彦四郎の中国生活

中国滞在記

閩越水鎮➊—最近できた、福建省福州の2200年余りの歴史的景観をモチーフとしたテーマパーク

2024-05-05 18:27:44 | 滞在記

 中国は、5月1日から5日までの5日間の労働節関連の連休。5日間もアパートとその周辺での食事や買い物と、授業準備や卒業論文関連の諸指導だけの生活では、ストレスがたまり精神的に良くないだろう。そう思って、最近(2020年-2021年)に福州市郊外の農村地域にできていた「閩越水鎮」というテーマパークに一人で行ってみることにした。

 5月1日(水)の午前中、閩江大学卒業生でいつも生活のサポートをしてくれている王文重さんがアパートに来てくれた。インターネットや携帯スマホの使用上で、最近困っていることの問題解消をしてくれた。そして、このアパートから「閩越水鎮」への行き方(交通手)を教えてもらった。

 そして、5月3日(金)の午前9時30分頃にアパートを出て、まずバスに乗り下車、地下鉄2号線に乗り、終着駅の「苏洋」に到着した。そのからまたバスで「閩越水鎮」に向かう。連休中の久しぶりの好天の日とあってバスはすし詰めの満員状態。バスを下車して、チケット売り場に向かう。パスポートを提示して、チケットを買った。成人は100元(約2000円)だが、私は65歳以上の高齢者なので65元(約1300円)だった。

 中国式城郭・城楼・城門のような建物が入口にそびえていた。時刻は午前11時となっていた。

 入口付近にテーマパーク「閩越水鎮」のパーク絵地図と、この「閩越水鎮」はどのようなことをイメージして造られているのかの説明書きが掲示されていた。それによると、福州は城都としておよそ2200年余りの歴史があると書かれている。(※秦の始皇帝が紀元前221年に中国全土を統一したが、その秦が15年後の紀元前206年に滅亡した。その後、覇権を項羽と劉邦が争い、劉邦が勝利し前漢(西漢)を建国した。しかし、その勢力範囲は現在の福建省や浙江省南部までは及ばす、この地域には「閩越国」が勢力を張った。その閩越国の城都(首府)は福州に置かれた。その閩越国王の墓の建物は現在、私のアパートからほど近いところにある。)

 このテーマパークの名称である「閩越水鎮」の「閩越」はその歴史から付けられたもののようだ。また、説明掲示には、特に明王朝時代(1368年~1644年)に入り、海のシルクロードの中国の起点として、福建省の泉州とともに福州は存在感を持つようになった。この海(水)からテーマパークの「水鎮」の名称が入っていると記されていた。

 城門楼閣の内部の入り口に「レンタル伝統服」の店の看板があった。楼閣内部ではちょうど「唐時代の舞踊」ショーが始まっていた。なかなかに幻想的、かつ優美で躍動的な美しい舞踊。

 楼閣内部を出ると、テーマパークが広がっていた。港をイメージした水辺の向こうには高い石塔や高層伝統建築も見える。明時代くらいの外洋大型船も繋留されている。

 古街の伝統的な建物群。建物の一つ一つは、食べ物や食事のできる様々な店や土産・物品、福州の伝統工芸美術などの店となっている。古街の中に張り巡らされている水路と柳の光景が美しい。

 5月上旬頃の「立夏」の季節から開花し始める薄紫の花「濫花盈(らんかえい)」。英語名はジャカランダ。福州の街路樹にも最近は増えてきつつある樹木だ。涼しげな薄紫の花は、本格的な夏の訪れを告げる。

 

 200mほど歩くと、血管性の動脈硬化症のため、右足のふくらはぎが少し痛み始めるので、腰を下ろして2~3分休憩しパーク内を散策する。いくつかの店に入り店内を眺めた。レンタルした伝統的な漢服の衣装の女性や子供もよく見受けられた。

 中東風の衣装の女の子も。水辺にはスイレンの花が開花し、ザクロの花も開花していた。

 水路巡りの、造花で飾られた遊覧船。中国風の石造りの高い塔と橋。ここ福州の伝統的な家並みが水路沿いに続いている。


南公園 かっての福建省行政府があったところは、現在は古(いにしえ)の建物や庭園が再現されている

2024-05-05 06:56:18 | 滞在記

 福建省福州市内のほぼ中心的な地区にある「南公園」に久しぶりに行ってみたのは、この4月中旬の頃だった。2013年の9月に初めてここに来た時から2018年頃までは、この公園の周囲には広大な古街があった地区であった。この古街の迷路のような散策は、私にとって、住民の生活感が溢れる魅力的な場所でもあった。しかし、福州市当局により、この古街は強制的な立ち退きが告げられ、おそらく2~3万人の住民は2018年12月中旬までの立ち退きを迫られた。

