あけましておめでとうございます。
皇紀2681年 令和3年
今年もよろしくお願いします。
↑
この絵は、どっちの向きが正しいのでしょうか?
↓
お正月らしい絵がいいと思い、この絵を選びました。
爽やかな風が吹いているようで、新しい気風を運んでくれるような作品を選びました。
ところが、この絵。
どちら向きなのかわからない作品なのです。
パッと見、上の状態を疑問なく思っていましたが、
あれ?こっち向きにも見えなくもない。と、後から思うと、そのように思えてきて、
ヒロクニさんに「どっち向きの作品なの?」と聞くと、
「どっちでもいいんだよ。」
「好きな方に向けたらいい。」と、返答が。
だから、選べない両方を紹介しました。
ヒロクニさんの絵は、どちらかというと“爽やか”より、混沌が多いので、
私はこの絵に目をつけていました。
さっと絵を私が保管して置けば良かったのですが、アトリエにあったので、
ヒロクニさんの周りにある紙の山を探すことになって、ガサガサ、ゴソゴソと夜探しのような感じで、
ここにもない、あそこにもない、棚の上か?こんな調子でしたので、
「もう、いいのじゃないか!」と語気を荒げて言われたりしたが、
執念深く探したので、あったのでした。
正月から急に寒さが強まったので、機嫌が悪く、毎年のことなのですが、
「冬になると寒さを呪っている」ヒロクニさんなのです。
その話を聞くと、「冬、寒いのは私のせいじゃない。」と、釘を刺しておきます。
話が、それないうちに、戻しておこう。
風が吹くような絵を選んだ理由に、
「今年からは、新しい風が吹く」そうで、このことを書きたかったのでした。
↑元旦の日から、私は、おせちを食べながら、「唯識」を読む。
昨年から気になり始めたインド哲学の「唯識」というものにはまっている。
「薬師寺」で講演された文章を見つけたので、それを自分で冊子にして、年末まとめていました。
これを、おせち料理を食べながら読んでいました。
この冊子を見ると、ヒロクニさんは、
「朝起きたところから、唯識は始まっているからね。」と、問答のように言う。
私は、「これは、一本とられましたな。」と、相槌を打つ。
本当に、朝起きた瞬間から認識がはじまり、意識活動ははじまると云えるのです。
うまく言う。
さすがに、禅宗の寺に壁画を描いたことがある人は違う。
こういう会話ばかりだと、尊敬も出来るし、いい男と結婚したかしら?と思うのですが、
急落するときがあり、人間のクズみたいになるので困ります。
古い言葉で言えば、無頼派な人間になれる要素でもあるので、野卑で好いと云う感じでもある。
芸術家によっては、魅力の1つとして強力なものではあるが、
生前はあまり尊敬されないのが特徴か?
無頼で有名な画家を上げるとしたら、長谷川利行を取り上げます。
私は、ヒロクニさんは、年齢的に無頼をするのは、もう無理と横目で見て言る。
無頼は、しんどいからね。
また、話が横道へ行きそうなので、戻します。
まあ、それでも、正月としては、いい始まり。
そんなことを思っていました。
この冊子の中に、地水火風というものが出てくるのですが、
当時の哲学的意味では、
地‥硬い性質
水‥湿り気のある気質
火‥熱や暖かさ
風‥動く性質
だそうで、物質の土や水をあらわすわけではなく、例えをあげると
人間の身体の要素は、地水火風で出来上がっているということだそう。
肉体の中にある硬いもの、湿り気、体温、人は動くということで、
万物の基本的な要素を満たしているというわけです。
2021年から「風が吹く」すなわち、物事が流れるように動く時代になるらしい。
動くということは、旧態依然としたものは流れ去り、違うものが入りこんでくるという風に捉えます。
今世の中を見渡すと、形骸化して、なんの意味もない物も目につく。
そんなものが淘汰されていく時代かもしれないと思っている。
こんな風な時代の中、きっちりとした意志を持つことも大切じゃないかと思いました。
「意志を持って動く。」
どこまでが、自分の意志で、どこまでが周りからの影響なのか?
けっこう突き詰めて考えると、私の意志は、周りからの影響が多く、
置かれている環境、即ち外の世界に対応していった結果の意志ではないかと思う。
哲学的になっているので、まわりくどい言い方になってしまっていて、すいません。
私は、こういう風に「新年の抱負」を自分の中から持つという事を思ったのは、初めてで、
人がそうだからとか、人から聞かれた時にとりあえず答えれるようにでもなく、
何となくというものではなく、湧き上がるように思ったのは初めてのことでした。
強く、1つ意欲というか、意志、思いを持つことにした2021年の始まりです。
(内容は恥ずかしいので、秘密ですけど・・・)
強い意志を持って、心に思いを沁みこませてみようと思った新年です。
ここで、「心に思いを沁みこませて」と書きましたが、
この「心」を分析しているのが、唯識というものなのです。
「心」と一言でいうが、心とは何なのでしょう?
「唯識」を読み、そんな見識も深めながら、チョイと頑張ってみようと思った正月でした。
西洋哲学では、カント。もっと遡れば、アリストテレスが近いそうですね。
(どっちも、読んだことないけど・・・・)
そのおせちは、こちら。
黒豆、筑前煮、伊達巻、鯖の押し寿司、ほうれん草の胡麻和え、チーズ、オードブル、きゅうりの糠漬け。
黒豆は、圧力鍋で煮ました。わりと短時間で出来るので拍子抜けしました。
初めて作った伊達巻と鯖の押し寿司。
伊達巻は、四角い入れ物がなかったので、アルミホイルと、クッキングシートで容器を作ってみました。
↑こんな感じに。これをオーブンで焼きました。
↑こちらが焼き上がり
↑すのこで巻きました。
これで、出来上がりです。
こうやって、伊達巻に挑戦しましたが、伊達巻ってそんなに好きなものではなかったのが残念。
ヒロクニさんも1切れ食べただけで、食べようとしない。
写真などを見て、作りたくなる料理なんですけどねぇ~。
↑鯖の押し寿司は、この専用の容器さえあれば、簡単です。
鶏そぼろと錦糸卵とさやいんげんをのせて作ってもいいかも?と思いました。
缶詰の魚のフレークを絞って、アレンジしたものを使うのもあり?
↑そんな、おせちを作っている私の横で、おねだりで鳴くピー。
おじゃこを上げると、牙を出して、黒目が全開になっています。
黒目が全開なので、また目のある所がわかりません。
顔・・、必死すぎて、怖いわ。