彦四郎の中国生活

中国滞在記

卒業間近、4回生の男子学生たち4人と飲み、歌い、語る―福建省福州市の政治・経済の中心地点「五一広場」

2023-05-14 20:46:10 | 滞在記

 5月6日(土)、4回生の「卒業論文発表会」があった。外国語学部日本語学科4回生約40名のうち、そのほとんどは初対面(広島大学に約1年間留学していた3名以外は)。彼等が2回生となった2021年9月から私はこの学年の授業を初めて担当したが、それから約2年間半の間、オンライン授業を通しての関係だった。でも、2年間以上、オンライン授業を続けていると、彼等とも親愛というか、それなりの人間関係が不思議とできてきているもので、初対面でもすぐに懐かしさを感じた。それは、彼等もそうなのだろう。

 この日、「先生、来週に一緒に会食をしませんか」と、男子学生数名からもちかけられた。「いいですよ、ぜひ」と、答えていた。5月9日(火)に、「先生、今週金曜日の夕方から、会食どうですか」と、連絡があった。

 5月12日(金)、この日の午前中の2回生たちの授業を終えて、アパートに戻り、4回生たちと会食をする場所である「五一広場」近くの日本料理店「古都」に向かった。アパート近くのバス停から60番バスに乗り、20分ほどで最寄りの「状元境」バス停に午後5時頃に着く。久しぶりに「五一広場」のようすを見たかったので、広場に向かうために地下歩道通路を歩くと、「お金を請う乞食(こじき)」の人が一人座っていた‥。

 「五一広場」は、福建省の省都である政治・経済の中心地点のような広場で、この周辺には、中国共産党福建省委員会や福州市委員会の党本部や、福建省や福州市の人民大会堂(議事堂)などがある。福建省は、中国の30余りある省の中では、面積や人口は大きい(多い)省ではないが、それでも人口は約4500万人、面積は12万㎢(北朝鮮とほぼ同じ面積。韓国の1.5倍の面積、日本の約3分の1の面積。)もある。人口・面積的には一つの国のような規模だ。

 「五一広場」の「五一」とは、5月1日の労働節(国際メーデー)にちなんでいるのかと思うが、この「五一広場」の名称は、全国の多くの都市にあるのではないかとも推定される。「不忘初心軍記使命」や「永遠跟党走」(意味:永遠に党に付き従う)などの文字が広場に掲示されている。

 大理石で作られた国旗掲揚台があり、毎日の朝、中国共産党人民解放軍により中国国旗が掲揚され、夕方に国旗が降ろされる儀式がある。広場の国旗掲揚台の正面にある「于山」の麓に、毛沢東の巨大な像が立つ。

 この広場は近隣の福州市民の憩いの場でもあり、家族づれの人々が多く集まっている。二人の祖母(夫の母と妻の母)が、二人の幼児の子守をしていた。中国ではよく見られる光景だ。2〜3歳の男の子は双子だろうか、足で漕ぐ自転車型の乗り物に夢中になっている。今日の朝、私の妻が電話で、「孫の寛太は、その乗り物に夢中になっているよ」と話していた。祖父母と孫たちが過ごす光景は中国ではあたりまえの光景だが、私はいつもそんな光景を見るたびに、3人の孫たちに会いたくもなる。

 「五一広場」から見える、「于山」中腹の「白塔」は美しい。福州市で最も宿泊費の高い「シャングリラホテル」が広場に隣接し、「福建大劇場」が広場にある。週末の夕方から夜にかけて、この広場では、たくさんの人たちによる、それぞれのグループによる「広場舞(広場ダンス)」や、数十人規模の「歌声会」(楽団も)などが行われもする。

 広場の周囲の運河に架かる石橋を祖母と孫が通りかかる。広場の南側にある「陽光暇好大酒店(ホテル)」の一階に日本料理店「古都」がある。午後6時に待ち合わせをしていたのだが、4回生の男子4人は一足先に「古都」の前に到着していた。

 午後6時から7時45分までの間、いろいろな日本料理を食べながら、飲みながら、いろいろな話しをした。(日中関係の話なども)  広島大学に1年間留学していた秦さん(山西省出身)とは昨年12月下旬に、京都の祇園や先斗町で初めて顔を合わせて飲んで歌ったので、彼とだけは顔見知りだった。彼は、この8月から日本の東京のIT関連会社に就職が決まっているので、再び来日することとなる。蘭さん(福建省三明市出身)は、日本の大学院に入学することを目指して、まず東京の日本語学校に入学する予定とのこと。粘さん(福建省泉州市出身)は、卒業後は泉州市で就職を目指し、姚さん(福建省泉州市出身)は福州市での就職を目指すとのこと。

 ここでの支払いは、600元(約1万円)ほど。学生たちが出してくれた。

 午後7時45分から「古都」が経営する隣のラウンジパブ「ブルー・スカイ」に移動。2時間ほど、飲んで歌って過ごした。4回生の彼らは、中国の歌はもちろんのこと、日本の最近流行の歌も良く知っていて、とても上手に歌うのには驚いた。アニメ、「ドラえもん」の歌もすらすら‥。私は、日本の歌を3曲あまりと、中国の名曲「天路」を初めて歌った。ここでの支払いも600元ほど、こんどは私が支払った。

 午後10時前にお開きとなり、私はタクシーでアパートに帰った。翌日の13日(土)、二日酔いが少し残る中、午前10時から予定している6人の広島大学留学希望者の第二回目面接模擬練習を行うために、大学の研究室に向かった。バスの中で少し眠れて、二日酔いがなくなった。

 5月11日(木)、午前中の3回生たちとの授業が終えた午後、大学の研究室に昨年の6月に大学を卒業した向穎さん(四川省出身)が訪ねてきてくれた。中国の外国語大学としては有名な「大連外国語大学大学院」の試験に合格したので、この9月から大学院生になりますとの喜びの報告だった。

 日本の立命館大学大学院に留学し、現在は、大手IT会社(グーグルJAPAN)で働いている李さん(福建省龍岩市出身)は、コロナ禍下でなかなか中国に帰省できなかったのだが、3年半ぶりに日本のゴールデンウィーク期間を利用して故郷に帰った。その李さんの故郷のお母さんから、龍岩名産のピーナツ🥜を大量に送ってきてくれた。龍岩市は、世界文化遺産の「土楼群」でも有名なところだが、ピーナツが絶品でもある。あまりに大量のピーナツなので、2回生の学生たちや、研究室のある福万楼の守衛さんや、卒業生の王さんなどに、分けることとなった。

 

 

 


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