彦四郎の中国生活

中国滞在記

世界遺産「福建土楼群」①―龍岩市永定県下洋鎮「中川(古)村」❶―

2016-03-23 22:58:29 | 滞在記

 3月18日(金)の1年生の授業が休講となったので、18日の早朝から世界遺産「福建土楼群」の見学に向かった。以前から行ってみたかった。宿舎の近くでようやくタクシーを見つけ、すざましい土砂降りで前が見えない渋滞の中 1時間ほどでようやく福州駅に着くころ雨がやむ。
 駅では、地方の農村地域からの人も多いので、赤ちゃんを背負う「ねんねこばんてん」を見かけることも多い。駅の外の人の通行しない場所に、布団を敷いて寝転がっている老人がいた。ルンペンの人かな--。
 ―「福州駅で、日本人が一か月間のルンペン生活」も、駅近くの中国人たちに助けられ日本に帰国―2012年10月配信
 2012年9月~10月にかけて1か月間、この駅でルンペン生活をしていた日本人男性がいたことを新聞が伝えていたことがあった。当時45才だった松本輝彦さんという人だった。福州市の福清という町に住んでいる彼の友人の住居にしばらく滞在し、友人が日本に短期間帰国するため、彼も荷物をもって福建省の近くをしばらく見てから帰国する予定だったそうだ。
 しかし、福州駅に着いてから「財布やパスポート」を無くした事態に気がついたという。中国語も英語もまったくできないため、とほうにくれて駅でのホームレスとなり、一カ月間。この間、駅の近くの中国人の人たちにいろいろ助けられ、なんとか食べさせてもらっていたようだ。その後、人々の援助でパスポートの再発行を経て日本に帰国することができたという。ちょうど、「尖閣列島」の問題が起こり、反日感情が巻き上がっていた中国の状況下でのできごとだった。
 午前9時15分発の新幹線に乗車。昼ごろが近くなると、「カップラーメン」を作って食べる人が多い。車内販売をしているので買う人が多いのだ。(※日本のような「駅弁」はない。) カップラーメンの独特の臭いが立ち込めて来る。気分がよくない。3時間かけて、12時12分に龍岩市に到着する。龍岩大学の日本人教員の鶴田さんが迎えに来てくれていた。「土楼」のある龍岩市永定県まで、長距離路線バスで行くことになった。腹ごしらえに「蘭州ラーメン」の店に入いる。1時45分発のバス券を買うことができた。

 バスで2時間、永定県の下洋鎮のバス停に着いた。福州からここまで、日本に例えれば「京都駅から新幹線で福島県まで行く」ような距離かと思う。ここは福州と同じ福建省だ。下洋のバス停の近くで「オートバイタクシー」(屋根つき)の運転手と鶴田さんが交渉し乗車。予約をとっておいてくれた町のホテルに着く。チェックインをすませて、部屋に荷物を置き再びオートバイタクシーに乗る。町から2kmの距離にある「中川村」という古村に向かった。すぐに村の入り口に着いた。時刻は4時となっていた。5時半ごろにバイクタクシーに迎えに村に来るように頼んだ。見学を始めた。小規模な水田や小川がある。村はずれの大きな家の入り口には、孫を抱く男性の姿があった。

 所々に大きなお墓が見える。(※一つの墓に夫婦二人が葬られるようだ。) 半年以内に葬られた人の墓なのか、朽ちた花輪がみられた。のんびりした ゆったり時間が流れる 小川沿いの道を歩く。水田の向こうに白い塔がみえる。しばらく歩くと「土楼」が一つ見える。近づいていくとアヒルたち。土楼の中に入る。人が生活しているようだ。初めて土楼を見た。

 土楼の3階まで上がる。規模は小さい土楼のようだ。ここは、観光客もほとんどこない土楼のような感じがする。土楼を出たらおばあさんと会った。挨拶すると笑顔が帰って来た。再び村の道を散策する。レンガ造りの立派な建物があった。洗濯物が干されていた。静かな村だ。古い歴史的な家から子供が出て来た。オートバイでこの地方のお菓子を売りに走って来た男の「売り子の声」に気が付いた子供が出てきて、バイクに走って行ったようだ。お菓子を買い、にっこりしながら家に戻っていった。

 再び歩きはじめる。立派な寺のような建物があった。鶴田さんによると、「この場所は風水思想によって選ばれた場所で、建物の背後に小高い丘、前面に小さな池をもつ。」という。村の重要な建物の前には、「功名塔」と呼ばれる石の塔が何本も建てられていた。日本では村や町の「顕彰碑」みたいなものらしい。村出身の人で、世間に「功」を成した人物を顕彰している記念碑だ。おそらく、この「功名塔」を作られる人物になることが、一つのすばらしい人生の目標になっているのだろうかと思う。
 ここをあとにして、迷路のような村の道を歩く。四角い「土楼」も見えた。壁には、過去に「毛主席万歳」と書かれていた文字が薄く見られた。中国の近代史の一端を感じる。村案内の小さな看板ポスターがあった。「天下第一僑郷」と書かれている。この村は、「華僑」人達の故郷という意味かと思う。