クレヨンで描いた自画像か?
台所の後ろの壁に長い間かけられていた作品だが、今日外された。
不安について考えていた。
世界中の人々の普通の将来の不安は、金が無くなることじゃやないか?と。お金の不安、生活が維持出来るかという不安ではないだろうか。又は、病気。とどのつまり、老後の不安=お金の不安ではないかと思う。わたしも先々のことを考えると不安しかない人である。何故不安に思うのか?それは、人間としてのしっかりした目標を持っていないからではないかと思える。目先のことにふりまわされている自分の姿が目に浮かぶ。ヒロクニさんの言動や行動に振り回されるのしかり、わたしの肝がすわってないからだと思う。ヒロクニさんの言うことに、いちいち気持ちが波打って、心に波風が立つのは、大きく物事を構えていないと言う事であり、自分の本当に生きる目標がはっきりしていないからだと思うことがある。ただ生きてるだけだ。そういう時、祖母の生き方がふと浮かぶ。祖母は「ために生きる」人であった。自分はすべてを捨て、ただただ家族のために生きてきた人である。わたしもそういう資質はあるが、自分が絶対出てくる人である。裏方なのに、裏方の存在をアピールしなくちゃ気がすまないみたいな所があるのです。愛に見返りを求める心境に近いかもしれない。基本的に女だからか物欲もあるのです。
不必要な欲を捨て、身軽にならなくてはと思う。
そういう意味では、ヒロクニさんは凄いと思う。最近、いろいろお金がかかることを思いつき、しようと思って、節約するのに食費の見直しをした。晩ご飯を楽しみにしていたヒロクニさんに悪くて言い出しかねていた。思い切って「生きながらえるための食事に暫く変えていいかな?」と切り出した。返事は「原点に返るのも悪くない」「そうやって絵を描いていたことを思い出すのも悪くない」とあっさりしたものだった。晩ご飯の用意は、シンプルで創意工夫するメリハリも出てきて、野菜中心の身体に優しい食事です。なによりも、2人で納得して頂く夕食は、ホンワカムード。こういう時、一緒に生活する人がいて良かったなぁと思う。臨機応変に生活の工夫が出来る幸せをかみ締める。実質剛健で飾り気のない食事ですが、だからと言ってまずい食事というわけではない。他の事にエネルギーを注いでいます。
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