平成館で開催されていた「縄文JOMON」特別展に行く。7月20日あたりのNHKの番組「歴史ヒストリア」では、この縄文特別展がテーマとしてとりあげられていた。東京に行く機会があれば、ぜひに見たいと思っていた。
「一万年の美の鼓動」、「ニッポンの、美の原点。」、「10000Years of Prehistoric Art in Japan」、「命の力に満ちた美を、いま、この時代に感じたい。」 史上初、縄文の国宝、6件すべてが集結していた、まさに特別展だと感じた。(◆6件の縄文国宝①火焔型土器 ②土偶 合掌土偶 ③土偶 仮面の女神 ④土偶 縄文のビーナス ⑤土偶 中空土偶 ⑥土偶 縄文の女神 )//重要文化財 土偶 遮光器土偶―
翡翠で造られたペンダント、土を焼いて造られた精巧な耳飾り、動物の土偶、縄文のさまざまな土器や土偶、などなど、縄文時代1万年の生活を彩るものが207点 展示されていた。日本各地の博物館等にある発掘品で重要なものが一堂に終結している感があった。改めて縄文時代という時代の文化性や芸術性の高さに気づかされた。(※残念ながらこの特別展は撮影禁止なので、私が館内で撮影した写真は1枚もない。)
驚いたことの一つは「土器」のことだった。世界四大文明(中国黄河・インダス・メソポタミア・エジプト)のどの文明よりも、日本の縄文土器は古い時代に作られ始めたものだったこと、四大文明地の土器よりも数段も芸術性や精巧性にすぐれているという事実だった。この土器づくりの技法は、耳飾りやネックレスなどの装飾品にも精巧さが見て取れるものだった。
約1万3000年前から3000年前までの1万年にも渡って続いた日本の縄文時代とは、どんな文化の時代だったのか、今 世界の考古研究者の間でも、「四大文明」に勝るとも劣らない独自の文化として、世界史的にも注目が集まってきているようだ。
今年の始め頃に、NHKのスペシャルプロジェクト「アジア巨大遺跡」で、この縄文時代(文化)と三内丸山遺跡(青森県)が取り上げられた。豊かな巨大集落である三内丸山遺跡は、「狩猟採集」の人々の暮らしのなかで「定住」をしていた巨大移籍であった。世界史的には、農耕が始まって巨大な定住集落ができるというのが通説であったが、日本の縄文遺跡はこの定説を覆した。そして、遺跡からは高度な芸術品も多く発見された。「この1万年も永続した高度に文明的な日本の縄文文化というものを。世界史的にどう位置付ければいいのか?」と、世界の考古歴史学者は考えざるを得なかった。
世界の研究者たちは次のように語る。「縄文は人類史上、極めて重要な位置を占めています。」「洗練されたライフスタイルは世界でも極めて珍しいものです。」「西洋の考古学的発想の枠組みを大きく変える発見だったのです。」
文明史研究で著名なアメリカ・カルフォルニア大学のジャレド・ダイヤモンド教授は語る。「縄文人は1万年以上にわたって永続的に文化・文明をつくりました。この長さもそうですが、この文化・文明は偉業です。」「狩猟採集民族は愚かで原始的な生活を送っていたと考えるのが欧米では一般的です。しかし通常、農耕民族が行う集落の発展を すでに日本では狩猟採集民族が成し遂げていたのです。その意味で縄文人は世界で最も豊かな狩猟採集民族といえます。」
◆この1万年にもわたる永続的な縄文文化が日本列島という地で続いたわけは、1万年前に、地球の寒冷期が終わり、日本列島と朝鮮半島が陸続きだったのが離れ、今の対馬海流(暖流)が日本海に流れ込んだことの要因が大きいとされる。豊かな雨や雪が日本列島に降り、明確な四季ができて、「水と森の豊かな日本列島」ができたとされる。このため、豊かな木の実や動物が多く、植物の採集と合わせて、定住可能な暮らしと大集落ができた。これは、世界の歴史的にみても、「日本列島」だからこそ可能だった奇跡の地だったようだ。
1996年から2002年にかけて5回、モンゴルゴビ砂漠に恐竜化石発掘調査に行った。その際、内モンゴル(中国)との国境に近いパインザク(炎の崖)に近いところで、大量の石器を見つけた。(磨製石器) 100個ほど日本に持ち帰った。このうち、「玉(ぎょく)」で造られた石器の何個かを、梅原猛(哲学者)に見てもらった。見つけた場所は、石器工房のような場所だったのだろう。「細石刃石器」という東アジア北方特有の石器も10個ほど持ち帰っていた。この石器は日本の東北でも見つかっている。1万年前の縄文人も使った石器だった。
来日した福建師範大学の倪(ニイ)先生から、この玉(ぎょく)の立派なものを頂いた。この玉(ぎょく)は、中国では古代より尊重されている高貴な宝石だ。玉(ぎょく)に次いでは翡翠(ひすい)を中国人は尊ぶ。
◆東京国立博物館を後にして、東京駅に向かう。妻への土産に駅弁を2つ買い、京都に戻った。