主張が掲載されていた。
 
 北米には雷鋒がいないが、そこには道徳がある    南米には雷鋒がいないが、そこには人道がある
 欧州には雷鋒がいないが、そこには信用がある    オーストラリアには雷鋒がいないが、そこには博愛がある
 アフリカには雷鋒がいないが、そこには良心がある  インドには雷鋒がいないが、そこには慈悲がある
 日本には雷鋒がいないが、そこには寛容がある    
 中国にはあちこちに雷鋒がいるが、道徳と人道と博愛と良心と慈悲の精神が消えている
 これこそ百の説法「屁(へ)」の一つである

 なにか、中国社会を言いえて妙な主張の言葉のような気もする。2006年に南京市で起きた「彭宇事件」(転んだ老人を助け起こし病院に送り届けた彭宇さんだが、その老人は彭宇さんが突き飛ばしたために転んだと賠償を求めて告訴した事件。裁判所が賠償命令の判決をいともたやすく下したことには想像を絶する。)などが起きる中国社会。人が道に倒れていて、近くを通り過ぎる人が誰も近づいて助けない映像をテレビで流されていたことを見たこともある。1年8か月間、中国で住んでいて、道徳や礼という「民度」の低さも感じる社会である。
 日本においては、制服を着ている人は、公務員であれその他の人であれ、礼儀正しく職務に忠実に人に親切に対応するが、中国では態度が横柄でいばりくさっていたり、賄賂を公然と要求する公務員などの実態が後をたたないというよりも多い。中国政府も、「汚職追放」を重点政策としているが、その問題の裾野は広く、かなりの年数がかかるだろうと思われる。

 「文明」とは、「中国人の悪いマナーを改善し向上せよ。」という意味のことである。これについても、中国政府はテレビなども通じてキャンペーンを行っている。また、「就学立身」とは、読んで字のごとく「学を修め身を立てよ。」という意味のこと。
 日本語学科の学生がよく使う教室には、日本語で「雨にも負けず 風にも負けず」「雨だれ石を穿つ」「千里の道も一歩から」の言葉がある。








実は、ほとんど料理経験のない学生が多い中国の女子大学生―マンゴーとパパイヤのちがいは?―

2015-05-04 11:32:23 | 滞在記

 中国の福州は、ブーゲーンビリアやハイビスカスの花が美しい季節となってきた。5月1日から3日までは、労働節(メーデー)のために3連休となった。5月に入ると、最高気温が30度を超える日々が10月いっぱいまで続くようになる亜熱帯気候の福州。

 4月26日(日)に、2回生の女子学生が4人、12時頃 宿舎に来た。「自分たちで料理を作ってみる。」ということで、近くのスーパーでたくさんの食材や果物を抱えてやってきた。2時間あまりをかけて、5種類もの料理を作ってくれた。
 実は、中国の大学生の多くは料理を作った経験がないことが最近分かって来た。中国に来る前は、「中国の子供は家の手伝いや家事、料理も頑張って作るのだろう。」というイメージがあったのだが、実際はそうではないようだ。むしろ、日本の子供や学生の方が、家での料理経験や手伝いを中国の学生よりよくやっていることがわかってきた。

 なぜ料理の経験がない学生が多いのだろうか。それは、「①祖父母などの同居も多い中国では、子供が料理を手伝わなくても、大人が作ってしまう。②家族そろって近くの食堂で食べることも多い国柄。➂小学校から中学校、高校まで「勉強漬け」の毎日が続く中国の学生。④一人っ子が多いので、どうしても過保護傾向になる。⑤子供には手伝いや家事をさせる必要があるとの考えが少なく、むしろ甘やかすべきだと考える国柄。⑥高校や大学の寮生活の中では、「炊事施設はまったくない」ので、自炊経験ができない。すべて高校や大学の食堂でまかなう。⑦小・中・高校を通じて、家庭科という科目がない。」
 これらの理由から、料理経験のない中国の大学生が毎年何百万人規模で大学を卒業していくことになる。卒業後の2年~3年内に結婚する女子学生が多いので、結婚するまで料理を作ったことがない新婦がおそらく多いのではないだろうか。男性より女性の方が強い中国のカップル関係なので、「結婚したら主に男性が料理を作る。」場合が多いという話を聞いたことがあるが、そうかもしれないと思える。
 さて、宿舎に来た4人の中で2人は「料理を作るのは初めてです。」と言っていた。作ったことのある学生も、母親か祖母に連絡をして、「料理の作り方」を電話で聞いたらしく、詳しく書かれた「レシピ」メモを見ながら料理をしていた。
 宿舎の隣の運動場に散歩に行って帰ってきたら、「先生、料理ができました。不味いかもしれませんが、食べましょう。」と声をかけてくれた。5つの料理のうち、3つは美味しかったが、2つは不味かった。味がしないのだ。塩や醤油をかけて食べる必要があった。まあ、これも彼女たちにとってはいい経験になるだろうか。

