彦四郎の中国生活

中国滞在記

日々是好日―日本に帰国して医院通いの日々だが、晴れた日は晴れを愛し、雨の日は雨を愛す

2023-07-01 12:14:00 | 滞在記

 日本に帰国した翌日の26日(月)の午前中から医院通いが始まった。この日は、まず朝一番に歯科医院に行き、治療が必要となっていた二本の歯(少しぐらつきがある)を診察・治療を始めてもらった。夕方の5時からは、中国から国際電話で予約しておいた「大慈堂(熊野鍼灸治療院)」に行き、坐骨神経痛の痛みを和らげるための施術をしてもらった。この治療院は、鍼灸・漢方の東洋医学の治療院。次回は今週の7月2日(日)の治療を予約した。そして、午後7時からは下野医院(内科)に行き、毎日服用の必要な内科薬(6月25日でちょうどなくなっていた)をもらった。

 28日(水)は、自宅からほど近いマッサージ店に初めて行き、坐骨神経痛で痛む箇所を中心にマッサージをしてもらった。29日(木)は、早朝から歯科医院。30日は、ネットで知った大阪府枚方市にある大黒整骨院に初めて行き治療を受けた。担当の整骨院長に、「二か月間余り日本に滞在し、8月31日にはまた中国に戻らなければなりません」と告げると、症状を調べた後、「2カ月間で、根本から治療が可能ですよ」と言ってはくれたが‥。

 帰国して今日で6日目になるが、四日に一度の歯科医院通い、二日に一度は、坐骨神経痛の痛みを和らげるための治療院やマッサージ店などに行っているが、坐骨神経痛の痛みはなかなか治まりそうにない。長期化しそうだ。来週は、月曜日に歯科医医院、水曜日に大黒整骨院、そして、金曜日には京都市内にある総合病院である丸太町病院の整形外科に行くことになっている。帰国後の2週間はまず、医院・病院通いの2週間の日々となっている。

 まあ、70歳という年齢とともに、さまざまな健康問題との付き合いとなってきている私の体かな。

 28日(水)の早朝六時、久しぶりに近所の家々や付近の水田・畑のあるところを、坐骨神経痛の痛みを気遣いながら、ゆっくりと、ゆっくりと、3分歩いて、3分腰かけて休みしながら散歩をしてみた。6月ももう終わる梅雨の季節だが、季節の花々が咲いていた。くちなしの白い花、色はかなり褪(あ)せてきているが、いたるところに紫陽花(アジサイ)の花々が‥。グラジオラスの花、枇杷(びわ)の実が美味しそうに実をつけている。

 水田の苗も成長していた。ヒマワリの花も開花し始めてきている。梨畑の実も少し大きくなりかけていた。

 キュウイの実がかなり大きくなり、露地栽培のトマトも赤く色づき始めていた。

 夏草が人の背丈よりも伸びた野原、木槿(むくげ)の花が咲いていた。

 近所の家の垣根に桔梗(ききょう)の花が咲き、その近くにトンボがとまっている。

 27日(火)の午後、2時間ほど、京都市内の銀閣寺近くにある娘の家に久しぶりに行き、福建省福州市の三坊七巷で買った中国のお土産を3人の孫たちにも渡した。

 29日(木)の午後にも2時間ほど娘の家に行き、孫たちの相手をした。京都市内の出町柳駅近くにある寺の門前に、「吾 生かされて 生くるなり」や「日々是好日 晴れた日は 晴れを愛し 雨の日は 雨を愛す」の言葉が書かれていた。この言葉、この8月で71歳になる私には心に沁(し)みる。坐骨神経痛という痛みの病(やまい)に悩まされる、付き合わされる日々だが、「日々是好日」なのか、晴れの日、雨の日、そして、痛みの大きい日、痛みの和(やわ)らぐ日などいろいろな日々があるが、やはり「日々是好日」なのかな‥。三食を美味しく食べられて、酒も美味しく飲める日々でもある、日本でのこの頃。

 

 

 

 

 

 

 


日本への夏休み帰国―中国女性の化粧や衣服の変化をとても感じた3カ月だった(中国人女性の個性的な美しさ)

2023-07-01 10:00:10 | 滞在記

  坐骨神経痛の痛み軽減のために、「中国推拿(すいな)」を行ってもらった日の翌日の25日(土)午後、再び福州市内の三坊七巷に出かけた。中国推拿が効いたのか、坐骨神経痛の痛みはかなり軽減されてもいたからだ。そして、日本帰国を翌朝に迎えたこの日は、孫たち(6歳半・4歳半・2歳半)の中国土産を三坊七巷のいくつかの店で探し廻った。

