彦四郎の中国生活

中国滞在記

3月6日、中国に戻る―中国全土の故郷から、続々と学生たちが大学に戻って来た―

2015-03-09 16:55:15 | 滞在記
 3月6日(金)の夜に、中国福建省福州市のアパートに戻った。再び、中国での生活が始まった。今年の「春節」をはさんだ「冬休み」は、かなり長かったので、日本に1か月以上帰国滞在できた。すっかり、日本の「里心」がついてしまい、中国に再び戻るのが辛かった。

 日本で作った「3回生」の文集や「学生100人分の日本土産」、生活用品や本などの入った荷物が、昨日 日本から届いていた。明後日の「3回生」の授業で配ることができる。
 3月6日(金)に中国に戻ったが、気温は予想よりかなり低かった。7日も8日も氷雨が降り続き、気温は(7度~13度)。少し風邪を引いた。部屋の大掃除をしたり、寝具類の洗濯をした。

 昨日の3月8日(日)の午後、久しぶりに大学に行った。大学行のバスは、大きな「キャリーバック」を持った学生達で超満員だった。大学に着いたら、中国全土の故郷から学生達が続々と戻ってきていた。氷雨の中、いたるところにある菜の花畑が満開だった。大学の研究室に行き、掃除をしたり、食堂で食べたりした。

 大学からアパートに戻る途中、市内の「茶亭公園」に立ち寄った。「春節」の名残の「赤い提灯」が、いまも掛けられていた。水仙の花が満開だ。
 いよいよ明日から、後期の「担当授業」が始まる。



中国に戻るまでの1週間―故郷・福井県へ行く―

2015-03-09 15:24:20 | 滞在記

 3月1日から福井県の故郷に行った。高校時代からの親友である山本君と一緒に、中学からの親友である松本君の家に久しぶり行った。猟師をしている松本君の家で、囲炉裏炉辺を囲みながら酒や猪鍋や鹿の刺身を食べる。

 翌日の3月2日の朝、日本海の海や村が見渡せるところにある墓地に行き、「父・母・祖父・祖母・先祖」の霊にお参りする。

 故郷の村のバス停で、村のおばあさんたちに会った。「彦四郎のあんちゃんか。元気でやっているんか。」と話しかけられた。このおばあさんたちは、私の小学校・中学校の時代の同級生たちの母親たちだ。ああ、なつかしい。(※「彦四郎」は、私の実家の「屋号」。)

 中国に戻る3日前の3月3日(火)から3月5日(木)までの間、いろいろな準備や手続きなどを最終的に行った。そして、いろいろな人へのお土産を買ったりする。また、かかりつけの医院なとに行ったりした。そして、「家の外壁の工事」をしている最中なので、その打ち合わせなど。立命館大学に行き、閩江大学の4回生のために7月実施の大学院留学試験の要項をもらったり、自分の「研修員」手続きを行ったりと目まぐるしく日々を過ごした。
 祇園にある吉井勇の「かにかくに碑」。付近の「枝垂桜」は、まだ硬い蕾だが、あと3週間後には開花してくるだろう。今年も「日本の桜が見れない----。」と思った。

 今年の中国「春節」の期間中、日本への中国系観光客は非常に多かったが、3月3・4日・5日になっても、京都市内では多く見られた。八坂神社の周辺は、まだまだ中国語が飛び交っていた。

 三条大橋近くにある「コクミンドラッグ」の店にも、中国語表示がされていた。いろいな物を買う中国の人達が多くいた。

 中国の大学の同僚の女性教員たち用の土産物を買いに「よーじや」に行ったら、中国系の観光客がたくさん来ていた。携帯電話のインターネット商品情報と見比べながら、買い物をしていた。市内の大型デーパートの電光掲示板には、「9折」(※10%引き)などの掲示がされていたのには少し驚いた。3月3日~4日は娘が、5日には息子が、久しぶりに家に戻って来た。