  ※上記写真「マンゴー」
 亜熱帯や熱帯の果物である「マンゴー(※中国名は芒果マングァ)」と「パパイヤ(※中国名は番木瓜ファンムーグア)」の違いが゜最近になってわかってきた。どちらも、台湾・中国南部・フィリピン・タイなどでよく実る果物である。上記の写真はマンゴーの果実やマンゴーの木である。宿舎の前の街路樹としても並木となって生い繁っている。町の人が、長い棒を使って採ったりしている。このマンゴーは、下記の写真にあるパパイヤとは木を見たら区別はつくのだが、果実は大きさや形も色もよく似ているので、区別がしにくい。どちらも、黄色く熟したものは甘い。また、熟する前の緑色のものは、野菜として食べられる。マンゴーの種は薄くて白い包丁のような形のものが1個だけ。パパイヤの種は、小さな茶色の種が無数に入っている。宿舎周辺にも、何本かパパイヤの木がある。
 私は、「マンゴーを小さく切ったものがたくさん入った氷フラッペ」が大好きた。とても美味しい。

   ※上記写真「パパイヤ」

 中国の南部にある福州は、果物の種類も多く、また安い。スイカ1玉15元(約300円)という値段。日本では見たこともない亜熱帯や熱帯の果物も多い。上の写真(左の2枚➡ドリアン、右の2枚➡?) ドリアンは、強烈な臭いがある。腐臭性のある臭いなのだが、好きな人は大好きらしい。一度食べてみたが、二度とは食べたいと思わなかった。バスへの持ち込みは、臭いのため禁止されている。

  ※「ドラゴンフルーツ」(甘くて美味しい)

※写真左より「ヤシの実」、「細長いスイカ」、「?」、「竜の目」



 

中国の「联合梯田」に行ってきた②―世界遺産「フィリピン・中国」の棚田―

2015-05-02 14:29:43 | 滞在記

 上記の写真は、中国雲南省紅河ハニ族自治州元陽県(※ベトナムとの国境にほど近い)の棚田群である。2013年に世界遺産になったこの棚田群は、8世紀の「唐」の時代から形成され始め、1300年の歴史がある。世界で最も規模が大きく、最も美しい棚田群と言われている。
 米(稲作)の原産地は、インド北東部からミャンマー北部・ラオス北部・中国雲南省にかけての山岳地帯だとされる。水稲耕作は、水の確保と収穫時の水はけを両立しなければならないため、最初は棚田方式から始まったと考えられている。
 この雲南省は、日本の食文化と関係の深い地方でもある。日本に昔から伝わる、「納豆」や「なれずし」などの発酵技術、麹を使った醸造法、餅やおこわ類の食物は、中国の雲南省あたりを中心として、東南アジアから日本まで広がる食文化であるらしい。

  上記左(フィリピン・ルソン島「バナウエ」の棚田) 上記中・右(日本の棚田)
 
 1995年に初めて世界遺産に認定された棚田群は、フィリピン・ルソン島北中部にある「バナウエ」の棚田群である。最大傾斜75度もある棚田群である。「天国へ登る階段」とも称される。そして、2014年に、棚田群とて2番目に世界遺産として認定されたのが「雲南省元陽」の棚田群であった。この棚田群は、「大地の彫刻」とも称されている。
 中国では、南部・中部では、主に「細長く粘り気のないインディカ米」が食べられ、東北部では、主に「日本の米と同じジャポニカ種」が食べられている。また、北部や西部では、小麦を原料としたパンや麺が主食となっている。ここ福州では、「インディカ種」が食べられている。大学の食堂の米は質が特によくないためか、ぱさぱさした味もないご飯なので、美味しいと思ったことは一度もない。宿舎では、スーパーで買った「中国東北米(ジャポニカ種)」を食べている。
 米は、小麦・トウモロコシとともに「世界の三大穀物」の一つだが、その90%はアジア諸国で生産されている。[1位中国(2億万トン)、2位インド(1.2億万トン)、3位インドネシア(6600万トン)、4位バングラデシュ、5位ベトナム、6位ミャンマー、7位タイ、8位ブラジル、9位アメリカ(1100万トン)、10位日本(1000万トン)]

 福建省の「联合梯田」の棚田見学を終えて、2時間ほどかけて「三明市尤渓」に戻った。

 学生の知り合いの家に食事を招待された。かまどが現在でも使われていた。かまどに使う「木」が家の軒下に積まれている。中国の宴会食事は、何時見ても驚く。料理の品数がやたらと多い。また、間断なく酒が注がれる。

 食事や酒の宴席の合間に、時々外に出て、近所の子供たち(姉と弟)と遊んだりした。二人ともとても可愛い。弟は3才で姉は小学3年生。簡単な中国語会話を交えながら、とても楽しく遊んだ。