 ジャスミンの蕾花が売られていた。ブレスレット風に手首にジャスミンの花を飾り香らせるものも売られていた。「中国香道」の看板の店も。看板のそばに置かれた石と苔とシダの小さな中国盆栽がなかなかいいなあ‥。

 三坊七巷にある映画館入り口付近に、チーパオ(チャイナドレス)を着た女性たちの絵パネルが5枚掲示されていた。映画館では「インディ・ジョーンズ」の最新作が上映開始されているようだった。

 このチーパオや中国の伝統衣服である漢服をベースにした現代的なセンスの衣服を着た女性たちも、ここ三坊七巷ではよく見られる。日本でも、京都を訪れる女性が浴衣や和服を着て町を歩く姿がよく見られるが、それと同じような女性心理なのかと思う。まあ、ここ数年、中国では特にチーパオ的、漢服的な要素の入ったデザインの衣服を着る人が多く見られるようになってきている。

 中国では、10年ほど前の2013・14年頃までは、ほとんどの女性は化粧をすることがなく、長い黒髪に素朴な衣服を身に着け、まあ健康的というか、素朴さの中の女性の美しさというものがあった。しかし、2015年頃から韓国ドラマの影響が強くなり、韓国式の強い化粧(①まっすぐにラインされた眉、②白っぽい顔肌のメイク、③真っ赤な口紅、④過度に強調されたアイ[つけまつげなどの]ライン)をする女性が急増した。また、これも韓国の影響で、整形や髪染めをする女性も多くなった。

 しかし、この3月下旬に、3年ぶりに中国に戻ってみると、このような韓国式の化粧べったりの女性は少なくなっていて、韓国式や日本式の化粧などの良い所を取り入れながらも、中国人独自の化粧文化が生まれてもいた。漢服やチーパオなど、伝統的な衣服の要素を取り入れる服装を個性的に着こなす女性も増えてきている。それはそれなりに、素朴さと個性もあり、女性の美しさや、可愛いらしさをそれぞれが表現しているように思える。

 日本に帰国して、逆に、日本女性の化粧や衣服などが、色彩的にもあまりに均一化されていて、個性的な美しさというものが感じ取りにくいとも思ってしまう。

 孫たち3人の中国土産を買い終えて、茉莉花茶(モーリーファチャ)[ジャスミン茶]の老舗「古三座」に立ち寄った。この店のジャスミン茶は高級品が多く置かれている。一つ一つの製品の茶の香りを匂ってみることもできる。この店で3つほどのジャスミン茶を日本土産に買った。この店の女性の衣服もまた個性的。

 6月25日(日)の早朝5時前にアパートを出て、近くの小さなスーパーマーケットの前に立っていると、前日に中国人の王さんが手配してくれていたタクシーが到着した。福州長楽国際空港まで、途中から高速道路も通りながら、50分余りで到着した。(料金は約160元+高速代金20元=約180元[3500円ほど])

 廈門(アモイ)航空の福州➡成田(東京)便のチケットカウンターには、たくさんの人がすでに並んでいた。30分ほど並んで、チケットカウンターに①20kg余りの大型スーツケース②10kg余り小型スーツケースを預けた。そして、機内持ち込み荷物は、③パソコンの入った5kg余りのショルダーバックと、④貴重品等の入った3kg余りのショルダバック。さあ、これだけの荷物を持ちながら(運びながら)、「福州➡成田➡(JR成田エクスプレス)➡東京駅➡(新幹線)➡京都駅➡(近鉄電車・京阪電車)➡自宅近くの京阪電車の駅➡(タクシー)➡自宅」まで、坐骨神経痛の痛みを我慢して(強く痛みがでないようにして)着くことができるか不安でもあった。

 2つの荷物を預け入れしてチケットをもらい、数箇所での厳重な出国チェックを受けることになるのだが、最初のチェック箇所で突然に「出/入境衛生健康申報」なるものの提示を求められた。これを24時間有効なものをスマホに入れ込んでいないと出国できないと空港の職員は言った。それが必要だとは知らなかったので面食らってしまった。そして、なんとか空港職員に手伝ってもらい、その申報をスマホに入力することができたので、出国することが可能になった。冷や汗ものだった。

 中国は、男性の喫煙率が高い国なので、空港内での喫煙室はけっこう整備されてもいる。一服して飛行機に搭乗した。中国時間、午前9時に飛行機は離陸した。成田まで約3時間半の飛行。日本時間の午後1時30分頃(中国との時差は1時間)に成田に着陸した。荷物を受け取り、少しずつ歩き、そして、腰かけて休みながら、坐骨神経痛の痛みが余りでないように、移動して、成田エクスプレスに乗車。

 東京駅からも少しずつ移動し、腰かけて休むを繰り返しながら、ようやく自宅に午後9時半頃に着くことができた。疲れのために、すぐに布団に入り眠った。長い一日だった。