武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

心の中の自由ということってありますよね。(作品紹介426・キッチュな女)

2016-07-08 13:35:36 | Weblog


キッチュな女性像という感じがする作品。
ちょっと暗がりから、姿を現すような感じがして、
妖怪めいた雰囲気もします。
恐怖と憐憫が混ざったこの女性像。この異様な感じを味わって下さいませ。

ヒロクニさんは、結構こういう絵を気に入っていています。
絵自体は、紙のコラージュとともに、鉛筆、色鉛筆、アクリル絵具と使用。
女性像は、この他にもあるのですが、いつも変な感じ。

ヒロクニさんは、芸術家という自由業であるが、
実は自由業は、不自由業という現実がある。

一番は経済的なこと。
私達は、外へ出てもいつも節約を心がけていて、買い物もお互い阻止しあう。
唯一阻止しないのは、画材代だ。
そして、旅行なんて考えられないのだ。
いつも家に篭って、ヒロクニさんは制作することになる。
私も、タオルケットの薄くなっていない所をミシンでタオルにすることを思い付き
「私って賢い」とフフフと笑う。
しかし、老眼によって、ミシンの針に糸を通すことが困難になり、手縫いになってしまった。
糸を通すのに1時間以上かかってしまうのだ。

しかし、質実剛健な生活をしていると、精神は幾分かスッキリしていくようです。

自由を外に求めるのではなく、自分の心は自由なのか?と問うてみた。
やはり、自分の思い込みや、他人に対して要求ばかり求めていないか?と一つ、一つ問うのである。
私だったら、ヒロクニさんに対しての要求は、ヒロクニさんの自由を奪うこともあるなぁ~とか。
ヒロクニさんの要求は、私の自由を奪うこともある。(いつも一緒にいて欲しいとか)

しかし、それを嫌々聞くのではなく受け入れる時は受け入れる。
どうしても困難な時は、無理をしない。そして、素直に言う。

結構、素直になるという事も難しい。思いぐせとか、意地を張ってしまうとか人はいろいろあるからね。
また、コンプレックスというのも心を変な方へ引っ張る。
心が真っ白なキャンバスのようになっている状態で、あらゆる可能性が生まれるような状態に
いつもなれたら、人はあらゆる可能性を持つことができるのではないだろうか?

フッとこんなことを思った瞬間があったのです。

過去の私も欠点のバーゲンのような感じもするし、今でも人格疑うような冗談を考え付くから
聖人君子ではない。おもろーと思ったら、悪質なジョーダンを思いついてしまうし・・・・。

ヒロクニさんも修行のように絵を描いているし、こういうことを思うのはなんか影響を受けているのかも?






Tシャツの続きをしていました。
4版目です。



8版目です。
14版目まで無事刷って、袋摘めしました。
置いて下さる方いることに、感謝しています。





エキナセアの花が咲きました。
つぼみをたくさん付けているので、まだまだ花がつぎつぎ咲きそうです。
毎年、株が大きくなってきているので、植え替えてあげないと思っています。












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 妻は別のブログも書いています。 
「さほりさんの自虐史観からの脱却」というブログです。
 左側のブックマークに貼っています。
 今は、フーバー大統領回顧録「日米戦争を起こしたのは誰か」を紹介しています。
 ついでに、私が良く見るブログも貼ってあります。
 よろしく。



コメント (4)
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