彦四郎の中国生活

中国滞在記

後輩たちへの報告交流会(今春より明治大学大学院生となる申さん)―10品ほどの料理を作った学生達―

2016-03-17 17:39:29 | 滞在記

 3月11日(金)の昼過ぎに、閩江大学の井上先生が4回生の張婷婷さんと共に宿舎に来てくれた。昨年の12月に張さんの故郷・福建省泉州市恵安での結婚式に参加させてもらった際、「恵安女」の民族衣装のスカーフ(頭から付ける)を買ったが、頭にかぶる花笠を買うことができなくて残念な思いをした。売っていないらしい。張さんのおばあさんが、手をつくして探してくれたものを、この日持ってきてくれた。とても美しい。感謝。
 宿舎の下の狭い道。ここは「結婚記念写真」のスポットの一つになっているらしい。時々、写真屋さんとともに、結婚式を控えたカップルがやってくる。私の娘の結婚式ももうすぐだな---。
 3月5日(土)の夕方に、閩江大学2回生の馮(ふう)さんと3回生の陳さんが宿舎に来た。二人とも日本語学科の学生ではないが、私の授業の聴講に来てくれていた学生達だ。見た目、男の学生のような馮さんは、この4月より台湾の大学に交換留学生として1年間行くことになっている。剣道初段の「剣道愛好家」で日本の歴史的人物(武将)が好きな歴女である。陳さんは「日本のアニメコスプレ」大好きの、乙女キャラ。二人は友達だが、対照的なキャラクターで、共通項は「日本好き」。バスに乗って「海鮮店」に行き、上海ガニなどを注文して食べた。二人とも歯が丈夫だから、硬いカニの足(かなりかなり硬い)も割ってたべていた。さすがに若い。

 3月14日(月)の夕方、福建師範大学日本語学科3回生7人(男子学生2・女子学生5)が宿舎に料理材料をたくさん持参してやってきた。彼らは、1時間ほどの時間をかけて、10種類(品)あまりの料理を作った。なかなかやるものだ。李君は故郷・雲南省の牛肉をもってきてくれて、「焼き肉」を作っていたが、とても良質の美味しい肉だった。

 後期の担当授業の一つとして「日本概論」がある。対象は2回生(※2クラス・約50人)。すでに3回(国土地理分野)の授業が終了した。16回の授業予定。

 昨日16日(水)の午後、日本に留学中の申楠楠さんが中国に戻り、昨年6月に卒業した閩江大学で報告交流会を行った。交流会会場の教室には、1回生〜3回生の後輩学生がたくさんきていた。最初に、張先生が開会の挨拶をし、その後 申さんが 留学についての体験を報告した。私も促されて、留学に関する話を学生達に話した。申さんは、日本での8か月間あまりの苦しく不安だった受験勉強生活を終えて、今春より明治大学大学院生となる。終了後、久しぶりに会う3回生の学生達と話すことができた。1回生から2年間教えた学生達だ。今後、留学の指導・アドバイスをする学生たちになるかもしれない。4回生の李順峰君は、時々 私の宿舎にきて 卒業論文や日本留学のための 話し合いをしてきている。彼は4回生の中では最も優秀な学生の一人だ。今年の9月(秋入学)の可能な「立命館大学大学院」(言語教育情報学科)の入学試験を目指している。

 3月15日(火)の午後、「第41回藤山サロン」の講演会があったので行ってみた。今回は、関西学院大学教授の于康(う こう)氏。演題は「日本語の誤用研究と日本語の学習」。于康氏は中国人。
 今日17日(木)の昼頃、福建師範大学外国語学部(英語科・日本語科・スペイン語科)の4回生と教員の全体写真撮影があった。250人あまりの学生と50人あまりの学部教員。6月の卒業を迎えるにあたっての「卒業アルバム」用の写真撮影だった。

最近のインターネットニュース記事より
❶「イギリスのサッカー・プレミアリーグチーム所属の岡崎慎二」ファンタスティクなオーバーヘッドシュート!!ゴール!!!

➋「北朝鮮からの脱出―イ・ヒョンソ―」2015年8月配信(※彼女のアメリカでのスピーチの様子が動画で見られた。)
 北朝鮮での幼年時代、『ここは地球上の最高の国』と信じていたイ・ヒョンソだったが、90年代の大飢饉に接してその考えに疑問を抱きはじめる。14歳の時に脱北。(※両親が彼女だけを脱北させる) その後 中国で素性を隠しながらの生活が始まる。
このスピーチは、必死で毎日を生き延びてきた彼女の悲惨な日々と、その先にようやく見えた希望の物語だ。そして、今 北朝鮮から遠く離れても、なお常に危険に脅かされる同朋たちへの力強いメッセージが込められていた。その人生の物語を的確な表現で、淡々とスピーチしているが、多くを語らないスピーチが 見る者・聞く者に感銘と勇気を与えてくれると思った。もう一度見たい。