彦四郎の中国生活

中国滞在記

世界遺産「福建土楼群」⑤―初渓村の小学校―  「一枚の訴えビラ」を読む

2016-03-27 07:35:48 | 滞在記

   ―土楼の村の小学校―
 初渓村の小学校があった。「初渓小学」という学校名。この日は土曜日だったので学校は休みなので、校内には入れない。校舎の中に小さな中庭が見られる。校舎の正門の前には、バスケットコートが1つだけ。可愛らしい小学校だ。職員室があった。ピンクのプラスチック製の椅子がなんともいえない。幼稚園の職員室の雰囲気がする。職員室の隣は、低学年用の教室だろうか。(※この村に中学校はなかった。)

 白い外壁が目立つ「善慶楼」に行ってみた。砂の上に鶏が集まっている。砂の上は気持ちがいいのだろうか。楼の中に入ると、家事をしている女性の姿。村の小さな広場のベンチに、「集慶楼」で見かけた女の子が弟の世話をしていた。

 さらに村の上に登って行くと「錫慶楼」(世界遺産)が見えて来た。1849年に造られた方形楼だ。放し飼いのシェパード犬が寝そべっている。楼の側面には大量の薪が積まれている。若い女性が赤ちゃんを抱いて座り、横にはおじいちゃんだろうか。ゆったりとした生活の雰囲気だ。そんな平和な村にも、次のような事件があったようだ。
 村で最も大きな「集慶楼」の入り口付近にビラが十数枚置かれていた。「野蛮执法 暴力治民」と大きなビラの見出し。その内容の概要は次のように書かれていた。「私は、73歳の退役軍人。この村の村民です。私の家族は9人です。1988年に家を建てました。2015年2月の午後、不幸にも暴風雨のため家が大きく壊されました。村の委員会と鎮政府に、家の修理・再建を申請しましたが、受理されませんでした。そして、7月14日に下洋鎮政府の書記(鎮政府トップ)・温福英が重機や車、200人とともにやって来て、家を破壊しました。暴徒です。彼らに殴られて流血しました。このような暴挙は解放前にはよくあったことですが、私は生まれてこのかた このような野蛮な暴行を受けたのは 初めてです。テレビなどでは、「人民のための人民政府」とよく放映されますが、この野蛮な行為は一体何なんですか!!!」(初渓村村民 徐台旺)
 このような内容のことが書かれ、最後に本人の電話番号が書かれていた。暴風雨によりかなり大きく破壊された家は、世界遺産の村の景観を損なうという理由で一方的な強制執行に及んだものと推察される。

 2時間あまり、この村を歩き 下洋鎮の町に戻って行った。

 下洋鎮のバス停で、バスの出発まで1時間以上あるので、食堂で昼食をとる。「○○鼠麺」を食べる時、辛いものを少量入れたが、とてもとても辛くて、スープが飲めなかった。バス停の「公共トイレ」に行って、その悪臭に吐きそうになった。小便をする場所は「排水」が詰まっていて、白い泡が大量に放置されたままなのだ。(※便器はない。1分間いたら、自然に吐くと思う。)

 下洋鎮のバス停から路線バスに乗り、2時間あまりで龍岩市街に到着。鶴田さんと「別れの挨拶」をかわす。2時間あまり、新幹線駅で列車を待つ。少数民族と思われる家族のほのぼのとした姿もあった。上手に寝ている人達も。改札を経て、新幹線に向かう。8輌編成の新幹線が、キスをするように連結されていた。16輌編成の「龍岩➡福州」に乗車する。3時間ほどで福州に着いた。(午後8時半)
 新幹線の車中、乗客の対人マナーが良くない(日本とは真逆というか)と感じる事しきり。知らない他人に対して、日本語でいう ちよつとしたマナー「すみません。」の言葉は一切ない中国世界。これが中国社会の常識なのだろうとは思うのだが---。日本人にとっては、かなりストレスが多い中国生活の一端だ。

 福州駅から宿舎方面へのバスを待つ。30分ほど並んで待って、ようやくK1番バスが来た。素早く、バスの入り口の横から割り込んでくる(並んでいなかった)10人ほどが割り込み乗車。あきれるが、ストレス。
 バスの中のテレビでの「トーク番組」には、卓球の福原愛さんをかなり長く紹介していた。宿舎に午後11時頃到着する。