 その後、2019年になり、古街の建物はあらかた取り壊され更地となり、高層マンションなどの建設が始まっていた。この当時(2018年)の「南公園」は、現在の公園面積の半分くらいで、大きな公園内の池の水は腐臭が漂うところだった。

 2020年1月から新型コロナウィルス感染パンデミック問題が起き、2023年3月に3年ぶりに日本から福建省福州に戻った。そして、ここ「南公園」に行ってみると、公園は見事なまでに伝統的な建築物や橋、池と庭園が再現された場所となっていた。池の水も浄化され美しくなり、公園も2倍以上の広さとなり、市民の憩いの場となっていた。

 公園の入り口にある大門の近くに石碑があり、この公園の歴史が中国語で刻まれ記されている。それによると、かってここは中国の清の時代から1937年までは福建省政府の行政府があったところだった。

 上記写真、左から三枚目は1928年当時の福州市内、四枚目と五枚目は福州に進軍する日本軍や日本海軍水兵士。

 しかし、1937年に日中戦争が始まると、当時、日本の統治下にあった台湾から最も近い福建省には日本軍が進駐し、福州も日本軍の占領下となった。その時、この福建省政府の行政府も破壊されたと記されていた。その後、第二次世界大戦が終わり日本が敗戦国となった。そして、長い年月を経て、この旧福建省行政府跡地は「南公園」として大門や池や庭園なども造られた。だが、私が初めてこの公園を訪れた頃は、かなり荒廃感のある公園でもあった。

 現在の「南公園」は、なかなか素晴らしいところとなっている。入口の朱塗りの大門を入ると、行政府の建物が再現されている。美しい民族衣装をまとった若い女性たちの露店なども数店。私は、中年の男性の露店で、夏休みに日本に帰る際の孫たちの土産に可愛らしいウサギを頭につけるものを買った。

 公園内の池の周囲には見事に庭園が造られている。中国風の石橋も風情がある。

 4月中旬のこの時期、何箇所かに八重桜が開花していた。

 ハイビスカスも美しく開花。私が勤める閩江大学の付属高校の生徒たちが10人ほど、女性教員に引率されて見学に来ていたので、「私は閩江大学の教員です。日本から来ています」と話しかけると、「オオーッ!」との歓声が上がった。

 この日、南公園から市内バスに乗り、昼頃にアパート近くの「師範大学前」で下車。いつも通うパン店でパンなどを買ってアパート方面に向かい始めると、2台の大型バスが近づき停車した。バスから、腰に赤い布を巻いた、たくさんの人たちが下りてきて、赤い提灯なども降ろされた。それに先立ち、葬儀専門の白い軍服風の楽団が並んでいていた。楽団の若い二人の女性は赤い軍服衣装。

 これから亡くなった人が住んでいて、今、遺体がある団地アパートまで葬列の行進が始まるようだった。おびただしい爆竹が数分間鳴らされ始めた。そして、音楽隊を先頭に50人余りの葬列が行進していった。爆竹🧨と楽団は中国の葬儀では一般的なことだ。

 4月中旬に、私のアパートに立派で高価な中国茶が郵送されてきた。中国福建省は、歴史的にも世界で最も有名な茶の産地であり、茶文化の世界の中心的なところの一つ。世界の人々が愛飲する、緑茶、紅茶、烏龍茶、ジャスミン茶などの発祥の地でもある。特に、福建省内の世界遺産の一つである武夷山で採れる岩茶(がんちゃ)は、世界最高級の茶ともされている。

 郵送されてきた茶は、この岩茶からつくられた「大紅袍」と呼ばれる烏龍茶だった。茶器と茶が入った木造りの箱もなかなか素晴らしいものだった。閩江大学を卒業し、京都の立命館大学大学院(修士課程)に進み、現在は広島大学大学院(博士課程)に留学している林簫銘さんの両親(福州在住)から贈られてきたものだった。この夏に日本に一時帰国する際に、持って帰ろうと思っている。